< 小小(原住民)的故事 : 我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

私は台北で駐在生活を4年間送りました。昼間は世界の平和と日本の経済発展を目指して全力でお仕事。夜になると地表にちょこんと顔出して、五木の街あたりを彷徨っています。そこで私は数多くの天使達と悪魔に出逢いました。そんな私の夜の彷徨いを台湾社会の複雑な仕組みなども紹介しながら書き綴っていきます。ほとんどの日本人が深くかかわることが難しいと思われる台北の夜世界の様子とエピソードの紹介が中心です。これは心優しい台妹たちを愛し、そこで出逢った人達とのかかわりや心のつながりをとても大切にしながら、これからも彷徨い続けていく私の軌跡です。

小小(原住民)的故事

仲の良い3人組


「你好!XX先生」 彼女はニコニコしながら私を見つけてカウンターの横に座りました。

午場専門の幹部、Kittyはどちらかというとこの世界には似つかわしくない感じの女性でした。いわゆるキビキビした感じや人を見抜くような鋭い目つきがまったくといってよいほどありませんでした。酒店の世界でかかわった人物はいずれも「きれる」といった聡明型のタイプが多く、沈着冷静かつ緻密という印象が私がかかわってきた震洲やVickyの印象でした。やさしさや穏やかさの中に厳しさがあるというか、最後のところはきっちり譲らないみたいな感じが彼らにはあるのですが、いわゆるKittyはそのような感じはありませんでした。どちらかというと一般的なこの世界のタイプでゆきあたりばったり、ちょっと適当というところも多そうなところがあって、私は特に強いインパクトは感じませんでした。

しかし、それは実は違っていました。

彼女はなかなかの事情通でした。彼女とつきあったのはおよそ2年間で、その間、いろいろなところに連れて行かれたのですが、好奇心が強くていろいろなことを知っており、女の子たちとつきあうのがうまい幹部でした。なぜならば、彼女自身が元々制服店の公關だったからです。

これは、しばらくしてから彼女自身から聞いたのですが、18才の時にある制服店に學費を稼ぐためにPTとして上檔した彼女は、そのまま正職になって進学をあきらめてしまったとのことでした。22才まで約4年間、正職としていろいろな店を転々としたらしいのですが、結局は酒を日々大量に飲むため、胃腸を壊して幹部に転じていました。ただし、最初の1~2年ぐらいは自分の公關時代のなじみ客などに連絡して仕事を獲得していたようですが、客は公關として彼女の魅力に引かれていたわけで、幹部として努力のなかった彼女はすぐに多くの客から見放されてしまったのです。情報のない幹部やうまく女の子を安排できない幹部はすぐに見捨てられていく...というのがこの世界です。どんなに若くて可愛い幹部でも、それだけでは生き抜いていけません。

Kittyはそこで、晩場では多くの力量のある幹部には到底太刀打ちできないことを悟り、層の薄い午場専門の幹部へ転じたのです。彼女とは本当によくお茶をしたり、食事をしました。夜12時頃には幹部としての業務を終えることが多くて、よく帰りに麥當勞で軽く食べたりしていました。いろいろな話をたくさんしたのですが、幹部というよりも私にとっては一緒に行動する友達のような感覚でした。震洲はとてもしっかりしていて、いつも冷静でしたから、その意見はいつも参考になることが多く、全面的に信頼して彼を使っていましたが、Kittyの場合は正直、まあ、可愛くて愛嬌があるからいいかみたいなところがあって、気楽に使うことができました。

実は幹部を包廂において一緒に過ごすようになったのもKittyの影響です。男性の幹部は、客人と幹部が一緒に包廂にいる場合はだいたい、一緒に酒を飲み、女の子を客と同じように扱うことが多いです。このような幹部はダメ幹部が多く、商品に手を出しているようなものですから、女の子の評判も当然、とても悪いです。震洲は時々、包廂にいることがあっても一緒に客と遊ぶというスタンスはまったくありませんでした。

しかし、Kittyは違いました。元々、制服店の公關でしたから、どちらかというと女の子たちと同じような雰囲気になってしまうのです。一緒に楽しむというか、女の子と友達感覚になってしまうというか、不思議な感覚のある幹部でした。女の子も幹部のことは普通警戒しているのですが、彼女に対してはまったくといっていいほど警戒心がなく、心を開いていました。午場の子たちはPT妹が多く、また、人数も20人前後しかいませんから、Kittyが公關の子たちと人間関係を結ぶのは比較的容易だったのでしょう。

だから、正直言うと私もKittyが大好きでした。ちょっとおっちょこちょいで、少しいい加減でしたが、おおらかで素直な人間でした。震洲やVickyのような「したたかさ」はまったくなく、胃腸を壊して公關ができなくなったものの、大学への進学をあきらめて正職に転じた彼女は、この世界がきっと好きだったのでしょう。だから他の仕事のあてもなく、幹部としてこの世界に留まっているのだと私は感じていました。彼女はタバコが大好きで、いつも私もタバコとられていましたが、そのゆるキャラは子どもがそのまま大人になったようなところがあって、金にあまり執着しておらず、震洲のおつりを10元単位でくれるようなきっちりさとは対照的でした。「おつりもっていないから、もらっとくね」とニコッと言われると、私も苦笑いでよくあげていましたね。

実はKittyは震洲が幹部として働きはじめた時の公關で、それで、彼女が体を壊した時に、これからの人生を生きるために幹部としてがんばって身を立てていくことを教え、いきあたりばったりで行き詰まった彼女をライバルの少ない午場の幹部に転じさせたのも震洲でした。だから、震洲は午場に行きたい客の手配を彼女にまかせていたのです。震洲は不正やごまかしが大嫌いでしたから、彼女はそういうことはまったくなく、素直を絵に描いたような性格でした。幹部としてそれはやや適正を欠くのかもしれませんが、少なくとも私は彼女が結婚してこの世界を去るまで、楽しく一緒に行動できたし、いろいろなところに身軽に連れて行ってくれたのも良い想い出です。

Kittyと初めて出逢った土曜日の夕方、私は寶貝や蔓蔓、加菲と出逢った酒店に一緒に歩いて向いました。隣が大きなお土産物屋なので、ちょっと恥ずかしいかなと思っていましたが、夕方のため、黒服の男もおらず、エレベータも普通に3階のボタンを押すこともできました。入口の厚いドアの前には、ポツンと小爺が一人いるだけで閑散としたものでした。中に入っても大廳には誰一人おらず、控櫃(業務用のカウンター)の中に行政が一人いるだけでした。公關の姿もなく、ちょっと心配になってきました。しかし、包廂に入り、ビールを頼むところまで全く、晩場と同じで、ちがいはありません。

しばらくすると行政が空枱の女の子を連れてきました。晩場に比べると人数がとても少なく、3人程度しかいませんでした。特に心引かれる子もおらず、下枱してくる子を待つことにしました。午場の酒店は静かで客人もいるのでしょうが、夜のようにひっきりなしに包廂の外を誰かが通ようなことはありません。空枱も少なく、なかなかまわってこないという感じでした。Kittyの話では午場は少人数の客が多くて1人や2人のことが多く、夜のように酒を飲んで騒いだりすることは少なく、ほとんどが女の子目当てで来ているので、一人の客が女の子につく時間が長く、5時間や6時間もザラだと言っていました。ただ、大框をして外に出るようなことは少なく、夜まで午場の子とすごしながら包廂にいて、お目当ての晩場の子が来るのを待っている場合も多い(酒店は先着順が重要なため)とのことでした。

