< 吃飯&餐廳 : 我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

私は台北で駐在生活を4年間送りました。昼間は世界の平和と日本の経済発展を目指して全力でお仕事。夜になると地表にちょこんと顔出して、五木の街あたりを彷徨っています。そこで私は数多くの天使達と悪魔に出逢いました。そんな私の夜の彷徨いを台湾社会の複雑な仕組みなども紹介しながら書き綴っていきます。ほとんどの日本人が深くかかわることが難しいと思われる台北の夜世界の様子とエピソードの紹介が中心です。これは心優しい台妹たちを愛し、そこで出逢った人達とのかかわりや心のつながりをとても大切にしながら、これからも彷徨い続けていく私の軌跡です。

吃飯&餐廳

你知道圓環嗎?

「你喜歡台湾味小吃嗎?」

芊芊が民生西路との交差点にある表彰化銀行の前を歩きながら訊いてきました。 もちろん、嫌いなわけはありません。「我喜歡」と答えると、芊芊はニッコリと笑いながら、私の手をひいて民生西路をトコトコ歩き出しました。手術後なので本当にたくさん歩くのが心配でしたが、本当に元気で、絶好調でまったく疲れていません。多分、芊芊は聡明なことが自分のアイデンティティでしたから、古い台湾の歴史や伝統を私に見せ、説明するのがとても楽しかったのでしょう。私も芊芊につきあうという気持ちではなく、この懐古的な街並みや台湾本来の文化に触れる街巡りはとても楽しく、時間があっという間に過ぎるような感覚でした。時間はもうすでに気がついたら夜の7時過ぎになっていました。

芊芊が私を連れていこうとしたのは「寧夏夜市」。この夜市は台北で最も古く歴史のある夜市で、他の夜市とはちょっと異なった特色をもっています。芊芊が歩きながら、説明をいつものようにしてくれました。

431525be-db28-4fe2-a69c-34a2db1d6f06640

「 寧夏夜市是臺北夜市之中最具有歷史傳承意義。 寧夏夜市是一個充滿大稻埕文化的聚集地、台北的夜市撥源地。從日據時代開始。你知道建成圓環嗎? 建成圓環位於台北市重慶北路與南京西路的交叉路口。有很多小吃店「臺北的胃」美稱,然而因建成圓環歇業之後,就只留寧夏夜市的這些老字號攤販,依然傳承夜市的美食精神的」

(寧夏夜市は台北の夜市の中でも最も歴史を伝承しているんだよ。ここは大稻埕の文化が集まっているところ。台北の夜市のルーツでもあるんだよ。日本の統治時代からもうすでにあったんだ。ねえ、圓環を知ってる?重慶北路與南京西路的交叉路口にある圓環ののことだよ。あそこは台北の胃と言われたぐらい小吃のお店が集まっていたの。圓環が終っちゃったから、そこに会ったお店がここに移ってきて寧夏夜市に留まったんだ。だから、当時のおいしい食べ物を味わうという文化はこの夜市に引き継がれているの)

圓環は私も何度か、前をタクシーなどで通っていて、その存在は知っていました。しかし、よく、その歴史と経緯は知らなかったのですが、そのルーツは日本統治時代の1930年代に日本人がロータリーを建設して、屋台街が自然と形成されていったことに始まります。太平洋戦争時代は一端貯水池になっていましたが、戦争が終ると屋台がすぐに戻ってきました。さらに大稻埕の映画館やダンスホールなど庶民の娯楽施設ががまわりに形成されたこともあって、この圓環に台湾味小吃の屋台が並び、特に魯肉飯と蚵仔煎が有名で多くの人を集めていました。この圓環はお年寄りの台湾人にとってはとても思い出深い場所なのです。 

 画像は創生期の圓環の様子。行政院文化建設委員會国家文化資料庫に残る貴重な写真。周辺に娯楽施設が集まりだし、大稻埕の中心として人が集まりだしていました。 
a0f0b5a8-9ad2-4600-a518-890f4037fd67

 1990年代に2度の火災に遭う前の圓環。とてもごちゃごちゃしていて、いかにも台湾です。 
image002

 ガジュマルの樹が象徴だった「台北の胃」時代の圓環といかにもバラック継ぎ足しという感じの圓環内部。
ht7

20091219042745

 取り壊されていく圓環。新たな圓環の建設をするために以前あった小吃店は寧夏夜市に少しずつ移動し始めていました。しかし、新たに建造される圓環に残る店も多かったと聞いています。
4a80e947016b7

 1999年に2度目の火災に遭い、老朽化した圓環を取り壊して2003年に台北市が主導して2億元をかけて再建築した現在の圓環。しかし、すでにこの地区の商圏はすでにさびれており、設計が悪く、風通しが良くないなどの理由でビジネスは低調、再生計画に失敗しました。2006年には一端、すべての店舗が退去し、閉鎖となり、100年近くにわたる歴史がついに一度は終焉しました。
801210445441758

PD-2006-07-28-今日從外部拍攝的大稻埕圓環

 圓環はその後、美食推進センターとなったり、広告塔がわりになったりして紆余曲折を繰り返していきますが、いずれも起死回生とはならず、約10年の間、低迷をしていきます。私が台北に在住している間もこのあたりを通っても活気はなく、かつての繁華街の再生に失敗し、巨額の税金を投入したものの、箱物だけが虚しく残っているという感じでした。
台北建成圓環 小吃競賽等不到人潮
轉動吧! 圓環



img_2764

しかし、「台北の胃」としての復活の使命がある圓環は台湾の広告業界の母と呼ばれる人物が中心となって2003年、2009年の2度の再生失敗を乗り越え、3度目の再生を図っていました。現在は2012年4月「水緑圓環」をテーマに著名な料理人を迎えた美食+イベントスペースの複合施設として再スタートしています。ビジネスは好調であるとマスコミは伝えており、日式経営を取り入れたという、その手腕によって本格的に圓環が復活できるかどうか、注目を集めています。

 リンクしてあるYouTubeの動画は中国語の聞き取りの練習にも最適。女性アナウンサーと解説する若い男性の中国語はとても聞き取りやすくてゆっくり話し、下に文章が出ますから、極めてわかりやすいので、ぜひ、見られてみて下さい。

2491701936



廣告教母接手 「新」建成圓環今開幕
 
新經營團隊接手打造綠活圓環
台灣呷透透:台北圓環重新出發-水綠樂活主軸
台北建成圓環。再生的都會森林
台北圓環 Facebook

圓環の歴史は「台北の胃」の歴史でもあり、1990年代の2度の火災などを含め、再建後も2度の失敗を繰り返し、台北市長の失政として常に槍玉に挙がってきました。しかし、圓環は台北人の心の故郷であり、懐念がある場所です。市の経済の中心部が艋舺や大稻埕から東部へ移り、人波が大きく戻ることはもうないでしょう。しかし、日本統治時代から生きる人々にとっては、その想いは特別です。台北の市会議員の一人も「戀戀圓環」というブログをある時期もっていました。なかなか再生を果たせない圓環を支援していた人たちは少なくはありません。

下のリンクは昔の圓環の姿から現在までの変遷をまとめたサイトで、特に「林小昇之福爾摩沙研究社」のサイトは圓環のみでなく、昔の台北の貴重な写真や解説が多く、台北の歴史を知る上では極めて有意義と思います。日本統治時代に建設された建造物の画像も多く、お勧めです。
林小昇之福爾摩沙研究社 圓環
台北円環屋台街 90年代半ばの姿
消失的大稻埕市集:建成圓環、長環(重慶露店)、四角環

芊芊は台中人ですから、圓環のことについては詳しくは知っていない様子でしたが、寧夏夜市の中にかつて圓環にあった小吃店がたくさんあることは知っていました。彼女は高中時代に 艋舺や大稻埕の歴史を詳しく調べ、学校の代表として発表したほどでしたから、日據時代のことはとても詳しかったこともあり、その周辺の知識として知っていたように感じました。それと芊芊の愛読誌が台北WALKERだったので、いつも台北の衣・食・レジャースポットなどはチェックしていて、よく雑誌や本を読む子でしたからそのあたりからの情報ももっていたのかもしれません。

さて、芊芊と話をしながら、民生西路を歩いていると、10分ほどで寧夏夜市の入口のところにやってきました。芊芊の顔を見ると腕にぶら下がるようにしながらニコニコしています。きっと、またいろいろと私に教えたくて仕方がないのでしょう。私も芊芊と初めてきた台北で最も歴史があるというこの夜市を楽しんで見るかなという気持ちが湧いてきました。

私自身、行ったことがある夜市は士林夜市と石牌にある夜市が最も多くて、あとの夜市はほとんど行ったことがありませんでした。華西街歡光夜市や廣州路夜市は興味本位もあって探索したことがありましたが、ゆっくりと食事をしたりするようなことはありませんでした。

いつもとちょっとちがった雰囲気で、このわがまま台中娘がどんなものを選ぶのか?
心地よい夜風を感じながら、これからまだまだ続く、芊芊との夜。

あたりはすっかり暗くなっていて、夜市の灯りが燦々と煌めく中へ私たちは歩み出しました。

3771334211_b86f870fe2_o

好吃!

芊芊とともに寧夏夜市入口に到着しました。この夜市の特徴は屋台の小吃店がとても多いことです。それと旧圓環でやっていた店が移転してここで営業していることが多く、圓環時代からの伝統をうたっていることも多いです。

607070949351767

 寧夏夜市の動画はたくさんありますが、これは若い台湾の女の子2人による撮影で極めて変。最後には夜市にあるアダルト雑誌やDVDなども探索したり、性病科の看板撮影したりしていて、よくわけがわかりませんが、混沌とした夜市の雰囲気は出ています。



このHPは台北の各夜市のイラストマップが詳しく書かれている素晴らしいサイトです。よく調べたなという感じがする出来映えですから、一度、ご覧になると良いと思います。イラストにマウスをあてると写真が表示されます。他の夜市もだいたいありますから、夜市の俯瞰をするのに最適です。
逛街樂~寧夏夜市~ 

さて、お姉さんぶりを発揮している芊芊のまた、いろいろな解説が始まりました。いつもながらなかなか面白いです。

「你知道寧夏夜市蚵仔煎的店家很多嗎?」 ( 寧夏夜市には蚵仔煎の店がいっぱいあるの知ってる?) 

