今日は日帰り出張があって、早朝から静岡に出かけて、午後に戻るという予定でした。午前中の仕事が終わり、昼食でもと思って歩いていた時、スマートホンのバイブが2度振動しました。時間はぴったり12:00。Appの着信でした。誰かな?と見てみると.....。約3ヶ月近く連絡がとだえていた微笑という子でした。
このブログを書きはじめるきっかけとなったあるBBSがあるのですが、そこで、この9月に台北に行った時に懇意にしている微笑という19歳の子との再会の話を書いたことがあり、多くのBBSを見られている方からとても温かい声をいただいたのが、この微笑という子です。
彼女の人生は本当に苦しいことの連続でした。
私は彼女が11月に新たな困難に直面したことを彼女の簡訊から知ったのですが、それ以来、簡訊を時折送ってもまったく返信がなく、12月に台北に行った時に彼女と仲が良かった開心という子や彼女を紹介してくれた今の 幹部とともにその消息を追ったのですが、手がかりがなく、まったくの行方不明、状況を誰もわからなくなっていました。
彼女はかなり早い時期からi-phoneをもっていてAppもインストールしていましたが、最終接続の表示は秋頃になっていて、まったく他の友人たちに反応している様子も見受けられませんでした。時々、私も思い出したように今まで20通ぐらいの簡訊を送っていたのですが、まったく反応がなく、自殺などしていなければいいが....と心から彼女と縁があった誰もが心配していました。
その微笑からの簡訊が突然、届きました。私は昼食を食べるのも忘れ、およそ1時間近く、彼女と聊天(チャット)を続けました。途中、彼女は2枚の今の彼女の写真もAppで添付して送ってきました。ちょっとやせていましたが、笑顔があって、あいかわらずのちょっとギャルっぽい顔がそこにはありました。
「XX先生、真的好對不起一直讓你擔心我,
之前發生好多事不得以離開了一段日子。
一下子不知該怎麼說明才好。
但重要的是我心裡真的好感動好感動。
XX先生真的好關心我、對不起讓您擔心了...我回來」
(XXさん、ずっとあなたを心配させてしまって本当にとてもごめんなさい。
以前からずっと多くの事があって1日も手を離すことができなかったの。
急にどのように説明したらよいかわからない。
ただし、重要なのは私の心はとても感動、感動だったよ。
XXさん、本当に私をいつも気にしてくれていたのに、心配させてごめんね....私は戻って来たよ)
その後、彼女と1時間近くにわたって聊天(チャット)をする展開になりました。彼女が自殺しているのではないかと友人の開心という子も彼女にかかわっていた幹部も心配していましたことも伝えました。しかし、彼女はやはり強い女性でした。わずか19歳でいろいろな困難を経験していきた彼女は簡単にはへこたれていませんでした。
「去年確時發生了很多令我痛心的傷害
但XX先生您放心、微笑有雜草搬的生命力!
不會輕易做出自殺的行為」
(確かに去年はとてもたくさんの心を痛めたつらいことが起きたよ。
但し、XXさん、安心して、微笑は雑草のような生命力があるから!
軽く自殺なんてしようと思わないから)
聊天をする中で彼女が姿を台北から消していた理由が少しずつわかりました。信頼している友人の会社の保証人となったところ、その会社が大きな損害を出し、彼女は共同出資者として責任を問われ、約30万元の賠償を背負うことになったというのです。彼女は、しばらくの間、債権者から逃れるために台北を離れ、南部に潜んでいたということでした。ただ、30万元のうちの10万元を用立てて、一部、賠償責任を果たしたことから、再び、台北に戻ってきたのでした。
しかし、残りの20万元の賠償の問題をまだ解決しなければならず、彼女はその交渉にこれから臨むことになるということでした。微笑が言うには借金ではないので、交渉しながら、その負債責任がないことを手続きしていくとのこと。そして、家もなく、家族もいない彼女は、昨日、台北に戻ってきてすぐに酒店での上班を始めていました。彼女が言うのはそれしか方法がないと話しました。酒店の經紀人がすぐに家を用意してくれたようで、当面の生活費を立て替えてもらったらしく、さっそく昨日から上班していました。今日は、休日で家の整理をし、台北での生活の再スタートの準備をしていました。以前とは店を換えていて、名前も換えています。だから、正確に言うとすでに微笑ではないのですが、彼女はこの「微笑」という名前が私との関係では慣れていますから、私には微笑と呼んでほしいと言うため、これからも微笑という名前で彼女のことを紹介していこうと思っています。
