6月に入ると少し仕事も落ち着き、新しく駐在した日本人社員も仕事に慣れ始め、私も再び、夜の日式での接待や日本からの来客の対応などができるようになってきました。特に地方から来られた関連企業の方々は夜になると一層元気になるというか、気分が高揚するというか、皆さんやる気満々という感じで夜遊びの案内をご依頼されていましたから、私もそれなりに日式のママさんのところに伺っていました。日式の良いところは安心確実、ママの皆さんは日本語ができますから、おまかせすれば、いろいろとていねいにご配慮いただけることです。どっぷり台湾世界の酒店はやはり、コミュニケーションをとれないとほぼボディランゲージオンリーになってしまうので、本当の楽しさは味わえないようなところがあるのと、私自身の隠れ家であったことから、日本からのお客様をご案内するようなことは一度もありませんでした。
寶貝という子と出逢ってから行くようになった酒店は、副店長の登場によってますます、その様態が変わり初めていました。彼は有能な経営者でしたから、次々と新しい試みを行っていました。1日35節以下を連続して2週続けた子をクビにしていったこともあって、酒店の雰囲気はすごく変わり始めていました。どの子も一生懸命さが増し、明らかに 服務の質が上がっていました。そのため、客の数が増え、さらにその評判が客を呼ぶという好展開が生まれていました。公關の数もどんどん増えていて、「生意很好」(ビジネス好調という意味)の評判がどんどん流れだしたこともあり、他店から換店して移ってくる小姐が極めて多く、また、經紀人も新しい女の子を次々安心して投入できるため、極めて可愛い子たちが集中しだしていました。
6月の半ばには多くの学校で暑假が始まり、大きなイベントである電脳展もあるため、実は酒店にとって活気づく月です。また、高中を卒業した子たちが9月から入学する大学の学費を稼ぎにも来ますから、18歳~19歳の初めて上班する子もたくさんやってきますから、この時期に行くのは極めてお勧めということになります。
新たに来た副店長がうった次の手は、公關全員の競争でした。1週間のイベント期間をつくり、正職が約150人にふくれあがった公關の上位10名に賞金を出すという隠れイベントを実施したのです。これは客人には公表されておらず、女の子たちだけに示されていました。しかし、ついた子たちが異様に「もっと長くいて」みたいなことをどの子も言うため、問いただしてみたら、あっさりと競争をやっていて、それで上位に入って賞金が欲しいということが判明しました。1位の子が10万元、2位が9万元と1万元ずつ下がっていって10位の子が1万元というボーナスが出るのです。このボーナスの財源は合計55万元になりますが、では、その財源はどこから出るかというと100位以下の正職の子50人ほどから1万元ずつ扣錢されるという仕掛けでした。
多くの子はベスト10に入るのを狙っているというよりも1万元の扣錢になる100位以下から最下位までには絶対に入りたくないというのが、実はがんばっている本音でした。誰が優勝するか女の子同士も予想し合っていて大変、盛り上がっていました。このような競争をさせることは酒店では一般的ではなく、女の子どうしの足の引っ張り合いは太客(毎日のように来て多額の金を使う金持ちの客)の取り合いになるリスクもあって、多くの酒店ではこのようなことはあまりしません。しかし、この副店長は、そのようなリスクよりも全体的なレベルの向上を目指したのです。
優勝者は週5日上班する正職の合計節数で争われるのですが、大方の小姐の予想は200~250節前後が優勝ラインと皆が見ていました。5日間大框が連続してあるとすると大框は8時間相当48節ですから、48節×5日間で240節となります。これもかなり厳しい数字ですが、優勝を争うとなるとやはり、200節は確実に越えていないと厳しいところと言えます。
さて、イベントの結果は次の開會(ミ-ティング)の時に発表されるとのことでしたから、私も1位の子がどれぐらいの実績を上げるかとても興味がありました。木曜日の夜、包廂にいた子に私は結果を訊きました。そして、その結果は驚くべき内容でした。優勝した公關は250節どころかたった一人だけ、ダントツで400節を越したと言うのです。
優勝した公關の名前は珊珊。
彼女こそ紅牌中の紅牌と言われている別格の小姐でした。私は本当に数多くの公關と出逢っているのですが、4年間で出逢った小姐の中でたった一人しか出逢わなかった国立台湾大学出身の公關でした。評判はすごくて、台大の出身、背が高く、極めて頭の良い美人な小姐という天は二物も三物も与えている24歳の子でした。
しかし、私は5日間、1日8時間の上班でどうしたら400節を越せるのか不思議で仕方がありませんでした。毎日、大框されても400節は絶対に越えられません。物理的に無理です。そこで私は幹部の震洲に訊ねてみました。どうしたら5日間で400節を越えられるのか、極めて疑問だったからです。
しかし、震洲の答えた内容に私は驚いていまいました。珊珊は極めて有能でした。その方法は実は簡単、1日あたり、複数の大框をしてもらっていたのです。多い日は1日に三度の大框をしていました。1日の限度が1回の大框48節と考えていた私のまったく考えが及ばない方法でした。
