< 寶貝的故事 : 我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

私は台北で駐在生活を4年間送りました。昼間は世界の平和と日本の経済発展を目指して全力でお仕事。夜になると地表にちょこんと顔出して、五木の街あたりを彷徨っています。そこで私は数多くの天使達と悪魔に出逢いました。そんな私の夜の彷徨いを台湾社会の複雑な仕組みなども紹介しながら書き綴っていきます。ほとんどの日本人が深くかかわることが難しいと思われる台北の夜世界の様子とエピソードの紹介が中心です。これは心優しい台妹たちを愛し、そこで出逢った人達とのかかわりや心のつながりをとても大切にしながら、これからも彷徨い続けていく私の軌跡です。

寶貝的故事

可愛的聖誕節禮物

震洲とともに包廂に入るといつものように小爺がやってきて飲み物は何かと聞き、いつも通り台湾啤酒を頼みました。すると震洲は「等等一些在包廂 (包廂でちょっと待ってて)と行って包廂から出て行ってしましました。私はまた、しばらくすると行政が空枱の女の子を10人ぐらい連れて入ってくるかなと思っていました。

しかし、10分ぐらいしても 行政も 空枱も入ってきません。あれ?どうしたんだろう。入った時は公關の子は結構いたし、まだ時間も10時を回ったところだから、空枱の子たちはいるはずなのにと考えていたその時、無造作に震洲が入ってきました。しかし・・・・・。

「來來來」と彼は包廂の外に向かって手招きをしています。すると小柄な可愛い公關が入ってきました。よく憶えていますがもじもじしたような、緊張したような、そしてちょっと口元は微笑んでいるような表情でした。震洲は私の隣に彼女を座らせ、また、筆談混じりで話し始めました。

「今天她是第一次來的。真的新妹。新進公關避免自己跟單一客人在包廂。因為不懂得應對的情況下。較會吃虧的是自己。所以像我帶的妹妹没經驗都先上三個客人以上。比較有秭妹可以互相照應。新妹需請行政人員固定每半個小時巡視包廂一次。了解上枱情況。也避們在包廂不跟客人進去厠所。這様是我們的規定。不過如果她上枱三個客人以上的話、應該有危険一點。因為兇的公關也有。不過你有信用。我也相信你。你是特別的。剛剛已經我跟她的經紀人協商了。因為她相信我所以她了解的。新妹是我們的聖誕節禮物的。你給她溫柔一點點」

(今日、彼女は初めてここにやって来た。新しく入る女の子は自分とたった一人で来ている客と一緒に包廂にいることを避けることができる。なぜならば自分がいろいろなことがわからない状況の中では損をすることが多いからだ。だから私がつれてきたこのような子はまったく経験がないのですべて3人以上で来ている客につかせることにしている。そうすれはベテランの子がお互いに世話をすることができるからだ。新しい子は店の行政が必ず30分に1度は巡視しなければいけない。どのように接客しているかを理解しておかねばならない。また、包廂の中のトイレに客と一緒に入らないこともできる。このようなことが私たちのルールだ。しかし、彼女が3人以上の客についたとしても危険はやはり少しある。なぜならば意地悪をしていじめる子もいるからだ。しかし、あなたは信用が有る。私もあなたを信じている。さっきすでに彼女のマネージャーに相談してきた。彼女は了解したよ。なぜなら彼女は僕を信頼してくれているからね。この新人の子は私たちからのクリスマスプレゼントだ。あなたも彼女に少しだけ優しさをあげなよ)

この時はいくらかわからない言葉があったのが正直な所です。特に「經紀人」という人の役割がよくわかりませんでした(後ほどブログの中で説明していきます)。しかし、彼の話していることの90%は理解できました。人の能力とはすごいもので、火事場の馬鹿力というか、この時は実質的に初めての中国語オンリーの世界だったので、中国語がこんなにもできるのかというぐらい集中していたこともあります。

確かに今まで行った制服店でのいろいろな疑問がここでも解けました。あんなにたくさんいるはずの公關は日々入れ替えが多少あるはずなのに、以前の制服店・美麗殿では入ったばかりの新人の子についたことはまったくありませんでした。蓉兒と仲の良い悦悦も新人とは言え、初めて逢ったのは美麗殿に入ってから2週間後ぐらいの時でした。

確かに密室の包廂では誰もすぐに助けてくれる人はいません。女の子をしこたま酔わせて強姦したり、トイレに連れ込んで外から見えないようにしてあこぎなことをやろうとする客も実は後を絶たず、その時にどのようにそのような状況や危険を回避するかは極めて重要なことです。だから、できる限り複数の子と一緒に包廂にいることはとても大切で、もし、一緒にいる子が危険な目に遭いそうになった時に助けを呼んだり、防いだりできますし、客も他の女の子や自分の知り合いが同じ包廂にいれば、なかなかあこぎなことはしにくいでしょう。だから新人の子は1對1(1人の小姐が1人の客を接遇することを酒店ではこのように言います。これも重要なキーワードです)を避けられるように規定を設けているのです。

酒店は従って ベテランの子でも「1對1」を絶対にしない子も結構います。私は今2人の子を同時に包廂にいさせることが多いのですが、それは女の子にとっても安心感があるからです。もし1對1ならば、いつか、この客がSやFといった性的サービスを無理強いしてくるかもしれないという極度の緊張感の中で接客しなければいけないから、心が解放できず、のびのびとすごせないからです。

ですから基本的に貞操観念の強い子は 「1對1」は何回か通って客と信頼感が相互にできてからする場合が多いです。初めてや2回目ぐらいだと 「1對1」 をしない子も多いです。最初から「1對1」で来てくれる子はある程度、客を躱せる接客技術があるか、SやFなどを小費をもらってこっそり自分のビジネスをやっている子がほとんどです。あとは幹部や行政、經紀人などに「良い客」と信頼があって紹介される場合でしょうか。

後ほどエピソードで紹介しますが、私が一番呼んだ戀戀という子は基本的に絶対 「1對1」をせず、ほんの一握りの自分が信頼している客としかしません。彼女がよく言っていましたが、「客は嘘つきが多く、最終的にはいかに早い時期に安くセックスするかしか目的がないバカが大部分」だということでした。危険な目にあったことも多いと言っていましたが、私も彼女の言うことは当っていると思っています。

しかし、多人数で来ている客の包廂に複数の小姐といても、新人の若い可愛い子は妬みもあって、ベテランの正職公關や領枱からいじめられます。若い可愛い子たちは「兇」という言葉をよく連発します。これは「意地が悪いとか、怖いとかいじめる」といったような表現が詰まっているような形容詞で、私が最初に懇意になった蓉兒も入れ替えの時に去る小姐ににらみつけられることが結構あって妬みをかっていました。ですから「她是兇的!」とよく言っていました。

また、酒店に行くととすぐに気づきますが、包廂には小窓があり、時々、行政が覗いています。それと包廂には鏡がやたら多くて、実はこれも覗き窓から見えないような死角がないようにするためのものです。見ず知らずの客と包廂という密室で接客するという危険が伴う酒店では、すべての女の子が「安全」ということを一番、重視しています。だからこの小さな覗き窓は彼女たちにとっては恥ずかしい接客中の姿を見られるというリスクもありますが、時には危険があった時に外の行政たちがとっさに救いに入って客を制止できる頼みの綱にもなっています。

ただし、今の私のように女の子や行政と信頼があれば、ほとんど覗かれません。たまに覗かれるとそこから光が入るのですぐにわかりますが、彼女たちも現金なもので「不可以偸看!」(盗み見するな !)とか言っていますね(笑)。

さて、震洲に連れられてきた子は、とても可愛い18才になったばかりの子でした。少しオドオドしながら私の横に座り、そして自分のコップにも啤酒を入れ、乾杯をした後に話し始めました。

彼女の名は寶貝。

震洲が連れてきたこの小柄で可愛い子との出逢いこそが、その後、私がこれから酒店で多くの夜の世界の住人と心の交流をもつきっかけになろうとはこの時は思いもよりませんでした。

 画像は聖誕節活動(クリスマスイベント)のコスプレを身につけ、大廳で来客を待つ大量の制服店の公關の子たちです。このように空枱の公關が大廳で待つクラブは少なく、これが2009年にピークを迎えたこのクラブの売り物でした。領枱ではなく、実際につく公關の子が出迎えるというドキドキ感は他のクラブにはあまりありませんでした。

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。  

大廳の公關

日不落

寶貝は私の横に座って、すぐにKTVの控機(控器とも書きます。リモコンのこと)の操作を始めました。とにかく何もかもが不慣れで、いろいろなことがスムーズに進みません。普通ならば多人数の包廂に最初は入るので、他の小姐がいろいろとリードしてくれるのですが、頼るベテランの小姐もおらず、多分、經紀人に言われたことを何とかやろうとしているようでした。

