< 台湾中部旅遊 : 我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

私は台北で駐在生活を4年間送りました。昼間は世界の平和と日本の経済発展を目指して全力でお仕事。夜になると地表にちょこんと顔出して、五木の街あたりを彷徨っています。そこで私は数多くの天使達と悪魔に出逢いました。そんな私の夜の彷徨いを台湾社会の複雑な仕組みなども紹介しながら書き綴っていきます。ほとんどの日本人が深くかかわることが難しいと思われる台北の夜世界の様子とエピソードの紹介が中心です。これは心優しい台妹たちを愛し、そこで出逢った人達とのかかわりや心のつながりをとても大切にしながら、これからも彷徨い続けていく私の軌跡です。

台湾中部旅遊

芊芊、考到了!

駕訓班から家に戻り、さっそく芊芊と夕食を食べながら、ミーティングになりました。

夕食は芊芊が一度、やってみたかったという日式の咖哩づくり。芊芊は器用な子で網路にはたくさんのレシピが出ていますが、それをプリントアウトして、あっさり作ってしまいました。外食が多いため、芊芊が料理をすること自体が驚きでしたが、話を聞いてみると台中にいた國中や高中時代は家庭吃飯が多かったようです。

「當我在台中家裡的時候、我要下厨的」 (台中の家に居たときは、よく厨房で料理したんだよ)

エヘヘと軽やかに笑いながら、包丁をさばく芊芊の姿は確かになかなか、堂に入ったものでした。

★日式咖哩雞の作り方例★ 

日式咖哩雞材料:
洋蔥半顆
雞腿2隻
馬鈴薯6小顆(我是買進口小顆品種,如果是國產馬鈴薯3顆)
紅蘿蔔1條
佛蒙特咖哩半包

作法:

將洋蔥切絲後放入熱鍋以中小火炒軟。
另取一鍋水用來燙雞肉,讓多餘的雜質去除和去血水。
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洋蔥炒軟後依序放入切塊紅蘿蔔、剛燙過水的雞肉、馬鈴薯,加水至蓋過鍋中食材。
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燒至滾水的狀態即可以小火慢燉半小時,讓食材慢慢熬煮至軟嫩。(我會將上頭的油撈一些掉,吃起來才不會太過油膩)
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接著就拿出我的祕密法寶~佛蒙特咖哩
我煮咖哩很多次從來沒試過別的牌子,因為我的師傅(我大姐)說他試過很多品牌,還是這個佛蒙特咖哩最好吃,而且也節省時間,不用慢慢炒咖哩之類的,不過她都買辣味的,婆家包括XX先生都不吃辣,所以我都是直接買甜味,這樣小孩子也可以吃。
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一盒裝會有二小盒,我每次煮一鍋用一小盒剛剛好,家裡都會隨時保留庫存,大多是看賣場特價時下手,反正保存期限也蠻長的。
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打開包裝後就是一大塊,不過我都會事先折成六小塊,這樣丟入鍋中時就不會集中在同一區。
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さて、夕食を食べながら、今日の學開車のポイントを整理すると、まずは、「普通汽車駕照考驗」の路考の採点基準をよく調べ、ミスしないようにしようということをまずは徹底しなければいけないということになりました。そのためには考驗の内容と扣分標準(減点の基準)を調べなければいけません。芊芊が調べた結果、どうやら路考は100点満点で70点以上が合格。扣分は-2点、-8点、-16点、-32点と4種類あって、-32点は一発で試験終了となる厳しい減点でした。特につらいのは壓管線(車道を区切る縁石のこと)に乗り上げたり、大きく接触すると-32点となることです。S字のバックでこれを絶対にしてはいけないことがわかりました。それと基準に対して車両が近づいたりしすぎた時などはセンサーが発動して-16点。これも気をつけなければいけません。細かなミスでも扣分があるので、とにかく、基本通りに運転を慎重にしなければならないことがわかりました。日本と比べ、減点の幅が大きく、ミス一発で失格という事態も十分ありえるからです。 下の台北市區監理所のHPに詳しく手続きや考照の内容、扣分標準が掲載されていて、芊芊に図なども書いてもらいながら、詳しく説明してもらい、明日の日曜日の駕訓班の教練に備えることにしました。  
汽車駕駛執照考驗

さて、日曜日。再び、駕訓班にやってきた私は芊芊と考驗の内容、一通り、リハーサルのようにやってみて、それを教官にチェックしてもらうというお願いをしました。非常に態度良く接してくれるここの教官は、あっさり了解してくれ、本番さながらの路考リハーサルとなりました。 考驗内容は以下の通りです。 

1 內場考驗  (1)平行路邊停車 (縦列駐車のこと)
          (2)曲線進退  (S字カーブの前進とバックでの運転)
          (3)倒車入庫 (バックからの車庫入れ)
 
2 環場考驗   (1)鐵路平交道 (鉄道の踏切の横断)
          (2)交岔路口 (交差点でも安全確認、信号機による停止と発進)
          (3)斑馬線、行人穿越道 (横断歩道での安全確認、信号機による停止と発進9
          (4)上下坡道 (坂道発進)
          (5)換檔穩定測試 (ギアチェンジをうまくしながら、縁石にさわらないよう直線を安定して運転)

停止も安全確認の時間やどこでスピードを緩め、停止したらよいかなど、細かな所も昨日の反省をいかして、チェックしていきました。換檔穩定測試も1速→2速→3速→4速と切り替えるタイミングやエンジンブレーキのタイミングをしっかりと教官に教えてもらい、ほぼ、完璧にこなせるようになってきました。元々、運転はできるので、あとは考照に受かるためにどうすれば良いかということだけだったので、芊芊という強力な台湾人の味方がいる私にとっては大きな不安はなくなっていました。

さて、次の月曜日の午後(月曜日は午後しか、考照をやっていません)、私は芊芊の機車に乗せてもらって試験場の承徳路五段にある 台北市區監理所の士林監理站へ向かいました。書類は完璧。居留証や日本の運転免許所、写真などすべて前日に芊芊と確認しながら揃えておいたので、まったく不安はありません。何よりも芊芊という強い味方がいて、複雑な用語の中国語があったり、専門用語があったりすると手続きも途端に厳しくなりますが、彼女がそのような時にはわかりやすい中国語や英語にして説明してくれるし、手続きの代行もしてくれるので鬼に金棒でした。

 申請で最初にもらう登記書(藍21)
普通駕照登記書

申込み手続きは順調に終了、続いて身体測定(身長や体重、視力検査、手足の運動機能など)も終了、そして受付のカウンターで小客車手排(マニュアル車)の申込みをし、受講料を支払うと、筆考室に入っての試験開始となります。申請書類に日本の免許証があり、さらには居留証に国籍が示されていますから、座席につくとすでにパソコンの画面は日本語版になっていました。芊芊との勉強の成果は抜群で、練習していった問題と大半は同じ、パソコンに順調に解答を打ち込んでいけました。

結果は満点。これで路考に行く権利を得ることができました。ここで失格すると7天の間、再受験ができなくなることを知っていましたから、こんなところで落ちるわけにはいきません。  

次は路考待合室に行って、路考の順番予約をします。さすがは台湾、考照をまったく受けない芊芊も通訳(日本語にするわけではなく、難しい中国語をわかりやすい中国語か英語にするという変な通訳)として、同行をあっさりと認めてくれました。待合室に行くと申請書類を手続きするおじさんがパソコンの前にいて、書類の手続きをしてくれると同時に、壁に貼ってるコース概要を見ながら、路考の内容の説明を一通りしてくれました。昨日、芊芊とすでに研究済みで、さらに駕訓班の教官からもきめ細かく指導・助言を受けていましたので、フンフンという感じで最終確認をしました。

汽車路考場示意圖

しばらくすると教官がやって来て、私の名前を呼び、車に乗せてもらって試験場所まで移動となりました。さすがに芊芊は同乗禁止。待合室でおとなしく路考終了まで待つことになりました。試験開始の場所に移動すると、試験官と運転を交替し、いよいよ路考がスタートになります。心地よい緊張感がちょっとあったものの、やはり、練習の効果は抜群。難なく、センサーの発動や縁石への接触、乗り上げもなく、無難に終了することができました。

 路考成績表 
登記書

芊芊が言っていましたが、路考で失格するとその場で、登記書を渡され、7天後の再受験を促されて、歩いて待合室に戻るという悲惨なことになります。しかし、この日、私は自分でもほぼ、満点のできで、当然ながら登記書も試験官から渡されませんでした。路考終了後に待合室で待っていた芊芊と合流、試験官の指示に従って、待合室のすぐ近くにある小さな駕駛執照發給所で2人で待っていると、さっきの試験官が私の登記所を持ってきてパソコンの前にいる發給係の女性に渡しました。發給料金の200元を支払うと、ものの10分程度で完成。日本の運転免許に比べたら、非常につくりは雑で苦労して手に入れた割には厚紙の非常に安っぽい感じがする駕駛執照でした。  

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しかし、 駕駛執照を受け取った瞬間、とにかく跳び上がらんばかりに大喜びしている台中娘が私の目の前にいました。まるで、自分のことにように喜んでいます。私も芊芊の様子を見ていたら、本当にうれしくなってしまいました。

たかが、運転免許の取得ですが、外国人である私たちが取得するのは当時、簡単ではなく、今のように交流協会で切り替えるだけだったら、きっと、これほどの苦労も、そしてそれを乗り越えた喜びもなかったと思います。しかし、芊芊という聡明な子の力を借りて、たった2天でしたが、集中して勉強・練習した成果が結果につながり、ほぼ、満点に近い点数で合格できたことは私も久々に心から嬉しかったというか、達成感があったというか、そんな出来事でした。

「芊芊、我考到了。我収到駕駛執照。所以我們會過去旅遊的」

(チェンチェン、試験受かって、免許証受けとったよ。これで僕たちは旅行にいけるからね) 

芊芊は駕駛執照發給係のお姉さんがいる前でもはばからず、満点の笑顔で私に抱きついてきました。

「我也覺得考到了。因為我們努力努力吧。而且我有秘密的。其實我去過拜拜文昌宮。很開心!!」

(私も受かると思っていたから。だって私たちはすごく、努力を重ねたからね。それに実はこっそり、文昌宮にもお願いのお祈りをしに行ってきたんだ。とってもハッピーだよ!!)