蚵仔煎は台湾の代表的な屋台小吃のひとつで小粒のカキを鉄板で炒めて、それに卵をかけてオムレツにしたような小吃で、夜市では定番になっています。



寧夏夜市には有名な老店がいくつもあって、店先の鉄板でおいしそうに作っています。

「比較有名的有賴記雞蛋蚵仔煎、東石鮮蚵、圓環邊蚵仔煎及蚵仔煎大王。家家都號稱老字號,也都強調使用嘉義鮮蚵及土雞蛋。但因每家的煎法與獨門醬汁各有特色,也造成了口感上的差異。到底哪家最好吃?」

(比較的有名なのは 賴記雞蛋蚵仔煎、東石鮮蚵、そして圓環邊蚵仔煎と蚵仔煎大王かな。どの店もみんな老舗と行っていて、嘉の新鮮なカキと野生の鶏の卵を使っていることも強調してるんだ。ただし、それぞれの店が炒め方と独特のタレをもっていて、ちがいがあるのが特色なんだよ。だから、ちょっと食感もちがう。どの店が一番おいしいか、捜して行き着かないといけないよね?) 

「我選出的第一名蚵仔煎、賴記雞蛋蚵仔煎的!」
(私が一番おいしいと思っているのは賴記雞蛋蚵仔煎だよ!)

この店は後から知ったのですが、サイトやガイドブックでの日本人向けのお薦め店みたいな紹介がほとんどありません。だいたい日本の観光客には、寧夏夜市では圓環邊蚵仔煎と蚵仔煎大王が紹介されていることが多く、この賴記雞蛋蚵仔煎の日本語の紹介はほとんどありません。また、夜市にはガイドブックなどを見た食べ歩き系の日本人がよくいるのですが、ここはほぼ台湾人ばかりだったのが印象的でした。その理由のひとつとしては寧夏夜市の屋台街ではなく、民生西路にあることが大きいと私は思っています。皆、屋台街の方に普通は行きますから、ちょっとした穴場的な感じにもなっています。 
賴記雞蛋蚵・圓環邊蚵仔煎・蚵仔煎大王@寧夏夜市

「但很常見店面外排滿人龍。因為那店用9種配料調製的醬汁和猪油、好吃」

※中国語にはいろいろな比喩的な表現があり、列をつくることを排隊とか排龍尾などと言います。從小到大は小さな頃から大きくなるまで(今までずっと)と言う意味でよく自分の好き嫌いを表したりするときによく使います。

(但し店の外は長蛇の列だよ。なぜなら9種類の調味料を組み合わせたタレとラードを使っていてとてもおいしいからね)

20120603193644722

IMG_7325

さらにこの店は新毎日仕入れる嘉義からの新鮮なカキと取れたての地鶏の卵を材料にしていて、大量の小菜を使うということでも有名で、目の前に大量のカキと卵、 秘伝の醬汁 が並べられています。
賴記雞蛋蚵仔煎

fc1854836861403db746e72c559a5491_m

蛤

芊芊が話したように行ってみたら、ちょうど食事時の時間ということもあって長蛇の列。しかし、芊芊がここが一番うまいという言葉を信じ、彼女と待つことにしました。しかし、手際もいいのか意外と早くて、15分ほどで買うことができました。店の奥には細長い場所にちょっとしたカウンターがあり、少しテーブルが置いてあって、ここで食べることもできるのですが、芊芊は外帶にしていました。彼女は私がお金を払おうとしても受け取らず、自分で勝手に注文、支払いといういつもとおなじようなパターンで1枚60元の雞蛋蚵仔煎を3枚買っていました。

次は寧夏夜市のどこに行くのかなと思っていたら、寧夏夜市 の屋台街をあっさりと通過し、重慶北路の方へ途中から左に折れ、向い始めました。

そして芊芊が私を連れて行ったのは「三元號」。

「三元號是我看到目前圓環週邊生意最好的魯肉飯小吃店。據說已有大約90年的歷史了!」

(三元號は私が見つけた圓環の周辺の魯肉飯小吃店では一番お客さんが入っていて商売繁盛しているよ。すでに約90年近い歴史があるんだ)

魯肉飯の名店で圓環に昔はあったということですが、開業からすでに90年近く経つ老舗です。日本統治時代の開業した当時の店主が、福建人、客家人、日本人の当時、台湾にいた3つの大きな民族すべての人に愛されるようにと名付けたとのこと。 芊芊が話すのはその隣にある「龍緣」も魯肉飯の老店でこの2店が味を競うこともあって、互いに客人を増やすという相乗効果にもなっています。芊芊はどちらでも良かったようなのですが、この日はちょっとスペースが広くて、空いていた「三元號」ということになりました。

cm200811076d7f57486e5521f054b0a700cae3016c616

21

そこで20元の魯肉飯(日本では絶対に考えることができない安さ)と40元の魚翅肉羹(豚肉のつみれとフカひれのスープ)を注文、さらに先ほどの雞蛋蚵仔煎を一緒に食べるという、価格はとても安いにもかかわらず、味は超満足という夕食となりました。普通、魯肉飯はちょっと脂っぽいのですが、ここは赤身を使用していることもあってあっさり味で私が食べた数多くの魯肉飯の中でも一番、飽きずにパクパク食べられる旨さでした。夜市の屋台で食べるのも悪くはありませんが、しっかりしたテーブルと涼しい冷房の中で食べた方が確かに今日一日の疲れをとるためには良い選択でした。

寧夏夜市 004

PB063958

cimg96483ii

芊芊はいつもテキパキ行動するのですが、彼女の判断や選択には大きなまちがいは確かにあまりなかったように思います。実際、彼女はよく物事を調べていました。人を心地よくさせるのが大好きなこの台中娘は無邪気な中に用意周到な準備もあって、気まぐれ、奔放ですが、本当に憎めないところがありました。

しかし、三元號で食事をしている時、芊芊は驚くべきことを急に提案しました。
それは私自身にとっても忘れられない日々をさらに彼女とすごすことになるものでした。   

0000259471_b

553693_388569544540243_1914087377_n

 画像の女の子たちは芊芊ではありません。また、酒店の小姐でもありません。賴記雞蛋蚵仔煎と三元號の前で吃飯の紹介をしている模特で、すべてイメージ画像です。

松阪豬

芊芊と猫の餌を買ってきた後、午前中、芊芊は何回か彼女が一人で住んでいた商務會館と私の家を機車で往復していました。最初はソファの隅に隠れていた猫のAYUも芊芊がいることに安心感を抱き、さらに餌を皿に入れてあげると急になれなれしく、我が物顔で大廳に横たわり、のびのびし出しました。芊芊が荷物を取りに帰っている間は私は猫のAYUと留守番(とは言っても私の家なのですが)をすることになりました。

物怖じすることがない芊芊は使っていない房間の洋服入れにどんどん自分の持ってきた服を入れ、洗髪精(シャンプー)や化粧品の類が多くて、たまたま開いていた房間にはちょっとしたカウンター式の机がありましたから、そこに並べ、即興の鏡台にしていました。

さて、昼近くになって、芊芊がいろいろと生活用品を買いに行こうと言い出しました。家のすぐ近くには「頂好(wellcome)超市」があって私は日頃からここで買い物をすることが多いこともあり、芊芊とブラブラと歩いていくことにしました。大量に物を買うときやちょっと大物を買うときは「家樂福」に行くことも多かったのですが、頂好は24Hでしたし、もうひとつ良く行く日系で日本食品のバリエーションが多い松青超市とともに、よく利用していました。日本のスーパーと陳列の仕方や商品構成もとても似ていて、日本にいるのと違和感なく買い物ができます。

600_105

4610670551_9a48a2822f_z

さらに台湾でうれしいのは買2送1のような2つ買うと1つただでもらえるようなサービスが多いことです。すごく、これは一般的なサービスでついついまとめ買いしてしまいます。それと台湾はレジ袋が有料で2元ぐらいしますが、私はいつも面倒くさいので、レジ袋を買っていますが、芊芊がショッピングバックを持って行くというので、この時、初めて持っていって買い物をしたのも印象的でした。

1331086653752

それと店の會員になると割引価格になったり、ポイントがついてくることも多くて、そんなに物価は日本に比べて安い感じはしないのですが、お得感は台湾の方があります。また、統一撥票(レシートのこと)にも番号が入っていて、いわゆる宝くじのようになっていて、毎月、当たり番号が発表されます。200元ぐらいが当たることも時々あってうれしかったですね。最高金額は20万元!日本円だと500~600万円ぐらいになるのですが、当然ながら、簡単には当たりませんし、高額が当たったという人は少なくとも私の周りにはいませんでした。最高で1000元の当たりですね。でも小銭は結構当たりますよ。
統一撥票

この日は芊芊と水とか飲料、食品を買って、家に戻り、ゆっくりとした時間をすごす1日でした。しかし、芊芊は本当に寂しがり屋でせっかく、空いている房間を提供して芊芊の部屋にした(TVもベットもありました。台湾の場合はいろいろな家財道具や電化製品も大家さんによっては、すでにあることが結構多い)のですが、まったくと言っていいほど、自分の房間にはいません。だいたい客廳(居間)にいるか、私の部屋のベットで横たわっていて、時折、猫のAYUを呼び寄せては膝や腹の上に載せて抱っこしているという感じでした。彼女はとても話題が豊富であきないのですが、TVを見たり、雑誌を見たりしていることも多く、いつも話しかけてきたり、くっついてくることは多くはありません。ただ、気持ちはすごくリラックスしているようで、ちょっと人と話したいとき、そこに誰かいるという生活は、彼女にとっては久しぶりだったのでしょう。今までは猫のAYUだけが話し相手だったのですから。

さて、昼食は超市の帰りに麴を一緒に食べてきたのですが、晩餐は何にしようかという話になりました。今日は初めてこの家で暮らし始めるために彼女もよく動いてお疲れでしたから、ちょっとごちそうしてあげようかなと思っていました。しかし、彼女のリクエストは意外な物でした。 

「我想吃日式豬排!」 (私はトンカツを食べたいよ!)