さて、10分たって秀舞の時間がやってきたのですが、彼女はその音楽を出す操作が完了しません。普通80006といったような数字を打ち込むと画面が黒くなって、部屋も暗転して大音響が鳴り出すのですが、なかなかうまくいかないのです。「幾號?(何番?)」などと私に聞きますが、私もここは初めての酒店で要領を得ません。しかし、秀舞は始まらなくても、一緒にがんばったせいか、会話も弾み、あっという間に仲良くなりました。

寶貝はとても屈託がない明るい子で、裏表がないというか、思いついたことをすぐにやるというか、そんなタイプの子でした。20分もたった頃、彼女はついにあきらめてダンスなしで、いきなりさっさと秀舞の後の姿になってしまいました。恥ずかしがるということはなく、あっけらかんとしていて絶えず、何かしながら話しかけてくるような感じの子でした。おかげで「好的」とか「是」などのあいづちをすることが多くて会話が続かないということがありません。

しばらくすると彼女は小さな包包(バック)から何か取り出しました。何かと思ったら「好吃的(おいしい)!」と言ってチョコレートを食べ出したのです。今まで、そのようなことはなく、思わず笑ってしまいました。 そして、私にも「你要嗎?(いる?)」と言って聞いてきます。初めて包廂の中でお菓子を食べるという変な展開になってきましたが、子どもがそのまま大学生になったような子で、蓉兒や悦悦とは異なる魅力がありました。

それと以外だったのが「我喜歡抱抱親親的!」と言って、いつもくっついてくるというか、抱きついてくるというか、そんな感じなのです。私は震洲が言っていた外から30分に1回、必ず行政が中の様子を確認しにくるということが気になっていましたが、 寶貝はまったくおかましなしです。チョコレートも食べさせてくれるというか、私の口のところまで持っていって、急に「不給的(あげない!)」と言って自分の口にもっていってパクっと食べてしまうようなまったくもって無邪気を絵にかいたようなところがあります。

寶貝は小柄ながらも抜群にスタイルが良く、それにも驚きました。肌が透き通るように白くて、また、恥ずかしがるようなそぶりもありません。 そうこうするうちに彼女が今日ここへ来た理由を話し始めました。今日は聖誕節なので22日の土曜日から25日の火曜日まで大学が休みになり、台北にやってきたと言います。家が自分が幼い頃、両親が離婚し、母親しかおらず、まだ、國中(中学校のこと)や國小(小学校)に通う弟や妹がいて、学費を出せる余裕がないということでした。大学に入る前は時給90元程度で簡単な打工(アルバイト)をしていたのですが、17才の高中3年の時に今の女性の經紀人のHPを網路(インターネット)で見つけ、17才の時に18才になったら働く約束をしており、地元の台中では知り合いに会うと気まずいこともあって台北にやって来たと話しました。

今日は經紀人からいわゆる見学や仕事内容の説明だから客につかず、すぐに終わりと言われていたらしいのですが、急いで着替えてと言われて制服を渡され、この包廂に連れて来られたということもわかりました。だから彼女が秀舞もせずにそのまま、すぐに秀舞が終了した後の姿になったのは、着慣れない制服が小柄な彼女にとってブカブカで、どうも格好が悪いと思っていたようです。

そうこうするうちに落ち着きがない寶貝は話しながらもKTVの控機をいじっていましたが、プロモ用のビデオが流れる画面を見て、急に「你唱歌嗎?(歌、唄える?)」といきなり聞いてきました。私はいつも気をつかってくれる蓉兒や悦悦が日本の歌のカラオケをセットしてくれて私が歌うと、知らない歌なのに拍手してくれたりしていつも気をつかっていてくれていましたから、台湾の歌はまったく歌うことができませんでした。そのため、「我不會唱歌、不知道國語的歌(僕は歌を歌えないよ、台湾の歌知らないから)」と言いました。

彼女はその言葉を聞くとすくっと立ち上がり「不可以的!你跟我一起唱歌吧!(だめだよ。一緒に歌うよ!)と私にニコニコ笑いながら言って手を引っ張ります。そして「很簡單!(とっても簡単だから)」と言い、やっと使い慣れてきた控機で曲を入れました。

 台湾で絶大な人気を誇る歌姫・蔡依林(ジョリーン)
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それが忘れもしない蔡依林(ジョリーン)が唄っている「日不落」という曲でした。その当時の私は台湾を代表する歌手の蔡依林の名前さえもまったく知りませんでした。曲がかかりだしました。すごく聞きやすく唱いやすい曲という印象がありました。彼女は蔡依林の歌が大好きでした。しかし、私は中国語力がまだ低くて、独特の中国語の唱いまわしなども当然できません。

しかし、彼女は本当に愛嬌があって、屈託のない子でした。唱えない私にがっかりしてつまらなそうにすることなどまったくなく、手をとって唱いながら踊り出したのです。この曲は聴いていただくとわかりますが曲間にKTVのビデオの中で蔡依林がポンポンと手をたたく合いの手があります。 寶貝は本当に心から楽しそうに踊りながら手を自分で時々たたきながら唱うのです。その姿はとても可愛らしく、思わず、私も一緒に手をとって耳だけを頼りに歌い出してしましました。




寶貝はそれを見て大喜びでした。そして唱い終わってからこのようなことを言いました

「 這裡是台灣。 我知道你是日本人。可是今晩歌變得會唱到、你不可以回家的!」
(ここは台湾だよ。あなたが日本人だってことはわかっているって。だけど歌が唱えるようになるまで、今晩は家に帰さないからね!)

真顔でまるで、小学校の先生が子どもにいいつけるように言います。とても純粋で気持ちがまっすぐで、私は寶貝に大きく惹かれ始めました。そして気がつきました。 蓉兒や悦悦はやはり私が客として気持ちよくすごしてもらうことに凄く気を遣ってくれていたこと、そして、私は自分が台湾にお世話になっている外国人であるのもかかわらず、日本の歌を台湾人がほとんどの台式酒店で唱い、自分がわからないことばかり彼女たちに尋ねていたことを。彼女たち以外の小姐がつまらさそうにしていたのも道理でした。

私は少しばかり中国語ができるようになり、酒店の仕組みもわかってきたものの、まだまだ、自分は学んでいなかったし、彼女たちとともに楽しんでいませんでした。本当の台湾の楽しさを味わっていなかったのです。一方通行ではなくて彼女たちの文化も共有し、そして一緒に盛り上がること、台湾を楽しむことを寶貝は教えてくれたのです。

私は気合いが入りました。寶貝に「再一次的!(もう一回やろう!)」と言いました。彼女はピョンピョン跳びはねるように喜んで私に抱きついてきました。なにかご褒美をもらったようなそんな気持ちでした。

そして、寶貝は私の横で一緒にはっきりと歌の先生が先に少し言うような感じで一生懸命中国語をわかりやすく発音してくれ、何度も何度も「日不落」を唱ってくれました。まるで壊れたテープが同じ歌を繰り返すように、あきもせず、唱ってくれました。何回か唱っているうちにだんだんと唱えるようになってくると寶貝は「加油!加油!(がんばって!がんばって!)ととびきりの笑顔で言ってくれたのです。

1時間近く、同じ「日不落」を唱っていました。今までの制服店のような時間になったら秀舞をし、2回目の秀舞の時は手工をするといったことなどはとっくに忘れてどうでもよくなっていましたし、 寶貝もよくわかっていませんでした。途中、小爺がオイルと紙ナプキンをもって来ましたが、寶貝もそれを受け取っても桌の上においたまま、踊り唱い続けています。

そして、1時間半ぐらいの間、時々啤酒(ビール)を飲んで休みながらでしたが、最後にはほぼ唱えるようになりました。私は「最後的、一起唱歌、寶貝!(よし最後だよ、 寶貝、一緒に唱おう!」と言い、2人で包廂のKTVの前で踊りながら歌いました。成就感があったというか、大人なのにたかが歌を唱えるようになることにこんなに熱中できるなんて、不思議で不思議で仕方ありませんでいたが、あの時の楽しさを忘れることは今もできません。

唱い終えて最後に寶貝は私に大きな声で言いました。 「你開心嗎?」
私も大きな声で寶貝に答えました。 「開心!」

10
 

PT妹

寶貝が包廂を出てから5分ほどすると震洲が入ってきました。彼は水果(果物)が大好きで包廂で免費で出されている水果をいつもムシャムシャと食べながら話すのが特徴でした。

彼は「今天開心嗎?(今日はハッピーだった?)」と奇しくも寶貝と同じことを訊きました。私は寶貝の純粋さや一生懸命、私に台湾ポップスを教えてくれたことを話すと、彼もニコリと笑い、「你是很好的。蓉兒不説謊了(あなたはとっても良いお客だ。蓉兒は嘘をつかなったよ)」とポツリと言いました。私は彼に「為什麼?(どうして?)」と聞き返しました。しかし、彼はその理由を詳しくは話してくれませんでした。