珊珊とは後に私は逢うのですが、モデルのような長身、妖艶な容姿、そして、頭の回転の速さと誰にでもやさしく気遣いができるやさしい性格をもちあわせる最強の正職でした。彼女は暗配(選んだ客人だけSをする)の子でした。彼女にぞっこんだった台湾人はすごく多かったということですが、彼女を抱いてSできる客人は彼女に選ばれた客人だけでしたから、彼女とSしたくても相手にしてもらえなかった客人はたくさんいました。このイベントの1週間、珊珊はそれらの今までSさせなかった客人を積極的に電話などで呼んでいたようで、「あなたが私に熱心になってくれるから、やっとSさせてあげる決心がついた」というようにもっていったようです。長い間、彼女とSしたくてしたくて通い続けても許してもらえなかった客人たちが、彼女の大框の希望を承諾するのは簡単なことでした。皆、きっとギンギンに勃起状態でしたでしょうから、珊珊の言うなりだったようです。
従って、珊珊は男たちを手玉にとり、大框して出場して、1回Sしたらすぐに外で別れて再び酒店に戻り、違う客とまた、大框して出場というように1日で複数回の大框をこなしていたのです。大框は8時間ずっとつくかどうかは客の意思にまかされていて、大框してもすぐに出場した途端に別れてしまう客人もいます。多分、震洲の話では珊珊は飯店(ホテル)で事を済ませたら、すぐに大框した客人に甘えて「今日は用事があるから、もう帰らせて」みたいなことを言って、客人に解放してもらっていたようでした。知らないのは客人だけですが、長い間、Sさせてもらえなかった珊珊を抱けて、さらに興奮していたでしょうから、すぐに発射してしまい、短時間で終了でき、客人は珊珊のご機嫌をそこねないように言いなりになっていたというのが震洲の予想でした。多分、それは正解だと思われます。
従って、1日2回の大框をすれば、48節×2=96節。5日間このペースならば確かに480節になります。多い日は1日3回の大框があったということですから、1日で144節の荒稼ぎでしたから、確かに400節は越えてしまいます。
私はあまり正職を呼ぶことはしないのですが、どれほどの小姐か、とても見たくなり、震洲に珊珊をいつか預點したいと言いました。震洲は彼女は空枱には100%いないし、だいたい、午場から客人が酒店で包廂に入って待ちかまえているから、逢うのは簡単ではないと言っていました。
しかし、以外と早く、その日はやってきました。6月のある日、珊珊が私の待つ包廂に姿を現したのです。
画像は林森北路の伝説の小姐、珊珊の写真です。彼女の写真はたくさんあって、多くの酒店を移り変わっています。この写真はこのブログの時の店ではなくて、錦州路の麥當勞の大樓にある酒店3店舗が複雑につながっている酒店にいた時の領枱及び禮服店を兼務していた時のものです。2009年末から2010年にかけて、この系列に在籍していましたが、今は便服店に移ったと聞いています。代表的な「油條」と呼ばれる小姐で、その妖艶な魅力と現在的なおしゃれな感じから多くの男を魅了したと言われています。容姿だけではなく、客人の心理をうまく読んで、コントロールする術は天才的と言われていました。プライベート版にはモザなしがアップしてあります。
なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。 また、この写真は大変、貴重なものなので取り扱いはよろしくご配慮いただくようお願いします。
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6月の半ばには多くの学校で暑假が始まり、大きなイベントである電脳展もあるため、実は酒店にとって活気づく月です。また、高中を卒業した子たちが9月から入学する大学の学費を稼ぎにも来ますから、18歳~19歳の初めて上班する子もたくさんやってきますから、この時期に行くのは極めてお勧めということになります。
新たに来た副店長がうった次の手は、公關全員の競争でした。1週間のイベント期間をつくり、正職が約150人にふくれあがった公關の上位10名に賞金を出すという隠れイベントを実施したのです。これは客人には公表されておらず、女の子たちだけに示されていました。しかし、ついた子たちが異様に「もっと長くいて」みたいなことをどの子も言うため、問いただしてみたら、あっさりと競争をやっていて、それで上位に入って賞金が欲しいということが判明しました。1位の子が10万元、2位が9万元と1万元ずつ下がっていって10位の子が1万元というボーナスが出るのです。このボーナスの財源は合計55万元になりますが、では、その財源はどこから出るかというと100位以下の正職の子50人ほどから1万元ずつ扣錢されるという仕掛けでした。
多くの子はベスト10に入るのを狙っているというよりも1万元の扣錢になる100位以下から最下位までには絶対に入りたくないというのが、実はがんばっている本音でした。誰が優勝するか女の子同士も予想し合っていて大変、盛り上がっていました。このような競争をさせることは酒店では一般的ではなく、女の子どうしの足の引っ張り合いは太客(毎日のように来て多額の金を使う金持ちの客)の取り合いになるリスクもあって、多くの酒店ではこのようなことはあまりしません。しかし、この副店長は、そのようなリスクよりも全体的なレベルの向上を目指したのです。