私は、この時、土曜日の夕方、咖哩の材料を買いに行くからと言って、なかなか芊芊が機車で出かけて帰ってこなかった理由がやっとわかりました。彼女は雙連にある試験・学問の神様で名高い文昌宮に私の駕駛執照考驗がうまくいくようにお祈りに行っていたのです。鈍感な私は、そんな芊芊の気持ちにまったく、気づきませんでした。 

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そして、私は気づかなかったのですが、登記書を申請するときに「你用這個比較好」と言って貸してくれたボールペンは文昌宮で売っている「考試順利」セットの中の原子筆でした。信心深い彼女はわざわざ、この私の駕駛執照考驗のために土曜日、準備してくれていたのです。

私は芊芊のそんなちょっとした気遣いがとてもこの時うれしく、彼女の本当のところは旅行に行きたい気持ちが強かったとしても一生懸命、一緒に調べてくれ、協力してくれた芊芊の心意を今でも忘れることはありません。 
 
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檳榔西施

駕駛執照を入手してすぐに動きの早い芊芊は租車(中国語でレンタカーのこと。出租車とも言うが、タクシーを指すこともある。タクシーは台北では一般的に計程車)を士林にある和運租車の服務站(中国語で営業所のこと)にすぐに行くことになりました。何と驚くことにすでに芊芊は網路(インターネット)で予約していました。網路で予約すると通常価格よりもはるかに安く、保険などを含めて1日約1800元ぐらいで借りることができます。日系のレンタカーも台湾にはありますが、台湾人である芊芊がいることは心強く、手続きや書類などすべて問題ありませんから、台湾で一番大手と言われるこの和運租車はサービスも車も良く、とてもお勧めです。
和運租車 

借りた車はトヨタのVIOSです。國瑞汽車(TOYOTA)は台湾でも大変人気があり、中壢に工場がありますが、多くの台湾人の方々が高い品質を維持するためにきちんとした工程管理の下、製造しています。

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しかし、いつも思うのは芊芊の手際の良さ。この子は酒店で小姐をしていますが、気立ても良く、英語もできて聡明ですから、いつもお金の問題がなければ、そして大學を卒業していれば、大きな公司で十分に通用する子でした。

その彼女が行きたかったのは彰化の鹿港、雲林北港の五路財神廟、南投の妖怪村と清境農場でした。台中にかつて住んでいた彼女は台北には時折、学校の校外学習で来ていたものの、台南や高雄などをはじめ、台中より南はあまり行ったことがなく、一度訪れてみたかったようです。

さて、さっそく車を借り、午後3時過ぎには家に一端帰ることになりました。芊芊は機車で、私は汽車でという別々の運転だったため、初めて運転する台北の市街地にちょっと緊張感がありましたが、運転してみたらすぐにカンが戻り、まったく問題なく右側通行、左ハンドルにもあっという間に慣れてしまいました。一度、家に帰って、とりあえずの旅行に必要な服や生活用品をバックに芊芊と詰めて出発となりました。

芊芊は極めて上機嫌で饒舌、「你要嗎?」とかいろいろなグッズを見せては訊いてきます。この子は本当に旅行に行ってみたかったんでしょう。台中から出てきてから長い休みはなく、夜は毎日、夜市でTシャツを売り、暑假や寒假はいろいろな打工をこなし、それに疲れた彼女は賃金の良い酒店で働くようになったものの、週に4天、夜の10時から朝の6時まで働くという日々でした。家を両親とケンカして飛び出したこともあって、台中にも帰るに帰れず、ずっと台北で単調な日々をすごしていたのですから当然と言えば当然だったかもしれません。

さて夕方4時過ぎには、はしゃぐ芊芊を車に乗せて、出発、さっそく中山高速公路に乗って三重、五股、泰山と車を進めました。桃園を過ぎ、ちょうど
中壢に近づいた頃、芊芊が一度、高速公路を降りて、夕食を中壢あたりで食べようというので一般道に降りることになりました。

高速公路を降りて中壢の中心部に向かう道は民族路と言いますが、夕刻のインターと交わる道路には桃園・中壢のあたりには妖艶な格好をした檳榔西施が多くいます。台北は高速公路から降りた重慶北路のあたりに檳榔店が数多くありますが、台北市は市の条例で薄着の檳榔西施による営業を禁止していますので、店は多くあってもいわゆる妖艶な格好の女性はいません。しかし、台北の郊外に出ると規制がなくなることもあって多くの檳榔西施を見ることができます。さらに台北から南へ下る台中、台南や高雄に行くと衣装はどんどん過激になります。南部はちょっとした摸摸もできることが多く、台湾の社会風俗文化としてよく紹介されますから、ご存じの方も多いと思います。しかし、観光や旅行で来られた方は車で走って高速公路近くの郊外に行くことはまずなく、わざわざ檳榔西施を見に行くようなオプションツアーもあるわけないので、実際に見ることは台湾に住んでいて車やバイクに乗っていないとまずないかもしれません。   

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ビンロウ店

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  檳榔西施のインタビュー。わかりやすい中国語を話すので、聞き取りの練習にもいいです。商品の檳榔を作る様子や店内の様子もわかります。煙草や冷飲を同時に売っていることが多いのですが、ほとんど原価が10元以下と言われる檳榔を1袋または1箱100元平均で売りますから、効率の良いビジネスです。

 露出度が高く、ちょっとした特別服務もある南部の檳榔西施たちの様子。本当かどうかはわかりませんが、結構多くのニュースで報道され、動画もありますから台南・高雄あたりではよくあるのかもしれません。 






台湾の驚くべきところは16歳や17歳の高中妹の檳榔西施が結構いること。もちろん、生活のために高額の報償を得るためにやっていますが、法律的には風俗業の八大業には含まれないため、18歳以下でも就業が可能です。彼女たちは18歳になると酒店小姐になる子も多いです。私が2011年に御坂という今はない制服店で知り合った18歳の米奇と奶茶という子はともに高中の3年級で、17歳の時は基隆で檳榔西施をやっていたと言っていました。南部は檳榔を買うと摸摸のような特別服務があるような競争の激しい所もありますが、台湾の北部については基本的にそのようなことはなく、ただ、露出度の激しい衣装を着て檳榔を売るだけですから、容姿に自信がある子にとっては割の良い打工かもしれません。   

 これは台湾の一天壹蘋果という社会風俗世相を斬るトーク番組。真面目な番組なのか、バラエティなのかよくわからない構成なのですが、17歳の現役檳榔西施が出演しています。下のリンクを見るとすべてVol.1~4の全集を見ることができます。彼女たちの生活の様子やなぜ檳榔西施になったのかがよくわかります。Vol.1は15歳、高中1年級からこの仕事を始めた念念という子のインタビューと仕事ぶりが中心。ドキュメント風のタッチで描かれています。また、リンク先にあるVol.3では台南市安吉路の檳榔西施による摸摸の特別服務が本当かどうかを潜入取材している動画もあります。さらには酒店の中でも「剝皮店」と言われるボッタクリ、詐欺店の手口も紹介しているシリーズもあります。中国語の聞き取りの練習にもなり、画像もHDできれい。台湾社会を知り得るためには必見です。ぜひ、ご覧下さい。


2012年04月02日放映  一天壹蘋果 - 檳榔西施

檳榔を噛んだことは私は一度もないのですが、仕事で長距離トラックの運転手などと打ち合わせたり、同乗するとよく勧められます。いつも断っていますが、口腔癌になりやすく、習慣性や中毒性も強いと聞きます。石灰と一緒にガムのように噛み、赤い汁が出るのでこれを紙コップにはき出す(路上に吐くと罰金ですが、今でも台湾の歩道上にある赤黒い汚れはこれです)のですが、かなり苦いらしいとのこと。酒店の大廳でも包廂を待っている間などに噛んでいる人は結構います。酒店の小姐がキスをすごく嫌がるのは、これが理由。日本人で檳榔を常用している人はまずいないので、キスに関しては台湾人の子たちは日本人に対して比較的安心感をもっていますね。
國民健康局 檳榔防制暨口腔癌防治
防制檳榔危害健康 

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さらに何気なく檳榔を買おうとしても必ず、檳榔西施が何か中国語で聞いてくるはず。実は檳榔には種類があって「紅灰」「包葉白灰」「雙子星」の3種類があり、きちんとどれが欲しいか言わないといけません。さらには小箱や小袋(だいたい50元)と大箱や大袋(だいたい100元~200元)もあります。まあ、買わない方がいいに越したことはないのですが。経験として一度ぐらいはやってみてもいいかもしれませんが、私はやっぱりお歯黒を塗ったような歯が真っ黒な常用台湾人の方を見るとちょっと遠慮したいですね。
檳榔介紹

びんろう種類

実際に檳榔西施とちょっとした会話やふれあいをしながら買うのが台湾の檳榔店の楽しみ方なのでしょうが、檳榔には興味がない私にとってはひとつの台湾の風景。芊芊も見慣れていますから、特段、何の感覚もありません。日本人にとってはちょっと驚くようなこの風景も台湾では当たり前のことなので、不思議なのですが、子供たちが前を普通に通り過ぎて行きます。「檳榔売りのお姉さんだ」ぐらいの日常の光景なのでしょう。

芊芊と吃飯をした後、私たちは再び独特の棒状ネオンサインの輝く檳榔店の前を通り過ぎ、高速公路に戻りました。
そして、芊芊の故郷である台中に向けて、夜の台湾西部を疾走し出したのです。

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故郷の街・銀都

芊芊と中山高速公路を南へとひた走ると彼女の故郷・台中が近づいてきました。芊芊は高中を卒業して、すぐに台北に来ていましたが、家出同然で台北の私立大学への進学を反対する両親を振り切って台中を去っていましたから彼女は一度も台中に戻ることはありませんでした。

「芊芊、台中接近了」 (芊芊、台中が近づいてきたよ) 

芊芊は無言でした。彼女にとっての台中は故郷に違いはないのですが、帰るに帰れない近くて遠い街になっていました。この時の旅の彼女の希望は彰化や雲林、南投で台中は入っていませんでした。私も彼女の複雑な心境を知っていましたので、通り道にある台中は寄ろうと思えばすぐに寄れたのですが、旅行計画を立てるときに一切、台中に寄ることは提案もしませんでした。

しかし、この時、ふと思いました。故郷に帰りたくない、故郷を見たくないという人間など決して多くはないはず。
芊芊は無言で無表情でしたが、私は中山高速公路の台中インターで中港路に向けてハンドルを切りました。

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「不要、不要、我不能回來台中。目前已經我是台北人、不是台中人!」

(行く必要ない。私はもう台中には戻れないんだ。もう今はすでに台北人、台中人じゃない!) 