彼女はかなり前からi-phoneを持っていて、以前昨年の8月に体を壊して入院した時にも写真をAppを使って、送ってきたのですが、今回も2枚写真をすぐに送ってきました。少し、痩せていましたが、微笑んでいる彼女の顔が私も妙に懐かしく感じました。
可愛い微笑。ガウスぼかしかけています。
昨日はいろいろな簡訊がとても送られてきていて、一種の特異日でした。
ブログの中で時系列に順を追って書いていこうと思っていたのですが、少し、詳しく説明しておかないとこのブログの内容がわからないことがもうひとつあります。昨日までのブログに当時、私が時折行っていた制服店に天才的な副店長が現れて活況を呈していったことは紹介をしました。2008年の暑假に私はある子と出逢うのですが、この子とのかかわりの中でこの副店長とかかわりをもち、親しくなっていきました。彼は結局、2010年の3月に独立して、新しい制服店のオーナーとなるのですが、その店がこの2週間ほど、厳しい状況に立たされていました。この店は以前に微笑が勤めていた制服店であり、私が本拠地にしていた店です。
彼の制服店はここ2年間でダントツの人気で、多くの酒店からうとまれている存在でした。彼のアイデアは卓越していて、次々と新しい機軸を打ち出し、多くの既存の概念を打ち破っていたため、いわゆる老舗の酒店公司のオーナーたちは彼に良い思いをもっていませんでした。女の子たちは当然、流行っている店に移るため、彼の店に自分たちの女の子は經紀人ともども移籍することも多く、台北の他店は系列の中で合併や再編成を繰り返して何とかビジネスを上向きにしようとしていました。そんな中、旧東京サウナの土地と大樓を買い取り、新たな禮服店を開店させるなど、どんどん勢いを増していた彼は目の上のタンコブ状態でした。そのため、彼は陥れられてしまったのです。
それは、彼の制服店でエイズに罹患している子がいて、積極的に性的服務を包廂でしていると噂を立ててたのです。そして、さらにマスコミにもさかんにリークしたようで、どの店でも包廂の中の事は客人と小姐で決める過ごし方なのですが、違法なSを組織的かつ積極的にしていると噂を立てられました。そのため、スキャンダル好きの台北のマスコミはこの噂を見過ごすわけがなく、新聞にこの噂を報道されたのです。さらにスキャンダル好きの週刊誌も便乗し、どんどん経営のルールや古くからの酒店のルールを守らないだの、かなりおおげさに書いたのが、先週ぐらいのことです。
そのため、警察も重い腰を上げざるを得ず、臨検に煩雑にくるようになりました。そのため、この制服店は大きな打撃を受け、客足も遠のきはじめました。臨検があっても実際には逮捕などされることは、現行犯や証拠がない限り、事件化しないので、実際には大丈夫なのですが、やはり、客人にとって臨検に遭遇するのは避けたい心理が働くのは当然のことです。さらにエイズの子がいるという噂も蔓延しだして、かなり、厳しい状態になっていました。
そして、彼は表面的にこの制服店の経営責任をとって、経営陣を一新し、店名も変えるという手段に出たのです。従って、新しい店として出発をするという形で決着をつけました。この騒ぎで女の子たちも換店した子も多く、大きな打撃を受けたようです。実際には、この制服店ができたときに、彼が以前、副店長だった店から彼を慕ってついてきた子が多いので、しばらくすればまた戻ると有力な經紀人や幹部は予想していますが、完全復帰には1~2ヶ月はかかりそうです。
その店長からもAppで簡訊が夜に来て、これまでの経緯や表面的には経営者として名前を連ねないため、今までのように店であいさつや話ができないという連絡でした。ただし、実質的には名義貸しのような形になっていて、彼の公司が他の公司をトンネルのようにして経営する形になるので、酒店の内容や形態は実質的には変わらないから安心して欲しいということでした。彼の怒りは旧態依然としている陥れられた古い体質の他の酒店公司に向けられていました。確かに出る釘は打たれるの格言どおり、風雲児の彼はたたかれてしまったのですが、次の手を着々と考えていました。私は今は台北にいないので、彼と直接、話す機会がないため、どのようなアイデアがあるのか、詳しくはわかりませんが、しばらく、その成り行きを見守っていこうと思っています。
今日は微笑からの簡訊がいきなりあったため、このようなブログの内容になってしまいました。以前、私が書き込んでいたBBSを見られていなかった方は、微笑と私との関係がまったくわからないと思います。ちょっとブログの時系列に書いていく方針とは少しずれますが、次からしばらくの間、2011年の寒假に出逢った微笑のことを再度、書いていくことにします。