包廂は完全な密室なので、他の客がどのように女の子たちとすごしているかが実はまったくわかりません。また、女の子の服務や性格も極めて多様なので、何が正しくて何が正しくないか、まったくわからない世界です。ひとつだけ正解があるとしたら、女の子がまた来たら選ばれたい、客ももう一度この子につきたいと相互が思えるような時間がすごせることが一番なのだと思っています。それは決して簡単ではなく、互いの気持ちが交わることがあってこそできることだと感じています。

私は震洲にまた寶貝に逢いたいので、もし上班したら電話して欲しいと頼みました。しかし、彼は首を振り、「她的上班不一定(彼女の出勤は不定期だから)」と答えました。

実は領枱も公關も正職とPT(パートタイム)があります。正職は以前ブログで紹介したように週5日8時間の勤務が基本です。それに対してPTの子は週1日数時間だけ働く子もいて出勤があまり一定しません。PT妹は圧倒的に高中や五専、大学に通っている学生妹が多く、夜学が終了した後、夜中の12時ぐらいに上班する子も少なくありません。

台湾は高中(高校)に通っていても18歳になれば酒を出す店や業種に勤務できます。日本の場合は18歳でも高校生は法令上不可ですが、台湾では高中3年級(高校3年生にあたる)でも18歳になっていれば法令上まったく問題がありません。また、 日本と違って規定が厳しく、進級や退学なども厳密で19歳や20歳で高中に通っている子もたくさんいます。台湾は超学歴社会で出身の高校や大学名で一生のキャリアが決まってしまうようなところもまだ残っているため、若い子たちの学校に対する執着心は相当なものがあります。台北の西門などの繁華街を歩いても日本のようなコギャルなどのような子はほとんど見かけず、実に真面目そうな学生が多いのに気づきます。実際に熱心に勉強している子が多くて、補習班という高中受験や大学受験のための塾や予備校も日本よりも多いぐらいです。

しかし、問題があります。それは一般的な台湾人の月収に比べて学費が高いことです。特に私立大学は半期で5万元から6万元かかりますから、平均月収が月3万元前後と言われる台北では、兄弟や姉妹が多いとなかなかその支出が困難なのです。

PTで酒店に勤めるような子は実はこの学費を稼ぐために来ている子が圧倒的に多いです。週に2~3日程度、勤めて親に負担をかけずに自分で学費を稼ごうとする子が多いです。台湾の打工(アルバイト)は時給90元~100元が多くて、1時間働いてもスターバックスのコーヒー1杯飲めません。東京ならば1時間働けば時給800円~900円ぐらいはもらえますから、給与水準と物価のバランスが悪いというか、そんな経済状況が実際のところです。そのため、女の子は公關、男の子は小爺として少しばかり給与の良い夜の世界で打工をする学生が多いのです。

ただし、正職に比べ給与は低く、週1日だと1節(10分)110元、週2日で120元、週3日で130元、週4日で140元が相場で正職の子が1節150元から160元もらっているのに比べ、かなり給与は落ちます。しかしセブンイレブンやマックで打工する賃金の約6倍から7倍ではあるので、 暑假(夏休み)や寒假(冬休み) の短期間だけ働く子が多いのです。

また酒店におけるPT妹の割合は少なく、1割~2割程度です。さらに出勤も一定しませんから、たまたま客が酒店に行っても上班していないことが多く、また、学校の暑假(夏休み)や寒假(冬休み)が終わって開學(学校が始まること)するとあっという間にいなくなってしまいます。PT妹は門限がある子も多く、学校が終わってすぐに6時や7時から勤め始める子も多く、朝までいるような子は遅く出てくる夜学の子以外はあまりおらず、だいたいどんなに遅くとも1時か2時には下班してしまいますから、一番酒店が混み合う12時~2時にはいないことも多いです。

正職の子たちには小費をもらって包廂のトイレで性的なサービスを提供する子が結構います。また、年をとった子や可愛くない、美人じゃない、スタイルが悪いといった子は空枱に並んでもなかなか客が選んでくれませんから、免費(ただ)で性的なサービスを積極的に行って客に満足してもらい、次また選んでもらえるようにしている子もいます。 しかし、PT妹は不慣れなこともあってボディサービスは積極的にあまりしません。それと正職の子と同じようにボディサービスもできると思いこんでいる客が無理強いしたりすることもあって、厭になってすぐにやめてしまう子も多いです。

ですからPT妹は擦れていない子や新妹の子が多く、こちらも心を開いてやさしく接すれば、純粋に心の交流がもてることが多いです。従って、私は今、基本的に正職の子にはつきません。なぜならば、どんなにボディサービスが良くても実際には気持ちが醒めているのを感じますし、心や気持ちの交流をもつ時間よりもサービスで勝負みたい感じや割り切り感みたいなのが好きではないからです。それに正職の子につくとやる気のない子も多く、上枱するのがもううんざりという感じで服務もやることだけはきっちりやりますが、まったく事務的だったり、全然楽しくなかったりすることも多く、単にボディサービスを求めるならば良い子なのかもしれませんが、私はもういいかなという感じです。

このブログを読まれている方の中に一緒に酒店に行かれる方がいるのですが、この12月に一緒に行ったときも私がPT妹、彼が正職の子だったのですが、「やっぱり性格がいいのはXXさんが言っているようにPTの子だなあ」と私についていた子を見て実感されていました。 

しかし、良い幹部と信頼しあう交友がなく、彼女たちとのコミュニケーションにも難がある日本人客は100%、これらのPT妹につけることはまずありません。あるとしたら、よほどの幸運です。

なぜならば、幹部や行政たちが信用のある客(すなわち、あこぎなことをしない客)にしか彼女たちPT妹を基本的には絶対に充てないからです。また、空枱に加わらせていないことも多く、直接、行政や幹部が彼女たちを直接、良い客のいる包廂に連れて紹介することがほとんどだからです。つまり、公司や彼女たちの經紀人に信用がある幹部や客だけが純粋な気持ちをもったPT妹に会えるのです。

従って、一般的に外にいるポン引きのような幹部に連れられてきた日本人は、基本的にボディサービスの良い子を充てられています。また、日本人客もスケベな気持ちがいっぱいで手や口、うまくいけばSのサービスを求めて来ていますから、お互いの思惑も一致し、特に何も知らない日本人客はタケノコ剥ぎのように小費(チップ)を彼女たちにとられています。私が一番始めに制服酒店に行った時も小費こそ要求されませんでしたが、まさしくこのような状況でした。

しかし、次に行った酒店でたまたま正職でも限りなくPT妹に近い気持ちをもった蓉兒に逢えたことが大きな幸運だったのです。そしてその蓉兒に誠実に接し、彼女も喜んでくれ、私は信用第一の酒店の世界で 少しずつ信用を得ていくことができたため、良い幹部や寶貝のようなPT新妹を紹介してもらうことができたのです。実際、ここまで来るのも約3ヶ月ぐらいの間、 蓉兒を訪ねて10回近く酒店に行くことがあったからでした。信用を作るのは簡単ではありません。 

さて、震洲に会計として4000元を渡しました。今日は寶貝という良いPT妹と会ったこともあり、おつりは取っておいて欲しいと言いました。しかし、彼は最後まで誠実でした。12節の分3360元と小爺の小費500元の合計3860元しか受け取らないと言うのです。彼はきっちり140元のおつりをくれました。

そして最後に微笑みながら静かに言ったのです。

「我不要小費。我有驕傲自己的工作。而且今天我得到別的重要東西。所以我給你信賴那個心意。雖然我在酒店的工作認識你、但今天我確認了、我們很有信用的」

(チップなんかいらない。僕は自分の仕事に誇りをもっている。それに今日、僕は別の大切なものを手に入れたんだ。だから僕もあなたに信頼という気持ちを渡す。僕らは酒店の仕事で知り合ったけれども、ただし、今日、僕らはお互いにとても信用しあっていることを確認したんだ)

 画像はある制服酒店の大廳(ホール)で並んでいる公關小姐たちです。この12月の聖誕節活動の時のものです。馬甲服と呼ばれるタイプの制服のコスプレをやっていました。このクラブは6階にあるのですが、以前は古くてやや時代遅れの包廂でしたが、2010年に大改装し、極めておしゃれなインテリアになりました。

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。

君悦制服2011/12-2

寶貝との再会

台湾の旧正月はひと時代前の日本の正月を思い出させます。

この1月2日に大学の仲間との新年会を新宿でやったのですが、どこの店をやっていて、飲み屋も人でいっぱい、全く普通の日とかわりませんでした。街も人があふれていて、こんなにみんなどこに行くんだろうというのが久しぶりの日本の正月の印象でした。

