小雨の降りしきる肌寒い晩秋の宮城・仙台のKスタ。東北の人々の願いを背負って最後に昨日160球を投げた若きエースが「あとひとつ」の大合唱を受け、マウンドに立った。先頭バッター村田にいきなりのヒットを浴びる。誰もが手を合わせ、祈る。見守る観客は立ち上がり、彼に声が枯れんばかりの声援を送る。涙さえ浮かべながら。
曲を聴きながら、ブログ読んでみてくださいね。
疲れを押し、気力だけで投げるエースは何とかツーアウトまでこぎつける。しかし、最後のバッターになるはずだったロペスに初球を打たれ、1塁・3塁。ホームランを打たれれば同点。球場の田中コールはジャイアンツファンの声援など打ち消す大合唱に。1球ごとに絶叫するような声援は大きくなる。かつて夏の甲子園で早稲田実業と決勝の15回を投げきり、翌日の再試合もリリーフでマウンドに立ったエースはその大声援をバックに最後の力を振り絞って得意のスプリットの連投。力と魂を込めた4球目、代打の切り札・矢野のバットが空を切った・・・・・。
新興球団の東北楽天ゴールデンイーグルス。球団創設時は近鉄とオリックスの球団合併問題から誕生したいわゆるパリーグのお荷物だった。創設1年目には中日出身の田尾監督が率いたが、出だしに対ロッテ戦で当時パリーグ59年ぶりになる完封試合としては最多得点差試合の26-0で敗戦、1年目は97敗の敗戦を喫し、勝率も3割に届かなかった。合併を嫌ってオリックスバッファローズに入団しなかった岩隈投手やかつて中日で活躍した山崎、関川といったやや選手としてのピークを過ぎた選手や他球団を自由契約になった寄せ集め的な球団だったこともあり、苦難の船出だったように思う。
そして、選手を再生する名手・野村監督が就任し、駒大苫小牧のエース・田中将大をドラフトで獲得するなどチームの基礎作りは着々と進められたが、優勝を争うところまでは行かず、ブラウン監督を経て、北京オリンピックで失敗した星野監督が最後のユニホーム姿と噂される中、就任。しかし、就任直後にあの見曽於の大震災が東北を襲った。
しかし、過酷な環境の中、震災で元気をなくす東北を活気づけようと名もない選手たちが頑張り始める。今、3番を打つ銀次選手は東北・岩手の出身。地方では知られたバッターだったが、甲子園出場経験もなく、二軍からのスタートだった。新人での開幕投手をプロ野球では29年ぶりに務めた則本選手はやはり甲子園の出場はなく、大学も、すでに閉校した三重中京大学というマイナーなリーグの出身だ。今シリーズMVPに選ばれた美馬投手は今シーズン、規定投球回数に達しておらず、1軍の登録抹消が相次ぐ状態だった。
そんな決して有名とは言えない、伸び盛りの若い選手が集まる球団だったが、今シーズンは4番のジョーンズ、5番のマギーという大物助っ人をMBLから獲得、さらに闘志溢れる新人の則本が活躍、負けない大エース田中が投手陣の大黒柱となり、パリーグを制覇、CSもロッテを破り、日本シリーズへ。舞台は整ったかに見えた。しかし、相手は名門・巨人。日本一への道は当然ながら簡単ではなかった。
第4戦を星野監督自らが采配ミスと語ったように接戦で落とし、迎えたシリーズ第5戦。リリーフに送った則本が打たれ、同点に。やはり星野監督は短期決戦では勝てない、日本シリーズでは勝てないのかなと思っていた。しかし、今までの中日・阪神時代の星野監督とちがう印象が強かったように思ったのは私だけだろうか。9回、則本投手を送り出した時、あの闘将・星野監督が手を合わせ、若い新人・則本の好投を祈ったのだ。そして、その祈りを迷っていた勝利の女神は見ていたのだろうか。何とか同点で凌いで延長戦へ。
(SANSPO COMサイトより転載)
