加菲と別れた翌日の午後、Eメールが届いていました。
「XX先生、真的很對不起, 因為哥哥和姊姊都沒有工作、所以我才會跟你開口 你請原諒。
我一定會努力努力賺錢、早日還清你借的錢。明天天我上班! 你要找我嗎?」
(XXさん、本当にごめんなさい。 私のお兄さんとお姉さんは今、仕事をまったくしていないの。だからこそ私はあなたに話したんだよ。どうか私を許してくださいね。私は必ずものすごく頑張ってお金を稼いで、少しでも早くあなたのお金を返すから。明日から仕事も行くよ!私に会いに来る?)
私は加菲に簡訊を打ち、明日の夜に酒店に行くことを約束しました。お母さんも退院し、彼女も再び、学校に行き始め、その足で上班に来るようでした。私は少し、安心したこともありました。しかし、明日、加菲がどのような表情を見せるのか一抹の不安もありました。
次の日の夜の9時半頃、私は震洲に頼んで、加菲を預點し、包廂で待っていました。10時を少し回った頃、彼女は行政に案内されて包廂に現れました。加菲はもじもじしている感じで、小さな子が何か悪いことをしたようなそんな顔で立っていました。感情を表すのが苦手な加菲はどのような顔をしてよいか、きっとわからなかったのでしょう。しばらく、何も言わず、立っていました。
私は加菲に話しかけました。
「你不要擔心。我挽幫助你一點。我知道你真的没辦法付款醫薬費。我、没關係的」
(心配することはないよ。僕はほんのちょっとだけ助けただけだ。僕は加菲が本当に医療費を支払う方法がなかったことを知っているから、気にしていないよ)
加菲はそう話すと安心したようにニコッと笑い、私の横に座りました。そして加菲は何と驚くようなことを言い出しました。
「一起做玩遊戯!」 (一緒にゲームをしようよ!)
加菲はお酒をまったくと言っていいほど飲めませんでした。そのため、いつもベテランの公關小姐にいじめられ、罵声を浴びせられることも多かったのですが、ビールをコップに注ぎ、負けたら飲むと言い張るのです。感情表現の下手な加菲は私にお金を借りたことに対して引け目があったのか、恩義を感じていたのかは定かではありませんが、とにかく、一生懸命、私を楽しませようとしていました。しかし、玩遊戯で負ける度にビールを一気飲みする加菲は笑っているものの、痛々しく、すぐに私は玩遊戯をやめてしまいました。加菲は少し、悲しそうな顔をして、自分はこんなにがんばって接客しているのにというような表情をしていました。
すぐ加菲は歌を一緒に唱おうと言い出しました。加菲は歌も苦手で跳舞もしたことはありませんでした。通常は客について10分後に1回目の跳舞があるのですが、私はいつもさせたことがなく、彼女も苦手で厭だから助かると言っていました。歌も私が唱うことはあっても彼女はいつも横でそれを聞いているだけで唱うのも見たことが一度もありませんでした。その加菲がいじらしく、歌を唱うというのです。彼女は私のために歌を練習してきていました。なぜならば、彼女が選んだ歌は2曲とも日本の歌のカバー曲だったからです。
加菲は学校や公司で電脳(PC)を使うのが好きで、いつも「開心農場」というゲームをやっていました。網路(インターネットのこと)が好きなこともあってYOU TUBEで曲を探して覚えてきたのです。私は日本の歌のカバー曲があることも知りませんでしたが、驚いたのは、その曲がデュエットになっていたことでした。
曲はサザンオールスターズの「真夏の果実」。台湾では薛凱琪と方大同が唱う「復刻回憶」という題名になっています。
初めて加菲が唱うのを聞きました。それほど音痴ではないのですが、本当にカラオケをしたことがない子が初めて唱うような感じで、きっと今までの生活経験の中にも歌を唱うということは、ほとんどなかったのでしょう。とにかく、楽しんで唱うという感じはなく、真面目に一生懸命唱っていました。私も曲はよく知っていたので、時々、発音がわからない中国語があったものの、加菲との初めてのデュエットは久しぶりに一生懸命、歌を唱うというモードになったこともあり、結構うまく歌えました。
次に加菲が入れた曲は夏川りみの「涙そうそう」。台湾では蔡淳佳が唱う「陪我看日出」という曲になっていました。この曲は加菲一人が歌ったのですが、一生懸命、日本の歌を練習してきてくれたことを思うと少し、その加菲の気持ちがうれしくて、彼女のあまりうまくない歌を聞き入ってしまいました。
しかし、レパートリーはたった2曲しかなく、加菲は唱い終わった後、もう、彼女自身ができることはなくなってしましました。そして、さらに彼女は驚くべきことを言ったのです。
「一起去WeGo、我們會睡覺抱抱嗎?」 (ねえ一緒にWeGoに行こうよ。私たちは抱き合って眠ることができる?)