日本食が好きな芊芊は今日はちょっとずっしりとお腹に来るようなものを食べたかったようでした。術後2日目でしたが、極めて体調はよく、そろそろ、以前の体調にほぼ戻ってきていました。私の家の比較的近い所には、勝博殿(さぼてん)や知多家があって、私もよく利用していましたから、そこへ連れていってあげればいいかなと考えていました。
勝博殿日式炸猪排HP
知多家豬排咖哩專賣店

しかし、芊芊の意見は、「太貴的。應該大約300元左右。很太貴」。

(高いよ。多分、だいたい300元前後するでしょ。とっても高い!)

「我知道比較便宜的日式豬排店在士林。一起去!」 

(私は士林にあるちょっと安い日式のトンカツ屋さんを知っているんだ。行くよー。) 

彼女が選択したのは「福勝亭士林店」。芊芊は石牌と士林、劍澤あたりは大学に入った頃、このあたりを守備範囲にしていましたから、とてもくわしくて、芊芊の機車に乗って、あっという間に到着しました。台湾では有名な日式豬排店のチェーンですが、日本人には人気はいまひとつということだったので、今まで、一度も入ったことがありませんでした。
福勝亭TONKATSU HP

cm2009091044eba82315b591c1edc117b8ed9757c9468

cm200909107d45c6ec5a5d21d5c9d86cbb22cba68d264

uPR7o

最初にカウンターブースでメニューを選びチケットを買う方式で確かに安いです。店内は学生のような若い客人が多く、一番一般的な開運豬排定食は150元と確かに日式豬排にしてはとても安く、炭酸などの飲料も20元で無限飲料(飲み放題)となっていました。

「白飯和味噌湯、高麗菜、無限供應的」 (ご飯と味噌汁、キャベツは食べ放題なんだよ)

日式の豬排店は基本的にご飯と味噌汁、キャベツは食べ放題なのですが、福勝亭は味は確かに日本から来ている老舗に比べて落ちるものの、決してまずくはありません。ここは基本的に自助餐で自分でおかわりもできるので、気楽な感じで悪くはありません。ちょっとしたファーストフードの豬排店という感じで、給仕小姐も女生のようで、ダラダラしていてあまり、やる気も見受けられません。日式ではありますが、良くも悪くも台湾的な店です。 日本人はまったくといっていいほど、いつも逢ったことがなく、台湾人の若者や家族連ればかりです。やはり、口が肥えている日本人の駐在の方などにとってはちょっと味が落ちると感じるのかもしれません。芊芊と来てから、ちょくちょく安いので利用するようになりましたが、私はそんなには感じず、おいしくいつもいただいています。

cm2009091045ca1d2c8410535d960881329d14c401690

驚いたのは、芊芊がこの日、 ガンガン食べたことです。無限供應なので、しっかりもとを取るということもあったのでしょうが、昨日は一日、萬華から迪化街まで出かけてよく歩きましたし、今日も4往復ぐらいは私の家と芊芊の家を機車で往復していました。だから、ちょっと心地よい疲れもあって比較的安い値段でがっつり食べたかったのでしょう。それと術後であったため、一週間程度の飲酒が禁止されていました。お酒に含まれるアルコールは血管を拡張するので、出血しやすくなるので、控えるように醫生から言われていました。元々芊芊は仕事で飲酒をしていましたが、本質的には好きではありませんでした。だから、胃腸の調子もすごぶる良かったのだと思います。

食べながら、私はかつてから疑問だったことを芊芊に訊いてみました。それは「松阪豬」のことです。「松阪牛」は日本でも有名ですが、台湾の店では結構、この「松阪豬」の看板が出ていて、松阪牛のブランドを利用した台湾得意のコピーかなと思っていました。しかし、その実態については謎でわかりませんでした。 

4002163171pic_big_140439

しかし、いろいろな雑学に詳しい芊芊もよくわかりませんでした。もちろん「松阪豬」の事は知っていましたが、日本の「松阪牛」を知らないので、私がどうして疑問かという意味も実際のところ、よくわかっていませんでした。中国語の表現も難しく、私もうまく説明できませんでした。芊芊は、 とにかく、おいしい、柔らかい豚肉のことを言うらしいという程度でこの時は芊芊に訊いても謎がとけませんでした。

このことは多くの在台湾の日本人の方も疑問に思っていたようで、いくつか、その謎解きのサイトがあります。実は「松阪豬」は松阪牛のように産地のブランド名ではなく、豚の頬の部分から1~2片だけとれる霜降りの肉質の部分を指すようです。すなわち、豚の産地ではなく、松阪牛のような質の豚肉の部位というのがどうやら正解のようですね。 
「松阪豬」の謎

芊芊との何気ない一日。

酒店に上班する時も酒店に行く前、彼女とはよく一緒に晩餐を食べていましたが、いつも、食べ終わった後、彼女はちょっと気合いを入れて私と別れ、上班に向かっていました。顔つきが変るのがよくわかりました。しかし、今日は時間を気にすることもなく、この後、啤酒を飲むために多少腹の隙間を空けておく必要もありませんでした。表情もずっと柔和なままで、のんびりとした自然な顔を見せています。

日本人の私にとってはそれなりの豬排であっても芊芊にとっては気持ちを解き放って食べるおいしい豬排だったにちがいありません。 
 
007-6

茶藝館

さて、彩虹村で製作中の黄爺さんとおしゃべりしているうちに時刻はもうお昼近くなってきました。芊芊は頭の回転が速く、次から次へと話題を思いつきますから、黄爺さんとの話もエンドレス状態になっていました。黄爺さんもとても良い木訥とした方で、今はすっかり有名人になってしまいましたが、当時は訪れる人も芸術好きの台湾人を除き、ほとんどいませんでしたから、すごくにこやかに笑いながら話に応じてくれていました。

「芊芊、現在已經 大約11點半。我肚子餓一點。一起去吃飯吧」

(チェンチェン、今、もう11時半頃だよ。ちょっとお腹が減ったから、ご飯にしようか)

「OK的」

私と芊芊は黄爺さんに別れを告げ、元の國小前の駐車場に戻りました。しかし、さすがは芊芊、私に何を食べたいのかなどと訊くことはまったくなく、すでに今日のお昼ご飯の場所は決めてあると言います。台中で生まれ育ったこの娘は、自分の知り得る限りの台中の面白さを伝えたくてしょうがないのでしょう。ただ、芊芊は観光客が多いようなスポットは避けたいようで、台中人だからこそ知っている隠れ家のような場所に案内したいようでした。それは、いつもながら芊芊が行き先を教えてくれないこと、そして、人生の最大の幸福がやってきたような笑顔と気分の高揚があったことからよく感じることができました。この子は嬉しい時や褒められた時、ちょっと得意げな顔をすることが多く、感情がそのまま顔に表れるというか、とてもある意味、心情がわかりやすいところがあります。

「以前、你過去茶藝館嗎?」 (ねえ、茶藝館、行ったことある?)

「恩、我有的」 (うん、あるよ)

茶藝館とは台湾には数多くあり、読んで字の如く、「お茶」を楽しむお店です。台湾の場合は本格的な静寂な空間をもつ懐古趣味的な茶藝館が多く、飲茶を通じて自然界と一体となり心を開放し、中華四千年の伝統文化に触れ、先人の美意識を生活の中に取り入れようという考え方が強いです。

私も仕事の関係の接待などで何度か台湾人の方に案内していただいたことがあり、およその作法をほぼ理解はしていました。日本の茶道とは異なりますが、作法があるのは同じで、最初は教えてもらわないとなかなか理解できません。茶藝師という資格をもった方々も台湾には数多くいて、日本の茶道のようにその方式を学ぶことがさかんです。茶藝培訓班という茶藝の方式を学ぶ講座も人気があります。

174_00

だいたい、日本人が観光ガイドなどで紹介されている有名な茶藝館に行くと、日本語の説明ガイドがあったり、店員の方が丁寧に教えてくれますから、実は心配はいりません。しかし、問題は本格的な茶藝館は値段が高いこと。お茶の種類にもよりますが、茶葉だけで300~400元ぐらいすることも多く、約1000元ぐらいは特段、何もせず、お茶を楽しむだけでかかることが多いです。次のサイトは茶に関してオールマイティの台湾サイト。私が知る限り、一番コンパクトに情報が詰まっていますから、お土産や日頃の駐在生活のアクセントに活用してみてはいかがでしょうか。
台湾茶葉網

お茶にもいろいろな種類があって、重要なのは産地と発酵方法。高山茶とか高冷茶は1000m以上の高地で栽培されたお茶のこと。阿里山茶や玉山茶、梨山茶などが有名ですね。それと白茶、緑茶、青茶、紅茶、黒茶などというのは茶葉の発酵具合のこと。台湾の主流は「青茶」。すなわち、烏龍茶と一般的に呼ばれる半発酵茶です。下のリンクを見ていただくとよく理解ができます。
台湾高山茶
中国茶朋友会~茶葉の種類から入れ方まで詳しく紹介されている日本語HP~

 イベントあるところに必ず美人系または露出系の小姐が登場するのは台湾の鉄則です。
_20110709230714_bjAxNTQ5

台湾の入れ方の主流は「工夫茶」。すなわち、じっくりとお茶を入れて味と香りを出して楽しむという方式です。
のんびり工夫茶の時間~台湾工夫茶の入れ方~
昇祥茶行~台北の茶行、日本語ページあり~

慣れれば簡単。そんなに難しくはありません。台北にも雰囲気が良い茶藝館はたくさんあって、検索すればたくさんヒットします。特に雰囲気があるのが、台北近郊板橋、MRT府中站近くにある逸馨園ですね。何度か行きましたが、ノスタルジックな空間で落ち着きがあり、商談などにもお勧めです。
逸馨園書香茶坊HP
板橋「逸馨園」

cm2009092632aa7d4b437f695b47c5b64b807cc97e155

b0137152_8162965

しかし、台中には台湾を代表する有名な茶藝館があって「無為草堂」と「陶源茗人文茶藝館」はその中でも東西の横綱といった感じの茶藝館です。日本の観光ガイドやサイトにも数多く載っていて、観光客の方も多いですから体験レポートも多くの方が書いていますね。
無為草堂HP
無為

be3629e1737cb0d5117dd4b915f73424

11239_202417261404_3292348_n

7Hb

「應該你去過有名的茶藝館。台中有有名的茶藝館很多。例如無為草堂。當然應該不錯誤、但比較貴的」

(多分、有名な茶藝館に行ったことがあるでしょ。台中には有名な茶藝館がいっぱいあるんだよ。例えば無為草堂ね。もちろん、まちがいがない名店だよ、但し、ちょっと高いんだ)