台湾の旧正月は、大晦日から約1週間ぐらいは街が本当に静かで人がいなくなります。特に首都・台北は南部や東部から出てきている台湾人が多いため、皆、旧正月休みを利用して故郷に帰ることが多く、静かなひとときですね。

ただ、困るのは店があまりにもやっていなくて、銀行もやっていませんから便利な現代日本の生活に慣れていると頼るのはコンビニと24Hのマックぐらいのもんでした。最初の年に大晦日に夕食を食べに出たらどこも店がやっていなくて、結局、近所のマックのだだっ広い地下でたった一人だけでわびしくマックを食べていたのを憶えています。客も一組ぐらいしかいなくて、従業員もおらず、驚きました。 

さて旧正月の新年明け一週間の期間、酒店はやっているかというと、実は年中無休でやっています。しかし、この時期は多分、私が思うにもっとも行っても意味がない時期です。まず、料金が特別料金でとても高くなります。これは領枱や公關の子たちの大部分が故郷に帰ったりするために休みをとりたがり、上班の子がいないことが原因です。酒店を経営する公司は旧正月期間とは言え、一定の客は来ますから、女の子たちの給料を高くしています。普通彼女たちの給料は1節(10分)110~160元なのですが、これが200元~250元ぐらいになります。そのため、金儲けに執着している小姐が結構残っており、普段は200人近くいる子たちも50人前後になりますから、客に選ばれる確率がグーンと上がり、一部の子にとっては稼ぎ時なのです。

客の料金もそのために跳ね上がっていて、だいたい倍額以上です。当時使っていた震洲も旧正月期間は1節500元でしたから、1時間で3000元でした。旧年の尾牙やまわりの親族に配る紅包(お年玉のこと)で客も金欠状態ですから、酒店に行ってもそれほどは賑わっていません。

震洲も基本的には休みと言っていて、彼も親元は高雄だったので、2~3日、南部に行ってくると言っていました。そのため、私は旧正月期間の1週間は比較的のんびりとすごしていました。旧正月明けの2月中旬の火曜日、震洲から簡訊がいきなり来ました。見ると、あの12月24日に出逢った寶貝が今日約1ヶ月半ぶりに上班してくるというのです。実は、私は懇意にしていた蓉兒と悦悦が下檔したこともあり、ちょっと酒店に行く気が薄れていました。しかし、あの可愛い寶貝が上班にするならば、絶対行こうと思いました。

「我決定過去酒店帶你」(僕は震洲と一緒に行くことを決めたからね)という返信をし、夜の7時30分に林森北路と長春路の交差点から少し南に行った所にある漢堡王(バーガーキング)で待ち合わせました。旧年の尾牙攻勢が終わったこともあり、接待や飲み会も入っておらず、仕事が終わった後に駆けつけるとすでに彼はコーヒーを飲みながら待っていました。

震洲は「今天、寶貝到八點。所以我們馬上過去比較好(今日、寶貝は8時に来るから、私たちもすぐに行った方がいいよ)と言って私はコーヒーを注文することもなく、彼のバイクに乗りました。実はこの漢堡王から酒店は歩いても5分ぐらいなのですが、彼がバイクが心配だということで、バイクで行きました。2分後に到着し、入口でカウンターを出すのを準備していた体格の良い黒服の男に自分の名を告げ、大樓の通路をどんどん入っていきました。通常酒店の晩場(夜の部)は8時から始まり、基本的には朝の6時までです。しかし、朝6時に入る客にも2時間は保証しますから実質的には朝の8時までが晩場となり、酒店のスタッフは普通夕方の7時40分頃から準備に入ります。 

エレベータに乗って、3階で降りるとまだ、大廳はガラーンとしていて領枱も公關もまったくいません。こんな早い時間に来たことは今までなかったので本当に公關たちがいるのかなとちょっと心配になりましたが、とにかく震洲と一緒に包廂に入りました。

領枱や公關が来るのは実は10時がピークで正職の子は10時から朝6時までの8時間勤務のシフトが圧倒的に多いです。しかし、寶貝のようなPT妹は朝まで無理させないことが多く、8時から2時までの6時間勤務ぐらいが多いのが実際です。なぜならば10時以降に来る客は少し酒にも酔っていて、数多くの女の子を見て挑選(女の子を選ぶこと。挑という言葉はつり上げるという意味があって、やはり酒店独特の言葉です)するということを楽しむことやボディサービスの良い子を探しにくるため、このような客に彼女たちをつけたくないからです。

実は早い時間に来る客は多くの子から選ぶというよりもお目当ての子に会いに来るため、早めに包廂に入り、自分の優先順位をあげて確実にお目当ての子を包廂に呼ぶことができるようにしています。だからPT妹がやめないように客を選ばなくてはいけない立場の行政も余裕がある早めの時間に彼女たちを上班させて、来客がピークになる11時前後にはPT妹がすでに良客について上枱している状態にしておきたいという思惑があります。

従ってポンのようなスケベ客を引っ張ってくる幹部やエッチ目的で来る客は彼女たちの存在も当然知らないし、姿を見ることもないのです。彼女たちが11時頃に最初の客から下枱したとしてもその頃にこのような性格の良い子たちは良客やその存在を知っている一部の幹部に預點(予約指名)されていることがほとんどで、空枱には加わらず、下枱して控枱した後、行政や幹部がすぐにつかまえて手を引っ張って直接良客のいる包廂に連れて行きます。実は100人以上の大量の女の子がいますから客はそちらに目が行っていますが、良い子たちはこのようにうまく隠されていて、彼女たちも仕事を続けていくことができる仕組みがうまく作られているのが本当の所です。

さて、包廂に入ってしばらく待っていると8時10分頃、震洲が寶貝の手を引いて彼女とともに包廂にやってきました。そして、彼女はあのとても可愛いらしい笑顔を私に会った途端に見せました。

すると寶貝はいきなり「好久不見!」(久しぶり!)と言っていきなり、抱きついてきました。それは迷子になった小さな子どもがお父さんを見つけたようなそんな感じでした。私も彼女に再び会えたことがうれしくて、思わず強く抱きしめてしましました。

しかし、この夜、寶貝とともに思いもしなかったことに遭遇し、そして、私自身が本格的にこの台北の夜世界に足を踏み入れることになる長い夜になるとは思ってもいませんでした。

 画像は包廂の中でそろってお座りする公關の子達です。この制服酒店はウェストを紐などでしめた馬甲服という 乗馬する時に着るようなキャミソール風のコスプレをしています。各制服酒店ごとに特徴があってなかなか興味深い感じです。 

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。    

在包廂4人組公關

麥當勞的外帶

久しぶりにあった寶貝の顔を見たら、心から嬉しくなりました。私はどうして12月24日以来一度も上班しなかったのか彼女に訊きました。その訳を彼女はていねいに子どもっぽい無邪気な顔をして教えてくれました。

「12月24號、我只要酒店工作的經驗一點。因為我是台中的學生妹、所以我不明白這個邊的方式和規定。26號再開始上班 、而且1月我們有考察試。也是讀下學期重要時刻、所以要很專注、但現在做完了考試開始寒假比較軽鬆、就可以回来上班。今天我的同學也上班。剛剛我們一起来到了。你是我的最初紀念的客人。那個時候以後下枱、我馬上回台中了。所以我認識客人只你。今天其實我要擔心一點。那樣的話我遇到你再一次、 當然不會不高興!」

(12月24日、私はこの酒店にただ仕事の経験をちょっとだけしに来ただけだよ。だって私は台中の大学生だし、ここのシステムやルールがまったくわかんなかったからね。12月26日にはまた、授業が始まって、その上1月からは試験があったし、勉強する上でとても大切な期間だったんだ。だから私はこれに集中しなきゃいけなかったんだよ。ただ、今は試験も終わったし、冬休みが始まったから、ちょっと気軽になったんだ。だからまた勤めに来たんだ。今日は私の大学の同級生も来てるよ。さっき私たちは一緒に来たところなんだ。あなたは私の最初の記念すべきお客さんなんだ。だってあの時は包廂を出て、すぐに台中に戻ったからね。だから私が知っているお客さんはあなた一人だけなんだよ。今日、実は私、ちょっと心配だったんだ。そうしたら私はあなたとまた行き会ったんだよ、うれしくないわけがないじゃない!)