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このブログを書きはじめるきっかけとなったあるBBSがあるのですが、そこで、この9月に台北に行った時に懇意にしている微笑という19歳の子との再会の話を書いたことがあり、多くのBBSを見られている方からとても温かい声をいただいたのが、この微笑という子です。
彼女の人生は本当に苦しいことの連続でした。
私は彼女が11月に新たな困難に直面したことを彼女の簡訊から知ったのですが、それ以来、簡訊を時折送ってもまったく返信がなく、12月に台北に行った時に彼女と仲が良かった開心という子や彼女を紹介してくれた今の 幹部とともにその消息を追ったのですが、手がかりがなく、まったくの行方不明、状況を誰もわからなくなっていました。
彼女はかなり早い時期からi-phoneをもっていてAppもインストールしていましたが、最終接続の表示は秋頃になっていて、まったく他の友人たちに反応している様子も見受けられませんでした。時々、私も思い出したように今まで20通ぐらいの簡訊を送っていたのですが、まったく反応がなく、自殺などしていなければいいが....と心から彼女と縁があった誰もが心配していました。
その微笑からの簡訊が突然、届きました。私は昼食を食べるのも忘れ、およそ1時間近く、彼女と聊天(チャット)を続けました。途中、彼女は2枚の今の彼女の写真もAppで添付して送ってきました。ちょっとやせていましたが、笑顔があって、あいかわらずのちょっとギャルっぽい顔がそこにはありました。
「XX先生、真的好對不起一直讓你擔心我,
之前發生好多事不得以離開了一段日子。
一下子不知該怎麼說明才好。
但重要的是我心裡真的好感動好感動。
XX先生真的好關心我、對不起讓您擔心了...我回來」
(XXさん、ずっとあなたを心配させてしまって本当にとてもごめんなさい。
以前からずっと多くの事があって1日も手を離すことができなかったの。
急にどのように説明したらよいかわからない。
ただし、重要なのは私の心はとても感動、感動だったよ。
XXさん、本当に私をいつも気にしてくれていたのに、心配させてごめんね....私は戻って来たよ)
その後、彼女と1時間近くにわたって聊天(チャット)をする展開になりました。彼女が自殺しているのではないかと友人の開心という子も彼女にかかわっていた幹部も心配していましたことも伝えました。しかし、彼女はやはり強い女性でした。わずか19歳でいろいろな困難を経験していきた彼女は簡単にはへこたれていませんでした。
「去年確時發生了很多令我痛心的傷害
但XX先生您放心、微笑有雜草搬的生命力!
不會輕易做出自殺的行為」
(確かに去年はとてもたくさんの心を痛めたつらいことが起きたよ。
但し、XXさん、安心して、微笑は雑草のような生命力があるから!
軽く自殺なんてしようと思わないから)
聊天をする中で彼女が姿を台北から消していた理由が少しずつわかりました。信頼している友人の会社の保証人となったところ、その会社が大きな損害を出し、彼女は共同出資者として責任を問われ、約30万元の賠償を背負うことになったというのです。彼女は、しばらくの間、債権者から逃れるために台北を離れ、南部に潜んでいたということでした。ただ、30万元のうちの10万元を用立てて、一部、賠償責任を果たしたことから、再び、台北に戻ってきたのでした。
しかし、残りの20万元の賠償の問題をまだ解決しなければならず、彼女はその交渉にこれから臨むことになるということでした。微笑が言うには借金ではないので、交渉しながら、その負債責任がないことを手続きしていくとのこと。そして、家もなく、家族もいない彼女は、昨日、台北に戻ってきてすぐに酒店での上班を始めていました。彼女が言うのはそれしか方法がないと話しました。酒店の經紀人がすぐに家を用意してくれたようで、当面の生活費を立て替えてもらったらしく、さっそく昨日から上班していました。今日は、休日で家の整理をし、台北での生活の再スタートの準備をしていました。以前とは店を換えていて、名前も換えています。だから、正確に言うとすでに微笑ではないのですが、彼女はこの「微笑」という名前が私との関係では慣れていますから、私には微笑と呼んでほしいと言うため、これからも微笑という名前で彼女のことを紹介していこうと思っています。
彼女はかなり前からi-phoneを持っていて、以前昨年の8月に体を壊して入院した時にも写真をAppを使って、送ってきたのですが、今回も2枚写真をすぐに送ってきました。少し、痩せていましたが、微笑んでいる彼女の顔が私も妙に懐かしく感じました。
