秋頃からしばらく、極めて体調が良くなくて休載しておりましたが、この1月下旬に台北時代の盟友・RMSさんと上海で5年ぶりに再会し、さらにこのブログを始めたころからの何人かの読者の方からLINEやメッセージをいただき、その後押しもあってブログ再開です。もし、よろしければ、また、ご拝読ください。なお、台湾美人時計はブログパーツ終了で「今天我最美」のリンクになっています。画像をクリックすると日々の台湾美女画像が開きます。
上海は1840年のアヘン戦争以降、当時の各列強(イギリス、フランス、アメリカ、日本など)の租界がつくられ、急速に発展した近世の大都市です。人口は2600万人とも言われ、「魔都」「東洋のパリ」とも呼ばれてきた歴史もあります。そのため、現在も旧租界地や外灘(バンド)には当時の欧州風の雰囲気も多く残されており、中国の伝統文化が反映された都市というよりは旧ヨーロッパなどの西洋的な雰囲気の方が濃いのかもしれません。
映画「上海灘」や「夜上海」、「上海バンスキング」で描かれた世界は今でも上海の夜を彩る極彩色の怪しい光を放っています。その代表的な文化が「舞庁」。男は入場料を払い、女性は免費で入場できたりしますが、そこを職場として働く舞女もたくさんいます。
上海で最も知られているのは静安寺附近にある「百乐门大舞厅」でしょう。その歴史は古く、1929年に開業、「Paramount Hall」の英名を冠し、当時から貴族階級や西洋人の社交場として知られていました。
中国の伝統的な衣装・旗袍(チャイナドレスのこと)に身を包んでいたかつての舞女たち。今は歴史と伝統のある舞庁で見られるのみ。街角にある舞庁では普通のドレスやタイトなミニスカートのワンピースが主流。
当時からのレトロな雰囲気を今も残してはいますが、今では近代的な照明設備やイルミネーションも加え、モダンなソシアルダンスの社交場として生まれ変わっています。中国語ができないと、また上海の夜の雰囲気になれていないと入りにくいのですが、日本から来られたゲストなどを案内するとその艶やかな雰囲気に少し感動してもらえるといった場所ですね。
現在の百乐门大舞厅。設立当時とはもちろん趣きが異なります。。
舞庁(中国語では舞厅)は中国全土にたくさんあって、ここ上海も例外ではありません。ちょとした繁華街の中には舞庁があり、人々の社交場として市内の10箇所ほどに点在しています。
以前、ブログの中で「黒舞庁」のことを紹介しましたが、現在は一部の黒舞庁は上海においてはほぼ壊滅、公安の取り締まりも厳しく、ここ上海では基本的には舞庁にいる舞女の子に声をかけて一緒に踊り、もし、踊っている間にコミュニケーションをとって気が合えばボックス席で話をするという感じのみです。まあ、あとは自由恋愛の世界が広がっているのかもしれませんが。このスタイルは上海では租界の頃から継続しています。
租界時代の舞庁。テーブルや雰囲気こそ今は現代的ですが、その仕組自体に大きく変わっていません。
僕は夏のある夜、上海の市中心部にある舞庁にいました。
大陸は台湾に比べると刹那的で拝金主義の女の子が多く、人とのつながりを求めたいという気さえ起こりませんでした。 貧しい地方から、この大都会・上海に富を求めて集まる女の子が圧倒的に多く、身一つでいくらかの金を日々掴んでいける可能性があるからです。虚飾に満ちたこの魔都の夜は「騙し騙され」の世界が色濃く存在し、人の気持などはそこに挟まる余裕すらないように感じました。人を思いやっていたら、この大人口の国や大都会ではすぐに出し抜かれてしまうからです。多くの人がコネと金を求め、駆け引きをしている・・・・というのが僕の印象でした。
それは舞庁に集まる舞女たちも同じ。昼は学生や売り子などでこの物価の高い上海では十分に着飾ったり、化粧品を買うこともできません。時給20元から30元(300~400円ぐらい)の打工だけでは当然、生活ができないからです。地方から出てきて子たちはワンルームの部屋を3人ぐらいでシェアしていることも珍しくはありません。一般的に上海の家賃は極めて高く、極めて古いワンルームでも2000元ぐらいはします。月収が3000元ぐらいではとても追いつかないのです。
舞女はいわゆる踊って話すことがほとんどのため、大学生やOL、お店の売り子なども多いです。
エアコンがすごくきいたこの妖しい舞庁は、ざっと見た限り、女の子は100人以上。一晩に5回も踊ってもらえれば女の子にとっては十分と言われるこの大人数の中で選ばれるのは簡単なことではありません。1曲踊ってもらえる小費は20元。何とか一晩で100元(大陸の最高額紙幣です)は稼ぎたいと思っている子たちが、こぎれいな洋服ときっちりした化粧でアイコンタクトをたくさん送ってきます。
一般的な舞庁の雰囲気です。お小遣いを稼ぎたい舞女の子の数は半端なく多いです。
そのとき、壁にもたれて、目線を落としている子が目に入りました。ダンスが終わり、やや証明が明るくなってその子の顔立ちを見ると、そう、あの台北で出会った芊芊と面影がどこか似ていました。とてもスタイルが良く、顔立ちも美人なのにその子はまったくと言ってよいほど声をかけられません。
一体、どうして?