芊芊自身もこれらの有名な茶藝館には行ったことがありませんでした。観光などで台湾を訪れると茶藝館に行くことはひとつの定番になっていますが、実は住んでいる台湾人にとっては趣味の世界であり、そんなに身近なものではありません。価格は確かに高く、ブルジョワジーの台湾人の楽しみであることが多く、一般庶民は50元便當や100元の自助餐を食べたりしていることが多く、飲茶に1000元近くかけることはなかなか難しいと言えます。従って、多くの台湾人にとっては知っていても無縁だったりもします。

さて、車は台中の山側に向かっていきます。台中の市街地は台中站をはさんで西側に開けているのですが、線路を越えて東側の郊外に向かっていくとちょっとした田舎の風景が広がってきます。台中には大坑山という台北でいうところの陽明山のような風景區があり、日帰り登山やハイキングがさかんに行われています。芊芊も國小や國中時代に遠足で実は何回か来ていて、話の中でどうやらそのあたりに向かっているということがわかりました。東山路というメインの大きな道路があり、そこを進んでいくとやっと彼女が目指していた茶藝館に到着しました。彩虹村からちょっと距離がありましたが、道路は空いていて30分ぐらいで到着したような記憶があります。

1174899077

茶藝館というので、懐古趣味の落ち着いた店を想像していましたが、まったく、普通の店という感じです。店の名前は「三本茶藝」。日本人はまったくおらず、すべて庶民的な台湾人ばかりでした。店のおばさんにも日本人はとても珍しい?というお褒めをいただきましたが、観光サイトや観光ガイドには出ておらず、地元の台湾人が味と価格の良さで来ているという店でした。

DSC_0011[3]

DSC_0010[3]

「好吃火鍋的」 (ここは鍋がとってもおいしいんだよ)

エアコンのガンガン効いている中で真夏に火鍋を食べるというのも台湾らしい発想なのですが、確かに茶藝館というよりも餐廳のような感じがするぐらい菜單が豊富で、だいたい200~300元前後の品が多く、手軽でした。
愛評網 三本茶藝~火鍋.簡餐(実際の火鍋の価格や写真が紹介されています)

1330317050-526844429_n

芊芊はうれしそうにひとつひとつの火鍋の種類を説明してくれるのですが、種類が多すぎて彼女におまかせとなりました。確かに鍋は量が多く、牛肉鍋を頼みましたが、とてもうまい!芊芊の案内は本当にまちがいがないことが多く、また、普通の日本人が足を運ぶようなところにはあまり行きませんでしたから、価格も安くてリーズナブルなことが多かったですね。

cm20090614dd5a3ebf781ef85b4c7938efc983c019883

しかし、ここは本当に茶藝館なのだろうか?という感じはしました。店はほとんどの人が食事に来ていて、茶を楽しむという感じはほとんどありません。しかし、芊芊が言うには有名な茶藝館は店の雰囲気でお金をとっていて、飲む種類や味は同じとのこと。確かに、茶藝のセットがあり、食後に茶をたしなんでいる人がよく観察していると多いことに気づきました。あと気がついたのは有名な茶藝館のように紳士淑女風の方は少なく、若い学生や家族連れがとても多いこと。芊芊ぐらいの年齢の女の子も多くて、肩が凝らずに食事と飲茶を楽しめる雰囲気があります。

1330317137-3411435600_n

cgm702927a3d655361c37fafd5a13871c0a211

cgm66f6d91ad9fa3a8ad1c2e9e28303517a574

芊芊が言うように一応?茶の種類もあって、茶葉を楽しむこともできますが、やっぱり、食事メインのおししい火鍋屋という感じは否めません。ただ、普通の飲食店とは異なり、飲茶も楽しむことができるといったクロスオーバーの店という感じでした。ただ格式ある茶藝館も悪くはありませんが、こんな餐廳のような気軽な茶藝館も悪くはありません。値段も安いし。

それと芊芊自身もよく茶の入れ方の過程をあんまり知っていない(多くの台湾人が知っているというのは誤解で日本の茶道のように知らない人の方が多いです。台湾人にとって茶は身近ですが、本格的な茶藝館のような茶の入れ方はそんなに多くはありません)こともあり、彼女自身はある程度は知っていましたが、ちょっと適当でした。

9c3ee6312b1a6650573de7d8a5ee1c8a

「芊芊、吃包了、好吃的」 (チェンチェン、もうお腹いっぱいだ。おいしかったよ)

いつもながら、鼻がピンと高くなった満足感を与えた時の芊芊の得意げな顔がありました。
果たして芊芊は次はどうするのだろう? この子の台中案内にさらなる興味が湧いてきました。

太陽餅

三本茶藝館で火鍋を食べ終え、茶を芊芊と飲んでいました。

「你知道太陽餅嗎?台中的名産的」 (ねえ、太陽餅を知ってる?台中の名物なんだよ)

 「當然我知道了。好吃的、但難吃一些」 (当然、知ってるよ。おいしいけどちょっと食べにくいよね)

太陽餅は台中の有名な名産で、私もよく台中人からお土産でいただきました。パイのような味わいでうまいのですが、とにかくボロボロとまわりの皮の部分がこぼれてしまうので、何となくマナーが悪いような食べ方になってしまうことが多く、いつも紙などを桌の上に敷いて食べるようにしていました。 

N010116151_t_01

芊芊がまた、太陽餅について説明をし始めました。台中には太陽餅街という老舗の太陽餅店がずらりと並んでいる路があること、そして意外にも台湾で太陽餅が知られたのは近年のことで、それまでは台中独自の食べ物だったと言います。最近は台北でも売っているのをよく見かけるようになったということですが、芊芊が子供の頃、台北に行って太陽餅のことを話してもまず、知っている人はいなかったと言います。作り方が簡単ではなく、さらにやはりボロボロとすぐに型くずれするため、包装や運搬が簡単ではなく、以前は台中の店先で買い、食べたり、近所のお土産にもっていくといった類のものだったようです。そのため、台中人である芊芊にとっては子供の頃から慣れ親しんだ御菓子で、よく買いに行ったとのことでした。

「我們也可能製餅的。你試看看嗎?我製餅很好呢、我有自信的」 

(私たちも太陽餅を作れるんだよ!やってみる?私、つくるのうまいから自信があるんだ)

しかし、芊芊は家にも帰ることができず、一体どこで作るというのか、とても不思議でした。彼女は料理や御菓子づくりが好きな一面をもっていて、作るのが楽しみというよりは、自分が一生懸命作ったものを食べてもらい、「好吃!」と言ってもらうことをうれしがるようなところがありました。だから、台中の名物である太陽餅の店を案内して買うだけではなく、どうしても日本人である私に一緒に作って欲しかったようでした。

「我想製餅。没有経験、不過我們製餅 在那裡?」 (僕も作ってみたいよ。経験もないし。でも、どこで作るの?)

すると芊芊はすぐに電話をして何やら早口で依頼しています。きっと製餅する場所と方法を彼女は知り得ていて、それをすぐに依頼していたようでした。彼女は人当たりが良いこともあって台中に多くの親しい人がいることは容易に想像ができたのですが、私には彼女がどう手配しているのかさっぱり、わかりませんでした。

しかし、この時はすぐに彼女が種明かしをしてくれました。國中時代に職場経験のような学校のプログラムがあって、芊芊は太陽餅店のある老舗で勤労体験をしていたのです。そして高中時代も忙しい時は手伝いに行っていたようで、懇意にしている店があるからとのことでした。だから芊芊の急な依頼にも快く応じてくれたのです。私たちはさっそく、太陽餅街に車で向かうことになりました。
台中太陽餅街

太陽餅街は台中站のすぐ近くにありました。中山路と自由路の交差点付近から民族路の交差点附近まで、多くの太陽餅店が自由路には並んでいます。太陽餅という名前を付けた老店である太陽堂だけでも太陽堂老店、太陽堂太陽餅店、太陽堂餅店、太陽堂老舗とあって、どうちがうのかよくわかりません。
太陽堂老店HP

o0800060011973284097 (1)

しかし、この中の青い看板の太陽堂餅店はこの5月に閉店、どうやら高齢の経営者の後を継ぐ方がおらず、台中人の惜しまれながら店を停業したようです。ただ、台中市の支援もあり、どうやら現在は復興した模様。ご主人は癌で69歳で亡くなられたようですが、この8月から場所を変えて三民路で営業をどうやら再開したようです。
後繼無人! 正宗太陽餅老店熄燈  

i2002083
老滋味等到了 太陽堂餅店重開

芊芊が製餅を依頼したいたのは、これらの「太陽堂」という名称の店群ではなく、「元明商店」という太陽餅店でした。ここは太陽餅の創始店と名乗っています。太陽餅という名前をつけたのは太陽堂を始めた3兄弟のようですが、太陽餅の原型となる麦芽餅はこの店が1930年から作り始めていて、本当のルーツはこちらとのこと。芊芊も自分がお世話になっている店だけに力を込めてここが本当の太陽餅の元祖だと言っていました。ここは心型(ハートの形)太陽餅でも有名です。
太陽餅創始店 元明商店HP

J000019301

さて、太陽餅を作っている元明商店生産部へ芊芊と到着しました。ここの店の人たちは芊芊のことをよく知っていて「○○(芊芊の本名)!」と言って懐かしがって抱きついていました。彼女は台中にはこっそりと帰っているから家族や仲間には言わないで欲しいといったようなことを頼んでいました。私のことは台北で勤めている公司の上司だと紹介していて、今は台北の日系の企業で大學に通いながら打工していると言っていました。さて、太陽餅を作ることになりましたが、本当に芊芊が懇意にしているだけあって、とても丁寧に教えてくれました。

さて特別に生産部の中に入れてもらい、清潔に体をして手を良く洗い、白衣を借りて、さっそく製餅しているおばさんやおじさんに混じって芊芊と造り始めました。芊芊は経験があることもあって、極めてうまく、笑いながら手取り足取り教えてくれたので、私も何とかコツをつかむことができました。