私は彼女の言葉を珍しく無視しました。車で台中に来たことはなかったし、よく台中の地理もわかりませんでしたが、芊芊のために台中を彼女に見せた方がいいという思いだけしかありませんでした。行く当てもなく、台中のどこに彼女が住んでいたのかも知りませんでした。ただ、あの時、無性に台中へ芊芊を連れて行かなければという気持ちだけがあったのを憶えています。

中港路から中正路に入りました。道がよくわかりませんでしたが、カーナビと標識を頼りに台中車站に行こうととりあえず、考えていました。道は簡単で、一本道。芊芊は窓の外のネオン輝く台中の街並みを黙って見つめています。彼女の胸に去来するものはいったいどんな思いだったのか、私にはわからなかったのですが、彼女を台中に約2年ぶりに連れてきたことは決してまちがってはいないと強く感じていました。なぜならば、インターを降りる時にちょっと抵抗した芊芊がまったく言葉を発することもなく、信号待ちをしているときにふと見た彼女がうっとりといった表情で車窓から街を見ていたからです。

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「芊芊、到了」 (チェンチェン、着いたよ)

夜の台中車站は歴史的な建造物だけあって、ライトアップされ美しいシルエットを映し出していました。

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私はロータリーのあたりに車を止め、車から降りました。特に何をするわけでもなかったけど、芊芊が生まれ育った台中の夜風を少し感じたかったのかもしれません。

しばらくして、芊芊が車から降りてきました。そして、私の手を握ると聞き取れないような小さな声で囁きました。

「謝謝。真的謝謝」

芊芊の頬を一筋の涙が伝いました。

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「不想看故鄉的人、我覺得應該没有。芊芊」 (故郷を見たくないなんて人は、僕が思うに多分いないよ、チェンチェン)

「你哭泣很多呢」 (チェンチェンは本当に泣き虫だなあ)

「台中,台湾人叫銀都。台北是首都、高雄是港都哦。台中是美麗的城市。我有美好的回憶很多的。我感覺懐念・・・・」

(台中はね、銀都って呼ばれているんだ。それに対して台北は首都、高雄は港都と呼ばれているの。台中はとっても美しい街だよ。私はここにいっぱい良い想い出があるんだ。とっても懐かしい・・・・)

芊芊はきっとこの街に帰りたかったにちがいありません。背伸びをし、虚勢を張って彼女は台北で一人、生きていましたから自分の仲間や可愛がってくれた老師たちがいるこの街の息吹を感じることを彼女はとても怖がっていました。だから、来たくなかったのではなくて、来たくないように振る舞っていたのだと思います。ここへ戻ったらまた、甘えてしまう、台北で苦しい思いをしながら生きていくことが辛くなって帰れなくなるとも彼女は思っていたのでしょう。事実、この日、台中に来たことは彼女にとって大きなターニングポイントになりました。この4ヶ月後に彼女は再び、台中へ戻っていったのだから。

しかし、心は素直でした。
台中の暖かい夜風は、再び彼女をやさしく包み込み、彼女の心の琴線に触れるのに十分でした。

「你來過台中嗎?」 (ねえ、台中、来たことある?)

「嗯、有。但我的理由是只工作的」 (うん、あるよ。だたし、仕事で来ただけだね) 

「哈哈哈、我引導台中吧!因為我是台中人的」(ハハハ、じゃあ私が案内してあげるよ!私は台中人だからね)

さっきまで、もう台北人になったと言っていたばかりなのに、もう台中人に戻っていました。そして、芊芊の顔には心からの笑容(笑顔のこと)。すっかり、また、いつもの台湾に詳しくない日本人に世話を焼くお姉さん顔に戻っていました。時間はまだ夜の9時をまわったばかり。中壢で吃飯を7時ちょっと前にしたけどちょっと台中の夜に芊芊と繰り出してみたくなりました。ここは何と言っても彼女の故郷の銀都。水を得た魚のようなものでしょう。さらに芊芊が言うには台中は汽車旅館(モーテル)が有名で豪華絢爛、WE GOもびっくりだよと言っていて、この日の夜は台中の汽車旅館に泊まることにしました。

芊芊と彷徨う台中の夜。

それは芊芊の甘美な懐念が数え切れないぐらい詰まっているパンドラの箱でした。

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潘朵拉的盒子

「你上車、再次開車吧!」 (車乗って。もう1回運転するよ)

元気になった芊芊が明るい声で私に言ってきました。

「芊芊、你想過去在那裡?」(チェンチェン、どこに行きたいの?)

「秘密的」 (秘密だよ)

いつものように行き先を教えてくれません。ただ、芊芊がカーナビを見ながら、次は右に曲がってとかまっすぐ行ってとか行き先の指示をしますから、その通りに運転することになりました。しかし、ちょっとおかしなことがあって、繁華街を抜けて元のインター方向に進行しているような気がするのです。道幅も広くなり、あたりは閑静な住宅街という感じのマンションが林立しているようなちょっと高級感のある場所に来ました。 台中車站からちょうど15分ぐらいだったでしょうか。

「到了」 (着いたよ)

私は車を止め、芊芊とともに車を降りました。いったい、こんな所に何があるのだろう?
しかし、その答えはすぐにわかりました。

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彼女が卒業した高級中学校がそこにはありました。彼女が卒業したのは台中では名門と言われる市立○○高中。すごく立派な校舎が広い道路に面していて、さらに驚いたのはこの学校が後から知ったのですが、名門で極めて優秀な学校だったことです。特に外語関係の授業や学力には定評があって、國際交流もさかんな学校であり、台中では6番目、全国でも28番目という高い学力平均を誇っている学校でした。リンクのHPは台湾の高中の制服を着る可愛い子たちを集めたサイト。完全に顔出しで日本ではちょっと考えられないのですが、そこは台湾、このようなHPは数多くあります。芊芊が通っていた高中の制服カラーは独特ですからわかると思います。 芊芊も高中時代はここに写っている写真の子みたいな感じだったのでしょう。 
台中市高中職制服

「你知道嗎?制服的顏色是橙色。有特色很多的。外語教育是太有名。所以我也可能説英文、美語 」

(知ってる、制服の色がオレンジなんだよ。すごく特色がいっぱいあるんだ。外国語教育は特に有名でね。だから私も英語が出来るんだよ)

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それと芊芊が言うにはこの閑静なあたりの地区の周辺には私はあまり気がつかなかったのですが、酒店が数多くあり、実は学校にいた頃から、その存在や仕事のことは知っていたとのことでした。確かに報道もされていて、学校周辺の環境はかなり、台中においても有名なようです。だから、彼女自身、今の仕事に対する抵抗も大きくはなかったと言います。
校門外就是酒店 高中女報導探密

実は台中は「銀都」という呼び名以外に「風都」という別名があります。台湾の中では規制が最も八大産業に対して緩く、街中には巨大なKTV酒店が銀行のビルなどと並んでその偉容を誇っています。有名なのは金錢豹と海派という2大系列で台中市内に複数の巨大店舗をもつ便服店です。私は行ったことはありませんが、ケタ違いに高いという噂があって(本当かどうかわかりません)、1回2小時で3万元ぐらいはかかるとのことですから、相当なレベルだと思います。一番有名なのは中港路2段にある金錢豹金山店。台中のKTV酒店文化の中心と言われるほど有名です。検索すれば台北の酒店などとは異なり、地址や写真など詳細な情報が網路に多く流れています。もはや台中では一種の社会風俗文化として完全に定着しているという感じです。

 金錢豹KTV酒店金山店
金錢豹金山店

 金錢豹KTV酒店市政店
金錢豹市政店

 海派KTV酒店海六店
海派海六店

 金紫爵酒店
金紫爵酒店

しかし、台中の人が有錢人ばかりであることはなく、このような大KTV酒店にいける客層は多くはありません。台中の八大の主流は制服店が僅か2店舗しかないため、理容と300暢飲店と呼ばれる台中独特の店舗です。この呼称は台中独自で他地区にはなく、茶藝館・茶荘、摸摸茶とほぼ同じと思えば間違い有りません。小規模な300店が数多くあって、台中の八大の中心となっています。人頭費が女の子一人で300元という理由から300店などと呼ばれています。当然、50分1節1200元がこれ以外に必要ですから、実際には50分で1500元という価格はどこもほぼ、横並びで同じです。台北や南部にはなく、台中独特の仕組みなので、また、こちらは機会を見てブログの中で紹介していきますが、この芊芊と台中に行った時には、これらの存在すら私は知りませんでした。

さて、芊芊はいつものようにすごく饒舌で、誰もいない暑假の夜の高中の前でいろいろな話をすごくしてくれました。英語のコンテストで優秀者に選ばれて表彰されたこと、学園祭で友達みんなと可愛い格好をして跳舞をしたこと、運動が得意でスポーツ大会ではいつも活躍していて男の子によく告白されたこと・・・・・。今の自分を肯定できない芊芊は自分が一番楽しかった高中時代から、まだ心を切り離すことができず、どうして自分は國立大學を落ちてしまったのか、すごく、その悔いが残っているようでした。「私はこんなところにいる人間じゃない」と酒店で働く芊芊がいつも思っているように私は感じていましたが、彼女自身も台中で自分の卒業した名門校を私に見せることで、彼女自身の崩れていたアイデンティティが再び、蘇るような感じがありました。

「芊芊、你要看看家裡嗎?」 (チェンチェン、実家の様子は見たくないの?)