1時間ぐらい待ったでしょうか。最初の3人からその後は女の子もまったく来なかったこともあって、包廂で幹部のKittyと話している以外は新たな展開もありません。時間も4時半をまわっていました。Kittyは夜の幹部の震洲とはちがって、女の子を捜しにいくとか、うまく他の包廂に行くはずの子を抜いてくるとか、そのようなことはまったくせず、包廂でまったりしていました。私も「こいつ、やる気あるのか?」と思ったりしていましたが、「等一些」(ちょっと待ってて)というのが口癖で、私が何か頼んでもすぐに行動を起こそうとしません。しかし、Kitty自身が可愛いので、私も彼女と話していることは、結構楽しかったこともあり、気長に待つこともできたように思います。

さて、久しぶりに包廂のドアが開いて、行政が女の子を2人つれてきました。背の小さな子が2人並んでいました。

「小小、YOYO、到了!」(小小、YOYO、到着したんだね!) Kittyが彼女たちに向かって話しました。

2人はにっこりと笑っています。とても可愛い子たちでした。一人は原住民でやや肌の色が黒く、胸が大きい小小。もう一人は色が抜けるように白く、胸が小さく痩身のYOYO。2人とも19才の大学1年生でした。

Kittyは何もしていなかったわけではなく、ちゃんと預點していました。彼女たちが何時に着くかがわからなかっただけで、上班したらすぐに私の包廂に連れてくるように行政に手配していたのです。だから、包廂でだらだら私と話していても余裕があったのです。Kittyが私の方を見て「她們很可愛、而且年輕的學生妹。你喜歡嗎?」(彼女たちはとっても可愛いでしょう。それに若くて2人とも大学生だよ。気に入った?)と言いました。性格もとても良さそうで、何よりも晩場の子たちとは雰囲気が異なりました。まったく、擦れている感じがなく、晩場のPT妹にあるような最初、警戒するような目もしていません。2人は私の両脇に座りました。そして、Kittyがいるにもかかわらず、いきなり制服の種類の意味などまったくないような姿になりました。あまりの早い展開に私もびっくりでした。とにかく屈託がないというか、明るいというか、そんな感じです。

すると、包廂の再びドアが開きました。一人の背が高い童顔の子が入ってきました。私に話しかけるのではなく、小小とYOYOに向かって、指をさして「我晩到了、應該扣錢把!」とか言っています。晩場の空枱の子たちのような無言で客の前に立っている感じとは明らかにちがいます。小小とYOYOも彼女に笑いながら大声で「你應該過睡了!」「你來不及!」などと応答しています。それにKittyも加わりますから、客の私などはどちらかというとそっちのけで、3人の公關とKittyで盛り上がっています。女子高か女子大にいるような錯覚を覚えました。

この子はもう現在は卒業していますが、進修学校ではなく、ちゃんとした台北市立XX高中の3年生に当時は在籍していた18才の滴滴。

とにかく、ワイルドでじゃじゃ馬的な性格、細かいことは気にしないという子で、私が呼ぶかどうかという返事をする前にもう自分の制服に手をかけて小小やYOYOと同じ恰好になりながら、いきなり座ってしまいました。確かにとても可愛い子で元気いっぱい、さらに胸の形はとてもきれいで大きく、スタイルは今まで逢った子たちの中でも抜群でした。私の意思など関係なく、いきなり3人の子が包廂にいる展開となり、さらにKittyもいて(Kittyは彼女たちとは同じ恰好になっていません)、一緒にはしゃいでいますから、よくわけがわからないうちに包廂が女の子だらけになっていました。

2人の大学生と1人の高中生。

土日だけ午後4時から来るとても仲の良い3人組でした。この3人とも私はそれぞれかかわりをもっていくのですが、今もつきあいがあるのは原住民の小小だけです。彼女はこの2月下旬に護理士(看護婦)の資格試験を受けることになっています。この1月まで彼女は前章で綴った紅牌の子がいる酒店と同じところにいて、 紅牌の子が若い小小(今はちがう花名です)のよく面倒を見ていました。

午場に初めてきた私は同じ酒店のPT妹でも女の子の雰囲気がこんなにちがうのかと思いました。酒やドラッグのKの心配があまりないため、きっと彼女たちも気持ちの持ち方がやや軽いのかもしれません。私も彼女たちに逢ってからは、特に忙しかった4月5月、土曜日か日曜日の午場に酒店にちょっと気軽に行くことが多くなりました。

しかし、仲の良かった3人組も同時に酒店にいたのはわずか1ヶ月半。
その後はそれぞれの運命に従い、5月の末にはそれぞれ別々の道を歩んでいくことになりました。

 画像はやはり鏡を多用する制服店の子たちのいろいろな制服です。下は聖誕節の時の天使と悪魔シリーズのコスプレの悪魔の方のタイプです。上は禮服タイプの制服ですね。この制服店の午場はとても人気があって、午場専門の幹部たちが、まず客に紹介するのがこの店です。午場の幹部を見つけるのは簡単ではなく、夜のように街角で声をかけているポンのような幹部もまず昼の2時~4時にはいないため、夜の幹部からルートを探っていくのが一番良い方法だと思います。

君悦制服

君悦制服2011/12 

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。 
 
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楽天的な原住民の娘

午場で出逢った子に小小という原住民の子がいます。その名前の通り、とても背が小さくて145cmぐらいで、ちょっと肌が黒くて、目がクリクリとしたとても可愛いい子でした。酒店では原住民の子が時折いて、気質が少し、台湾の主流である移民(戦前から台湾に住んでいる移民を本省人、戦後の移民を外省人と言います)の子孫の子たちとは感じがちがいます。容姿も顔の壕が深く、私の印象では小柄な子が多いような気がします。

台湾の原住民は大きく平埔族と高山族に分けられます。平埔族は西部や北部に多く、古くから大陸の移民である漢民族との混血が進み、今は固有の言語や文化を失いつつあります。平埔族のうち、本来の言語や習俗を継承して「原住民」として認められているのはサオ族とクバラン族だけで、他の多くの民族は史実に名を残すような状態になっています。

今、台湾で狭義の「原住民」は高山族をほぼ指すと行っても過言ではなく、おもに東部の海岸沿いや山地に住んでいます。台東や花蓮は原住民の割合がそのために高い都市として知られており、現在は原住民の豊年祭などもやや観光化している傾向もあります。しかし、現在でも固有の言語や文化、習俗を維持しており、台湾の人口の約2~3%程度を占めています。14の部族があり、セディック族、サキザヤ族、サイシャット族、タイヤル族、タロコ族、アミ族、ルカイ族、パイワン族、タオ族、クバラン族、ツォウ族、サオ族、ブヌン族、プユマ族があります。