ここでも今シリーズの特徴であったが、星野監督は選手を信じる気持ちを貫き通す。延長戦では新人・則本に託し、そのまま打席へ。その則本が四球を選ぶ。そして、やはりベイスターズでは日の目をみなかった苦労人・藤田が死球を受けながらも、痛みを押して出塁。東北人・銀次のタイムリーで投手にもかかわらず則本が2塁から激走して勝ち越し、さらには3塁まで走りきった藤田が涙を流して交代。チームと選手を信じた星野監督の勝利だったと思う。勝利インタビューの時の星野監督の目には涙が浮かんでいた。
そして、第6戦は絶対的なエース田中投手で誰もが楽天の日本一が濃厚と見ていたものの、その田中が今シーズン初めての敗戦を喫してしまう。今季無敗の田中を12安打と打ち下した巨人がこの瞬間、多くの人が有利と思ったにちがいない。しかし、田中は敗れながらも160球完投、一人で投げきり、他の投手を休ませるという大きな役割を成し遂げた。この第6戦こそが楽天優勝の実は大きな伏線だったように私は思う。
ついにシリーズはもつれて第7戦へ。淡々と冷静にていねいに投げる美馬が1回の満塁のピンチを凌ぎきると、小刻みながらも追加点をあげ、球団創設時の数少ないメンバー伏兵・牧田が貴重な追加点となるホームラン。そして、好投の美馬に星野監督は「ありがとう」と声をかけると、次は今シーズンの立役者だった新人・則本へスイッチ。気力で投げるタイプの則本が好投し、7回・8回を抑えきって、最後は疲れていても今シーズン優勝の原動力だった大エース・田中将大に9回の3人を託す。普通では考えられないようなリレーだったが、来年はMBLに行くと言われる田中も志願しての渾身の投球を見せた。
星野監督は中日・阪神と闘将として知られていたが、「自分が先頭で引っ張る」というイメージが強い監督だった。故・川上哲治氏を尊敬し、背番号77番を自らもつける。「大胆さと細心さ」というリーダーとしてのポリシーは我々のビジネスにとっても学ぶところが多い、気遣いができる監督である。しかし、日本一には手が届かなかった。私が思うに温情、選手を信じる気持ちと自分の戦略に迷いがあるように感じていた。そのため、その迷いが短期決戦のような場合では生意気なようだが、裏目に出ているのかなと感じていた。かつて中日の落合監督が日本シリーズ日本ハム戦で完全試合をしていた山井を9回岩瀬にスイッチして完全試合リレーで日本一を手にしたが、そのように日本一というような高い頂を手にするためには非情とも思える勝負に徹する姿勢が感情の起伏が激しい星野監督にはできないかなと思っていた。
しかし、最後、星野監督はそのような勝負に徹する場面で、選手を信じ切っていたように見えた。「シーズンを通じて立役者だった則本、田中で負けたらしょうがない」と腹をくくりきったのだろう。また、昨日、160球を完投しながらも絶対的な無敗エースで敗れた楽天ナインは逆にシーズンを通して失点を抑えてくれた田中のためにひとつになれたのだろう。疲れていたはずの則本も中2日で渾身のリリーフ、そして、田中が監督に志願のマウンドへ。監督はその志願を断ることもできたはず。事実、8回が終わった後、田中投手が星野監督の前に来て、星野監督は3度彼に「肩は大丈夫か?」と確認したと言う。しかし、彼は「大丈夫です」と答え、「よし、行け!」と星野監督は3点差もあったこともあり、田中をマウンドに送り出す。
そこに星野監督の歴戦を経験してきたリーダーの腹のくくり方というか、信じる気持ちを貫いた姿勢があり、短期決戦には勝てないと言われた監督に日本一がプレゼントされた要因があったように思えてならない。学ぶものが本当に多い日本シリーズだった。
敗れたジャイアンツの原監督も潔かった。かつて10年前の2003年たった2年で原監督が1度目の辞任をしたとき、本拠地ではなく、阪神甲子園球場で当時の星野監督が彼のセレモニーを演出した。敵地でのセレモニーの実現という原監督への阪神球団の粋なはからいでしたが、その時、星野監督は原監督に「必ず、戻って来いよ」と声をかけたと言う。