僕は彼女に近づき、「你好」と声をかけました。
しかし、その瞬間、彼女が美女であるにもかかわらず、誰にもダンスに誘われない理由が初めてわかったのです。
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上海は1840年のアヘン戦争以降、当時の各列強(イギリス、フランス、アメリカ、日本など)の租界がつくられ、急速に発展した近世の大都市です。人口は2600万人とも言われ、「魔都」「東洋のパリ」とも呼ばれてきた歴史もあります。そのため、現在も旧租界地や外灘(バンド)には当時の欧州風の雰囲気も多く残されており、中国の伝統文化が反映された都市というよりは旧ヨーロッパなどの西洋的な雰囲気の方が濃いのかもしれません。
映画「上海灘」や「夜上海」、「上海バンスキング」で描かれた世界は今でも上海の夜を彩る極彩色の怪しい光を放っています。その代表的な文化が「舞庁」。男は入場料を払い、女性は免費で入場できたりしますが、そこを職場として働く舞女もたくさんいます。
上海で最も知られているのは静安寺附近にある「百乐门大舞厅」でしょう。その歴史は古く、1929年に開業、「Paramount Hall」の英名を冠し、当時から貴族階級や西洋人の社交場として知られていました。
中国の伝統的な衣装・旗袍(チャイナドレスのこと)に身を包んでいたかつての舞女たち。今は歴史と伝統のある舞庁で見られるのみ。街角にある舞庁では普通のドレスやタイトなミニスカートのワンピースが主流。
当時からのレトロな雰囲気を今も残してはいますが、今では近代的な照明設備やイルミネーションも加え、モダンなソシアルダンスの社交場として生まれ変わっています。中国語ができないと、また上海の夜の雰囲気になれていないと入りにくいのですが、日本から来られたゲストなどを案内するとその艶やかな雰囲気に少し感動してもらえるといった場所ですね。
現在の百乐门大舞厅。設立当時とはもちろん趣きが異なります。。
舞庁(中国語では舞厅)は中国全土にたくさんあって、ここ上海も例外ではありません。ちょとした繁華街の中には舞庁があり、人々の社交場として市内の10箇所ほどに点在しています。
以前、ブログの中で「黒舞庁」のことを紹介しましたが、現在は一部の黒舞庁は上海においてはほぼ壊滅、公安の取り締まりも厳しく、ここ上海では基本的には舞庁にいる舞女の子に声をかけて一緒に踊り、もし、踊っている間にコミュニケーションをとって気が合えばボックス席で話をするという感じのみです。まあ、あとは自由恋愛の世界が広がっているのかもしれませんが。このスタイルは上海では租界の頃から継続しています。
租界時代の舞庁。テーブルや雰囲気こそ今は現代的ですが、その仕組自体に大きく変わっていません。
僕は夏のある夜、上海の市中心部にある舞庁にいました。
大陸は台湾に比べると刹那的で拝金主義の女の子が多く、人とのつながりを求めたいという気さえ起こりませんでした。 貧しい地方から、この大都会・上海に富を求めて集まる女の子が圧倒的に多く、身一つでいくらかの金を日々掴んでいける可能性があるからです。虚飾に満ちたこの魔都の夜は「騙し騙され」の世界が色濃く存在し、人の気持などはそこに挟まる余裕すらないように感じました。人を思いやっていたら、この大人口の国や大都会ではすぐに出し抜かれてしまうからです。多くの人がコネと金を求め、駆け引きをしている・・・・というのが僕の印象でした。
それは舞庁に集まる舞女たちも同じ。昼は学生や売り子などでこの物価の高い上海では十分に着飾ったり、化粧品を買うこともできません。時給20元から30元(300~400円ぐらい)の打工だけでは当然、生活ができないからです。地方から出てきて子たちはワンルームの部屋を3人ぐらいでシェアしていることも珍しくはありません。一般的に上海の家賃は極めて高く、極めて古いワンルームでも2000元ぐらいはします。月収が3000元ぐらいではとても追いつかないのです。
舞女はいわゆる踊って話すことがほとんどのため、大学生やOL、お店の売り子なども多いです。
エアコンがすごくきいたこの妖しい舞庁は、ざっと見た限り、女の子は100人以上。一晩に5回も踊ってもらえれば女の子にとっては十分と言われるこの大人数の中で選ばれるのは簡単なことではありません。1曲踊ってもらえる小費は20元。何とか一晩で100元(大陸の最高額紙幣です)は稼ぎたいと思っている子たちが、こぎれいな洋服ときっちりした化粧でアイコンタクトをたくさん送ってきます。
一般的な舞庁の雰囲気です。お小遣いを稼ぎたい舞女の子の数は半端なく多いです。
そのとき、壁にもたれて、目線を落としている子が目に入りました。ダンスが終わり、やや証明が明るくなってその子の顔立ちを見ると、そう、あの台北で出会った芊芊と面影がどこか似ていました。とてもスタイルが良く、顔立ちも美人なのにその子はまったくと言ってよいほど声をかけられません。
一体、どうして?
僕は彼女に近づき、「你好」と声をかけました。
しかし、その瞬間、彼女が美女であるにもかかわらず、誰にもダンスに誘われない理由が初めてわかったのです。
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