小小は花蓮近くの玉里鎮の布農族でした。台北近くの林口という所に医療系の技術学院があり、ここでは多数の原住民の子が看護学科で学んでいます。原住民に対して全額奨学金の制度を初めて台湾で実施した素晴らしい施策をもつ技術学院で、経済的に豊かでなく、また、そのために十分な高等教育をあきらめざるを得ない原住民の子たちに対して看護師を育成する看護学科にたくさんの定員を用意して社会への道を開いています。 

小小はここの学校の寮に住み、そして学んでいました。門限があるため、週末の午場しか働かず、いつも午後2時から8時頃までしか働かないというパターンでした。仕送りはまったくなく、また、確かに彼女の家はそんな余裕はありませんでした。小小はとても素直な少女のような子で、いつもニコニコと話をしてくれたのですが、その内容は決してニコニコ話すような内容ではありませんでした。兄弟姉妹が多く、小小は一番上のお姉さんでした。家族の収入は月に5000元~10000元程度しかなく、農作物を家の畑でつくる自給自足のような生活をしていて、お父さんが時々、街の土方の仕事が入ると道路工事や設備工事に日雇いで行くのが、唯一の現金収入でした。そのため、勉強が決して得意ではなかった小小は家の食い扶持を少しでも減らし、弟や妹に少しでも両親がお金をかけられるように一人、台北の近くの街に来たのです。

しかし、仕送りのない彼女は打工(アルバイト)したくても、原住民の子を簡単に雇ってくれる老闆はなかなかおらず、インターネットで酒店の存在を知り、Vickyの經紀公司に頼ったのです。たまたま、同じ時期に新竹にある科技大学に入学したばかりのYOYOという子がいて、この子は原住民ではないのですが、背がやはり145cmぐらいで小さく、Vickyが2人をセットにして酒店の午場に紹介したという経緯でした。

小小は9月に技術学院に入学し、1月頃まで何とかセブンなどのレジをやるなどしてしのいでいたのですが、時給が安いために長時間働かなくてはならず、看護師の勉強が本格的に始まりだしたため、そんなに打工に時間をかけられなくなったということもありました。従って、寒假の時に酒店で働くことを決意し、土・日に集中して出勤していました。普段の月~金は学校の授業が厳しく、さらに全額奨学生であるため、ある程度の成績を収めていかねばならないというしばりもあって、上班することは物理的に無理でした。

ただ、小小にとってラッキーだったのは気が合うYOYOという子が同じパターンで上班していたことです。このYOYOは色が白くて、胸もAカップぐらいの本当に少女みたいな子で、やはり父親が離婚でいなかったために学費を稼ぎに来ていました。ただ、YOYOは住んでいるのが新竹であり、地元では酒店のようなところで働いて知り合いにもし逢ったら大変という恐怖心もあって、少し離れた台北まで働きにきていました。ですから、やはり地理的な関係上、土・日しか上班できなかったのです。

YOYOもとても良い子で、素直を絵に描いたような子でした。小小は素直というよりは嘘がつけない性格で、いわゆる狡猾さがまったくありませんでした。そのため、2人はとても気があっていつもだいたい2人セットで酒店の行政が客に紹介するようにVickyがしていたようです。従って、1對1は彼女たちは拒否していて、客の性的なサービス要求がエスカレートしないようにいつも2人で互いを守りながら上枱していたというのが実際のところでした。

小小はすごくおおらかで実に楽天的でした。すぐに騙されてしまうようなところがあり、YOYOよりも警戒心がないというか、原住民独特の感覚みたいなものがすごくあって、騙されても騙すようなことはまったくない子でした。いつも簡訊を打つと寮ではすごく寂しかったようで、長文の簡訊が返ってきました。何気ない毎日の学校の生活の様子がそこには書かれていたのですが、すごく、人なつっこくて私もいつもていねいに返信していました。1時間ぐらいやりとりをするような時もあって、台北を離れた今もよく簡訊が来るような子です。また、いきなり電話がかかってくるのも小小の特徴でした。

小小はしかし、早熟な子で特に何もやることがない原住民暮らし時代はセックスが楽しみだったようです。とても可愛くて確かに目を引く存在だった小小は、原住民の男の子たちにすごくもてたようで、いっぱい告白されたというのが自慢でした。そして、小小らしいのですが、すぐに告白された子とエッチをしてあげるみたいなところがあって、当時19才だったにもかかわらず、とても経験が豊富でした。面白おかしくその話をよくしていて、外でエッチしたとか夜這いされたとか、学校でエッチをよくしたとか、屈託無く話していました。初めてエッチしたのは國中の13~14才ぐらいだったようでした。それを聞くYOYOはどちらかというととてもウブだったので、興味津々に小小の話を聞いていて、いつも小小にいろいろなテクニックを教わっていました。

実は私は約1年後に錦州路の交差点のベンチで様子が変わった小小とばったり再開するのですが、2008年の8月の暑假に最後に逢ってから行方がわからず、電話しても応答しない状態があり、心配していました。ばったり再会したときに「何をしていたの?」と聞くと、あっさり、「半年間、酒店で逢った若い男と同棲していて、もて遊ばれて捨てられちゃった」とあっさり言うではありませんか。しかし、私と2009年の夏頃に再開したときにはそんなことがあっても、最初はやつれた表情ながら微笑みをうかべ、人なつっこい笑顔を見せていたのが忘れられません。

その時、小小が座っていた歩道のベンチに私も座り、話すとしばらく何も食べていない、食べるお金もないと話し出し、通っていた技術学院も休学中であることが判明しました。化粧もほとんどしておらず、髪もボサボサで、寮にも今更帰れないと言います。すぐに向いにある麥當勞に行き、「好きなものを食べなよ」と言ったら「謝謝、謝謝」と何度も言ってエーンという感じで声を出してしゃくりあげるように大泣きしだしてしまいました。

小小とのつきあいは今も続いています。

いよいよ励まし続けた護理士(看護師)の資格試験がこの2月末に近づいてきました。彼女を機会が有る度に励まし続け、紅牌の子が今は同じ店で面倒を見ながら彼女の人生の大きな総決算が近づいてきています。

2008年の4月に午場で知り合った3人の娘、小小、YOYO、そして滴滴。
彼女たちとの様々な物語をしばらく、皆さんにご紹介していきます。

 画像はこの新年に制服が換ったある制服店の公關です。夜店(DJクラブ)風の装飾で有名なこの店は秀舞の時だけ、制服の意味がなくなる店で回穿店と呼ばれる制服店です。服務がやや穏やかな制服店のため、可愛い子が多いという評判があり、昔は「学校で一番できる人を指す言葉」と同じ2文字の名前でしたが、今は3文字の店名に変わっています。店内の写真を見ると行ったことがある方はおわかりですね。店のディスプレイの華麗さ、おしゃれ度は多くの制服店でも群を抜いています。

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首席公關4

首席公關3

首席公關2

首席公關5

 この制服店の1月からの新制服です。跳舞の後は再び、この姿に戻る「回穿店」です。そのため、可愛い子が多いという評判がありますが、ここも路線変更の多い店で、状況がよく変わります。