芊芊はしばらく、下を見て無言のままでした。そしてポツリとつぶやきました。

「我想過去。看一些」 (行ってみたい。ちょっと見てみる)

車に再び乗り、台中の街を芊芊の指示によってまた走り出しました。私は家を見た瞬間の芊芊の反応がまったく予想ができませんでした。ただ再び、涙を見せるのではないかとは思っていました。

10分も走ったでしょうか。彼女の家の大樓の前に到着しました。台中は台中一期~十二期重劃區地圖という都市計画によって郊外に計画的に街がつくられてきました。
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 芊芊が通っていた学校周辺の七期重劃區の様子。都市計画に基づいた閑静な新興住宅地です。
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しかし、芊芊の家はそのような新興地区のこぎれいなアパートが並ぶ所にはなく、いわゆる旧市街地の線路沿いの老街にありました。大樓はとても古く、かなり外から見ても老朽化していることがわかります。附近の環境もいわゆる雑然としたあまり整備されていない印象があって、狭い巷に面して立っていました。その大樓の4階が彼女の家で、窓から少し灯りが漏れていました。私たちは車から降り、芊芊が指さす彼女の家の小さな灯りを見つめました。

「我想回家、不過我不可以的」 (私は家に戻りたい、だけどできないよ)

涙を見せると思った芊芊は、予想に反し、しっかりとした口調で私に話しかけました。手の届く先に家はあっても今すぐに帰り、両親とすんなり会うことができないことは彼女自身が一番わかっていました。彼女自身の心の準備もできていなかったですし、状況的に無理なことは確かでした。多分、突然、顔を見せても良い結果は生まれないということを彼女自身が一番悟っていたと思います。

「上車吧!一起去吃飯」 (車乗ろうよ。ご飯食べに行こう!)

彼女の家の前に居た時間はほんの数分間でした。卒業した高中の前ではあれほど饒舌だった芊芊は、多くを語らず、ただ、自分のかつて住んでいた家の灯りを見つめただけでした。涙も見せず、ただ、淡々としていた芊芊の表情は妙に印象的でした。

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ギリシャ神話のパンドラの箱の伝説は有名で多くの人が知っています。中国語でパンドラの箱のことを「潘朵拉的盒子」と書きます。決して開けてはいけない潘朵拉的盒子を開けた途端、多くの災いが世界に広がるのですが、急いで蓋をしめたところ、箱の中には「希望」だけが残ったとされる寓話です。

芊芊は一度開いた心にあった「潘朵拉的盒子」を急いで閉めてしまいました。
しかし、寓話の通り、盒子の中には確かに「希望」や「期待」「予兆」が残っていたのです。

芊芊はこのことに気づかなかったのでしょうが、それを4ヶ月後に彼女自身が確認することになるとは、この時、私も芊芊もまったく思ってもいませんでした。

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台中汽車旅館

「我擔心AYU一點」 (私、ちょっとAYUが心配なんだよね)

実は芊芊は台北に来てから長く家を空けたことはなく、旅行も行ったことがありませんでした。旅行に行く前に私たちは猫のAYUを近くの寵物生活館の動物飯店(ペットホテル)に預けてきました。芊芊は最初、旅行に一緒に連れて行こうとしたのですが、犬ならともかく、猫の行動はかなり突飛で首輪をつけたりするのもなじみませんから、芊芊を説得して置いてきた経緯がありました。子猫の時から面倒を見ていて、初めてAYUに一人暮らしさせるので、ちょっと心配になった様子でした。

しかし、芊芊がAYUのことを思い出し、心配するようになってきたので、私は少し安心しました。台中に入ってから芊芊の気持ちは明らかにいつもとは異なる様相があり、それは当然と言えば当然ですが、やっと、本来の芊芊に戻ってきたように感じたからです。

「應該OK的。我相信那個寵物生活館的老闆」 (多分大丈夫だよ。僕はあのペット店の店長信じてるから)

芊芊はちょっと心配そうな顔をしましたが、まあ、1週間も空けるわけではないので、気を取り直してウン、ウンと頷いていました。

さて、芊芊と夜の台中を走り、彼女の案内でついた所は台中で最もお洒落と芊芊が言う「精明一路」でした。まだ夜の10時を少し回ったころでしたので、多くの店が開いていて、表のヨーロッパのカフェ調になっている雰囲気の所に多くの若い人たちが思い思いにおしゃべりしながらドリンクを飲んだりしていました。

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精明一街は洋風のお洒落なブティックやレストラン、カフェが統一された景観で店が並んでいます。台中の中でも特にスノッブな男女が集まるところとして知られていますが、物価は高いので一般庶民や家族連れの街という感じはありません。それとそんなに長い路ではなく、計画的に作られた商圏なので、限られたスペースといった感じです。

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中壢で軽く食事をしてきたこともあって、私と芊芊は入口近くにある春水堂で軽めの點心と冷飲の珍珠奶茶を頼み、外に持ち出して夜風に吹かれながら食べ始めました。春水堂は台湾の各地にあるチェーン店ですが、雰囲気はお洒落で味も悪くなく、お勧めのお店のひとつです。

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しかし、芊芊は自分がここを案内したにもかかわらず、ちょっと落ち着きません。彼女が気にしていたのは、まわりに自分の高中時代の知り合いが偶然いないかどうかでした。周りの客層は確かに若いアベックが多く、芊芊と同じような雰囲気の子がたくさんいます。しかし、彼女の風貌も高中時代よりは少し派手になっていたし、髪もエクステをつけ、完全に茶髪でしたから、もし、知り合いがいたとしてもきっと芊芊だとは気づかなかったのかもしれません。

さて、春水堂は夜の11:30までやっているので、ついつい芊芊とゆっくりしてしまいました。芊芊の台中の時のとりとめもない話はなかなか面白く、すっかり元気になった彼女は、自分の知っているいろいろな台中の話をしてくれました。私たちの旅はおおまかに予定を決めていただけで泊まるホテルも予約していませんでしたから、ちょっと予定を変更して明日は台中附近を散策することになりました。芊芊が目を輝かせて、「台中のことならまかせて」といった感じの即席ガイドになっていましたから、芊芊がお勧めのスポットをいろいろと話してくれて、計画を立てるといった感じだったでしょうか。

さて、今日はあわただしい一日だったこともあって(思ってみれば今日の午後に駕駛執照を取得したばかりでした)、ちょっと疲れてきました。そこで、芊芊が案内する汽車旅館(モーテル)に向かうことになりました。台中は汽車旅館が豊富で施設は豪華絢爛。房間には露天風呂やジャグジー、プール、サウナなどが設備されていることも珍しくありません。台湾の汽車旅館は行ったことがある人はわかりますが、本当に驚きの充実設備で、台北でも桃園や板橋、中和、永和などの周辺に行けば同様の汽車旅館があります。しかし、台北の場合は周辺部に散っていて都心部ではWE GOなどあまり数は多くはありません。しかし、台中は事情が違って、本当に多くの汽車旅館が市内に数多くあって過当競争とも言えるぐらいです。
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汽車旅館はラブホテルとはちょっとちがっていて、台湾では家族連れや仲間内のパーティー(大人数で泊まる)などによく使われます。台中の場合、だいたい豪華な汽車旅館は泊まりだと1万元前後が定価。高いです。しかし、そこは台湾、実は平日の場合、インターネットや電話予約して交渉するとあっという間に4000~5000元ぐらいの割引価格になってしまいます。

芊芊はこのあたりの交渉事情にも詳しく、さっそく、めぼしいいくつかの汽車旅館を網路で検索し、予約を入れることにしました。驚くべき事は台湾のWIFI環境で、芊芊は自分のノートパソコンを旅行に持ってきていましたが、中華電信のWIFIに接続して、春水堂附近のオープンカフェ席からアクセスしていました。台湾のカフェやマックではノートパソコンでインターネット接続している人をたくさん見かけますが、それは多分、日本より遙かにWIFI事情が良いからだと思います。

さて、この時に私たちが候補にしたのは次の3つの汽車旅館。名前も覚えやすく、今でもあの時に検索した汽車旅館はよく憶えていて、この後、私は台中や台南、高雄に行くたびに狭いビジネス型シティホテルよりもこれらの汽車旅館に泊まるようになってしまいました。快適さのレベルがちがいます。値段はいずれも4500元ぐらいでした。芊芊が行っていたようにWE GOもびっくり。あまりの豪華絢爛さと広さに頭がクラクラきます。

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夏都


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房間は平日ならばどこも満室ということはまずなく、汽車旅館の数は本当に多いですから、これらの汽車旅館と同じようなレベルの所は他にもたくさんあります。だいたい房間に広い温水プールかジャグジーがついていることが多く、驚かされます。

私たちが結局予約したのは「夏都」。第1候補だった水月は房間が少なく満室でした。

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台中という街は台中車站から中港路を中心に放射線状に大きな道が広がっている感じになっていて、碁盤の目になっている台北とは異なり、ちょっと方向感覚が取りづらいところがあります。大雅路・公園路という道は賑やかな通りで繁華街もこの周辺には多いのですが、この大雅路を昇って北方向に行ったところにこの汽車旅館はあります。だいたい台中車站から車で20分ぐらいでしょうか。外はコンクリートむき出しのちょっと古くさい建物なのですが、中に入るとびっくり!です。







さっそく、房間に入ると芊芊の部屋探検が始まり、いろいろなものを見つけては私に見せて話しかけてきます。基本的におしゃべりで行動的な娘ですから、このような所に来るとすぐに落ち着きがなくなります。しかし、芊芊と私が一番驚いたのはジャグジーというか温水プールというか、これが広いこと。

術後の芊芊は浴槽に入ることを3日間、醫生から禁止されていていたため、今日まで浴槽につかることはありませんでした。手術をしたのが先週の星期三(水曜日)。星期四(木曜日)は萬華に行き元気にしていましたが、暑い夏の中、歩いたりしていたにもかかわらず、彼女はこのところずっとシャワーを浴びるだけでしたから大興奮。あっというまにパッパッと脱いで裸になってザブンと飛び込んでしまいました。

「來來! 很舒服!」 (おいでおいで、すごく気持ちいいよ!)