星野監督が北京オリンピックでメダルを取れずに敗れ、大きなバッシングを浴びた後だったが、第2回WBCの監督は星野監督が有力視されていた。しかし、結局は星野氏は引き受けず、原監督が就任。北京オリンピックでの雪辱を晴らし、2連覇へつなげたと言われている。今回のシリーズはジャイアンツに生涯をかけて中日・阪神・楽天で戦い続けている星野監督の総決算でもあり、弟分として可愛がる原監督との戦いでもあるという側面ももっていた興味深い対決だった。
※日刊スポーツより
寄せ集めで創設された新興球団とプロ野球一の伝統と人気がある名門球団の対決。そして、巨人9連覇の黄金時代を築いた川上哲治氏のシリーズ中の急逝。星野監督と原監督というともに「人を信じる」スタイルの師弟的な関係のある2人の対決。そして、あの大震災から約2年半、東北の復興と元気を取り戻すことをテーマに闘い続けた若きイーグルスの選手たち。見所が多く、球史に残る、そして感動した日本シリーズだった。
球場を埋め尽くした東北の皆さん、そしてパブリックビューイングで球場外にも1万人以上の方が集まり、熱い声援を送っていた姿はとても心に滲みました。きっとTVの前でも多くの方が熱心に東北楽天を応援していたにちがいありません。
優勝、日本一、本当におめでとうございました。
最後の9回表、田中将大投手の登場はカッコ良すぎですよね。まったく。
判官びいきが多い日本人の心の琴線に触れる名シーンでした。
Kスタのレフトスタンド。「あとひとつ」の大合唱で田中投手が最後のマウンドへ。臨場感あります。
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疲れを押し、気力だけで投げるエースは何とかツーアウトまでこぎつける。しかし、最後のバッターになるはずだったロペスに初球を打たれ、1塁・3塁。ホームランを打たれれば同点。球場の田中コールはジャイアンツファンの声援など打ち消す大合唱に。1球ごとに絶叫するような声援は大きくなる。かつて夏の甲子園で早稲田実業と決勝の15回を投げきり、翌日の再試合もリリーフでマウンドに立ったエースはその大声援をバックに最後の力を振り絞って得意のスプリットの連投。力と魂を込めた4球目、代打の切り札・矢野のバットが空を切った・・・・・。
新興球団の東北楽天ゴールデンイーグルス。球団創設時は近鉄とオリックスの球団合併問題から誕生したいわゆるパリーグのお荷物だった。創設1年目には中日出身の田尾監督が率いたが、出だしに対ロッテ戦で当時パリーグ59年ぶりになる完封試合としては最多得点差試合の26-0で敗戦、1年目は97敗の敗戦を喫し、勝率も3割に届かなかった。合併を嫌ってオリックスバッファローズに入団しなかった岩隈投手やかつて中日で活躍した山崎、関川といったやや選手としてのピークを過ぎた選手や他球団を自由契約になった寄せ集め的な球団だったこともあり、苦難の船出だったように思う。
そして、選手を再生する名手・野村監督が就任し、駒大苫小牧のエース・田中将大をドラフトで獲得するなどチームの基礎作りは着々と進められたが、優勝を争うところまでは行かず、ブラウン監督を経て、北京オリンピックで失敗した星野監督が最後のユニホーム姿と噂される中、就任。しかし、就任直後にあの見曽於の大震災が東北を襲った。
しかし、過酷な環境の中、震災で元気をなくす東北を活気づけようと名もない選手たちが頑張り始める。今、3番を打つ銀次選手は東北・岩手の出身。地方では知られたバッターだったが、甲子園出場経験もなく、二軍からのスタートだった。新人での開幕投手をプロ野球では29年ぶりに務めた則本選手はやはり甲子園の出場はなく、大学も、すでに閉校した三重中京大学というマイナーなリーグの出身だ。今シリーズMVPに選ばれた美馬投手は今シーズン、規定投球回数に達しておらず、1軍の登録抹消が相次ぐ状態だった。