金湯池公關換制服2

金湯池公關換制服1

金湯池公關換制服3

金湯池公關換制服6

金湯池公關換制服4

原住民の憧れ~阿妹

小小との出逢いは私にとっては原住民の子との初めてのかかわりでした。台湾に来た頃、花蓮でアミ族などの観光用のダンスを見たりはしていましたが、本当の原住民の暮らしや状況は小小によって教えてもらいました。彼女の本名はもちろん知っていて、三文字の中国名です。しかし、本当の本名は原住民名です。ここでは当然、その名前を明らかにすることはできませんが、原住民の名前というのはこんな感じなんだという新鮮な驚きがありました。

小小はとにかく正直な娘で、ごまかしたり、嘘を言うことをしなかったというよりは、できませんでした。最初に行った時もすぐに電話番号を包廂の中で私の小機(携帯電話)をとって自分の番号を入れ、自分の電話にかけてしまいました。私の電話番号はあっという間に小小の更衣室にあるであろう小機に着信として残っているわけで、私もあっけにとられるというか、あまりの率直さにびっくりしてしまいました。

小小は原住民の村からたった一人、台北に出てきて寮に入っていたのですが、寮には異なる部族の原住民の子たちが様々いて、同じ布農族の子はあまりおらず、どうしても同じ部族同士で固まってしまうため、あまり心を許せる友達がいなかったようです。それと大部分を占める原住民でない台湾人の一般学生とはやはり壁があったようで、小小たち原住民の子たちは無試験に近い形で、全額無償で学んでいるのに対し、一般の学生はちゃんと試験を受けて入学し、学費も払っていましたから、やはり、学校では特別な存在として扱われることが多かったようです。

しかし、酒店に入った時にやはり、孤独だったYOYOとは互いに助け合うというところもあって、気持ちが楽だったようです。また、その後に上檔した滴滴もたった一人の高中3年生で、彼女もすぐに小小やYOYOと仲良くなっていました。きっと酒店ではそれぞれが最初、孤独だったこともあり、気持ちがすぐに寄り添っていったにちがいありません。

滴滴は小小やYOYOと違って背が高く、体つきも最年少なのに一番、スタイルが良く、大人っぽい体つきでした。
しかし、感覚は独特の子でいわゆる幼稚というか、細かいことは気にしないというか、おおらかな子で、3人の中では一番、考え方や態度がだんとつで子供っぽい子でした。幹部のKittyは彼女のことを「ワイルドガール」といつも言って笑っていましたが、あんなに体つきが色っぽくて完成されているのに、礼儀や作法というか、基本的な生活習慣があまりなくて、包廂でもすぐに疲れるといってヒールの靴を脱ぎ、座っている時もリラックスしすぎだろという感じの座り方で大股びらきは当りまえ、よく、テーブルの上の餅乾(ビスケットのような御菓子)をバリバリムシャムシャという感じで食べていました。色気はまったくと言っていいほどなく、大声ではしゃぐのが大好き、小小やYOYOとは大の仲良しで、いつも私のことよりもみんなで楽しく過ごしている方が楽しかったと思います。

午場の酒店は実は行政の数が1~2名しかおらず、例の小窓から除かれることはほとんどありません。ドラッグのKやしこたま酒を飲む客がおらず、また、ボディサービスを積極的に行う小姐も少ないことから、午場に来る客は基本的に「談戀愛型」で、女の子も晩場に比べると客人に対する安心感があり、悪い言い方をすれば、接客も素人に毛がはえたようなものです。ですから、行政もあまり包廂の中を監視しないため、ちょっとした規定違反をしても見つからないことがほとんどで、扣錢も極めて少ないと思われます。そんな事情もあって、包廂の中で電話番号を客人に教えてはいけないことになっていますが、小小は、そんなことなどお構いなしで気楽なものでした。それと接客の態度が適当でも客人がクレームしない限り、行政の叱責や指導がほとんどないため、のびのび気楽にやれることもあったのでしょう。

一緒に包廂に呼んでいたYOYOはいつもあっけらかんとしている小小と同じような行動をとるので、YOYOも私の小機に同じように電話番号をすぐに入れて、やはり自分の携帯にかけて鳴らしていました。もう一人の高中3年の滴滴も同じようにすぐ追随しましたから、私の小機は小小からYOYOへ、YOYOから滴滴へリレーのバトンのように渡されていき、小小に取り上げられた私の小機が手元に返って来たときにはあっという間に彼女たち3人の電話番号が発信履歴として残っていました。

小小は歌と踊りが大好きで、出逢った頃の一番想い出に残っていることは、小小が私とYOYO、滴滴に原住民のダンスを教えてくれたことです。中学生ぐらいの頃、フォークダンスを教えられるような感じで、手を交互に組み、そして足を前後に出す感じで踊るのですが、小小が自分で原住民の歌を唱い、私とYOYOと滴滴が小小を見ながら踊るという感じでした。滴滴は不器用な子でなかなかダンスがうまくできず、間違える度に皆が冗談ぽく、滴滴を責めるので、すごく面白かったです。YOYOは逆にとても起用ですぐにできるようになり、小小が、ほめていました。

小小が言うには原住民の歌や踊りを包廂で客人にかつて一度も教えたことがなく、とても喜んでくれました。私は小小という子を通してとても原住民の気質やその習俗に触れることが新鮮で、また、もっともっと原住民の実際の様子を知りたいと思っていました。だから、花蓮で見た観光用の原住民のダンスの話をしたところ、小小がうれしそうな顔をして生き生きと教えてくれたのです。YOYOも滴滴もすごく、素直な子たちで、そんな小小をバカにすることもなく、一生懸命楽しんでやっていました。また、いずれも跳舞後の恰好でやっているわけですから、ちょっとエロチックでもあって、あっけらかんとして恥ずかしがる様子など微塵もない彼女たちは若さがキラキラと輝いていて、まぶしいほどでした。3人とも肌がすごくきれいで、ちょっとポチャとした色黒で小柄の小小、痩身で色が抜けるように白く、ちょっとだけ胸がふくらんでいる小柄なYOYO、背がスラッっと高く、痩せているのに胸がDカップぐらいはある童顔のアンバランスな滴滴の3人がちょっと変な原住民のダンスを踊る姿はとても記憶に残っています。

その小小が大好きなのが、張恵妹、通称は「阿妹」で知られる原住民出身の大スターでした。原住民から誕生した最初のスターと言っても過言ではなく、台語や客家語(原住民の言葉)の歌もたくさん出しています。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%81%B5%E5%A6%B9 

私自身、台語や客家語に触れたのは小小にいろいろと教えてもらったことがその第一歩でしたが、12月に寶貝に中国語の歌を教えてもらってから、次のステップに入るような感じでした。小小が特に大好きだったのは阿妹が歌うこの2曲です。いずれもサビがとても覚えやすく、特に「三天三夜」はYOYOと滴滴と一緒に叫びまくりという感じでした。小小にとって阿妹は原住民でも台湾の表舞台で活躍できるという象徴だったのでしょう。