彼女の中国語を当時の私はかなり、理解できるようになっていました。旧正月の間、特にやることもなかったので奮起して結構勉強していたからです。言葉が理解でき、やりとりができるようになると一気に世界が広がることは今までの駐在経験で身にしみるほどわかっていました。それが寶貝との会話ですごく実感できた瞬間でした。

寶貝はとっても無邪気でしたから、また、秀舞の時間になってもまったくせず、いきなり秀舞が終わった格好になりながら、続けて思わぬことをすぐに言ったのです。

「因為我們来了快快、所以我們還没有吃飯。我餓了!我想吃飯東西!」
(私たち急いで来たから、 まだご飯食べていないいんだよー。お腹減った、何か食べたい!」

私は寶貝が初めて逢ったときにチョコレートをポリポリ食べていたのを思い出しました。

「今天你有没有巧克力?」(今日はチョコレート持っていないの?)
彼女は即座に「今天没有的」(今日は持っていないんだ)と答えました。

テーブルの上には餅乾(ビスケットのこと)がありましたが、それを寶貝はまた、ポりポリ食べ出しました。私はそれを見て、このわがまま娘にちょっと何か食べさせてやるかと思いました。そして包廂の外にいる震洲に簡訊を打ち、何か寶貝に食べさせてあげたいのだが、何か良い方法はないか訊きました。

するとすぐに彼から「當然可以!你按控機的服務鈴、小爺来了、你説跟小爺。我有別的客人。目前我有二桌、所以自己處理的。抱歉」と返信が来ました。

(当然、大丈夫さ。まずリモコンの服務鈴というボタンを押して。そうするとボーイが来るからね。僕は今、別のお客さんがあって、現在、あなたを入れて2組対応中だ。だから、自分でがんばってやって。ごめんね)という内容でした。寶貝もよく事情がわかっていないし、どうしようかな?と思いました。しかし、少し中国語ができることも確認できたし、やってみようと思って、寶貝と相談して控機(KTVリモコンのこと)の服務鈴を押しました。

3分ほどすると包廂の扉が少しだけ開いて、後ろ向きになって中を見ないように小爺が「有事嗎?」(何か用事がありますか?)と言いました。そこでも寶貝は思い切った行動に出ました。なんと普通は恥ずかしいはずなのに若い小爺を包廂の中に招き入れたのです。そして左手で胸のあたりだけ隠して、小爺に注文し始めたのです。下はTバック一枚なのですが、まだ18歳の寶貝はスタイルも良かったので、まったく気にしていません。そして、あらかじめ相談していた麥當勞(マックのこと)の希望を細かく、「うーん」とか首をひねりながら頼んでいます。

実は私も仕事が終わってそのまま震洲と待ち合わせ、すぐ来たため食事を食べていませんでした。寶貝が「OK的」と言って注文完了、私は小爺に500元を渡しました。正直、寶貝が何を頼んだのか、私もおまかせでしたからよくわからず、500元出しておけばたりるだろうという気持ちでした。

実は包廂の中では女の子は客人の許可無く、ものを食べたりすることができません。しかし、客の許可があれば問題ありません。テーブルの上に元からあるものはかまわないのですが、基本的に女の子自身がお菓子の持ち込みや飲料の持ち込みをすることは禁止されています。だから多くの子はこっそりバックの中にキャンディや小さなチョコを入れていて、ドアの小窓を気にしながら合間を見て食べる子も結構多いです。

しかし、これは若い子に多いのですが、気がおける子と一緒に包廂にいるか、1對1で自分だけがいるかでないとなかなかしません。ちょっと兇(意地悪)なベテラン小姐が一緒だと下枱した後に行政にちくられて扣錢(給料からの罰金の天引き)されちゃうからです。

私は今、よくマックやちょっとした食べ物、お酒以外の飲み物(彼女たちはどこの包廂でも飲まされ続けるので、飲みたくないのが本心です)をよく小爺に言って買ってきてもらいます。この前の12月にご一緒した、このブログ読んでいただいている方もあの時に包廂にいた18才、18才、19才のPT妹がお腹が減っていたので、私が「食べなよ」と言った途端、彼女たちがキャーキャー大喜びしながら、19才の子がリードして紙に注文をまとめていたのをご覧になったと思います。ちょっとしたこんな気遣いでも彼女たちはとても喜んでくれます。

実はこのようなことをするお客はほとんどいません。多くの客は少しでも安いお金でサービスさせたい、また、彼女たちはサービスするのが当然と思っていて、腹が減ってようが、酒に酔おうがそんなことは知っちゃいないという感じが多いのが実際です。だからちょっとした気遣いでも彼女たちは大喜びしてくれるのです。

寶貝は「好了」(良かったね)と言って大喜びして再び、抱きついてきました。
私は蓉兒と悦悦という宝物を失いましたが、また、台北の夜の海から新たな宝石を見つけたのです。

 これはある制服店の包廂に並んで向かう公關の子たちの様子で、ある幹部がプロモ用に作成したものです。この制服店は一番最初に私が行った店で、今もまあまあの人気店です。同じ大樓にある店と系列であるため、どちらに行っても2店の公關を見て選ぶことができます。写真でも黒い制服と白い制服の2種類、2店の子がいることがおわかりいただけますでしょうか。

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。   

星光側拍

我要找”可人”

無事、麥當勞(マック)に注文した品々が届き、おつりもきっちり小爺はくれました。日本だとこのようなところでは手数料が含まれていて価格が高かったりしますし、タイなどではすぐ「チップ、チップ」と言われておつりをくれませんでしたから意外でした。台湾人はそのあたりは真面目というか、きちんとしているというか、そんなことをいろいろな場面で感じます。

無邪気な寶貝はおいしそうにパクパクという感じがぴったりで食べていました。まさにお腹の減った少女が喜んで食べているという感じでした。寶貝は「好吃、好吃」(おいしい、おいしい)と言って、ガンガン食べていたのをよく憶えています。麥當勞(マック)の漢堡(ハンバーガー)なんか、一人で食べるものがない時に食べるようなものでしたが、台湾に来てから錦州街や南京東路の麥當勞をよく使ったこともあって、本当によく食べました。彼女たちも大好きで特に18才~20才ぐらいの子たちはみんな小爺に外帶頼むと大喜びでしたね。

「吃飽了、謝謝你」(ごちそうさま、ありがとね) と可愛らしくいたずらっ子のような顔をした後、「唱歌、唱歌、跳舞、一起跳舞!」(歌うよ、歌うよ、ダンスも一緒にするからね!」と言ってまた、私の手を引っ張って大きなKTVの前に連れていきます。私も中国語の勉強もあってYOU TUBEでいくつか歌を覚えてきたので、ちょっと寶貝と一緒に歌いたくなりました。寶貝は本当に陽気で、歌やダンスもうまく、それは楽しい時間でした。特に蔡依林の「Mr.Q」というヒット曲があるのですが、踊りまくりという感じで弾けていました。



歌い終えたその時、寶貝が突然、私に向かってまるで答を思いついた小学生のような顔をしていいました。
「今天我的朋友在那邊、她的名字是"可人”。你找她可以嗎?她愛玩、應該很好玩!」
(きょうは私の友達がここにいるんだよ、彼女の名前は可人と言うんだ。ねえ彼女を呼ぶことできる?彼女、遊び好きだから、たぶんすごく面白くなるよ!)

ここで出てくる「 找 」という言葉はやはり、酒店では重要な言葉です。直訳すると「捜す」英語なら「look for」の意味なのですが、彼女たちは「你找我!」(私を捜して!)とよく言います。100~200人はいる公關の中から捜し出すという感じの意味を多分にもっています。しかし、他の包廂にいたり、空枱が回ってくる順位が低かったりするとなかなか彼女たちをうまく捜せません。だって150分の1ですから、見つけられるのは簡単じゃないことは、彼女たち自身が一番よく知っています。だから、「がんばって私を捜しあてて」という願いがこめられた言葉です。もし、この言葉をひんぱんに言われるようならば、それはその子が呼ばれたがっている証拠と言っていいと思います。

さて、私はこの寶貝の友達だから、どんな子だろうととても興味が湧きました。それに彼女は今日が正真正銘の第一日目ですから、まだ、きっと心も純粋だろうと思いました。寶貝もとっても可愛いから絶対、XXさん楽しいからと言います。私は旧正月に旅行もせず、家で中国語の勉強中心にすごしていたこともあって経済的にも少しばかりの余裕がありました。そして、幹部の震洲に簡訊を打ちました。

「我要找可人。她是寶貝的同學朋友。可以點枱嗎?」
(僕は寶貝の同じ大学の友達、可人を呼びたいけど、指名できる?)