WeGoとは錦州路にある人気のファッションホテル。
彼女のあまりにも突拍子もない変貌ぶりに私はとまどうしかありませんでした。
画像は錦州街と林森北路の交差点にあるWeGo林森館。台北の校外には豪華な汽車旅館(モーテル)はたくさんありますが、街中の便利なところにあり、大人気のファッションホテルで夜はいつも満員といった感じです。
これは当時の加菲の写真です。ギャル的な要素がなく、タトゥーを少ししていたのも友達に誘われてやって後悔していると言っていましたが、深く物事を考えない彼女らしいことでした。おとなしくていつも受け身な性格で、時自分の感情を表現することがとても苦手な子でした。暗くてあまりよく撮れていないのですが、あどけないというか、物事をよく知らないというか、酒店のような海千山千の人間が集まるところで働くのことは彼女にとって無理がありました。3月末には結局やめてしまうのですが、それも道理でした。
私にとって、これは極めて大切な写真です。皆様をご信頼申し上げておりますので、転載や流用などを絶対にしないようお願いいたします。 プライベート版にはモザなしをアップしてあります。
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「XX先生、真的很對不起, 因為哥哥和姊姊都沒有工作、所以我才會跟你開口 你請原諒。
我一定會努力努力賺錢、早日還清你借的錢。明天天我上班! 你要找我嗎?」
(XXさん、本当にごめんなさい。 私のお兄さんとお姉さんは今、仕事をまったくしていないの。だからこそ私はあなたに話したんだよ。どうか私を許してくださいね。私は必ずものすごく頑張ってお金を稼いで、少しでも早くあなたのお金を返すから。明日から仕事も行くよ!私に会いに来る?)
私は加菲に簡訊を打ち、明日の夜に酒店に行くことを約束しました。お母さんも退院し、彼女も再び、学校に行き始め、その足で上班に来るようでした。私は少し、安心したこともありました。しかし、明日、加菲がどのような表情を見せるのか一抹の不安もありました。
次の日の夜の9時半頃、私は震洲に頼んで、加菲を預點し、包廂で待っていました。10時を少し回った頃、彼女は行政に案内されて包廂に現れました。加菲はもじもじしている感じで、小さな子が何か悪いことをしたようなそんな顔で立っていました。感情を表すのが苦手な加菲はどのような顔をしてよいか、きっとわからなかったのでしょう。しばらく、何も言わず、立っていました。
私は加菲に話しかけました。
「你不要擔心。我挽幫助你一點。我知道你真的没辦法付款醫薬費。我、没關係的」
(心配することはないよ。僕はほんのちょっとだけ助けただけだ。僕は加菲が本当に医療費を支払う方法がなかったことを知っているから、気にしていないよ)
加菲はそう話すと安心したようにニコッと笑い、私の横に座りました。そして加菲は何と驚くようなことを言い出しました。
「一起做玩遊戯!」 (一緒にゲームをしようよ!)