天真爛漫な芊芊の弾けるような笑顔がそこにはありました。

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青春無敵

さて、汽車旅館でゆっくりすごすことになった私と芊芊。芊芊は久しぶりにKTVをしたいというので、2人で唱いまくることになりました。台湾人は本当にKTVが好きな人が多く、女の子たちも錢櫃などのKTVで気持ちを解放するのがひとつの定番になっています。汽車旅館もかなりだだっ広いこともあって、バースデーパーティーなどは4~10人ぐらいの集団で借りて、温水プールなどで遊び、飲料や食べ物を持ち込んでKTVや跳舞をしながら楽しむということも多くあります。

芊芊は跳舞と唱歌もうまい子で、彼女ほどオールマイティな子は、未だかつて出逢っていません。英語が堪能であり、料理などの家事も得意、物事をよく知っている聡明さ、気遣いができて心が優しく明朗快活、そして運動神経の良さやイラストなどの美術のうまさももちあわせていました。欠点と言えば好奇心が強すぎる、落ち着きがない、すぐにリードをとりたがるといったところでしたが、それらはどちらかというと無邪気さの裏返しみたいなところがあって、大きな問題を感じることはまったくありませんでした。この時KTVを歌いながら、そして、彼女が跳舞を見せてくれたのが、彼女の高中時代にいろいろと唱い踊った曲で、一人でも盛り上がれる芊芊は私という観客がいて大喜びでした。

台湾人は「青春無敵」という言葉をよく使いますが、漢字の意味の通り、「若いということは何にも勝る」という意味です。台湾の高中は極めていろいろな活動が多く、生徒数も1000人とかは普通ですから、とても学校生活そのものがバラエティに富んでいます。特に台湾人は多分、日本の子以上に跳舞が大好きで、あらゆるイベントに可愛い子たちの跳舞があると言っても過言ではありません。きっと亜熱帯に暮らす彼女たちは私が思うにオプチミストが多く、リズミカルな子も多いのでしょう。同じ中国人でも大陸人や香港人とは明らかに異なる気質があって、タイ・フィリピンや南米、ラテンのスペインやイタリアといった民族の感覚に近いものがあります。 下のYOU TUBEは台湾人の方が台湾・大陸・香港・澳門の4地域の美少女を比較対比したスライドショー。何となく顔立ちは似てはいますが、台湾の子が一番おっとりした印象を受けるのは私だけかな。皆さんはどう感じるでしょうか?





この日の芊芊はちょっとタイムマシンに乗って高中時代の彼女に戻ったようなものでしたから、いつも以上に饒舌・元気で彼女の楽しかった高中の時の話を繰り返し、すごくしてくれました。そんな芊芊は確かに純真無垢で目を輝かせ、いつもとはまた違った印象がありました。今日、最初に彼女の母校である○○高中の前に行った時も同じような話をしてくれたのですが、何度もニコニコしながら説明してくれます。確かに彼女の高中時代はまさしく「青春無敵」で、特に文武両道に優れ、容姿も端麗な芊芊は本当に人気者だったと思います。

台湾の不思議な所はすごく勉強ができたり、真面目な子でもけっこうくだけていること。しかし、コギャルのような子は少なくて、メガネを掛けて黒髪で読書を好んだりもします。親孝行や学校思いの子が多くて、日本のように対教師暴力や学校が荒れる、イジメが多いという話は聞きません。不登校も少なく、学力もPISAの調査では近年、数学や科学で日本を上回ることもあり、世界的にも高い学力を誇っています。日本も2010年以降はゆとり教育の見直しを図って再び向上してきていますが、学ぶ目的や学習の意味といった意識面では大きく台湾に離されているのが実情です。
学力の国際比較(2009年)

 HONEYで跳舞する女生の子たち。 


 台湾の女生の雰囲気がよくわかります。「青春無敵!台湾加油讃」。歌も良く、生き生きと跳舞してますね。


 こちらは韓国・T-ARAのRoly-Polyの青春無敵版。台湾人の方によるアップです。

 台湾美少女女生を集めた動画。確かに可愛い子が多いのですが、私の印象は性格が良い子が多くて表情が柔和な子が多いように感じます。皆さんはどう感じられるでしょうか?


 芊芊が通っていた名門校の様々な活動の様子。あの時、芊芊がたくさんのことを話してくれた楽しかった学校生活の様子と重なります。彼女もきっとこんなように踊っていたのかな。


 こちらは台湾を訪問して交流を深めた日本の女子高生たちの表演。台湾でも大人気のAKB48の跳舞。
日本の子たちもがんばっています。日台のいい交流が続くといいですね。


芊芊と歌を唱っていましたが、彼女はついには私との話に夢中になってしまいました。難しい中国語もあるのですが、彼女はイラストも得意で絵を描いたり、英語で表現して補ってくれるため、ほぼ理解することができ、また、もってきたノートPCをWIFIで網路につないでいろいろな関連するサイトも見せて説明してくれました。

芊芊は充実した汽車旅館の設備を最初の部屋探検で把握していましたから、さっき精明一街近くのコンビニで買い込みをしてきた飲料を冷蔵庫に冷やしていましたが、アイスコーヒーを出し、御菓子を広げ、とりとめもなく話し始めました。

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この時彼女の話を聞く中でいろいろな新たな発見がありました。台湾人が日本人をどう思っているのか、そして台湾はなぜ、こんなに親日的なのか。芊芊は高中時代に英語や第2外国語で日本語を学び、特に国際関係や日本統治時代の台湾に興味・関心が高く、自分自身も哈日族でしたから、彼女のいろいろな話は興味がつきませんでした。台北にいる時は このような話題について、あまり深く話をすることは多くはありませんでしたが、台中という彼女の原点の地に戻ることによって、彼女自身が覚醒したこともあり、とても真摯に彼女はいろいろなことを教えてくれ、考えを話してくれました。

私はたまたま仕事の都合で台湾に偶然、駐在したのですが、彼女と知り合ったことは本当に幸運でした。ここまで、たまたま出逢った多くの台湾人の方に昼のビジネスの世界ではいろいろとよくしていただきましたが、サブカルチャーや台湾の社会風俗や文化流行については酒店で出逢った心優しい子たちからいろいろと教えてもらっていたものの、日本と台湾の関係や交流について考えるまでにはなかなか至っていませんでした。しかし、芊芊はたまたま出逢った日本人であった私に彼女自身も初めて深くかかわった日本人として誠実に接してくれ、そして自分の考える現在の台湾の方向性や日本文化の台湾との関わりを多くの示唆をもって伝えようとしてくれたからです。そして、彼女と出会った6月から私自身も芊芊と方々に出かけることによって本当に多くの発見があり、いろいろな台湾社会の側面を知り得ることができていました。芊芊が日本を好きな理由、そして日本の台湾統治時代を高中の頃に深く調べ、学んでいた彼女の知識と考察は確かにキラリと光るものがありました。

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今回のブログを書くにあたって芊芊の母校について調べてみると、実にいろいろな活動がYOU TUBEにアップされていました。台湾では多くの高中がYOU TUBEに自分たちのいろいろな活動のPRや報告をアップするのはとても一般的で、個人情報に対しておおらかな台湾ならではなのですが、多くの表演の活動とともにこんな動画が日語班の学生たちによってアップされていました。



ちょっと見た後、胸が熱くなってしまいました。東日本大震災からもう1年半が経とうとしていますが、あの震災が起きたとき、台北にいた私は台湾の方々の厚い支援や温かい気持ちが数多く寄せられたことを身をもって知っていて涙が出そうな言葉もたくさんいただきました。当時のことを思い出し、そして、今もがんばっている東北の方々のことを思い起こしてしまったからです。

さて、芊芊とのこの旅行は日本と台湾のことをよく知る要素が実はたくさんあって、この後、私は芊芊の案内によって後日、霧社という地に向かいます。それはやはり、芊芊が私に日本と台湾の過去の関係を教えてくれようとしたために選んだ地でした。

私は日本人として、あの時の芊芊が教えてくれた台湾が日本を思う気持ちをいつも忘れることはありません。台湾の方、すべてが親日であるとは思ってはいません。時として抗日運動も起ります。しかし、少なくとも一般的な台湾社会は日本に対し、友好的に接しようとしてくれることは多くの場面で感じました。交流協会の調査でも台湾人が一番好きな国は41%の方が日本と回答しているという結果も標本調査の一断面ですが、あります。
台湾市民の対日意識調査、今回も日本が「最も好きな国」に
【中国BBS】「台湾人が一番好きな国は日本」に対する中国人の反応は?
台湾人はなぜ日本が好きか? 中国と台湾の対日態度が違うのは

ちょっとエッチな内容も当然、夜の世界の紹介のブログですから書いていますが、台湾に割り切る遊びを求めに来られる方の否定はいろいろな価値観がありますからしませんが、決して肯定をすることはしないのは、私自身が日本人としての誇りをもち、台湾人と心の交流を通してかかわっていきたいという気持ちがとても強いからです。それが根底にないとどこにでもある夜の世界と同じ、単なる夜の遊び場の情報交換に終ってしまうように感じています。男女のいろいろな物語は心の交わりの結果として生まれる以外ないと私はいつも思っています。







「青春無敵」と弾ける台湾の若者たち。しかし、彼ら彼女らは時として、日本人が忘れかけている心を思い出させてくれます。私が台湾で暮らした4年間は単なるビジネスで台湾との関係をもっただけではなく、台湾社会への日本人としての向き合い方を考えることができた4年間でした。

芊芊と出逢った夏。それは本当の意味での台湾との出逢いだったのかもしれません。

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彩虹村

汽車旅館でちょっと遅くまで芊芊と話し込んでいたため、翌日は運転の疲れもあって目が覚めたらもう朝の9時過ぎになっていました。芊芊は幸せそうな顔をしてまだ、眠っていましたが、とりあえず、起こして朝食。今まで、夜型の生活を送っていた芊芊は生活のリズムが変ってきていましたが、この日も行きたい所がいっぱいあったのでしょう。飛び跳ねるようにすぐに起きてきました。