可愛い微笑。ガウスぼかしかけています。
昨日はいろいろな簡訊がとても送られてきていて、一種の特異日でした。
ブログの中で時系列に順を追って書いていこうと思っていたのですが、少し、詳しく説明しておかないとこのブログの内容がわからないことがもうひとつあります。昨日までのブログに当時、私が時折行っていた制服店に天才的な副店長が現れて活況を呈していったことは紹介をしました。2008年の暑假に私はある子と出逢うのですが、この子とのかかわりの中でこの副店長とかかわりをもち、親しくなっていきました。彼は結局、2010年の3月に独立して、新しい制服店のオーナーとなるのですが、その店がこの2週間ほど、厳しい状況に立たされていました。この店は以前に微笑が勤めていた制服店であり、私が本拠地にしていた店です。
彼の制服店はここ2年間でダントツの人気で、多くの酒店からうとまれている存在でした。彼のアイデアは卓越していて、次々と新しい機軸を打ち出し、多くの既存の概念を打ち破っていたため、いわゆる老舗の酒店公司のオーナーたちは彼に良い思いをもっていませんでした。女の子たちは当然、流行っている店に移るため、彼の店に自分たちの女の子は經紀人ともども移籍することも多く、台北の他店は系列の中で合併や再編成を繰り返して何とかビジネスを上向きにしようとしていました。そんな中、旧東京サウナの土地と大樓を買い取り、新たな禮服店を開店させるなど、どんどん勢いを増していた彼は目の上のタンコブ状態でした。そのため、彼は陥れられてしまったのです。
それは、彼の制服店でエイズに罹患している子がいて、積極的に性的服務を包廂でしていると噂を立ててたのです。そして、さらにマスコミにもさかんにリークしたようで、どの店でも包廂の中の事は客人と小姐で決める過ごし方なのですが、違法なSを組織的かつ積極的にしていると噂を立てられました。そのため、スキャンダル好きの台北のマスコミはこの噂を見過ごすわけがなく、新聞にこの噂を報道されたのです。さらにスキャンダル好きの週刊誌も便乗し、どんどん経営のルールや古くからの酒店のルールを守らないだの、かなりおおげさに書いたのが、先週ぐらいのことです。
そのため、警察も重い腰を上げざるを得ず、臨検に煩雑にくるようになりました。そのため、この制服店は大きな打撃を受け、客足も遠のきはじめました。臨検があっても実際には逮捕などされることは、現行犯や証拠がない限り、事件化しないので、実際には大丈夫なのですが、やはり、客人にとって臨検に遭遇するのは避けたい心理が働くのは当然のことです。さらにエイズの子がいるという噂も蔓延しだして、かなり、厳しい状態になっていました。
そして、彼は表面的にこの制服店の経営責任をとって、経営陣を一新し、店名も変えるという手段に出たのです。従って、新しい店として出発をするという形で決着をつけました。この騒ぎで女の子たちも換店した子も多く、大きな打撃を受けたようです。実際には、この制服店ができたときに、彼が以前、副店長だった店から彼を慕ってついてきた子が多いので、しばらくすればまた戻ると有力な經紀人や幹部は予想していますが、完全復帰には1~2ヶ月はかかりそうです。
その店長からもAppで簡訊が夜に来て、これまでの経緯や表面的には経営者として名前を連ねないため、今までのように店であいさつや話ができないという連絡でした。ただし、実質的には名義貸しのような形になっていて、彼の公司が他の公司をトンネルのようにして経営する形になるので、酒店の内容や形態は実質的には変わらないから安心して欲しいということでした。彼の怒りは旧態依然としている陥れられた古い体質の他の酒店公司に向けられていました。確かに出る釘は打たれるの格言どおり、風雲児の彼はたたかれてしまったのですが、次の手を着々と考えていました。私は今は台北にいないので、彼と直接、話す機会がないため、どのようなアイデアがあるのか、詳しくはわかりませんが、しばらく、その成り行きを見守っていこうと思っています。
今日は微笑からの簡訊がいきなりあったため、このようなブログの内容になってしまいました。以前、私が書き込んでいたBBSを見られていなかった方は、微笑と私との関係がまったくわからないと思います。ちょっとブログの時系列に書いていく方針とは少しずれますが、次からしばらくの間、2011年の寒假に出逢った微笑のことを再度、書いていくことにします。
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