震洲からすぐに返信が来ました。
「應該可以。目前她上枱。所以如果先客有加點的話、没辦法。那時候我要預點、她下枱之後、我帶她進去包廂」
(たぶん、大丈夫。現在、彼女は他の包廂で接客中だ。だからもし、先客が彼女を指名返ししたら、方法がない。その時は指名予約しておくから、彼女が今の接客が終わり次第、僕が一緒に彼女を連れて包廂に行くよ)

私は了承し、また寶貝と唱い踊り始めました。しかし、なかなか彼女は姿を現しません。時間は11時をもうすでに回っていました。8時過ぎに寶貝と一緒にここに可人は来たはずだから、もう2時間以上は先客についています。きっとすごくいい子だから先客も彼女をなかなか離さないだろうと思っていました。私は寶貝との約束もあったので、可人が現れるまで今日は少し待とうと腹をくくりました。

そして、時計が12時を少し回った頃、ついに包廂のドアが開きました。そこには震洲が肩を抱くようにして連れてきた可人がいました。しかし、仲の良い寶貝の所に来たのにもかかわらず、その顔にまったく笑顔がありません。しょんぼりしているような印象が私の第一印象でした。

彼女は茶髪のちょっとコギャルぽい感じの子でしたが、震洲が「加油、可人!」と一言言って、包廂のドアを閉めて去った瞬間、走り寄るように立っていた寶貝に駆け寄り、彼女を強く抱きしめました。

そして可人の目からは大粒の涙がこぼれ、寶貝を抱きしめながら二人で包廂の床に座り込んでしまったのです。

私はいったい何が起きているのか、まったくわからず、その光景を見つめていました。

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可人的黒色眼淚

可人は今日初めてこの制服酒店にやってきました。寶貝が12月24日にここへ初めてやってきて、そして私と出会いすごく楽しかったから、一緒に働こうよ、大学のある台中じゃない台北だから知っている人もいないから安心だよと誘われてやってきたのです。

少し、寶貝と逢い、落ち着いた可人は、寶貝に促され、肩を抱かれてソファに座りました。そして、私の包廂にくる前のことを少しずつポツリポツリと話し始めました。

可人の最初の上枱は過酷でした。

新しいPTの子は、まず間違いなく空枱に加わらせず、信頼できる幹部が紹介した客につかせます。 しかし、可人が涙を流しながら寶貝に話した内容は聞くに堪えない内容でした。確かに可人が紹介された客は強くボディサービスを要求するわけではない4人組の客でした。その点では良かったのでしょう。ですが、その包廂には他に2人のベテランの公關と1人の領枱が可人のついた客以外にそれぞれ接客していました。

以前からよく来る客だったらしいのですが、經紀人や幹部が可人に言ったのは、さわりまくったり、トイレに小姐を連れ込もうとするようなことは一度もない良い客という話だったので、最初は可人も安心して包廂に入ったとのことでした。また、ボディサービス的な服務をしない領枱が1人いたこともあって、可人はそれも安心感があったようです。新妹は必ず3人以上の客につける規定が原則としてありますから、それにもぴったりの条件でした。

しかし、しばらくすると彼らは玩遊戯(酒店でするゲームの類)を始め、その罰として酒をみんなで飲み始めました。実はベテランの小姐は酔わないように、そして体を壊さないようにうまくやっています。ビールに氷を大量に入れ、多くのビールが入らないようにし、薄めて飲んでいます。また、頭のいい小姐はちょっとトイレに行ってくると言って立ち飲みしながらトイレに行き、飲まずに流したりもします。客は酒がしこたま強い者も多く、概して台湾人は普段の乾杯一気のみで鍛えられていますから日本人よりも強いです。

さて、まず玩遊戯のルールがよくわからない可人は何度もやり直しをされ、やり直すたびに気分を害した客は罰として氷も入っていないコップにギリギリまで注いだビールを一気飲みさせました。そして、他のベテラン小姐もこれに同調したのです。集団で面白い酒の肴として可人はターゲットにされていました。当然、ルールもよくわからず、慣れていない可人は負けることも多くあったらしく、そのたびに大量のビールを飲むことを命じられたのです。その結果、飲み慣れていない可人は、たまらず、近くのゴミ箱に吐いてしまったのです。これを見て、まわりの兇(意地悪)な3人の小姐が彼女への攻撃を開始しました。

「この女、若くて可愛いだけだよ、汚いな」
「お前が吐くから包廂が臭うじゃないか」
「可愛いだけが取り柄で酒も飲めないならやめな、向いていないよお前」
「もっとガンガン飲んで慣れないとやっていけないよ」
「この子みたいなのは、酒つきあえないから、抱いてもらうしか取り柄がないんだよね」
「モタモタしないで早く、片付けたり、小爺呼んでアイスボックス準備しな」

など細かな話は私も忘れてしましましたが、1時間以上にわたって4人の客と3人の小姐に悪口を言われ続け、そして酒を飲んで気持ちが高揚している客たちもそれを見て笑って、同調し、さらに酒を無理強いするという展開だったのです。私が點枱した時、この客は可人に対して加點(指名返し)したのですが、それは可人が可愛かったり、気に入ったからではなく、みんなで罵声を浴びせる存在だったから、それが面白くて離さなかったのです。

酒店ではこのようなことがよくあります。可人は今回、画像をはっておきますが、極めて可愛く、どちらかというとおしとやかな感じがする子でした。それに対して寶貝は自由奔放、ちょっとやんちゃなところもあって好奇心が強い子でした。そんな寶貝と同じ年なのに可人はいつも先頭に立つ寶貝の後ろをついていくような子でした。ですから、兇な小姐たちにとっては絶好のおもちゃになってしまったのでした。

年が18才で若く、可愛い可人は当然、人気が出ることが予想されますから、そのようなことに対する妬みもあり、自分たちのビジネスがなくならないように人気が出そうな子はつぶされてしまうことがよくあります。可人は本当に運が悪く、そのような包廂に入ってしまったのです。

普通、新妹は30分に1回、外から行政が小窓を通じてその服務を確認していますが、セクシャルサービスを強要されているわけではなく、ただ、盛り上がって皆で酒を飲んでいるようにしか見えませんし、声は聞えないので話している内容もわかりません。だから、このような客と小姐がいる包廂に入ってしまうとさながら地獄のような時間になってしまうことが時折起こります。でもそれが夜の世界の厳しさなのかもしれません。

可人は寶貝の飲み残していた麥當勞のコカコーラをおいしそうに飲み出しました。外帶で買ってきたコカコーラは幸いLサイズだったので、結構残っていました。この子にとって、3時間以上もの間、飲み慣れないビールしか飲んでいなかったのでしょうから、きっとさぞかしおいしかったのでしょう。本当においしそうに飲んでいて、そのコップを寶貝が持ってあげていました。それはお母さんがいじめられた子を守るような、そんなそぶりでした。

可人はとてもやさしくて可愛い顔をしているのですが、お化粧のマスカラやアイシャドーが涙でとれて、顔には幾筋もの黒い涙の跡が残っていました、寶貝はそれを一生懸命拭いてあげていて、可人の目を見て、何度も「對不起、對不起・・・」(ごめんね、ごめんね)と繰り返していました。寶貝は自分がもし一緒に働こうと彼女を誘わなかったら、こんなことにはならなかったのにと思っているようでした。

そして、寶貝は急に言いました。
「唱歌吧、可人。不開心的事忘掉了! 忘掉、 忘掉・・・・」
(歌うよ、可人。厭なことはみんな忘れようよ!、忘れて、忘れて)

そして寶貝は一人で歌い出しました。曲は忘れてしまったのですが、それはとても心にしみるようなバラードで歌声が素晴らしく、私の心は感動でいっぱいになるほどの美しさでした。

落ち着いた可人は私に訊きました。
「你是寶貝的日本人客人嗎?」
(あなたが寶貝が言っていた日本人のお客さん?)

それが私と可人が初めて話した一言でした。私は酒店の過酷な上枱の様子を二人の会話から漏れ聞いて、その時、決心しました。今日は、この可人と寶貝を他のお客さんに絶対につけないようにしようと。もしかしたら2人とも今日でやめてしまうかもしれないという予感がありました。

すぐに震洲に簡訊を打ちました。
「她們的下班、幾點嗎?」
(彼女たちが仕事が終わるのは何時?)