6

89a64891d07d5da58867c93881ae8216_m

なかなか楽しく、また、自分の手作りの太陽餅ができるのは達成感もあり、悪くはありません。それになかなか日本人では経験ができないことでもあったし、一緒に製造している台湾人の方々も親切で一心不乱に造りながらも私と芊芊の面倒をよく見てくれたことも忘れられません。

さて、体験が終ると、店先で太陽餅を芊芊といただきました。そして、驚くべきことに値段はすべて免費。芊芊がこの店でみんなに可愛がられ、よく働いてくれたからだって。やはり、この子はどこでも可愛がられる得な性格な娘でした。多くの人が芊芊が約2年ぶりに故郷・台中に戻ったことを素直に喜んでくれていました。

今、この元明商店は2009年頃から予約制のDIYを始め、観光客の方にも太陽餅の手作り体験ができるコースを始めました。さらには分店である朝馬店ではDIY専門のコーナーも作って、オリジナルな商法を打ち出し始めました。まだ、あの時、2008年頃にはこのようなコースはビジネス的にはありませんでした。

実は芊芊が私はこの店にアドバイスしたのではないかと私は睨んでいて、私が体験してとても喜んで面白がっていた様子を見た元明商店の経営者もヒントをあの時に得たのではないかと密かに思っています。この店が体験コーナーを儲け、ビジネス展開しだした頃と芊芊が台中に帰った頃の時期がほぼ一致するからです。きっと、当たっています。
自製太陽餅@台中
台中自製趣怪太陽餅

 自製太陽餅で体験をする台湾人学生の様子が2012年6月28日の旅遊トラベル・ニュースで取り扱われていました。4人の団体で受け付けていて一人100元となっています。4人以下でも受け付けていて1グループ400元だせばできるようです。2人なら200元ということになるのかな?
p

最近はこの元明商店以外にもDIYのコースができてきています。太陽餅がよりメジャーになって、今や台中の主要産業とまでなりつつあります。私が芊芊と元明商店を訪れた時はまだまだマイナーな感じで台中から台湾全土に知られ出したのが定着したというぐらいの感じでした。

 これは太陽堂老店のDIYの様子です。
太陽堂老店DIY
太陽堂太陽餅活動DIY

1825685007

 こちらは2009年台中市選抜の太陽餅仙子。台中市長も太陽餅の經済活動に力を入れていてご満悦の様子。
sungirl(3)

 太陽騎士なる「ゆるキャラ」も登場して、今や鳳梨酥と並ぶ台湾名産に名実ともになってきました。
6776742994_88895500f7_z

芊芊は本当に魅力のある子でした。彼女との旅はまだまだ続き、さらに私はいろいろな台湾を発見していきます。

蝦猴

天后宮を後にした私たちは宮へ続く参道、そしてメインストリートである中山路へ歩みながら、ちょっとまわりに出ている屋台などを冷やかしてみることにしました。なぜなら、台北の夜市よりももっと原風景の台湾に近い素朴な小吃や品々がちょっと目についたからです。

img0e21ea21i8ycc5 (1)

R0018397_nEO_IMG

R0018398_nEO_IMG

R0018401_nEO_IMG

「你知道彰化鹿港名產嗎?俗語有句話說『一隻蝦猴配三碗粥 』 、就是早期老一輩的流傳的俗話。主要因為早期鹿港沿海居民清苦所以醃漬出『一隻蝦猴可以配三碗粥』」來渡三餐」

(ねえ、彰化鹿港の名産を知ってる?有名なことわざがあって「一隻蝦猴配三碗粥」 と言うんだけど、昔の人たちが広く言い伝えたものなのよ。これは、鹿港の沿岸に住む人たちがあんまり豊かではなくて1匹の蝦猴で三杯のご飯を食べたということ)

私は「蝦猴」という言葉がよくわかりませんでした。たまたま通りかかった屋台が「蝦猴酥」という油で揚げたエビのような小吃を売っていたのですが、エビは「蝦子」ですから、ちょっとちがいます。ザリガニの一種か、ロブスターのような仲間なのかと思っていました。 

1343200563

1200923463

しかし、芊芊がメモに絵を描いて、干潟の穴に住んでいるとか、泥のような海でとれるとか話してくれ、さらには店の人が揚げる前のバケツに入った大量の蝦猴を見せてくれて、 やっとわかりました。蝦猴とは「穴シャコ」のことでした。シャコは日本では寿司で食べるぐらいで、あんまり多くの料理法を私は知らなくて、油で揚げたり、焼いたりするという印象はありませんでした。 さらに私の無知かもしれませんが、台北の夜市や餐廳で見かけたことがなく、台湾人がシャコを食するとは知りませんでした。  

274493898_fd08048f09_z

037-7

3838845171_457de92384

芊芊はさらにいつもの得意気な顔で続けて私に訊きました。

「你知道麵線糊嗎?」 (ねえ、麵線糊知ってる?)

「不知道」 (わかんないなあ)

麵線はメンですが、糊というのがよくわかりません。芊芊が言うには台中から南の鹿港や雲林北港の名物で特に天后宮の前にある「老林麵線糊」はとても有名ではずせないとのこと。確かにこの天后宮の前は多くの小吃屋台が並んでいますが、その中でお世辞にもきれいとは言えない「老林麵線糊」には人がぎっしり。私たちは屋台で 蝦猴酥を袋に入れてもらってたっぷり買った後、この老林麵線糊の裏にある簡単な桌に座りました。   

07-DSC_0823



08-DSC_0827

台湾風の細いそうめんに糊と呼ばれるアンカケのようなとろみのある汁がかかっていて、なかなかうまい!確かにとろけるような食感にヌルヌル感があって、いかにも台湾らしい味です。1杯25元とさらに激安で屋台で買ってきた蝦猴酥をボリボリ芊芊と食べながら、まわりのワイワイガヤガヤする喧噪を感じながら食べるのは悪くはありません。

「好吃嗎?」 (おいしい?)

いかにも「好吃」と言ってもらいたいのが見え見えの表情をして芊芊が訊きました。

「不好的!」 (まずいよ)

芊芊にわざと反対の答えを冗談で言うと「你不説謊的。騙子!」(嘘を言わないで!、もう嘘つきなんだから)

こちらも見え見えでした。だって、芊芊が買った蝦猴酥はあっという間にたいらげてしまっていましたし、さらに麵線糊は量が少ないこともあり、安さも手伝っておかわりして2杯食べてしまっていましたから。  

食べながら、今日の住宿を芊芊と相談したところ、また、芊芊がいつもの顔をして私に訊いてきます。今日は自分のテリトリーの鹿港に来ているし、突然行った台中とは異なり、この旅行に来る前にどうやら下調べしていたようで、彼女はこの鹿港の案内にはどうやら自信をもっていました。それに自分自身も國中生の15歳頃以来の來鹿港でしたから、芊芊自身も行ってみたいところがあったようです。

「你知道童年往事嗎?」

205739443

童年往事とは訳すと「少年時代にあった昔の事」。私は芊芊の言っている意味がまったくわかりませんでした。

鱟魚

さて、芊芊と採蚵車に乗って帰ってくるともう、時間は夕方の5時過ぎになっていました。台湾の西部の海岸はどこも夕陽が美しく、その景色は淡水、高美湿地、そしてここ王功漁港とすべて忘れられない美しさでした。この日は午前中、曇りがちで芊芊と鹿港の老街を歩いた時はそんなに暑くなく、ここ王功に到着した午後には快晴でしたから、とても気持ちよくすごすことができた一日でした。 芳苑燈塔にも灯火が瞬き、美しいサンセットを気持ちの良い海風を受けながら、また、芊芊と見ることができました。

27
 
1 (4)

この燈塔に沿って海から入る河口に沿っていくつかの活海產店が並んでいます。この海から流れ込む川には生態景觀橋という美しいフォルムの橋がかかっていており、台湾の有名な設計技師である廖偉立のデザインなのですが、 この橋は日本のREVIEW建築雜誌的SD獎という大賞を受賞していて、橋の上から海の方向に向けての野鳥などの観察ができるようになっています。この橋のあるあたりに活海產店が並んでいて、入口には水槽がたくさん置かれており、活魚などの海產がたくさん泳いでいたりします。

 生態景觀橋。前のブログのYOU TUBEにもここで撮影された動画が入っています。
4a5083e8a54a5
 
芊芊が言う「特別な観光」には続きがあって、夕暮れ時の美しい芳苑燈塔と漁港のサンセットを見て、河口から内陸に向けて散策、 生態景觀橋にちょっと寄り道していたら、ちょうど吃飯時となりました。

「你知道鱟魚嗎?」 (ねえ、鱟魚って知ってる?)

芊芊が私に訊くのですが、まず、発音からして単語そのものががわからず、何を芊芊が指しているかもさっぱりわかりません。このブログの「鱟魚」という 漢字もあの時はわからず、後から知ったものです。

「鱟魚是什麼?」 ( 鱟魚って何?) 