「早安、芊芊」

朝食を食べながら、今日行く所の相談をしたのですが、基本的に私はあまり、ここにぜひ行きたいという希望がなかったので芊芊にお任せということになりました。いつもながら芊芊は行き先をはっきりとは教えてくれません。この子は私がびっくりしたり、驚くのをとても楽しみにしていて、いつもギリギリまで詳しくいろいろなことを教えてくれないということが多く、また、私もそれが楽しみでもあったように思います。

確かに芊芊は物知りで、いつも「どこにいこうか」といった迷いのようなものがありません。いくつも引き出しを持っていて、また、持っていなかったとしても事前に用意周到に調べたりしていました。人を飽きさせない、一緒にいる人をいつも幸せにするというのが彼女の喜びだったと思います。芊芊の口癖があって、それは「你的開心是我的開心」(あなたの幸せは私の幸せ)というものでした。 

汽車旅館を出た私たちは、再び芊芊の「右轉」とか「左轉」、「直走」などという案内で彼女のお薦めのスポットへと車を進めました。彼女は台中人ですから、時々、「アレッ」という感じで道を間違えたり、迷ったりすることが時にありましたが、カーナビの助けもあって、いつもほとんどノーミスで目的地に到着できたと思います。

台中の街中に行くと思っていたのですが、どんどん郊外の方に行き、ついには川を渡り、高鐵と中山高速公路もくぐってしまいました。そしてついたのは、何と大學。嶺東科技大學という立派な大學の校門前でした。

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しかし、大學の巨大なキャンパスに沿って車を進めていくと「左轉!」と芊芊が言います。「干城六村」と書いてあるボロい錆びた門がある道を入っていきます。着いたのは國小の前。私は再び、彼女が卒業した國小を今度は訪ねるのかなと思いました。それにしては彼女の実家からこの場所は相当離れています。しかし、國小の近くに「春安活動中心」のにちょっとした空き地のような駐車場があって、「停車這裡、我們走路的」(ここに車駐めて。あとは歩くよ)と芊芊が言います。まったく、この台中娘の考えていることは訳がわからなくなる時があります。

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しかし、國小の前から金属の塀の間の荒れ地のような道を歩いていくと・・・・・・。

 2008年当時のまだ、ほとんど訪問する人がいなかった時代の「彩虹村」の入口
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路地を抜けると小さな公園があって、その先には感動的な色彩の古びた集落がありました。

名前は「彩虹眷村」。ビビットカラーの何とも言えない風景でレトロな趣きのある路地や家に鮮やかなイラストが1軒の家の周辺に描かれていました。

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芊芊がいつものように説明をしてくれました。

「為何「彩虹」?在這裡開始寫的畫兒,「黃先生」事黃永阜先生。年輕的人,討厭這個眷村,向外邊的世界出了去。是黃先生生活的眷村也同,住的人也減少,成為台中市的再開發區,不久被拆毀這樣的命運」

(なぜ、ここが虹なんだろうね?ついこの前からここに住む黄爺さんがある日ここに突然、絵を描き始めたんだよ。このあたりに住む若い人が都会に出て行ったから住む人がこの眷村には少なくなって、台中の都市再開発計画に入ってしまったの。だからここはまもなく取り壊されちゃうんだよ)

実は私と芊芊がここを訪れたときはまだ、そんなに絵も多くなく、人もまったくといっていませんでした。なぜならば、ここを訪れた2008年からここに住む黄爺さんは絵を描き始めていて、当時は有名でもなく、観光地でもありませんでした。しかし、絵が好きな芊芊はここに面白いイラストタッチの絵が描かれ始めているという話を友達から聞いて知っていました。まもなく、都市再計画によって取り壊されてしまうという話で、芊芊はまだ、あまり知られておらず、観光ガイドにも載っていなかったここに私を案内してくれたのです。さらに私たちは今ではあまり考えられないのですが、絵を描いている黄爺さんとも会って、人見知りしない芊芊がいっぱい話をしていました。私もいろいろなここに絵を描き始めた理由やどんな素材をどんな気持ちで描いているかという話を聞かせていただきました。当時は書きかけの絵も多く、今のようにまだ所狭しと描かれてはいませんでした。

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しかし、芊芊は本当に先見の明があって、その後、この彩虹街は多くの芸術家の支持を集め出します。そして2009年頃から都市再開発でここの取り壊しを反対する人の署名活動が始まり、ついには台中市長がここの再開発をやめて文化遺産的な扱いとして保存、観光地として大きく2009年後半頃から脚光を浴びるようになりました。今や黄爺さんのFACEBOOKもあり、村は写真家や芸術家をはじめ、多くの文化人や一般観光客が訪れる名所となっています。
彩虹眷村 - 黃永阜爺爺 FACEBOOK

私が芊芊と訪れた時は黄爺さんの家の周辺ぐらいにしか絵は描かれていませんでしたが、その後、かなり範囲が広がっています。入口の案内も写真で見る限り、どんどん整備されてきています。

 2010年頃の入口。しっかりした金属塀に変っています。
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 現在は多くの人が見学に訪れる観光名所になっています。入口に看板も設置され、車の駐車もすごくて大賑わいのようですね。すごく小さくて狭いところですから今はきっと大混雑だと思います。
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何か、観光化されてしまったことは悪くはないのですが、私が訪れた当時の芊芊が見つけた「秘密の場所」といった雰囲気はもう、今はまったく、なくなってしまいました。結婚式の撮影やモデルを使ってのプロモーション写真やDVDの撮影など、すごく多くの人で賑わっていて、逆に住んでいる黄爺さんのプライバシーがなくなっていると聞いています。今の詳しい状況はわかりませんが、ネットで見る限り、当時とはちょっと趣きが変ってきているのは確かですね。黄爺さんもいまや有名人で、いろいろな催し物などにも出席している時の人になっています。

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私自身、本当のことを言うとちょっと残念。あの暑い夏の日、誰もいない、うらぶれた集落に描かれつつあった絵を芊芊とたった2人だけで見たときの衝撃は今訪れてもきっと感じないでしょう。黄爺さんと野良猫ぐらいしかいなかった当時の「彩虹眷村」はひっそりと存在して欲しかったなとも思います。しかし、都市再開発でなくなってしまうという幻の村、伝説の村となるはずだった
「彩虹眷村」 が残ったことは良いことだと思います。黄爺さんのあの素晴らしいタッチが消えてしまうのは本当に残念なことだと、当時はすごく感じたのを憶えていますから。

「彩虹」とは中国語で「虹」のこと。雨が上がった後に天空にかかる虹は色鮮やかでもすぐに消えてしまいます。

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きっと黄爺さんは描き始めた当時、この色鮮やかな村が都市再開発によってすぐに消えてしまうというイメージから「
彩虹眷村」と名付けたのではないかと私は類推しています。しかし、この「彩虹眷村 」は芸術を愛する人の努力によって、幻とはならず、後世までその姿を残すことになりました。

4ヶ月後、「彩虹」のように鮮やかな強い印象を残して消え去った芊芊。
彼女とこの「彩虹眷村」 は私の心の中でいつまでも重なっています。

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茶藝館

さて、彩虹村で製作中の黄爺さんとおしゃべりしているうちに時刻はもうお昼近くなってきました。芊芊は頭の回転が速く、次から次へと話題を思いつきますから、黄爺さんとの話もエンドレス状態になっていました。黄爺さんもとても良い木訥とした方で、今はすっかり有名人になってしまいましたが、当時は訪れる人も芸術好きの台湾人を除き、ほとんどいませんでしたから、すごくにこやかに笑いながら話に応じてくれていました。

「芊芊、現在已經 大約11點半。我肚子餓一點。一起去吃飯吧」

(チェンチェン、今、もう11時半頃だよ。ちょっとお腹が減ったから、ご飯にしようか)

「OK的」

私と芊芊は黄爺さんに別れを告げ、元の國小前の駐車場に戻りました。しかし、さすがは芊芊、私に何を食べたいのかなどと訊くことはまったくなく、すでに今日のお昼ご飯の場所は決めてあると言います。台中で生まれ育ったこの娘は、自分の知り得る限りの台中の面白さを伝えたくてしょうがないのでしょう。ただ、芊芊は観光客が多いようなスポットは避けたいようで、台中人だからこそ知っている隠れ家のような場所に案内したいようでした。それは、いつもながら芊芊が行き先を教えてくれないこと、そして、人生の最大の幸福がやってきたような笑顔と気分の高揚があったことからよく感じることができました。この子は嬉しい時や褒められた時、ちょっと得意げな顔をすることが多く、感情がそのまま顔に表れるというか、とてもある意味、心情がわかりやすいところがあります。

「以前、你過去茶藝館嗎?」 (ねえ、茶藝館、行ったことある?)