加菲はお酒をまったくと言っていいほど飲めませんでした。そのため、いつもベテランの公關小姐にいじめられ、罵声を浴びせられることも多かったのですが、ビールをコップに注ぎ、負けたら飲むと言い張るのです。感情表現の下手な加菲は私にお金を借りたことに対して引け目があったのか、恩義を感じていたのかは定かではありませんが、とにかく、一生懸命、私を楽しませようとしていました。しかし、玩遊戯で負ける度にビールを一気飲みする加菲は笑っているものの、痛々しく、すぐに私は玩遊戯をやめてしまいました。加菲は少し、悲しそうな顔をして、自分はこんなにがんばって接客しているのにというような表情をしていました。
すぐ加菲は歌を一緒に唱おうと言い出しました。加菲は歌も苦手で跳舞もしたことはありませんでした。通常は客について10分後に1回目の跳舞があるのですが、私はいつもさせたことがなく、彼女も苦手で厭だから助かると言っていました。歌も私が唱うことはあっても彼女はいつも横でそれを聞いているだけで唱うのも見たことが一度もありませんでした。その加菲がいじらしく、歌を唱うというのです。彼女は私のために歌を練習してきていました。なぜならば、彼女が選んだ歌は2曲とも日本の歌のカバー曲だったからです。
加菲は学校や公司で電脳(PC)を使うのが好きで、いつも「開心農場」というゲームをやっていました。網路(インターネットのこと)が好きなこともあってYOU TUBEで曲を探して覚えてきたのです。私は日本の歌のカバー曲があることも知りませんでしたが、驚いたのは、その曲がデュエットになっていたことでした。
曲はサザンオールスターズの「真夏の果実」。台湾では薛凱琪と方大同が唱う「復刻回憶」という題名になっています。
初めて加菲が唱うのを聞きました。それほど音痴ではないのですが、本当にカラオケをしたことがない子が初めて唱うような感じで、きっと今までの生活経験の中にも歌を唱うということは、ほとんどなかったのでしょう。とにかく、楽しんで唱うという感じはなく、真面目に一生懸命唱っていました。私も曲はよく知っていたので、時々、発音がわからない中国語があったものの、加菲との初めてのデュエットは久しぶりに一生懸命、歌を唱うというモードになったこともあり、結構うまく歌えました。
次に加菲が入れた曲は夏川りみの「涙そうそう」。台湾では蔡淳佳が唱う「陪我看日出」という曲になっていました。この曲は加菲一人が歌ったのですが、一生懸命、日本の歌を練習してきてくれたことを思うと少し、その加菲の気持ちがうれしくて、彼女のあまりうまくない歌を聞き入ってしまいました。
しかし、レパートリーはたった2曲しかなく、加菲は唱い終わった後、もう、彼女自身ができることはなくなってしましました。そして、さらに彼女は驚くべきことを言ったのです。
「一起去WeGo、我們會睡覺抱抱嗎?」 (ねえ一緒にWeGoに行こうよ。私たちは抱き合って眠ることができる?)
WeGoとは錦州路にある人気のファッションホテル。
彼女のあまりにも突拍子もない変貌ぶりに私はとまどうしかありませんでした。
画像は錦州街と林森北路の交差点にあるWeGo林森館。台北の校外には豪華な汽車旅館(モーテル)はたくさんありますが、街中の便利なところにあり、大人気のファッションホテルで夜はいつも満員といった感じです。
これは当時の加菲の写真です。ギャル的な要素がなく、タトゥーを少ししていたのも友達に誘われてやって後悔していると言っていましたが、深く物事を考えない彼女らしいことでした。おとなしくていつも受け身な性格で、時自分の感情を表現することがとても苦手な子でした。暗くてあまりよく撮れていないのですが、あどけないというか、物事をよく知らないというか、酒店のような海千山千の人間が集まるところで働くのことは彼女にとって無理がありました。3月末には結局やめてしまうのですが、それも道理でした。
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