そんな決して有名とは言えない、伸び盛りの若い選手が集まる球団だったが、今シーズンは4番のジョーンズ、5番のマギーという大物助っ人をMBLから獲得、さらに闘志溢れる新人の則本が活躍、負けない大エース田中が投手陣の大黒柱となり、パリーグを制覇、CSもロッテを破り、日本シリーズへ。舞台は整ったかに見えた。しかし、相手は名門・巨人。日本一への道は当然ながら簡単ではなかった。
第4戦を星野監督自らが采配ミスと語ったように接戦で落とし、迎えたシリーズ第5戦。リリーフに送った則本が打たれ、同点に。やはり星野監督は短期決戦では勝てない、日本シリーズでは勝てないのかなと思っていた。しかし、今までの中日・阪神時代の星野監督とちがう印象が強かったように思ったのは私だけだろうか。9回、則本投手を送り出した時、あの闘将・星野監督が手を合わせ、若い新人・則本の好投を祈ったのだ。そして、その祈りを迷っていた勝利の女神は見ていたのだろうか。何とか同点で凌いで延長戦へ。
(SANSPO COMサイトより転載)
ここでも今シリーズの特徴であったが、星野監督は選手を信じる気持ちを貫き通す。延長戦では新人・則本に託し、そのまま打席へ。その則本が四球を選ぶ。そして、やはりベイスターズでは日の目をみなかった苦労人・藤田が死球を受けながらも、痛みを押して出塁。東北人・銀次のタイムリーで投手にもかかわらず則本が2塁から激走して勝ち越し、さらには3塁まで走りきった藤田が涙を流して交代。チームと選手を信じた星野監督の勝利だったと思う。勝利インタビューの時の星野監督の目には涙が浮かんでいた。
そして、第6戦は絶対的なエース田中投手で誰もが楽天の日本一が濃厚と見ていたものの、その田中が今シーズン初めての敗戦を喫してしまう。今季無敗の田中を12安打と打ち下した巨人がこの瞬間、多くの人が有利と思ったにちがいない。しかし、田中は敗れながらも160球完投、一人で投げきり、他の投手を休ませるという大きな役割を成し遂げた。この第6戦こそが楽天優勝の実は大きな伏線だったように私は思う。
ついにシリーズはもつれて第7戦へ。淡々と冷静にていねいに投げる美馬が1回の満塁のピンチを凌ぎきると、小刻みながらも追加点をあげ、球団創設時の数少ないメンバー伏兵・牧田が貴重な追加点となるホームラン。そして、好投の美馬に星野監督は「ありがとう」と声をかけると、次は今シーズンの立役者だった新人・則本へスイッチ。気力で投げるタイプの則本が好投し、7回・8回を抑えきって、最後は疲れていても今シーズン優勝の原動力だった大エース・田中将大に9回の3人を託す。普通では考えられないようなリレーだったが、来年はMBLに行くと言われる田中も志願しての渾身の投球を見せた。
星野監督は中日・阪神と闘将として知られていたが、「自分が先頭で引っ張る」というイメージが強い監督だった。故・川上哲治氏を尊敬し、背番号77番を自らもつける。「大胆さと細心さ」というリーダーとしてのポリシーは我々のビジネスにとっても学ぶところが多い、気遣いができる監督である。しかし、日本一には手が届かなかった。私が思うに温情、選手を信じる気持ちと自分の戦略に迷いがあるように感じていた。そのため、その迷いが短期決戦のような場合では生意気なようだが、裏目に出ているのかなと感じていた。かつて中日の落合監督が日本シリーズ日本ハム戦で完全試合をしていた山井を9回岩瀬にスイッチして完全試合リレーで日本一を手にしたが、そのように日本一というような高い頂を手にするためには非情とも思える勝負に徹する姿勢が感情の起伏が激しい星野監督にはできないかなと思っていた。