「薇多莉亞的秘密 」


「三天三夜」 


小小の影響もあって私は阿妹のCDなども買うようになったのですが、彼女とともによく阿妹の歌を唱いました。
小小は都合6度、酒店を換えていて、2012年の1月現在、在籍している酒店が6店目になります。その都度、彼女から電話がかかってきて、店を変わったからという連絡があるとちょっと時間がある時に彼女の新しい店での様子を見に行ってあげてました。彼女はいつも行くと大喜びしてくれて、それは跳び上がるような喜び方と言っても過言ではなく、気持ちを抑えない彼女らしい歓迎の仕方でした。

原住民の部落の故郷を離れ、苦手な勉強を紆余曲折を伴いながらも何とか続けてきた彼女は、やはり、どこかで孤独だったのでしょう。最初の酒店で中が良かったYOYOや滴滴は2ヶ月ほどで酒店を去ってしまいましたから、その後、小小は酒店でたった一人にまたなっていました。今は私が最も信頼する紅牌の子が一緒にいて、私が彼女の面倒をお願いしていますから、幸せに上班しているようです。最初の頃に出逢った私は日本人で彼女と同じ台湾では外様的なところがありますから、小小はそのこともあって、よく私になついてくれていました。

2009年頃、彼女が同棲した男に捨てられた後に上班していた「龍昇」という酒店でよく彼女と唱った阿妹の歌があります。この曲は私にとっては台語の柔らかい発音が心地よく、初めて台語で歌うことができるようになった歌です。小小が根気よく教えてくれて、私も一緒に彼女と歌いたくて、何度も練習しました。「夢中作憨人」という意味は日本語で、「夢の中にいる無邪気な人」という意味です。歌詞も幻想的で、小小のことを表しているような歌詞でした。のどかでゆったりしたそんな原住民の思念(思いの中国語)を唱ったような歌で、今も私はしょっちゅう聞きます。ぜひ、この歌は私も皆さんに聞いていただきたいです。なぜならば、台湾の原住民である阿妹が台語で歌う叙情詩のようなメロディは私が台湾を台湾らしく思い出す時の象徴の曲だからです。

「夢中作憨人」


滿天的田蠳 飛過夢中田埂墘 夢彼段 初戀滋味
牛郎甲織女每一年 相逢也有時 你甲我注定分離
青色海岸 白色的沙 兩雙腳印無聲惦惦走相偎
風底唱歌 雲來作伴 你我哪會無牽手的勇氣

想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊
孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

滿天的田蠳 飛過夢中田埂墘 夢彼段 初戀滋味
牛郎甲織女每一年 相逢也有時 你甲我注定分離
青色海岸 白色的沙 兩雙腳印無聲惦惦走相偎
風底唱歌 雲來作伴 你我哪會無牽手的勇氣

想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊

孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

想你那一晚 夢來成空目眶已經紅 阮還是無法度抹記啦
剩我一個人 彼條情歌阮還唱抹煞 天頂星也笑阮是憨人

少年家青春來討債 嘴鬚麻已經白 無注意緣份就錯過
甘講你不知 一世人無兩回 重來的機會
想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊
孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

想你那一晚 夢來成空目眶已經紅 阮還是無法度抹記啦
剩我一個人 彼條情歌阮還唱抹煞 天頂星也笑阮是憨人
月娘啊陪伴阮 ~ 做眠夢 ~

それともう一曲、小小とよく唱った台語の曲があります。リズミカルなロック調の曲でやはり、小小とよく練習しました。今は台語も少しわかるようになりましたが、それは小小のおかげかなと思っています。小小は本当は原住民独特のブヌン語を話し、私も教えてもらったのですが、これは台語以上に難しくて、さすがに意味や発音がわかりませんでした。

「好膽你就來」

 

台湾を知ること。

それは島国でありながら、複雑な民族構成とその歴史的経緯を知ることがきっと大きな近道です。
私は小小と出逢ったことにより、ビジネスに関係なく気楽に聞ける機会を得ることができ、そのことは私をますます台湾の魅力に傾倒させていくことになりました。 
http://smail.au.edu.tw/~bt953806/index.htm

 布農族の画像です。この画像に出てくる方々は本文の登場人物とは一切関係がありません。原住民には固有の民族衣装があり、布農族は代表的な山岳民族です。小小も台北という大都市で生きていましたが、その心はいつまでも原住民の故郷にあって、自分たちの言葉や歌、踊りに誇りをもっていました。

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臺北戲棚~Taipei EYE~

原住民の小小は、台北に来る前は花蓮の玉里に住んでいたため、映画や演劇などに触れる機会はほとんどありませんでした。通っていた國中は原住民の子が多く在籍するため、行政の手厚い補助もあり、いろいろな教育活動があったようでしたが、高中に進学すると一般の台湾人も多く在籍していたため、ほとんど、そのような活動はなかったようでした。

小小は典型的な午場のPTで上班は週末の土曜日と日曜日の2天のみ、時間も午後2時から8時頃までが基本でついた客人が時間を延ばしても夜の10時ぐらいまでが限度でした。暮らしていた林口にある技術学院の寮には門限があり、夜の12時でした。台北から林口までは夜のすいている時間でもタクシーで30分はかかるため、余裕を見ると11時には酒店を出ないと門限に間に合わず、全額奨学金で学校に通っていた小小にとっては門限に間に合わないことは死活問題でした。

中山北路と錦州路の交差点に台泥大樓のビルがあって、ここのホールで毎週末の金曜日と土曜日に「臺北戲棚~Taipei EYE~」という中国伝統舞台芸術の表演が行われています。私はよくここから招待券をいただいていたのですが、基本的には京劇+雑伎か原住民の表演といったプログラムが多く、よく日本から来た方の接待にも使っていました。たまたま、4月の週末の土曜日にそのチケットを4枚ほどもっていて酒店に行ったときに小小とYOYOに「行ったことがある?」と聞いたところ、二人とも行ったことがありませんでした。

元々「臺北戲棚~Taipei EYE~」は観光客向けのような要素も強く、日本人や欧米人が台北の観光のひとつとしてよく足を運ぶところであり、若い台湾人の子が積極的に足を運ぶところではありません。しかし、たまたま、プログラムにアミ族の跳舞をやっていたこともあり、特に小小が「行きたい!行きたい!」と言ってききません。事情を聞いたところ、今まで、そのような劇場などで表演を見たことがないと言います。また、正規に入場すると一人当時800元ほどの入場料で、彼女たちにとっては高価なチケットでした。

「臺北戲棚~Taipei EYE~」 は確かになかなか興味深く、夜の8時頃から入場できるのですが、表演が始まる8時30分頃までロビーで京劇に出演する俳優たちが化粧する様子や踊る様子を身近に見ることができます。小小とYOYOの上班は基本的に夜の8時までですし、終了は10時頃なので、門限にも間に合う時間帯でした。それと酒店にはちょっと面白い規則があって、契約している終了時刻まで1時間を切る場合は、終了した時間に下班できるのです。客には最低1時間を保証しなければならないため、例えば7時30分に下枱したとすると残り30分3節のみの上枱はしなくても良いことになっています。ただし、その分、稼ぎはなくなってしまいます。

すなわち、小小とYOYOは8時までの契約でしたから7時10分頃に私が帰れば、そのあと50分は上班しなくてもよく、あとは女の子の意思にまかされています。契約が8時まででも50分間稼ぎがなくなることが厭ならば、8時10分までちょっとオーバーして1時間だけ勤めたり、9時、10時と本人がいられることができる時間まで延ばして働くこともできます。従って、自分が気に入った客ならば、女の子はずるずる契約している時間以後も残っていますし、厭な客ならば時間通りに行政に連絡して下枱してしまいます。