優勝者は週5日上班する正職の合計節数で争われるのですが、大方の小姐の予想は200~250節前後が優勝ラインと皆が見ていました。5日間大框が連続してあるとすると大框は8時間相当48節ですから、48節×5日間で240節となります。これもかなり厳しい数字ですが、優勝を争うとなるとやはり、200節は確実に越えていないと厳しいところと言えます。
さて、イベントの結果は次の開會(ミ-ティング)の時に発表されるとのことでしたから、私も1位の子がどれぐらいの実績を上げるかとても興味がありました。木曜日の夜、包廂にいた子に私は結果を訊きました。そして、その結果は驚くべき内容でした。優勝した公關は250節どころかたった一人だけ、ダントツで400節を越したと言うのです。
優勝した公關の名前は珊珊。
彼女こそ紅牌中の紅牌と言われている別格の小姐でした。私は本当に数多くの公關と出逢っているのですが、4年間で出逢った小姐の中でたった一人しか出逢わなかった国立台湾大学出身の公關でした。評判はすごくて、台大の出身、背が高く、極めて頭の良い美人な小姐という天は二物も三物も与えている24歳の子でした。
しかし、私は5日間、1日8時間の上班でどうしたら400節を越せるのか不思議で仕方がありませんでした。毎日、大框されても400節は絶対に越えられません。物理的に無理です。そこで私は幹部の震洲に訊ねてみました。どうしたら5日間で400節を越えられるのか、極めて疑問だったからです。
しかし、震洲の答えた内容に私は驚いていまいました。珊珊は極めて有能でした。その方法は実は簡単、1日あたり、複数の大框をしてもらっていたのです。多い日は1日に三度の大框をしていました。1日の限度が1回の大框48節と考えていた私のまったく考えが及ばない方法でした。
珊珊とは後に私は逢うのですが、モデルのような長身、妖艶な容姿、そして、頭の回転の速さと誰にでもやさしく気遣いができるやさしい性格をもちあわせる最強の正職でした。彼女は暗配(選んだ客人だけSをする)の子でした。彼女にぞっこんだった台湾人はすごく多かったということですが、彼女を抱いてSできる客人は彼女に選ばれた客人だけでしたから、彼女とSしたくても相手にしてもらえなかった客人はたくさんいました。このイベントの1週間、珊珊はそれらの今までSさせなかった客人を積極的に電話などで呼んでいたようで、「あなたが私に熱心になってくれるから、やっとSさせてあげる決心がついた」というようにもっていったようです。長い間、彼女とSしたくてしたくて通い続けても許してもらえなかった客人たちが、彼女の大框の希望を承諾するのは簡単なことでした。皆、きっとギンギンに勃起状態でしたでしょうから、珊珊の言うなりだったようです。
従って、珊珊は男たちを手玉にとり、大框して出場して、1回Sしたらすぐに外で別れて再び酒店に戻り、違う客とまた、大框して出場というように1日で複数回の大框をこなしていたのです。大框は8時間ずっとつくかどうかは客の意思にまかされていて、大框してもすぐに出場した途端に別れてしまう客人もいます。多分、震洲の話では珊珊は飯店(ホテル)で事を済ませたら、すぐに大框した客人に甘えて「今日は用事があるから、もう帰らせて」みたいなことを言って、客人に解放してもらっていたようでした。知らないのは客人だけですが、長い間、Sさせてもらえなかった珊珊を抱けて、さらに興奮していたでしょうから、すぐに発射してしまい、短時間で終了でき、客人は珊珊のご機嫌をそこねないように言いなりになっていたというのが震洲の予想でした。多分、それは正解だと思われます。
従って、1日2回の大框をすれば、48節×2=96節。5日間このペースならば確かに480節になります。多い日は1日3回の大框があったということですから、1日で144節の荒稼ぎでしたから、確かに400節は越えてしまいます。
私はあまり正職を呼ぶことはしないのですが、どれほどの小姐か、とても見たくなり、震洲に珊珊をいつか預點したいと言いました。震洲は彼女は空枱には100%いないし、だいたい、午場から客人が酒店で包廂に入って待ちかまえているから、逢うのは簡単ではないと言っていました。
しかし、以外と早く、その日はやってきました。6月のある日、珊珊が私の待つ包廂に姿を現したのです。
画像は林森北路の伝説の小姐、珊珊の写真です。彼女の写真はたくさんあって、多くの酒店を移り変わっています。この写真はこのブログの時の店ではなくて、錦州路の麥當勞の大樓にある酒店3店舗が複雑につながっている酒店にいた時の領枱及び禮服店を兼務していた時のものです。2009年末から2010年にかけて、この系列に在籍していましたが、今は便服店に移ったと聞いています。代表的な「油條」と呼ばれる小姐で、その妖艶な魅力と現在的なおしゃれな感じから多くの男を魅了したと言われています。容姿だけではなく、客人の心理をうまく読んで、コントロールする術は天才的と言われていました。プライベート版にはモザなしがアップしてあります。
なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。 また、この写真は大変、貴重なものなので取り扱いはよろしくご配慮いただくようお願いします。
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