芊芊はいつものように目をクリクリさせて、エヘヘといういつもの笑顔を見せて私の手を引っ張っていきました。到着したのは阿順活海產店。入口には水槽がたくさん置かれ、カゴには蟹や貝がたくさん入っており、見るからに多種多様な海產が置かれています。その中に芊芊が言うところの鱟魚を発見、芊芊も水槽を見たりして捜していましたが、見つけて私に指さして説明していたところ、店の人がやってきて水槽から出して生きている鱟魚を見せてくれました 。さらに吃飯に入って店の菜單(中国語でメニューのこと)を見て、「鱟魚米粉」という 料理の写真も出ていました。

Y000950000001_1_1

鱟魚とは「カブトガニ」のことでした。魚は「ユウ」という発音なのですが、これが極めて難しく、日本人にはなかなか言えません。しかし、口をとがらすようにして発音するため、聞くのはわかりやすく、芊芊の言葉から私は魚の類かと思っていましたが、まったく、的外れでした。想像も普通はできません。しかし、カブトガニは数も少なく、貴重なはず。食べていいのだろうか?それにどんな味なのだろうか?甲殻類ですから蝦や蟹ときっと同じようなものなのでしょうが。

33

台湾にはこの王功から台南の泥地や澎湖に生息しているらしいのですが、自然環境の破壊のため、数が激減しており、養殖などもさかんに研究されているようです。
4億年前現蹤 比恐龍還早 鱟魚的消失與重生

この阿順活海產店は当然、芊芊も来たことがなく、彼女自身も鱟魚を食べたことはありません。ただ、用意周到な彼女は王功漁港のいろいろなことを事前にすごく調べていて、日本人の私たちではなかなか行き着けないような所や店を確認していました。この活海產店は数有る店の中でも特殊な海產の料理がたくさんあり、私自身も始めて口にするものが多く、ちょっと驚きました。本当に何でも食べてしまう台湾人のバイタリティには驚かされます。大陸や香港も同様の傾向があるのですが、やはり、台湾も中華文化は健在でした。    
王功漁港美食‧阿順活海產
王功漁港‧阿梅海產餐廳

  鱟魚米粉。 鱟魚の身が極めて少量でよく味はわかりません。パサパサした蟹?という感じでしょうか。
Y001098000001_3_1

その他にも、よくわからない深海魚の刺身や肉螺と呼ばれるタニシのような貝の一種や西施舌と呼ばれるミルクイなども小吃として食べました。当然、珍珠蚵は生食で食べていますが、王功の名物料理は街中にもいっぱい看板が出ていますが、 蚵仔炸。蚵嗲と嘉義の東石や台南では呼ばれるのですが、ここでは皆、看板が蚵仔炸となっていて、これもおいしくいただきました。残念だったのは車の運転があったため啤酒が飲めなかったこと。とにかく芊芊と珍しい海鮮料理をいろいろと食べてみました。

  蚵仔炸 。周りが薄い衣を油で揚げてあり、中は珍珠蚵がジューシーに出てきます。実にうまい! 
P5010035

蚵嗲在台灣小吃中,與蚵仔煎和蚵捲同是蚵仔運用的三大料理之ㄧ,這三種料理都有類似起源傳說,也都與鄭成功相關。1661年,來自福建的鄭成功軍隊,依計畫從臺南安平北方的鹿耳門溪口,攻入台南,之後也採取圍城政策,逼使據地的荷蘭軍投降。因為當時軍糧米食甚為缺乏,在情非得已之下,使用蕃薯粉、水及現成撈獲蚵仔,加以裹粉油炸。這就是最常見的蚵嗲起源由來。不過,也有資料指出,該菜餚小吃作法,實為福建移民攜至台灣。

今蚵嗲作法與昔日差不多,不過主材料豐富許多。以四人份為例,蚵嗲需要半斤鮮蚵半斤、豬肉肉絲4兩、韭菜4兩及高麗菜6兩。另外,也要準備豆粉2杯、玉米粉半杯及在來米粉四分之ㄧ杯等裹粉,除此,也可隨個人喜好準備蒜末、糖、香油及太白粉、鹽、醬油、甜辣醬及五香胡椒粉等調味佐料。

在做法方面,首先是要將鮮蚵洗乾淨再將放入熱油鍋中加熱。數分鐘後,將預熱蚵仔取出抹上裹粉粉漿,填入主材料菜、肉絲、及淋上粉漿入鍋炸至定型後,炸至金黃。

 こちらは肉螺。「螺」とは渦巻き状の殻をもつ貝(つまり、2枚貝ではない貝)を総じて言いますが、難の種類のどんな貝かよくわかりません。タニシの海版のような貝で、味はコリコリしておいしいです。
Y001098000001_5_1

 こちらは花枝。花枝とはスルメイカを除く烏賊(イカ)や章魚(タコ)を総称して指すことがありますが、正確には墨魚(コウイカ)を指します。透抽というのが真烏賊(マイカ)や剣尖槍烏賊(ケンサキイカ)、 萊氏擬烏賊(ヤリイカ) のこと。軟絲というのは障泥烏賊(アオリイカ)のこと 、魷魚というのはスルメイカのこと。台湾人もよくわかっていません。芊芊も当然、よくわかっておらず、私もあとから調べて台湾生活の中でやっと理解できました。簡単なようでなかなか覚えられません。
分辦花枝&軟絲的差異嗎?
軟絲?透抽?花枝? 傻傻分不清
章魚 透抽 軟絲 花枝 四大海產你會分嗎?

8b075136fe52de6d9dd64500ba212a8d

「你吃包嗎?」 (ごちそうさまかな?)

芊芊はとても珍しい台北ではあまり食べることができなかったり、見かけることができなっかたりする海產をたくさん紹介してくれて、私自身もすごく珍しい物を食べたという満足感がありました。アメリカ・フロリダではワニ、ペルーでは天竺ネズミ、コロンビアでは亀、ブラジルではカピバラ、ピラルク、ピラニアなどを食べ、タイではいろいろな種類の昆虫のカラアゲやアリ、オーストラリアではワームやダチョウなども食しました。常食しようということはまったく思わないのですが、世界のいろいろな地にある独特の食文化を少しばかり経験するのは悪いことではありません。ただ、蛇だけはちょっと遠慮しています。 世界にはそれぞれの地に根ざした食文化があって、日本人の私たちが普通に食する納豆や刺身、エビなどの躍り食いなども他国の人からみたら、驚かれることがあります。各国や地方の歴史的背景や食の成り立ちは社会学の面からも興味深いものがあるように思っています。

さて、王功で吃飯した私たちが次にこの夜向かったのは、雲林の北港。芊芊が言うところの「神様が集まる地」です。
私たちは再び車に乗り、 「蚵仔炸」の看板が数多く出ている珍珠蚵の街・王功を後にして一路南へ向かってまた、疾走しだしました。

【踏勘見聞】彰化王功蚵鄉風情踏勘行~王功の美しい画像が多い旅行記(お勧め)

4a39e5e390fb6

5 (2)

Stand by me

さて、昼食は近くの餐廳で軽く食べた私たちは汽車に乗り、南投・竹山鎮を目指しました。東西向快速公路に乗り、台西古坑線のつきあたりにあたる古坑郷で高速公路を降りました。虎尾から高速公路に乗るとあっという間。しかし、目的地は南投の竹山鎮のはず。しかし、芊芊はちょっと行きたいところがあると言います。

「我想過去地方一些」 (私、ちょっと行きたいところがあるの)

「你知道古坑的名産嗎?」 (ねえ、古坑の名産品知ってる?)

「不知道」 (わかんないなあ)

「聽説很久以前日本昭和天皇很喜歡喝台湾咖啡。所以那時代在台湾南部咖啡栽培很繁盛。不過日治時代後台湾的咖啡栽培衰退、咖啡的生産量越來越少了。所以有的人説台湾的咖啡是幻想的咖啡。但近年台湾咖啡栽培復活了。尤其是雲林縣的古坑咖啡很有名。台南東山也有名。我很喜歡古坑咖啡。因為那個味道不太苦。所以好不容易到這裡來了、我想過去台湾珈琲的原郷」

(とてもずっと以前のことなんだけど、日本の昭和天皇は台湾のコーヒーが大好きだったみたいなのね。だから日本統治時代には台湾の南部ではさかんにコーヒーが栽培されていたの。でもね、戦争が終って日本統治時代が終ると需要がなくなってコーヒー栽培は衰退してしまったんだ。コーヒーの生産量もどんどん少なくなってね、みんなは台湾のコーヒーのことを幻のコーヒーなんて言っていたこともあったわ。でも最近また、台湾のコーヒー栽培は復活してきたの。特にこの雲林の古坑でつくられるコーヒーは特に有名なんだ。台南の東山も有名ね。私はとっても古坑のコーヒーが大好き。なぜならそんなに苦みがなくておいしいからね。だからせっかくここまで来たんだから、ちょっと台湾コーヒーの故郷を訪ねたくなったの)

※ 咖啡は中国語表記。珈琲は日本語表記です。出来る限り、中国語表記を使っています。

mtOexzVI2NOvJFigg36hQ
華山咖啡原郷之美

やはり、芊芊が訪ねるのは日本統治時代ゆかりの地でした。ここ古坑も日本人がかつて咖啡栽培を行い、台湾にその手法をもたらしていました。雲林は本当に日本人の足跡を感じるところで、きっとこの豊かな自然をどう活用して台湾を活性化するかを当時の日本人は考えていたのでしょう。

さて、私たちは芊芊がナビを見ながら指示する方向にどんどん汽車を進めるとあっという間に台北の陽明山のような感じの道路に入りました。この山は華山と呼ばれていて、華山咖啡園區と呼ばれる山の斜面にオープンエアのカフェが立ち並び、コーヒー農園が点在する所でした。もともと台湾は「茶」の文化の国で日本統治時代が終了してからはコストが高く、割に合わないコーヒー栽培はどんどん衰退していったようです。しかし、1990年代にアメリカからスターバックス等のコーヒーチェーンが進出、西洋的な食生活にややスライドしつつあった台湾人の嗜好にもマッチし、21世紀に入った頃から再び、観光化とも併せ、復活をしてきました。ただ、その生産量は当然、まだ少なく、一般化するところまでは行っていません。どちらかというとまだ地方の特産品として扱われる傾向が強く「幻のコーヒー」たる由縁はこのあたりにどうもあるようです。お土産や箱製品が中心のため、台湾の古坑咖啡が飲める店は古坑郷以外ではとても限られていて、台北では天母に巴登咖啡の分店があります。この巴登咖啡の総本店は雲林古坑・荷苞山麓にあり、台湾の咖啡栽培の復活のきっかけをつくったのが、このお店と言われています。 
巴登大荘園HP
古坑咖啡公司HP

荷苞山咖啡豆

さて、華山路に沿ってどんどん山道を登っていくと多くの「咖啡」の看板を見ることができます。華山咖啡園區の入口あたりは漢字が並ぶ台湾らしい風景なのですが、途中にある多くのカフェは山の斜面に建っており、台湾とはちょっと思えないようなおしゃれな造りが多く、だいたいのお店がオープンテラスをもっています。また、庭園式咖啡というのもさかんで、自然に囲まれたきれいな庭園で咖啡を飲み、景色を見てゆったり自然散策するのも人気があるようです。

 庭園式咖啡館の様子。数え切れないぐらいの咖啡館が次々とオープンしています。
Y001222000001_5_1

 クリックすると地図が大きくなります。藝術拠点としての整備もされてきており、村なのに今やとてもお洒落なスポットです。カップルのデート向きですね。 咖啡民宿も多く、アートと自然と咖啡というスノッブな組み合わせで観光化を図っています。 
20050705115546
堅持自產頂級咖啡豆的華山文學步道咖啡園(華山の珈琲の様子がよくわかる台湾女性の旅行記ブログ)