従ってこの日、私は5時半頃に小小とYOYOを呼んでいて(滴滴は大学入試のため、不上班)、7時半に帰るという計画を小小とYOYOと立案しました。7時半に終われば、それから彼女たちが打卡(タイムカードを打つこと)をし、更衣室で着替えても遅くとも8時には外に出られるという彼女たちの目算でした。私下で酒店の子たちと逢うことは当然、規定違反で、彼女たちはばれたら扣錢になりますが、そんなことはまったく気にしていません。普通は出場する場合は大框か小框して、その分の時間の料金を払う必要があるのですが、Kittyにも秘密にして外で友人として会うという形にしました。私は下班した直後に今まで小姐と逢ったことはなく、ちょっと好奇心もあって彼女たちがどんな感じで現れるのかも楽しみでした。

さて予定通り、7時半にKittyを呼んで会計し、台泥大樓に行く途中にある錦州路沿いのセブンイレブンで彼女たちと待ち合わせることにしました。7時50分頃、2人がラフな恰好でやってきました。ただし、ちょっとおかしかったのは急いできたこともあって、化粧が酒店仕様の濃いままで服装がジーンズみたいな感じで、ちょっとアンバランスなことでしたが、まあ、気にせず出発しました。

知り合いに会ったら困るなあと思っていましたが、彼女たちは小柄で化粧が少し濃いことを除いては普通の学生にしか見えず、絶対と言っていいほど酒店小姐には見えません。服装が服装ですし、よく日式の妙齢の小姐を連れている日本人の方を見ますが、あんな感じにはどう転んだって見えやしないので、知り合いに会ったら会社関係の大学のインターシップ関係(實習生)で来ている子ということにしようと彼女たちと打ち合わせました。

台泥大樓に入っていくだけで小小はとても喜んでいて、おとなしいYOYOもニコニコしてとてもうれしそうでした。劇場はいつもあまり混んでいなくて座席の半分いくかどうかという入り具合なので、正面の良い席を確保し、さっそくロビーで京劇の俳優たちの化粧をする様子や少し俳優が披露してくれる踊りなどをとても興味深く見ていました。台湾人である2人ですが、本当にこのような観光的なショーは見たことがなく、彼女たちは当然、よく廟や宮でやっている京劇のような台湾歌劇は見ているのですが、きらびやかな感じの日本人や欧米人が比較的フォーマルな恰好で見に来ている場に自分たちがいるということだけで興奮していました。

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8時半頃になり、最初に原住民の跳舞が始まりました。確か、アミ族の方々だったと思いますが、布農族の小小は部族がちがってもよく感じがわかるようで、小声で一緒に歌を唱うなどして、大喜びしていました。YOYOもあまり原住民のことは見たことがないらしく、知ってはいますが、とても楽しんでいました。私は花蓮に行った時に見たり、今までにもタイペイアイを見たりしているので、あんまり目新しさはなかったのですが、小小が言うには同じように見える原住民の跳舞も少しずつ異なっているとのことでした。小小の解説を今ひとつわからない彼女の専門の中国語で受けながら見ていたこともあり、結構、新鮮な感じでした。

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さて、表演が最後の京劇になり、確か「孫悟空」だったように記憶していますが、俳優たちが跳んだり跳ねたりでいつもながらなかなか面白く、彼女たちも大満足のようでした。

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最後に劇場を出るとき、俳優の皆さんや出演した原住民の皆さんがお見送りしてくれるのですが、小小はすごく原住民の子たちと話をしていて、楽しそうにしていたのが印象的でした。

劇場を出て台泥大樓の1階にある大廳に来たら、時間が10時30分近くになっていて、小小が「快快的!」と言って食事を一緒に食べる時間も惜しんで、タクシーに乗り込んで行きました。その笑顔は酒店の時とは本当に違っていて、どこにでもいるようなそんな子でしたし、彼女自身は帰宅後すぐに簡訊を私にくれたのですが、弾むような彼女の気持ちが伝わってくるような内容でした。

「哈囉XX先生、今天小小很開心喔!對阿已經在家裡了!後天就要上課。可是下一個星期也我有上班。XX先生給我很幸福的時間。我感激對你!應該YOYO也開心的。保重身體別太累了!」

(ハローXXさん。今日は小小はとってもハッピーだったよ。もう家にいるよ。またこれから授業があるけど次の週末も酒店に出るからね。XXさんはとっても幸せな時間を私にくれた、とっても感謝してる。多分、YOYOもとっても楽しかったと思うよ。体を大切にして、疲れすぎないようにね!)

YOYOは少しもじもじしているようなところもある子ですが、新竹まで台北駅から列車で帰るというので、簡単に2人で錦州路の店で麺を食べて別れました。彼女は新竹にある科技大学に通っていて、理科系なのですが、とてもおっとりしていて、また、小小とはちがう素直さがある子でした。いつも元気な小小と滴滴の影に隠れているようなところもありましたが、気持ちがやさしく、一緒にいると落ち着くというか、やすらぐというか、そんな雰囲気がありました。

4月の台北は少しずつ 暖かくなってきていて、夜風がとても気持ち良かったのを覚えています。
一人、夜の街に立っていた私ですが、取り残された孤独感はなく、不思議と満たされた気持ちになっていました。

それは彼女たちの偽りの笑顔ではない、本当に喜ぶ顔を見ることができた充実感があったからにちがいありません。

 ここで使わせていただいたTaipei EYEの画像は紹介のために使わせていただいただけで、本文に登場する子たちやその勤めていた酒店とは一切、関係がありません。

 画像は午場で当時行っていた酒店の包廂です。これは新しい包廂で2008~2009年に全盛を迎えたこの酒店は新しく包廂を地下に増設しました。小小やYOYOと出逢った包廂は当時は3階で古かったのですが、2008年夏頃から經紀人が良い子たちをこの酒店に集中させ、さらには副店長(後ほどブログで詳しく書いていきます)の力もあって超人気店になり、一時は包廂待ちが金曜日の12時頃には2時間待ちぐらいでした。写真には当時の小爺のユニホームも写っています。女の子はNYヤンキースのロゴの入った定番のビキニの制服を長い間使っていて、制服の交換が少ない酒店でした。台湾人には「棒球場」のニックネームで知られていました。

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。  

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向学心とは?