しかし、最後、星野監督はそのような勝負に徹する場面で、選手を信じ切っていたように見えた。「シーズンを通じて立役者だった則本、田中で負けたらしょうがない」と腹をくくりきったのだろう。また、昨日、160球を完投しながらも絶対的な無敗エースで敗れた楽天ナインは逆にシーズンを通して失点を抑えてくれた田中のためにひとつになれたのだろう。疲れていたはずの則本も中2日で渾身のリリーフ、そして、田中が監督に志願のマウンドへ。監督はその志願を断ることもできたはず。事実、8回が終わった後、田中投手が星野監督の前に来て、星野監督は3度彼に「肩は大丈夫か?」と確認したと言う。しかし、彼は「大丈夫です」と答え、「よし、行け!」と星野監督は3点差もあったこともあり、田中をマウンドに送り出す。
そこに星野監督の歴戦を経験してきたリーダーの腹のくくり方というか、信じる気持ちを貫いた姿勢があり、短期決戦には勝てないと言われた監督に日本一がプレゼントされた要因があったように思えてならない。学ぶものが本当に多い日本シリーズだった。
敗れたジャイアンツの原監督も潔かった。かつて10年前の2003年たった2年で原監督が1度目の辞任をしたとき、本拠地ではなく、阪神甲子園球場で当時の星野監督が彼のセレモニーを演出した。敵地でのセレモニーの実現という原監督への阪神球団の粋なはからいでしたが、その時、星野監督は原監督に「必ず、戻って来いよ」と声をかけたと言う。
星野監督が北京オリンピックでメダルを取れずに敗れ、大きなバッシングを浴びた後だったが、第2回WBCの監督は星野監督が有力視されていた。しかし、結局は星野氏は引き受けず、原監督が就任。北京オリンピックでの雪辱を晴らし、2連覇へつなげたと言われている。今回のシリーズはジャイアンツに生涯をかけて中日・阪神・楽天で戦い続けている星野監督の総決算でもあり、弟分として可愛がる原監督との戦いでもあるという側面ももっていた興味深い対決だった。
※日刊スポーツより
巨人原辰徳監督(55)は潔かった。敗戦し、楽天の優勝が決まったが、相手をたたえ、拍手を贈った。
「復興の象徴である楽天イーグルスと、尊敬する先輩である星野監督と、日本シリーズを戦ったというのは感慨深いものがあります。楽天に日本一を譲りましたが、心よりおめでとうございます、と言いたい」と話した。
敗れた後の原監督の顔が穏やかであり、星野監督に力を尽くして負けたというある一種の達成感もあったのだろう。ジャイアンツも40年ぶりの連覇がかかり、王者として臨んだ今回の日本シリーズは原監督としても心に期するものがあったにちがいない。しかし、最後は選手を信じ切った起用、選手と腹をくくった星野監督に敗れさったものの、しかしながら、その敬意の払い方は大人であり、私たち自身も見習うべき姿だった。寄せ集めで創設された新興球団とプロ野球一の伝統と人気がある名門球団の対決。そして、巨人9連覇の黄金時代を築いた川上哲治氏のシリーズ中の急逝。星野監督と原監督というともに「人を信じる」スタイルの師弟的な関係のある2人の対決。そして、あの大震災から約2年半、東北の復興と元気を取り戻すことをテーマに闘い続けた若きイーグルスの選手たち。見所が多く、球史に残る、そして感動した日本シリーズだった。
球場を埋め尽くした東北の皆さん、そしてパブリックビューイングで球場外にも1万人以上の方が集まり、熱い声援を送っていた姿はとても心に滲みました。きっとTVの前でも多くの方が熱心に東北楽天を応援していたにちがいありません。
優勝、日本一、本当におめでとうございました。
最後の9回表、田中将大投手の登場はカッコ良すぎですよね。まったく。
判官びいきが多い日本人の心の琴線に触れる名シーンでした。
Kスタのレフトスタンド。「あとひとつ」の大合唱で田中投手が最後のマウンドへ。臨場感あります。
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