 華山咖啡園區の入口付近。奥の土産物屋の主力商品は咖啡。このあたりは台湾らしい雰囲気です。  
IMG_4608

 お洒落な藍色公路咖啡館。ビンロウの木々が南国の雰囲気を醸し出しています。華山は今、お洒落なデートスポットに変身中。景色も良くて、咖啡を飲みながら愛を語る台湾カップルがきっと多いでしょう。 
4dce203f071587d08d36fa5b3df76f5d

 女の子が好きな點心(デザート)も充実。コーヒー味の様々なお洒落なケーキやパフェなどが売り物。
5543565003_26ba341dba

私たちはせっかくなので華山の雲頂・最高地點にある咖啡館へ。いくつかの咖啡館があります。どうやら美しい夜景を見に来るカップルが多いようで、午後のちょっと中途半端な時間はティータイムにもかかわらず、結構空いていて、オープンカフェの景色の良いテーブルに座ることができました。素晴らしく景色が良く、眼下に雲林や彰化の街が一望でした。

AI62

まわりは咖啡の農園というよりはビンロウの木がこの華山はすごくたくさんあって、ビンロウは椰子の木の仲間ですからちょっと南国のカフェという感じでしょうか。芊芊も咖啡が大好きで台北では中山北路にあるMr.Brownや85℃で待ち合わせをよくしたことはこのブログでも何回か書いてきましたが、ちょっと陽明山のTopsと雰囲気が似ていて開放的な雰囲気でおいしい台湾コーヒーを味わいました。台湾コーヒーはジャマイカの高地斜面で栽培されるブルーマウンテンと味が似ていると言われ、苦みが少なくコクがあるという評判で、私も台湾にいながら初めてこの時、飲みました。

36354_08

 金斯敦咖啡(キングストンカフェ)のマスターは2006年台湾咖啡節の花式咖啡の優勝者でもあり、2008年には全國咖啡達人事業組でも優勝した達人。素晴らしいコーヒーアートの腕前です。


「台湾咖啡如何?以前我聽説你去過巴西和牙買加。巴西珈琲和牙買加藍山咖啡還是台湾咖啡、比較好嗎?」

(台湾のコーヒーはいかが?ねえ、前にブラジルやジャマイカに行ったことがあるって言っていたよね。ブラジルのコーヒーやジャマイカのブルーマウンテンと台湾コーヒー、どっちがおいしい?)

「都很好。那個國家有那個國家的好處。所以台湾咖啡也好味了」

(すべておいしいよ。どこの国にもその国の良さがある。だから台湾コーヒーもすごくいい味だ)

「我很高興認識你。雖然我們遇到在酒店、我們是永遠的朋友、你呢?」

(私はあなたと知り合えて本当にうれしいよ。私たちは酒店で出逢ったけど、永遠の友達だよね、あなたは?) 

「謝謝、芊芊。我也很想念你喔!我的心情跟你一様」

(ありがとう。僕もとても芊芊のことを想っているよ。僕の気持ちも同じさ)

古坑華山の風で芊芊自慢のきれいな茶髪を靡かせながら、彼女は英語でささやきました。

「Stand by me、I hope to stand by me」  (私の近くにいて。私を支えて)

芊芊は時々、私が中国語がわからないような顔をすると急に英語を使うのですが、この時はまったくそんなことはありませんでした。彼女とつきあうとわかるのですが、芊芊はいつも自分の気持ちを口に出すときは茶目っ気を出して、冗談交じりで言うことが多く、茶化してごまかすようなところがすごくありました。いつも言い終わった後は「エヘヘ」という感じの笑い顔をして舌をペロッと出すような感じです。

私は芊芊に対して今までにない感情をこの時はすでに抱いていました。愛人や恋人にしたいというよりは、愛らしくて子供っぽいところのある大きな娘と共にいるという感覚がすごくありました。でも芊芊は実の娘ではないし、女性としての魅力も十分にある子でした。ですから、表現をするのが難しいような新たな感覚を自分でも彼女との出逢いから獲得していたというのが本当のところです。きっと芊芊も複雑な思いと自分でもきっとよくわからない未知の感情の中、私と行動を共にしていました。だから、この時、彼女は中国語でもなく、日本語でもない英語で自分の気持ちを表現したのだと思います。

「Yes,I keep to stand by you」  

私もちょっと照れくさくなって、芊芊に英語で答えました。

When the night has come
And the land is dark
And the moon is the only light we'll see
No, I won't be afraid
Oh, I won't be afraid
Just as long as you stand
Stand by me, so

Darling darling stand by me
Oh, stand by me
Oh stand, stand by me, stand by me

If the sky that we look upon
Should tumble and fall
Or the mountain
Should crumble to the sea
I won't cry, I won't cry
No, I won't shed a tear
Just as long as you stand
Stand by me, and
 
Darling darling stand by me
Oh, stand by me
Oh stand, stand by me, stand by me

Whenever you're in trouble
Won't you stand by me, oh stand by me

 世界が唱う「stand by me」。BB・Kingの名曲をJohn Lennonもカバーしていますが、これが一番素晴らしい。


 咖啡の白い花。意外と咖啡の木の花については知られていません。
hbs02

 雲林古坑郷華山の咖啡小姐の方々。台湾は必ずと言っていいほど、その街が力を入れている産品を宣伝する小姐がいますね。11月~12月にかけて毎年、台湾咖啡節というフェスティバルがあり、ここ、雲林古坑郷も盛り上がります。同じ古坑でも産地の山が微妙に異なり、加比山、華山、苞荷山などの産地で細かくブランドを分けています。
m36354_1b

copy_p_201105231727472510_300
 

Unlimited Sky

やっと竹山天梯の停車場についたのですが、さすがに疲れました。早朝から杉林溪の散策、そして、悪路を緊張感の続く中を運転して八卦茶園でちょっとゆっくりしたと思ったら、最後はとどめの竹山天梯。芊芊が言うところの「台湾的秘境」を十分過ぎるほど味わった一日でした。時刻はすっかり、夕刻。まだ、陽が落ちるまで時間はありますが、流石に私は今日はここまでと思いました。

「芊芊、今天的住宿在那理?」 (チェンチェン、今日の泊まるところはどこ?)

この南投・竹山の大自然に囲まれた民宿に泊まるに違いないと思って訊きました。疲れたから、夜は啤酒でも飲んでゆっくりと星空でもまた見るかなといった気分でした。

しかし、どうも芊芊のエヘヘというような笑容が気になります。なかなか、彼女は言いたがりません。しかし、観念したように一言、ポツリとつぶやきました。

「埔里的」 

思わず、私はまいりました。ここから再び山を下り、さらには集集支線を越えた北側まで行かないと行けません。今日はこのあたりに泊まって、明日、清境農場に向かうとばかり思っていた私の予想をはるかに超えていました。しかし、芊芊の頭の中にはどうも明日の予定があるようで、どうしても今日中に埔里まで行きたいとのこと。そしてちゃっかりしている彼女はすでに預訂も網路でしていました。

「不有擔心。應該大約2小時左右我們可能到達吧。没問題。而且有高速公路、所以附近的」

(心配しないで。だいたい2時間もあれば着くからさあ、大丈夫。その上、高速もあるから、案外近いよ)

仕方がない。行くか。

芊芊は無理難題を言う悪戯っ子のような顔をしています。私は芊芊のように当然、台湾のこのあたりには詳しくはないし、PCも持っておらず、網路も使えない状況ですから、彼女のナビに頼るしかありません。

竹山天梯からとにかく頂林路は一本道。まずは竹山市區に出て、そこから福爾摩沙高速公路に乗って北上、集集線鐵路を越えて、水沙連高速公路と言う道筋でした。確かに高速公路に乗るまでが大変ですが、午前中の大鞍林道とは異なり、ナビを見る限りちょっとカーブが多い道ですが、整備されているようですから、それほど苦しくはないかもしれません。高速公路に乗れば、埔里は直結していますから、まあ、問題なく着くような気がしてきました。

「真的我想過預訂有名的天空的院子、不過、那個的民宿是很人氣、民宿所以不能到達了」

(私、本当は有名な天空的院子に泊まりたかったんだけど、とても人気があって予約できなかったんだ)

天空的院子という民宿は竹山鎮頂林路にある三合院の非常にレトロな雰囲気のある有名な民宿で極めて房間の数が少なく、普通、数ヶ月前ぐらいから予約しないと泊れないと言われています。特に夏のこの時期はトップシーズンなので、相当、早くから予約しないと無理でしょうし、増して今日は星期五の週末ですから、まったく無理な話でした。
天空的院子
天空的院子-昔與今最完美的結合
Taiwan Navi 天空的院子~日本語で詳しく案内されています。

1202725739

e5a4a9e7a9bae79a84e999a2e5ad90

さて私たちは頂林路を下り、道路に面した竹山天梯大鞍山林瓦舍の前を通過、天空的院子に近づいてきました。ちょうど大人凍林道との分岐点附近にあるのですが、私たちはちょっと見学をしていこうということになりました。天空的院子はちょうど夕焼けに染まり、なかなか情緒がある素晴らしい雰囲気でした。特に庭が美しく、三合院の建物も中華風のような和風のようなつくりで、竹山の文化を継承するような竹細工なども置かれており、正直なところ、感動しました。泊まることはできませんでしたが、民宿の方が芊芊と話をしていて、どうやらゆっくりと見学していってくださいと言われたらしく(私はいつもの早口の中国語でよくわかりませんでした)、民宿内を30分ぐらいでしょうか、ゆっくりと散策させてもらいました。こんな山奥に雰囲気のある民宿があることがそもそも凄いのですが、数ヶ月前から予約しないと泊れないと言われている理由はよくわかりました。

4a6c5ad97cd1b

「芊芊、我餓肚的。如果可以的話、我想吃在這裡」 

(チェンチェン、お腹が減ったなあ。もし可能だったらここで食べていこうよ)

今日はすごく歩いたこともあり、さらには昼も杉林溪を出るときにちょっと軽く食べただけでしたから、とてもお腹が減っていました。芊芊もその提案に賛成し、民宿の方に訊いてもらいました。しかし、ここは宿泊客だけに食べてもらう特別な晩餐便當があって、外などで自由に食べる方式ということで、宿泊客の分しか数を作っておらず、その願いはかないませんでした。