20XX年5月中頃、大学に合格して台中に行くことになった滴滴、そして新竹から来ていたYOYOは酒店を去っていきました。滴滴は今でも時々、気が向くと簡訊が突然来ることがあって、ワイルドガールの彼女らしく、必ず、などの顔文字やなどの絵文字がいっぱい入っていて、まあ、なんてことはない内容ばかりです。新年快樂とかそんな感じのあいさつが多くて、いつも哈羅(ハローの充て字)や哈哈(ハハという笑い声の充て字)を多く使いますが、彼女の簡訊は深く物事を考えない彼女らしく、いつもライトな感じでなかなか元気になります。

彼女たちと仲の良かった原住民の小小もめっきりと上班が減ってしまいました。多分、節約すれば月に1万元程度で生活ができた寮生活の環境であったこともあり、少しばかり酒店の上班が厭になっていたところもありました。きっとYOYOや滴滴がいた頃は仲間もいて、それなりに楽しくやれたのでしょうが、彼女たちがある程度、お金をためて酒店を去ってからは孤独感もあったようです。5月の中旬、小小から突然、簡訊が来ました。

「其實小小最近心情不是很好。很多客人也問我怎麼了臉很臭。
XX先生很好關心小小。
小小不想把不好情緒帶給你。對不起小小最近壓力很大。
其實很想要放棄當護士....。
我知道不行放棄、不然我家人就不知道怎麼辦。」

実は小小は最近とても心情が良くないんだ。
とてもたくさんのお客さんが私にどうしてそんなつまらないそうな顔をしているのか、聞いてくるの。
XXさんはいつもとても小小のことを気にしてくれているよね。
小小はあなたにこのような良くない気持ちのまま、あなたに接客することはできないよ。
ごめんなさい。小小は最近、何にもかもやる気がなくなってきているんだ。
実は看護師になるのだってやめたいぐらい。
私はでもやめられないことがわかっているし、さもなければ、私の家族だって、どうすればいいかわからないから。

実際、小小は2時頃に酒店にやってきても7時頃には帰ってしまい、下班することが多くなり、土曜日一日しか上班しないことも多くなりました。YOYOと滴滴がいなくなってから小小は明らかにつまらなさそうで、いつも元気がなく、原住民独特の楽天的な雰囲気もすっかり影をひそめてしまいました。酒店に来る回数が減ったこともあり、しだいに私もだんだんと小小と逢う機会がなくなっていきました。

その私が5月頃から、午場でよく呼んでいたのが、小可というとても聡明な大学生の子です。

「IceDollの微笑み」という章で紹介したのですが、始めての小可との出逢いは滴滴と一緒で、その時の印象はとにかく、感情の起伏がない美少女という感じでした。しかし、彼女は私が逢った多くの公關の中でも最も聡明で、気持ちのしっかりした子でした。最初はあまり話しもせず、打ち解けることもすぐにはできませんでした。最初に逢った時も陽気な人見知りしない滴滴が一緒だったから良かったものの、そうでなかったら、彼女との時間は退屈で、きっと二度と呼ぶことはなかったかもしれません。しかし、滴滴がいろいろと大学に合格するまでのことを小可に説明してくれたおかげで、彼女が心を開いてくれました。

彼女はれっきとした白天(昼間)の有名大学に在籍していました。この大学は新聞ジャーナリスト研究では政治大学と並ぶと言われ、マスコミ関係者の卒業生が多いことで知られています。景美というMRT站から近いのですが、大学のある台北の南部はいわゆる文教地区で、公館にある台湾大学を始め、台湾師範大学、政治大学などの国立大学をはじめ、多くの大学があります。小可はこの大学の新聞學系に在學していて、ジャーナリストを目指していました。もともとの志望は政治大学だったようですが、届かず、私学に入ることになったようです。しかし、家庭は小さい頃に両親が離婚していて母親一人だったこともあり、裕福ではありませんでした。どうしても勉強を続けたかった彼女は酒店の午場に身をおき、学費を稼いでいました。いつも大学の授業が下課すると、その足で酒店に来ていて、不定期でしたが週に3日ほどPTとして働いていたのです。

小可は今まで逢った酒店の子とは、まったくタイプが異なっていました。彼女は極めて美人で大人っぽいのですが、いわゆる安っぽい感じがまったくと言ってよいほどありませんでした。なぜ、酒店で彼女のような子が働くのか、私は不思議でなりませんでしたが、彼女と親しくなり、その理由がわかりました。彼女は勉強する時間を確保したかったのです。

台湾の人件費はまだまだ安くて、大学生が普通に打工しても1小時90~110元ぐらいです。100元もらえることは多くなく、麥當勞やセブンイレブン、スターバックスなどでもだいたい1小時90元が相場と言ったところです。しかし、酒店の場合は、1節10分が130元ぐらいですから、単純に考えても6~7倍の薪資(給料のこと)であり、同じ金額を稼ぐ時間が6分の1から7分の1で済みます。すなわち、小可の考えは時間を効率良く使い、短時間で収入を得ることでした。そのために彼女は気持ちを解放することを封印し、すべての客人はただ、金をもってくるだけの役割しかないと決めて、酒店で上班していたのです。

だいたい酒店の午場に来る客は晩場と異なり、少人数が多く、女の子をくどきにくる場合が多いと言われます。晩場のように酒を飲んで大勢で盛り上がったり、ストレス発散したりするような傾向は多くはありません。そのため、美人でスタイルの良い小可は多くの客人からくどかれていたようでしたが、彼女はそんな客人たちに辟易していました。従って、客人を適当にあしらい、服務も良いとは言えず、ただ、時間が過ぎることをじっと待っているような子でした。

そんな小可が私に少し心の窓を開いたのは、私が滴滴に大学受験のために日本語の勉強を教えていたからです。彼女は向学心が強く、学ぶことにとても貪欲な子でした。彼女が行っていた大学には日本語学科もあって、ジャーナリストを目指していた彼女は英語はもちろん、日本語も身につけたいと考えていました。さらに私が日本の企業の駐在であることを知って、貿易や経済、国際関係などの話をいつもしてきました。私も小可のような子は酒店で初めてで、極めて新鮮でした。彼女が使う中国語もビジネス関係の言葉や言い回し、さらに彼女なりの独特のちょっと難しい表現が多く、筆談も多用して、私も何とか会話についていくということも多くありました。

今、思えばおかしな光景です。彼女は秀舞もせず、いつもいさぎよいというかビジネスライクというか、包廂に来るなり、すぐに制服に手をかけ、跳舞の後の姿になってしまいます。その恰好で、政治や経済、これからの日台関係の動向を私に熱心に話し、さらに英語や日本語の勉強も私に尋ねて言葉や文法を訊いていました。さらに不思議なことは、その彼女がエッチなことも好きだったことです。3回目に彼女に逢った頃から氷の心が溶けていくように、いつも気持ちを全面的に開いてくれていました。どんなことでも研究熱心な彼女は、いつも「酒店に来て、最終的に女とやりたいだけしか考えないバカは相手にしない」と言っていましたが、本当のことを言うと私はいつもその言葉に矛盾を感じることが多かったのが事実です。

それともうひとつ、彼女の独特なところは普通は多くの小姐が好まない「1對1」が私に限っては好んでしていたことです。彼女は「1對1」を基本的にはあまりしない子で、幹部のKittyもそのことを私には言っていました。しかし、向学心のあった彼女は、他の子に邪魔されず、いろいろな話を私とじっくりすることをとても喜んでくれました。「酒店に来る男はスケベばかりで最低」といつも言っていた彼女は色恋ごとの「你是可愛的」というような言葉にはまったく心は動かなかったといいます。彼女の心が動くのは彼女の知的好奇心を満足させるときでした。だから、私との「1對1」を好んだというのは正確ではなく、私との「知的好奇心をくすぐるような会話」を好んでいたのだと思います。彼女は日本人の企業戦士のような人物と知り合ったことはかつてなく、非常に強い関心を寄せてくれていたというのが正解だと感じています。