「恩、我有的」 (うん、あるよ)

茶藝館とは台湾には数多くあり、読んで字の如く、「お茶」を楽しむお店です。台湾の場合は本格的な静寂な空間をもつ懐古趣味的な茶藝館が多く、飲茶を通じて自然界と一体となり心を開放し、中華四千年の伝統文化に触れ、先人の美意識を生活の中に取り入れようという考え方が強いです。

私も仕事の関係の接待などで何度か台湾人の方に案内していただいたことがあり、およその作法をほぼ理解はしていました。日本の茶道とは異なりますが、作法があるのは同じで、最初は教えてもらわないとなかなか理解できません。茶藝師という資格をもった方々も台湾には数多くいて、日本の茶道のようにその方式を学ぶことがさかんです。茶藝培訓班という茶藝の方式を学ぶ講座も人気があります。

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だいたい、日本人が観光ガイドなどで紹介されている有名な茶藝館に行くと、日本語の説明ガイドがあったり、店員の方が丁寧に教えてくれますから、実は心配はいりません。しかし、問題は本格的な茶藝館は値段が高いこと。お茶の種類にもよりますが、茶葉だけで300~400元ぐらいすることも多く、約1000元ぐらいは特段、何もせず、お茶を楽しむだけでかかることが多いです。次のサイトは茶に関してオールマイティの台湾サイト。私が知る限り、一番コンパクトに情報が詰まっていますから、お土産や日頃の駐在生活のアクセントに活用してみてはいかがでしょうか。
台湾茶葉網

お茶にもいろいろな種類があって、重要なのは産地と発酵方法。高山茶とか高冷茶は1000m以上の高地で栽培されたお茶のこと。阿里山茶や玉山茶、梨山茶などが有名ですね。それと白茶、緑茶、青茶、紅茶、黒茶などというのは茶葉の発酵具合のこと。台湾の主流は「青茶」。すなわち、烏龍茶と一般的に呼ばれる半発酵茶です。下のリンクを見ていただくとよく理解ができます。
台湾高山茶
中国茶朋友会~茶葉の種類から入れ方まで詳しく紹介されている日本語HP~

 イベントあるところに必ず美人系または露出系の小姐が登場するのは台湾の鉄則です。
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台湾の入れ方の主流は「工夫茶」。すなわち、じっくりとお茶を入れて味と香りを出して楽しむという方式です。
のんびり工夫茶の時間~台湾工夫茶の入れ方~
昇祥茶行~台北の茶行、日本語ページあり~

慣れれば簡単。そんなに難しくはありません。台北にも雰囲気が良い茶藝館はたくさんあって、検索すればたくさんヒットします。特に雰囲気があるのが、台北近郊板橋、MRT府中站近くにある逸馨園ですね。何度か行きましたが、ノスタルジックな空間で落ち着きがあり、商談などにもお勧めです。
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板橋「逸馨園」

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しかし、台中には台湾を代表する有名な茶藝館があって「無為草堂」と「陶源茗人文茶藝館」はその中でも東西の横綱といった感じの茶藝館です。日本の観光ガイドやサイトにも数多く載っていて、観光客の方も多いですから体験レポートも多くの方が書いていますね。
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「應該你去過有名的茶藝館。台中有有名的茶藝館很多。例如無為草堂。當然應該不錯誤、但比較貴的」

(多分、有名な茶藝館に行ったことがあるでしょ。台中には有名な茶藝館がいっぱいあるんだよ。例えば無為草堂ね。もちろん、まちがいがない名店だよ、但し、ちょっと高いんだ)

芊芊自身もこれらの有名な茶藝館には行ったことがありませんでした。観光などで台湾を訪れると茶藝館に行くことはひとつの定番になっていますが、実は住んでいる台湾人にとっては趣味の世界であり、そんなに身近なものではありません。価格は確かに高く、ブルジョワジーの台湾人の楽しみであることが多く、一般庶民は50元便當や100元の自助餐を食べたりしていることが多く、飲茶に1000元近くかけることはなかなか難しいと言えます。従って、多くの台湾人にとっては知っていても無縁だったりもします。

さて、車は台中の山側に向かっていきます。台中の市街地は台中站をはさんで西側に開けているのですが、線路を越えて東側の郊外に向かっていくとちょっとした田舎の風景が広がってきます。台中には大坑山という台北でいうところの陽明山のような風景區があり、日帰り登山やハイキングがさかんに行われています。芊芊も國小や國中時代に遠足で実は何回か来ていて、話の中でどうやらそのあたりに向かっているということがわかりました。東山路というメインの大きな道路があり、そこを進んでいくとやっと彼女が目指していた茶藝館に到着しました。彩虹村からちょっと距離がありましたが、道路は空いていて30分ぐらいで到着したような記憶があります。

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茶藝館というので、懐古趣味の落ち着いた店を想像していましたが、まったく、普通の店という感じです。店の名前は「三本茶藝」。日本人はまったくおらず、すべて庶民的な台湾人ばかりでした。店のおばさんにも日本人はとても珍しい?というお褒めをいただきましたが、観光サイトや観光ガイドには出ておらず、地元の台湾人が味と価格の良さで来ているという店でした。

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「好吃火鍋的」 (ここは鍋がとってもおいしいんだよ)

エアコンのガンガン効いている中で真夏に火鍋を食べるというのも台湾らしい発想なのですが、確かに茶藝館というよりも餐廳のような感じがするぐらい菜單が豊富で、だいたい200~300元前後の品が多く、手軽でした。
愛評網 三本茶藝~火鍋.簡餐(実際の火鍋の価格や写真が紹介されています)

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芊芊はうれしそうにひとつひとつの火鍋の種類を説明してくれるのですが、種類が多すぎて彼女におまかせとなりました。確かに鍋は量が多く、牛肉鍋を頼みましたが、とてもうまい!芊芊の案内は本当にまちがいがないことが多く、また、普通の日本人が足を運ぶようなところにはあまり行きませんでしたから、価格も安くてリーズナブルなことが多かったですね。

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しかし、ここは本当に茶藝館なのだろうか?という感じはしました。店はほとんどの人が食事に来ていて、茶を楽しむという感じはほとんどありません。しかし、芊芊が言うには有名な茶藝館は店の雰囲気でお金をとっていて、飲む種類や味は同じとのこと。確かに、茶藝のセットがあり、食後に茶をたしなんでいる人がよく観察していると多いことに気づきました。あと気がついたのは有名な茶藝館のように紳士淑女風の方は少なく、若い学生や家族連れがとても多いこと。芊芊ぐらいの年齢の女の子も多くて、肩が凝らずに食事と飲茶を楽しめる雰囲気があります。

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芊芊が言うように一応?茶の種類もあって、茶葉を楽しむこともできますが、やっぱり、食事メインのおししい火鍋屋という感じは否めません。ただ、普通の飲食店とは異なり、飲茶も楽しむことができるといったクロスオーバーの店という感じでした。ただ格式ある茶藝館も悪くはありませんが、こんな餐廳のような気軽な茶藝館も悪くはありません。値段も安いし。

それと芊芊自身もよく茶の入れ方の過程をあんまり知っていない(多くの台湾人が知っているというのは誤解で日本の茶道のように知らない人の方が多いです。台湾人にとって茶は身近ですが、本格的な茶藝館のような茶の入れ方はそんなに多くはありません)こともあり、彼女自身はある程度は知っていましたが、ちょっと適当でした。

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「芊芊、吃包了、好吃的」 (チェンチェン、もうお腹いっぱいだ。おいしかったよ)

いつもながら、鼻がピンと高くなった満足感を与えた時の芊芊の得意げな顔がありました。
果たして芊芊は次はどうするのだろう? この子の台中案内にさらなる興味が湧いてきました。

太陽餅

三本茶藝館で火鍋を食べ終え、茶を芊芊と飲んでいました。

「你知道太陽餅嗎?台中的名産的」 (ねえ、太陽餅を知ってる?台中の名物なんだよ)

 「當然我知道了。好吃的、但難吃一些」 (当然、知ってるよ。おいしいけどちょっと食べにくいよね)

太陽餅は台中の有名な名産で、私もよく台中人からお土産でいただきました。パイのような味わいでうまいのですが、とにかくボロボロとまわりの皮の部分がこぼれてしまうので、何となくマナーが悪いような食べ方になってしまうことが多く、いつも紙などを桌の上に敷いて食べるようにしていました。 

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芊芊がまた、太陽餅について説明をし始めました。台中には太陽餅街という老舗の太陽餅店がずらりと並んでいる路があること、そして意外にも台湾で太陽餅が知られたのは近年のことで、それまでは台中独自の食べ物だったと言います。最近は台北でも売っているのをよく見かけるようになったということですが、芊芊が子供の頃、台北に行って太陽餅のことを話してもまず、知っている人はいなかったと言います。作り方が簡単ではなく、さらにやはりボロボロとすぐに型くずれするため、包装や運搬が簡単ではなく、以前は台中の店先で買い、食べたり、近所のお土産にもっていくといった類のものだったようです。そのため、台中人である芊芊にとっては子供の頃から慣れ親しんだ御菓子で、よく買いに行ったとのことでした。

「我們也可能製餅的。你試看看嗎?我製餅很好呢、我有自信的」 

(私たちも太陽餅を作れるんだよ!やってみる?私、つくるのうまいから自信があるんだ)

しかし、芊芊は家にも帰ることができず、一体どこで作るというのか、とても不思議でした。彼女は料理や御菓子づくりが好きな一面をもっていて、作るのが楽しみというよりは、自分が一生懸命作ったものを食べてもらい、「好吃!」と言ってもらうことをうれしがるようなところがありました。だから、台中の名物である太陽餅の店を案内して買うだけではなく、どうしても日本人である私に一緒に作って欲しかったようでした。

「我想製餅。没有経験、不過我們製餅 在那裡?」 (僕も作ってみたいよ。経験もないし。でも、どこで作るの?)