 天空的院子の晩餐。特別な容器に入っています。私たちは食べることはできませんでした。
4a6c5acf2c8c6
 
しかし、ここからちょっと先の大人凍林道を行ったところに景色の良い「上山閱讀」という本がたくさん置いてある餐廳があるという紹介をしていただきました。そろそろ暗くなりかけていたこともあって、私と芊芊は早速、その上山閱讀に向いました。5分ぐらい運転するとあっという間に到着、山のてっぺんの斜面に作られた小さな建物でしたが、広いオープンカフェもあり、心を打つ素晴らしい景色を見ることができました。 「上山閱讀」とは「山の上で本を読む」という意味。小さな建物の中にはたくさんの本がちょっとしたライブラリーのようになっていて置いてあり、ここで素晴らしい景色を見ながら珈琲を飲んで読書をするというのが、この餐廳のコンセプトになっていました。 

normal_49be51c77702b

3089255546_d101fb2544

5918-G20100929104334

時刻はちょうど夕刻の黄昏時。上から見下ろす山々に残照が光り、吃飯をしている間にあっという間に宝石箱をひっくり返したような美しい夜景へと変っていきました。 

4

9

201005251759062317244

DSC_3921

「芊芊、很美麗的。真的我感動了」 (チェンチェン、とってもきれいだなあ。本当に感動するよ)

「恩、恩」 (うん、うん)

美しい光景を見たとき、いつも芊芊は子供のように見入って、饒舌な彼女らしくなくなってしまいます。 

芊芊とは台北の陽明山で文化大学やTOPSから一緒に夜景を見ましたし、淡水や台中近くの高美濕地でも美しい夕焼けを見ました。しかし、それぞれの場所にはそれぞれの想いがあり、変化していく心情を七色に映し出すプリズムのような役割がありました。私と芊芊も最初に酒店の更衣室で逢った時から、実際にはまだ1ヶ月足らずなのに、何年も前から彼女と知り合いだったような錯覚をこの時、抱いたような記憶があります。

上山閱讀の招牌の下には、この餐廳のキャッチフレーズが書かれています。

5

「Unlimited Sky  空中食飲」      

私と芊芊は確かに美しい空の中の世界に、この時いました。

1024-768

聽著自己的心跳 沒有規則地跳躍
我安靜地在思考 並不想被誰打擾
我們曾緊緊擁抱 卻又輕易地放掉
那種感覺很微妙 該怎麼說才好

時間分割成對角 停止你對我的好 瓦解我們的依靠

在你離開之後的天空 我像風箏尋一個夢
雨後的天空 是否有放晴後的面容
我靜靜的望著天空 試著尋找失落的感動
只能用笑容 期待著雨過天晴的彩虹

在你離開之後的天空 我像風箏尋一個夢
我靜靜地望著天空 試著尋找失落的感動


我想念書

台湾の中西部の1週間にわたる旅行から帰った私と芊芊は錦州路にある100元海鮮料理店・鮮定味で晩餐をしていました。ここはとても安くてうまく、長安東路にも店がありますが、私たちはちょくちょく来ていました。ただし啤酒の主力はハイネッケン。なぜか、わかりませんが、台湾啤酒もあるものの、店内にはハイネッケンの広告がいっぱいあって、いろいろな啤酒公司の酒促小姐も時々いたりましす。
鮮定味HP

 鮮定味に現れる酒促小姐。私はお願いされるとつい買ってしまいます。
酒促小姐

 夏は特に気持ちが良くて、安くてうまい台湾を満喫できます。腹一杯食べても500元もいかないぐらいです。
d438222b

d4bfeaf5

旅行から帰っても芊芊は実はそのまま、私の家で暮らしていて、一週間離ればなれになっていた愛猫のAYUと一緒にベットでいつも昼間、眠っていました。私はいつも通り、朝に出勤。その頃にいつも上班を終えた芊芊が帰ってくるというリズムでした。その後、彼女はシャワーを浴びて一眠り。午後2時か4時ぐらいに起きてから珈琲と軽食を食べて、上班に準備。化妝や髪型を整えるのに小一時間はかかるようで、それからバイクで酒店近くの餐廳で仕事が終った私と待ち合わせるという感じでした。

私は夕方から夜にかけて、仕事で行けない時もよくあったので、芊芊と逢っている時間は実は休みの日以外はほとんどありませんでした。朝ちょっと入れ替わりに逢って、晩餐の都合がつけば、一緒に食事してというぐらいで、実際に房間に一緒にいる時間は生活スタイルのちがいから、当然ながら物理的に無理なことが多かったです。従って、芊芊とゆっくり話をするのは晩餐の時か休日に限られているのが現実でした。

食事をしながら、8月ももう終ろうとしているある日、突然、彼女が思いついたように話し始めました。

「我的大學、9月15號開學了。我決心復學的。我想念書」

(私の大學、9月15日に始まるんだ。私、復学しようと思う。私、勉強したいんだ)

芊芊は身分上は陽明山にある大學の法律系の女生です。しかし、学費を支払うために始めた酒店の打工がPTとは言え、週4日勤めなければならず、昼と夜が逆転している生活では普通に通うことは当然、限界がありました。従って、彼女は現在、休學していて、ちゃんと行っていれば、この9月からは3年級になるのですが、まだ、2年級が終了しておらず、進級はほぼ無理な状況でした。

さらに芊芊には困難な状況がいくつかありました。まずは契約している經紀人に民生東路近くに房間を借りてもらい、その家賃もだしてもらうという待遇だったこと。そのため、週4天の晩場の上班が絶対条件で、特に星期五は禁休になっていました。さらに機車も經紀公司から借りていて、これも上班の条件だったようです。もう、ひとつは大學の状況でした。大學という所はレポートや調査、ゼミなどがあって学校での友人や同級生との共同学習や共同作業が重要です。しかし、芊芊は休学していたために、同級生とは学齢もずれており、孤独な立場で単位をとっていかなくてはなりません。さらに1年近くのブランクがあることも精神的な負担感がありました。

しかし、このお気楽娘はそんなことは簡単な問題と考えているようでした。

芊芊の打開策は次のようなものでした。

1 經紀人に借りてもらっている家は引き払って、私の家にいそうろうする。そのかわり家事をする。
2 機車は返して、自分で新たに購入する。駐輪場は家の前の道路にあるから、問題なし。
3 そのため、晩場、週4天の契約を変えてもらい、午場の勤務に変える。時間は夕方4時から夜12時頃まで。
4 大學はまず、担当の教授と話し合いをして、単位の取得や遅れを取り戻す算段をする。
5 大學に行けば、人間関係には自信があるので、すぐに新しい仲間とうまくやっていける。
6 私とも生活リズムがほぼ、合うので、話をしたり、休日の夜は遊びにいけるし、料理も作れる。
 (実際に休日も昼と夜が逆転しているので、昼はほとんど疲れて眠っていて、夜中に電視などを見ていました)

しかし、もう8月下旬。開学まであと2週間ぐらいで、計画通り進むのかどうか、ちょっと心配でした。しかし、行動的でテキパキしている彼女ならば、あっさり引っ越しもして、機車もすぐに買ってくるにちがいないと思いました。しかし、問題は時間です。昼と夜が逆転していますから、徹夜に近い形で、昼にいろいろなことをこなさなければいけません。しかし、そのことに対しても芊芊には考えがありました。

SANY0005

それは、下班したら、ダラダラ早餐屋などに行って食事などせず、すぐに家に帰る。家に帰ったらシャワーを浴びずにすぐに寝れば朝の7時半頃には眠りにつくことができる。起床は午後1時。シャワーを浴びて、食事を簡単にとれば2時には出かけられるから、4時間程度はいろいろな活動が可能、というものでした。

私も彼女のキラキラと輝く目とうれしそうな表情を見ているとちょっと、応援したくなりました。確かに旅行の時は超強行軍で、予定を次々と詰め込み、要領よく行動していましたから、物事をテキパキこなす才能があることはよくわかっていました。計画性も芊芊は高くて、網路や雑誌を調べてはいつも用意周到に準備していましたから、滞りなく、物事を処理していく能力は優れていました。

この娘ならば、できるかもしれない。

私はまた、大學に戻りたいという芊芊の気持ちがうれしくなったこともあり、ちょっと応援してみるかなと思い始めていました。

img_1393176_57798272_2

今回の記事はいかがでしたか?
よろしければ、最後に下のバナー2pushのご協力をお願いいたします。
にほんブログ村 海外生活ブログ 海外ナイトライフ情報(ノンアダルト)へ 
My Profile

◇◇  Mo‐Gu  ◇◇

台湾と世界の平和を愛してやまないビジネスマンです。
台湾を愛する心ある皆さんと一緒に魅力溢れる夜の街を歩いていきましょう!
読後、賛同していただきましたら拍手やコメントを是非お願いします!

ご連絡がある場合は以下のE-mail送信フォームをクリックして送信をお願いします。コメントとはちがい、内容は公開されません。

E-mail Messege
~ Blog's Thema ~   戀愛的幸運餅乾  台灣女大學生來跳舞­
~Beatiful Taiwan~  台湾心跳聲-蔡依林   
~I'm Not Yours~   蔡依林&安室奈美惠
青春無敵!台灣加油讚
近期發表文章50(有照)
美人時計
http://www.bijint.com/
我有懐念、美麗的歌曲
いずれも私にとっては思い出深い美しいバラードです。台湾を愛する皆様もぜひ、お聴きください。↓
禮物~劉力揚
夢中作憨人       ~阿密特(張惠妹)    
四季~黃麗玲 A-Lin  
愛台妹的訪客總數
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

最近14天、訪客總數

    愛台妹朋友大約200個人。謝謝

    瀏覧總數量

      記事・文章 搜尋
      Exchange-Rate
      Sugakiya名古屋の味 台湾ラーメンも有ります美味しい拉麺通販!!
      台湾セレクション    台湾グッズはここで!
      台北楽天市場店   美味台湾グルメ通販!
      台湾小集      台湾関連商品超充実!
      紅利點積分變現金
      日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス

      QRコード
      QRコード
      • ライブドアブログ