私は唱歌や跳舞も楽しくて好きなのですが、彼女といろいろな話をするのも悪くはありませんでした。小可は学生證を見せてくれたことがあって、その写真が、本当に真面目な女子大生に見えたのが今でも印象に強く残っています。そのため、小可とはあまり、歌を唱ったり、一緒に跳舞をしたりした記憶が多くはありません。いつもKTVで静かなバックミュージック系の曲を好んでいました。

でも、そんな彼女も好きな曲があって、小可はAlinが大好きでした。彼女は基本的に何でもこなす器用な子で、話の方が好きで多くは唱いませんでしたが、とてもうまかったです。最初はとてもとっつきにくかった小可が微笑みながら時折唱う歌声は落ち着くというか、心が休まるというか、独特の雰囲気がありました。

彼女の歌の中で一番記憶に残るのが「四季」という美しいメロディのAlinの曲です。
それは彼女が唱う時、いつも気持ちが入りすぎて、この歌を唱うと彼女が少し涙ぐんでしまうからです。



我的愛情 已折斷了翅膀        私の愛情は、すでに翼が折れてしまった
無法繼續飛翔 在風裡飄飄蕩蕩    だからもう飛べない、風のなかでとりとめもなく流されていくだけ
等待天亮 好好大哭一場       夜が明けるのを待とう。すごく泣いてしまったけど。
再讓眼淚風乾 在微笑中 釋放     再び風が私の涙を乾かしてくれる。微笑みの中で私は解き放たれる

走過四季 是你給我的力量                      四季が通り過ぎて行く。あなたは私の力をくれた。
當我覺得孤單沮喪害怕 還依然能堅強 私がひとりぼっちで気落ちして泣いているとき、まだ強くなれる。
不管四季 如此無情的交替      四季にはかまわないで、四季の変わり目は無情だから。
我已不寂寞 因為你和我曾多麼 快樂 私はもう寂しくはない、なぜならあなたと私は多くの幸せをつくれるから


それぞれの子にはそれぞれの想い出の歌があります。
不思議なことに彼女たちが好む歌は彼女たち自身の気持ちが重なるような歌詞が多いような気がしてなりません。

小可は暑假が終わった9月に酒店から去っていきました。
彼女がくれた最後の簡訊には実に彼女らしい気持ちがこもっていました。

「你好、XX先生。
我現在專心唸書。我也一份學生工讀、我没有回去的打算了。
我不忘記跟你的話。真的謝謝你。
你是唯一的客人有尊敬。
你也加油工作!我只希望你一切平安都順利!!」

こんにちは。XXさん。
私は今、勉強することに専念しているよ。
私も仕事をしながらの学生だけど酒店にはもう戻らないつもり。
私はあなたと話したいろいろなことは忘れないよ。ありがとう。
あなたは唯一、尊敬できるお客さんだったよ。
仕事、がんばってね!
私はあなたのすごす日々が平安ですべてのことがうまくいくことを願っているから!

原住民の小小は何度も看護師になるための勉強を続けることをあきらめそうになりながらも結局は頑張り続けました。
そして、今はどうしているか、わからない、小可。
世界を相手にするジャーナリストになってくれているでしょうか?少しばかり、気になります。

ほんの一時だけ、酒店に身を置いても、流されそうになっても向学心をもって学び続けていく彼女たち。
年若い彼女たちが学び続けること、あきらめないことの大切さを教えてくれたような気がしてなりません。

 画像はたった1枚だけ残っている小可の写真です。幹部のkittyがプロモ用に撮影したものだったように思います。基本的に酒店での写真を撮られることをすごく嫌がっていましたから、手元にある数多くの写真から捜してみたのですが、1枚しか見つかりませんでした。実際にはもう少し、ツンとした感じなのですが、普段の学生の時との落差の大きい子で、酒店上班の時はいつも髪(ほとんどエクステでした)や化粧にすごく凝るところがあって、上班してから包廂に来るまでの準備に時間がかかる子でした。すごく、変身願望みたいなのがあって、酒店にいる時は本当の自分ではないと言い聞かせているようなところがあり、まったく、普段の自分とは異なる自分を演出していたように私は感じています。すごく聡明でしたから、他の子たちとは雰囲気が少し異なっていて、ケバく自分ではしたつもりでも、どこか知的な美を感じさせるようなところがある独特の美人でした。

小可モザ

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。  また、この写真は大変、貴重なものなので取り扱いはよろしくご配慮いただくようお願いします。 

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考到了(休息一些)

今日、ブログを書いていたら午前1時47分(現地時間12時47分)、原住民の小小から簡訊が届きました。

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           「考到了!最快下禮拜去醫院上班=) 天氣還很冷、別感冒了! 」

   (試験受かったよ!すぐに来週から病院に勤務することになった=) まだ寒いから、風邪ひかないようにね!)

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良かった。本当に良かった。 

あの玉里から台北にたった一人で出てきた小小がついに看護師になることができた。
酒店に努めて、途中何度も厭になりながらも、なんとかがんばり続けた小小。
僕も何度も厳しいことを言ったけど、最後にはいつも「我、加油!」と彼女は言ってくれていました。
高雄での3ヶ月の看護実習を途中で挫折して台北に戻り、休学してまたやり直しになったときはどうなるかと思ったけど、
卒業もできたし、よくくじけずやり抜いたと思う。

酒店で知り合った男に騙され、捨てられ、一文無しで麥當勞で泣いていた彼女を思い出すと胸がしめつけれる。
でも、素直な彼女のまわりには、きっと彼女を助ける多くの素敵な人がいたにちがいない。
私が一番信頼している紅牌の子は、12月と1月、同じ酒店に勤めながら、最後の彼女の面倒もよく見てくれた。

また、一人、懇意にしていた子が酒店から去っていきます。
しかし、それは彼女がやっと手にした人生の大きなキップをつかんだ末の幸せな結末。

布農族の名前では、彼女はHeli。中国語の本名は別だから、大丈夫。

簡訊を見たとき、ちょっと涙がでました。



我靜靜的望著天空                私は静かに空を眺めているよ
試著尋找失落的感動              失った記憶の中の感動を捜そうとしているんだ 
只能用笑容 期待著雨過天晴的彩虹     ただ笑顔で雨が降り終えた後に美しい虹がかかることを期待しているんだ 
           
在你離開之後的天空             あなたと別れた空で
我像風箏 尋一個夢               私は夢を追い求める凧のよう
我靜靜的望著天空               そして私は静かにまた、空を見上げるんだ
試著尋找失落的感動             失った記憶の中の感動を捜すために


いろいろなことがあったけど、彼女の人生にも雨の後に虹がかかったかな。
苦しい環境の中、目標をかなえることは決して簡単なことじゃない。
近くにいて彼女を見ていた僕がそれはとてもよくわかっている。
これからもいろいろなことがあると思うけど、それを乗り越えてがんばっていって欲しい。

眠る前に感動をもらい、彼女に返信した後、つい書いてしまいました。
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