震洲からはすぐに返事が来て「到午夜兩點」(夜中の2時まで)とすぐに返事がきました。
時間はすでに1時を回っていました。私はすぐに返信しました。
「今天我買寶貝和可人的時間到底。因為我想照顧及體諒她們一點」 
(寶貝と可人の時間を今日は最後まで僕が買い切る。面倒を見て思いやりをちょっとだけあげたいんだ)

震洲はすぐに簡訊をくれました。この簡訊は今でも大切にとってあります。それは私の人としてのプライドというか、そんなものを再確認させてくれた大事な大事な簡訊だからです。

「你是很好的客人。我會更相信你。應該她們有幸福的時間。謝謝你」
(あなたは本当に良い客だ。私は更にあなたを信用することができるようになった。たぶん、彼女たちにとってもそれは幸せな時間だ。ありがとう)

私はちょっとだけ、気持ちがやすらかになりました。黒い涙を流した可人とちょっとおしゃまな寶貝。
外にはきっと騒がしい夜の林森北路があるのでしょう。

しかし、そんなことすべてを忘れさせてくれるような透き通った寶貝の歌声でした。

 これはたった1枚だけ私の手元に残っている当時の寶貝と可人の写真です。左側の黒髪の子が茶目っ気のある寶貝(パオペー)、右側の茶髪の子が少しおっとりした可人(カーレン)です。当時は2人とも台中にある大学の1年生、18才でした。今はもう大学を卒業した頃でしょうが、どうしているかはわかりません。

この写真は2人が揃って初めてやってきた日(私と可人が初めて出逢った日)に上枱直前におそろいの制服を着て、大廳でとった写真を經紀人が私にくれました。その經紀人とは懇意にしていて、いろいろなことを彼女からも教えてもらいました。

この画像は、極めて大切なものですが、私が初めて本当の意味で2人の大学生のPT妹と心の交流をもてたきっかけになった子たちですからご紹介させていただきます。ストーリーを臨場感をもって読まれていただければ私もうれしいです。お取り扱いは信頼しておりますが、絶対に流用や転載をされないよう節にご理解をお願いいたします。プライベート版にはモザなしをアップしています。

寶貝と可人モザ

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紅桃姊姊、黑桃妹妹

寶貝のバラードを気持ちよさそうに聴いていた可人は気持ちが少し戻ったのでしょう。いろいろと話しかけてきました。きっといろいろな事を彼女は話したかったんでしょうが、最初の上枱でそのような気持ちは剥ぎ取られ、心が剥きだしになっていたように感じました。もう、接客するとか、お客を楽しませるとか、そのような感じはまったくなくて、安心できる寶貝の所に来たせいか、とにかく自然体でした。とにかくよく話してきます。私も一般的な制服酒店の服務など、もうとっくにどうでも良くなっていました。

しかし、少し元気になってきた可人を寶貝は見逃しませんでした。今思うと、それは寶貝なりのやさしさなのでしょう。とにかく、彼女は可人が気持ちを切り替えて元気になるように仕向けました。寶貝は可人に明るく陽気に「可人、可人」と秀舞が終わった後の格好になるようにニコニコしながら制服を大げさに引っ張り始めました。可人は「害羞的、害羞的、不可以、寶貝!(恥ずかしいからやめて、パオペー)と大騒ぎしてキャーキャー言い出し始めました。寶貝は可人の気持ちを明るくするためにきっと彼女はいつものようにそんなことを思いついたのかもしれません。二人のその様子はとても仲の良い姉妹がじゃれあっているような、そんな感じでした。

結局、可人は寶貝に制服を引っ張られて、寶貝と同じ格好になってしまいました。寶貝と可人は身材(スタイルのこと)が本当にそっくりで、2人ともやや小柄でスレンダー、もし顔を見なければどちらがどっちかわからないぐらい似ていました。しかし、性格はあっけらかんとしている寶貝と恥ずかしがり屋の可人といった感じで私も二人の様子を見ているだけでも私は面白くて、時々、寶貝に「你也説跟可人!」(あなたも可人に言ってよ!)と言われ、よく相槌を打ったのを憶えています。

そして、すっかりKTVの控機(リモコン)操作に熟練した寶貝は可人の手を引っ張り、KTVの大きな画面の前に恥ずかしそうにしている可人を連れて行きました。そして、私にも寶貝が「來、來!」(おいでよ、おいでよ)と言って大きな声でニコニコしながら手招きしました。寶貝は確かに気まぐれなわがまま娘みたいなところもありますが、実は心のやさしい子で、いつもみんなが楽しくなるような雰囲気をつくれる子でした。そんな寶貝のペースに私も元気のなかった可人もどんどんはまっていきました。

この時に寶貝と可人が唱った歌を私は鮮明に覚えています。それは2人の18才の少女が、すごく心から楽しそうに歌い踊り、あの悲しくて黒い涙を流していた可人も唱いながら元気いっぱいになったからです。歌詞も今思えば、彼女たちにピッタリの歌でした。しばらくの間、私は自分の小機(携帯電話のこと)の着メロにしていたぐらいです。

それは芭比(バービー)という2人組が歌う「使勁搖」というダンスミュージックです。

彼女たちは 大芭(大櫻桃)の愛称がある純純と小芭(大櫻桃)の愛称がある君君が組む2人組女性ユニットなのですが、 もともと台南出身の台語の歌を歌う歌手としてデビューした彼女たちが羅百吉という男性DJヒットメーカーと組んで 2007年頃から 大ブレイクを始めていました。そのきっかけとなった曲で、今では制服酒店で女の子2人が踊って歌う定番の曲になっています。

 

歌い出した寶貝と可人は息もぴったり、2人とも唱歌も跳舞もすごくうまくてノリノリになってきました。この歌のサビの部分「紅桃姊姊快一起搖、黑桃妹妹快一起搖 ・・・・」(ハートの姉とスペードの妹が一緒にすぐ揺れるよ)と言うところがあるのですが、寶貝が「紅桃姊姊」、可人が「黑桃妹妹」という感じで、二人が腰を揺らしながらマイクを持って踊りながら歌う姿は、今でも鮮明に思い出せるほど、可愛かったです。

以前の制服酒店ではやはり19才の蓉兒と18才の悦悦を一緒に包廂に呼んでしましたが、キャリアのあった蓉兒と入り立ての悦悦はやや対等ではなく、また酒店でたまたま私が呼んで出逢って気が合ったという関係でしたから、お互いにやや遠慮がありました。どちらかというと蓉兒が私と入って日が浅い悦悦をリードするというか、いろいろなことを積極的に動いて教えるという雰囲気でしたから、寶貝と可人のような心からお互いの気持ちを裸にできるというフランクな関係はありませんでした。

歌い終わって時計を見るともう2時近くで、彼女たちの下枱、下班の時刻になっていました。私は、彼女たちに「現在、大概 兩點。今天、我結束了。你們下班的、辛苦了!」(今、もう2時だから、今日はもう終わりだね、2人とも仕事もこれで終わりだよ、ご苦労さん)と言いました。そして小機で幹部の震洲に簡訊を打って、行政に寶貝と可人を迎えに来てもらうようにしようと思いました。

しかし、その時、私の簡訊を打っている手がいきなりつかまれました。私は小機の画面を見ていたのでまった気がつきませんでした。そして、私の簡訊を打つのを止めた手の先を見るとなんと1時間ほど前まで泣いていた可人でした。そして彼女は笑いながら言ったのです。

「不可以回家! 因為我們很開心、所以我們陪你繼續好玩哦 !」
(家に帰ることはダメだよ!私たちは今とってもハッピーだから、もっともっと一緒にいて遊び続けるよ!)

もう一人の可愛い笑顔のわがまま娘の誕生に私は苦笑いするしかなく、答えました。
「我也很開心。OK的!」

 画像は包廂でデュエットして盛り上がる公關です。この文中に出てくる寶貝と可人ではありません。
制服酒店にはセクシャルサービス目当てで来る日本人も多いですが、それ目当てでは実はそれなりに楽しいといった程度です。2人以上の公關を呼んで(2~4人のグループ客で行くか、1人で行っても2人の気の合う子同士を呼ぶ)、集団でキャーキャーワイワイやって、女の子も楽しい上枱をさせてあげることが大切です。良いお客で彼女たちの心に包廂を去りたくないという思いが芽生えれば、自然と服務なんか良くなります。今、私は秀舞なんかもしませんし、一般的な流れなどまったく関係なく彼女たちの状況見て楽しんでいます。

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。  

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15分間の別れ

2月の下旬、学生妹たちの寒假(冬休み)が終わりに近づきました。慣れ親しんでいた寶貝や可人も台中の大学が開學するため、打工(アルバイト)も終わりとなりました。幹部の震洲から「明天才寶貝和可人、最後的一天。所以你過來公司比較好」(明日が寶貝と可人の最後の日だ。だから来た方がいいよ) と簡訊が来ていました。人気のあるPT妹たちは、最後の上班の日は多くのなじみ客が訪れ、だいたい框出されるのが一般的です。

酒店には実は多くの良客もいます。なじみの女の子が疲れていると大框して一緒に出た瞬間、別れてしまい、女の子を休ませたり、辛い思いをしている他の包廂から助け出すことだけを目的として大框したりする場合もあって、私も度量のある台湾人客に驚かされたことが何回かありました。多くの日本人は街角の立つポンのような幹部にセクシャルサービスをアピールされてよく事情がわからないまま、酒店に来ることがほとんどです。従って、だいたいは即物的なサービスを目的として日本の風俗的な利用の仕方を念頭において来ていることが多いです。