すると芊芊はすぐに電話をして何やら早口で依頼しています。きっと製餅する場所と方法を彼女は知り得ていて、それをすぐに依頼していたようでした。彼女は人当たりが良いこともあって台中に多くの親しい人がいることは容易に想像ができたのですが、私には彼女がどう手配しているのかさっぱり、わかりませんでした。

しかし、この時はすぐに彼女が種明かしをしてくれました。國中時代に職場経験のような学校のプログラムがあって、芊芊は太陽餅店のある老舗で勤労体験をしていたのです。そして高中時代も忙しい時は手伝いに行っていたようで、懇意にしている店があるからとのことでした。だから芊芊の急な依頼にも快く応じてくれたのです。私たちはさっそく、太陽餅街に車で向かうことになりました。
台中太陽餅街

太陽餅街は台中站のすぐ近くにありました。中山路と自由路の交差点付近から民族路の交差点附近まで、多くの太陽餅店が自由路には並んでいます。太陽餅という名前を付けた老店である太陽堂だけでも太陽堂老店、太陽堂太陽餅店、太陽堂餅店、太陽堂老舗とあって、どうちがうのかよくわかりません。
太陽堂老店HP

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しかし、この中の青い看板の太陽堂餅店はこの5月に閉店、どうやら高齢の経営者の後を継ぐ方がおらず、台中人の惜しまれながら店を停業したようです。ただ、台中市の支援もあり、どうやら現在は復興した模様。ご主人は癌で69歳で亡くなられたようですが、この8月から場所を変えて三民路で営業をどうやら再開したようです。
後繼無人! 正宗太陽餅老店熄燈  

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老滋味等到了 太陽堂餅店重開

芊芊が製餅を依頼したいたのは、これらの「太陽堂」という名称の店群ではなく、「元明商店」という太陽餅店でした。ここは太陽餅の創始店と名乗っています。太陽餅という名前をつけたのは太陽堂を始めた3兄弟のようですが、太陽餅の原型となる麦芽餅はこの店が1930年から作り始めていて、本当のルーツはこちらとのこと。芊芊も自分がお世話になっている店だけに力を込めてここが本当の太陽餅の元祖だと言っていました。ここは心型(ハートの形)太陽餅でも有名です。
太陽餅創始店 元明商店HP

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さて、太陽餅を作っている元明商店生産部へ芊芊と到着しました。ここの店の人たちは芊芊のことをよく知っていて「○○(芊芊の本名)!」と言って懐かしがって抱きついていました。彼女は台中にはこっそりと帰っているから家族や仲間には言わないで欲しいといったようなことを頼んでいました。私のことは台北で勤めている公司の上司だと紹介していて、今は台北の日系の企業で大學に通いながら打工していると言っていました。さて、太陽餅を作ることになりましたが、本当に芊芊が懇意にしているだけあって、とても丁寧に教えてくれました。

さて特別に生産部の中に入れてもらい、清潔に体をして手を良く洗い、白衣を借りて、さっそく製餅しているおばさんやおじさんに混じって芊芊と造り始めました。芊芊は経験があることもあって、極めてうまく、笑いながら手取り足取り教えてくれたので、私も何とかコツをつかむことができました。

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なかなか楽しく、また、自分の手作りの太陽餅ができるのは達成感もあり、悪くはありません。それになかなか日本人では経験ができないことでもあったし、一緒に製造している台湾人の方々も親切で一心不乱に造りながらも私と芊芊の面倒をよく見てくれたことも忘れられません。

さて、体験が終ると、店先で太陽餅を芊芊といただきました。そして、驚くべきことに値段はすべて免費。芊芊がこの店でみんなに可愛がられ、よく働いてくれたからだって。やはり、この子はどこでも可愛がられる得な性格な娘でした。多くの人が芊芊が約2年ぶりに故郷・台中に戻ったことを素直に喜んでくれていました。

今、この元明商店は2009年頃から予約制のDIYを始め、観光客の方にも太陽餅の手作り体験ができるコースを始めました。さらには分店である朝馬店ではDIY専門のコーナーも作って、オリジナルな商法を打ち出し始めました。まだ、あの時、2008年頃にはこのようなコースはビジネス的にはありませんでした。

実は芊芊が私はこの店にアドバイスしたのではないかと私は睨んでいて、私が体験してとても喜んで面白がっていた様子を見た元明商店の経営者もヒントをあの時に得たのではないかと密かに思っています。この店が体験コーナーを儲け、ビジネス展開しだした頃と芊芊が台中に帰った頃の時期がほぼ一致するからです。きっと、当たっています。
自製太陽餅@台中
台中自製趣怪太陽餅

 自製太陽餅で体験をする台湾人学生の様子が2012年6月28日の旅遊トラベル・ニュースで取り扱われていました。4人の団体で受け付けていて一人100元となっています。4人以下でも受け付けていて1グループ400元だせばできるようです。2人なら200元ということになるのかな?
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最近はこの元明商店以外にもDIYのコースができてきています。太陽餅がよりメジャーになって、今や台中の主要産業とまでなりつつあります。私が芊芊と元明商店を訪れた時はまだまだマイナーな感じで台中から台湾全土に知られ出したのが定着したというぐらいの感じでした。

 これは太陽堂老店のDIYの様子です。
太陽堂老店DIY
太陽堂太陽餅活動DIY

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 こちらは2009年台中市選抜の太陽餅仙子。台中市長も太陽餅の經済活動に力を入れていてご満悦の様子。
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 太陽騎士なる「ゆるキャラ」も登場して、今や鳳梨酥と並ぶ台湾名産に名実ともになってきました。
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芊芊は本当に魅力のある子でした。彼女との旅はまだまだ続き、さらに私はいろいろな台湾を発見していきます。

最美麗的夕照

一生懸命、太陽餅の製餅をして、芊芊の台中時代によくしてくれた生産部で働くおじさんやおばさんと談笑して自分たちが作ったちょっと不出来な太陽餅を食べているともう時刻は下午の3時頃になっていました。

芊芊が時計を見て、思いついたように言いました。

「我想顯示我最喜歡的美麗的景色」 (私は私が一番きれいだと思っている景色を見せたいの)

「没有時間的・・・」 (時間があんまりない・・・・) 

芊芊が急いでお世話になった元明商店の方々に御礼を言い、私も皆さんにあいさつをして、急いで車に向かいました。芊芊が私に告げた行き先は「台中航空站」、すなわち、台中の飛行場でした。道は一本道で中清路を北西方向にどんどん走っていきます。中山高速公路を通り越し、さらに走っていくと右側には無粋なコンクリートの壁でかこまれた台中航空站の外壁が見えてきました。周りは本当に殺風景で、私はまた芊芊がこの飛行場のどこかに素晴らしいスポットがあってそこに行くのかとばかり思っていました。 

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しかし、台中航空站のあたりで車を駐める様子はまったくありません。芊芊はカーナビを見つめると私に道の指示を細かくしだしました。航空站をあっさり通り過ぎるとどんどん海のある方角に向かって車を進めていきます。そして、高美路という細い田舎の道に入りました。途中、宮の派手な門がありましたが、まったく台湾の田舎の素朴な家が田園風景の中に広がっている感じの何にもない所です。

「芊芊、有什麼?」 (チェンチェン、何があるの?)

芊芊はまったく、詳しいことを話しません。時間はもう午後4時半頃で少しずつ、日も傾きかけていました。

「直走!」 (まっすぐ行って!)

芊芊は何かを追い求めるような顔をして、私に言います。そしてとうとう、道はつきあたりが見えました。何かお城のような建物があり、托兒所と書いてあります。さらにその奥には赤白の灯台のような建物が見え出しました。

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そしてその托兒所の横を通り抜けたつきあたりには、何もない、本当に何もない広大な景色が広がっていました。車を置くスペースがあり、そこに車を駐めて降りた私たちが見たものは・・・・・。

私はその時の芊芊の顔を忘れることができません。

海の方には14基の大きな風力発電用の風車が無機的に立ち並んでいました。そして、海の方に向かって、ちょっとした堤防があり、そこに欄干がある橋のような歩行用の道に昇ってみると、美しい夕日に照らされた湿地が広がっていて、何人かの人が残照に輝く湿地を歩いているのが見えます。湿地の方に芊芊と手をつないでゆっくり歩いていくとたくさんの鳥がいて、さらにちょっと満ち潮だったのか、海水も少し満ちており、それは見る者の心を打つ本当に美しい光景でした。

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いつもは饒舌でお茶目な芊芊も物静かでした。本当に美しいもの、真に心を感動させる場面に出会った時、人はあまりにもその素晴らしさに魅入ってしまい、きっと言葉を失ってしまうのでしょう。

私と芊芊は穿いていた靴を脱ぎ、湿地の浅瀬に足を少しだけ踏み入れました。小さな魚がいっぱい群れをなして泳いでいるのが見えます。そして、地平線の向こうには無機的で現代的なデザインの風車が見事なぐらい風景にとけ込んで、幻想的な空間を創り出していました。

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「芊芊、很美麗的風景哦。我真的感動了・・・」 (チェンチェン、とても美しい景色だよ。すごく感動した・・・。)

この時、芊芊は本当に多くを語りませんでした。
そして、恍惚とした彼女の表情は神々しい雰囲気すら感じさせました。

彼女は國小の頃、ここに学校から遠足を兼ねて自然観察の勉強に来ていて、この「高美濕地」に来るのは10年ぶりぐらいでした。その時に見た夕焼けの美しさを忘れることができなかったといいます。彼女の故郷の台中の周辺には芊芊のいろいろな想い出がたくさん散りばめられていて、今回の旅は結果的には彼女にとって「自分探しの旅」でした。いろいろな想い出の地を訪れることにより、今の自分をもう一度、見直し、そして新たな希望を見いだそうとしているように私の目には映りました。

「謝謝、芊芊」 (ありがとう、チェンチェン)

あまりにも心に焼き付く風景を前にして、ここに連れてきてくれた芊芊に言葉をかけました。

「私の方こそ、サンキューだよ」

驚いたことに彼女は日本語と英語で言葉を返しました。そして、濡れたままの足も気にせず、飛びつくように抱きついてきました。本当に純粋な少女のように。私も彼女を心から抱きしめました。それは芊芊の体を抱きしめるというよりは、彼女のもつ、やさしい気持ちを逃がさないように抱きしめたかったからかもしれません。

芊芊は軽いキスをした後、照れくさそうにすぐにいつもの「エヘヘ」という感じの笑顔を見せて、飛び跳ねていきました。幼い好奇心たっぷりの子供のように、童心にかえった芊芊がそこにはいました。

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私たちはしばらく時間も忘れ、高美濕地に佇んでいました。

時折、芊芊は無邪気に羽を休めている水鳥に近づいて驚かしたり、泳いでいる小魚を手ですくってとろうとしたり、すぐにいつもの茶目っ気たっぷりの行動を繰り返し、ロマンチックな雰囲気はあっという間になくなってしまいました。それは彼女の照れ隠しの裏側の行動だったのかもしれませんが。

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そして、あたりはもう随分、暗くなってきました。

「芊芊、我們出発的! 下次我們過去在那裡?」 

(チェンチェン、そろそろ出発するよ!今度はどこへ行くの?)

いつもの芊芊の元気な声が返ってきました。

「秘密的!」

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【台中旅遊景點推薦】台中高美濕地/高美溼地一日遊
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