しかし、きっと粋な遊び方というのは、自分だけの思いだけで遊んだり、金で割り切って遊ぶだけではなく、出逢った子たちと気持ちを共有しながら、共に夢幻の世界でうたかたの時間をすごすことではないかなと私は思っています。そのためには気持ちに余裕もなければいけないし、自分からコミュニケーションをとっていかないといけないので、外国人である私たち日本人にはなかなかその域に達するのは簡単なことではありません。人それぞれの価値観はいろいろとあって、それを否定するような傲慢さはありませんが、いつも私は「あなたに逢えて良かった」という記憶が女の子たちに残ってくれればいいと思っています。決して本気になることはなく、自分の生活や仕事に影響しないよう、自分のできる範囲の中で、さらっとした出逢いや別れをする、そんなスタイルを心がけていたいし、それが私の夜の歩き方だと考えています。

さて、寶貝と可人の最後の上班の日、私は仕事もテキパキこなし、點枱が重なることを想定して、とにかく早く包廂に入らねばという気持ちで7時00分頃、酒店に到着しました。彼女たちはその日、8時からの上班でした。1時間前なら大丈夫であろうという余裕の気持ちでした。

しかし、実際には彼女たちは、もうすでに2人とも先客の大框のオファーが入っていました。

その日は私もいつも8時頃から仕事を始める震洲にも早く来てもらい、1時間ばかり一人で包廂で彼女たちを待つつもりでした。しかし、先客の出足は極めて早く、可人を大框した客はなんと夕方の4時から来ていました。酒店は午場といって午後2時頃からやっているところが結構あって、外に黒服の門番もおらず、カウンターも出ていないのですが、午場班の公關が20人ぐらいいて、遊ぶことができます。午場の子たちはだいたいは2時~10時、または4時~12時、6時~2時という出勤パターンです。この先客は4時頃から午場班の公關を呼んで、彼女たちとすごしながら可人を待っていました。それと可人は巧克力(チョコレート)が大好きなのですが、可人のために山ほどの巧克力をプレゼントとして用意していたと震洲から聞きました。

従って、この最後の日、可人は酒店に来てタイムカードを打っただけで制服に着替えることもなく、框出用の禮服(ドレス)に着替えて、すぐに外に出かけて行きました。先着して大框するというのは、酒店で最も強力な點(指名)の方法ですから、これに勝るのは酒店にも来ない全出場という方法しかありません。しかし、全出場は普通、前日ぐらいに予約しておくのが通例ですから、普通はなかなかありません。結局、私は可人に会うことができず、その後も彼女は2度と酒店には姿を現わすことはなかったのです。

私は合計3回しか彼女と逢えなかったのですが、最初に出逢ったとき、寶貝を抱きしめて泣いていた彼女が、最後には良客に大框されたこと、そして、彼女が再び大学に戻り、普通の大学生として日々をすごすであろうことは、少し最後に逢えなかった悔しさもありましたが、何やら感慨深いものもありました。

一方の寶貝はやはり、先客が6時から来ていて、彼もずっと一人で包廂ですごし、彼女を待っていました。何度も寶貝を點枱した心やさしき台湾人客という話で、彼も最後の1日、寶貝が壊人(悪い奴)につかないように早くから来て、寶貝に厭な思いをさせないようにしていました。私は考えが実に甘く、100人以上いる公關の中にわずかしかいないであろう良い子たちの最後の日を温かく送り出してやろうとする台湾人の熱意やその気持ちに負けを認めざるをえなかったのです。

私が7時に包廂に入った直後、すぐに震洲は2人を預點(予約指名)しに行ってくれたのですが、7時15分頃、震洲が「没辦法」(方法がない)と言いながら戻ってきました。そこで、彼からは先ほど書いたような2人の事情をていねいに聞いたのです。しかし、震洲はある提案をしました。実は、どんなに大框されていれていてもたった1節10分だけ、もし、彼女が最初から外に出場しないならば、寶貝と逢う方法があると話してきました。この仕組みはなかなか幹部でも知らないことが多く、また、そのために客も知らないことがほとんどの方法で、「訪枱」と言います。

外に出場している場合はできませんが、大框は長時間の拘束になり、終了後はそのまま下班するため、他の客がその子の顔を見ることもできません。また、値段も高いので、かなり人気がある子以外は実はあまりされません。 従って、酒店に入って一度も大框された経験のない子はたくさんいます。また、大框をよくされるような子はいつも決まった客にされることが多く、その存在自体が他の客にわからないことも多いです。それと、もし、いつも懇意にしていて大框してもらう客が来なくても、基本的に大框されるような子は性格がよく、可愛い子や美人な子が多いため、すぐに呼ばれてしまい、まず空枱にいることはありません。

そのため、そのような人気の子を幹部経由で噂を聞いた客は一目見てみたいということになり、酒店もちょっと顔見せすれば、次の新たな大框してくれるような得意客になってくれる公算が強いと考えています。なぜならば、「訪枱」は何も服務をせず、顔見せだけが基本なのですが、料金は點枱料金と同じ3節分かかるからです。僅か10分間にただ顔を見るだけで3節の料金を払ってくれる客は基本的に気持ちに余裕があり、また、懇意にしたい子を捜している良客がほとんどだからです。空枱から一番良さそうな子を選んで女遊びできればいいと思っている客は基本的に訪枱などはしません。 

私は多くの楽しい想い出をくれ、そして、もっともっと台湾にとけ込んでいく気持ちを私にもたせてくれた寶貝の最後の上班ですから、絶対に逢おうと思っていました。ですから、すぐ震洲に頼んで訪枱を頼みました。

そして8時30分頃、寶貝が包廂に現れました。

「你好、XX先生。今天我最後的一天。應該因為你聽過所以知道了。先客我被框到底的、所以我陪你没辦法。真的抱歉。可是先客説跟我、”喜歡的寶貝客人不是只我、所以慢慢比較好。你説跟他離開店裡、再見。應該別的客人照顧你。我没關係”」
(こんにちは、XX先生。今日は私の最後の日なんだよ。多分聞いて知ってるよね。先に来ていたお客さんがいて私は最後まで大框されたから、今日はあなたにつくことができないんだ、本当にごめんね。でもそのお客さんが私にこう言ってくれたんだよ。”きっと寶貝を好きなのは僕だけじゃない。だからゆっくりしてきな。君は彼に今日で酒店をやめることを話さなきゃならないし、さようならも言わなきゃね。たぶん、そのお客さんも寶貝のことをよくしてくれただろう?だから、僕は大丈夫だからね”」

私は寶貝のこの言葉を聞いて、可人同様、ちょっぴり悔しかったですが、彼女も最後に気持ちに余裕のある良い客に大框されたことは、やはりこの子の性格の良さが多くの人に認められた証拠であり、 きっと最後も幸せに過ごせるであろうことを確信しました。それとともに、この 最後の僅か10分の時を私も寶貝とともに凝縮させたいと思いました。

そして寶貝は「最後我給你我的歌」(最後に私の歌を送るね)と言い、彼女の最後となる歌を唱い出しました。
それは最後も彼女が大好きな蔡依林の曲でした。



歌詞がとても胸に響き、寶貝の澄み切ったやさしい声は私の心を動かすのに十分でした。
彼女と逢えて良かった。本当に彼女と逢えて良かった。そう思える素敵な最後の時間でした。

夜の世界で心優しい子たちがいたこと、 そして苦しんでいる友達を助け、いつも底抜けに明るい笑顔があった無邪気な寶貝のことを忘れることはきっとないでしょう。

10分は歌の途中でもう過ぎていました。きっと歌声が包廂の外まで聞えたのでしょう。寶貝を迎えに来た行政もちょっとした心配りを見せてくれて、唱い終わるまで何も言わず包廂の外で待っていてくれていました。

唱い終わった寶貝は最後に私に微笑みながら語りかけました。
「謝謝你。最後的這段時間你對我真的照顧、我跟你説過的話我會永遠記在心裡、我很高興遇到你・・・」
(ありがとう。  最後のこの短い時間もあなたは本当に私をよくしてくれた。私はあなたと話したこと、私はいつまでも心の中に憶えているからね。私はあなたと逢えてとてもうれしかったよ・・・)

最後に彼女と私は少し抱擁しあった後、寶貝は「拜拜XX先生、我不忘記你!」(バイバイXXさん、あなたのこと、忘れないよ!)と言って包廂を去っていきました。これが たった15分ほどの最後の私と寶貝との時間でした。

「聽説愛情回來過」

有一種想見不敢見的傷痛
有一種愛還埋藏在我心中 我只能把你 放在我的心中
這一種想見不敢見的傷痛
讓我對你的思念越來越濃 我卻只能把你 把你放在我心中

今も私の小機(携帯電話)の簡訊の着メロです。
いつまでも最初に台湾の素晴らしさを教えてくれて、明るく前向きにすごしていた寶貝を忘れないためです。

 画像は当時、寶貝や可人など多くの子たちと出逢った酒店のあたりです。今はまったくと言っていいほど行かなくなりましたが、2009年には全盛で、台北一流行っている制服店のひとつでした。

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