午場で小小とYOYOと一緒に出逢った子に滴滴という18才の子がいます。とにかく、私が今まで逢ったPT妹の中でも独特のキャラで忘れられない子の一人です。スタイルは抜群。いわゆるポン、キュッ、ポンという体系で顔も美人。でも大声でギャハハという感じで笑い、いつもソファで足を投げ出して大股開きでリラックスしまくりという子です。歌も踊りながらシャウトするような歌が大好きで、いつも楽天的な小小とよく絡んでいました。ちょっと茶髪でいかにも可愛いギャルといった感じの雰囲気の子で、黒髪のYOYOや小小とはちょっと感じはちがっていました。

幹部のKittyも滴滴にはまったく遠慮もせずに言いたいことを言っていて、滴滴もそれに負けていませんから、いわゆるじゃじゃ馬というか、おてんばというか、そんな感じがぴったりの子です。人見知りはまったくと言っていいほどなく、ある時はとても酒に酔って包廂に入ってきて、いきなりソファに横たわっていびきをかいて眠ったこともありました。そのため、午場のしっとりとした「談戀愛」を求めてきている客人によく追い出されていて、幹部のKittyに「滴滴呼んで、一緒に小小やYOYOと遊んであげて」みたいなことを言われて、よく呼んでいました。3人の娘がキャーキャー騒ぎまくるような雰囲気で、彼女たちも1對1は絶対しない子たちでしたので、女子校の学園祭のようなノリで楽しんでいました。

私は包み隠し事をまったくといってしない粗野な滴滴が大好きで、私も気持ちが楽でしたし、三枚目的なキャラと彼女のスタイルのギャップがいつも面白かったです。恥ずかしがらないのも滴滴の特徴で、いつも包廂に入るなり、跳舞後の恰好にパッパッとすぐなってしまい、スタイルに自信もあったのか、「看看我的胸部!」とよく言っていました。若いこともあってエッチにも興味津々でちょっとウブなYOYOといつも下ネタ話で盛り上がっていました。小小は経験が豊富だったので、いつも二人に面白おかしく話をしていて、時には実技?もみんなでいろいろと積極的にしてくれたので、正直言うといいこともたくさんありました。簡訊もよくくれたのですが、日本のコギャルのように絵文字や彼女の独特の表現?が多くてなかなか難解でした。きっと普通のおじさんだったら、天真爛漫過ぎて持て余してしまうと思います。

4月中旬、高中に通っていた午場のワイルドガール”滴滴”は大学入学のための試験の準備を始めました。

台湾は2月頃に日本のセンター試験にあたる「大学学科能力測験」という試験が台湾にもあって、この試験結果によって75点満点75等級に分けられて、100カ所まで希望を出すことができます。日本のセンター試験利用入試と似ていて、点数に応じて合格が決まり、ここで決まると9月まで受験勉強から解放されて自由にすごせるのですが、これで結果が芳しくないと7月頃に行われる各大学の試験に臨むことになります。

滴滴もこの「大学学科能力測験」を受けていましたが、結果があまり良くなく、自分の希望する大学には届かない状況でした。彼女の希望は日本語学科でした。国立の台湾大学や政治大学、名門の私立東呉大学や淡江大学にはとてもとてもとどかない状況でした。陽明山にある中國文化大学には最も歴史のある日本語学科があるのですが、ここもギリギリ届かないという状況でした。細かいことを考えるのが苦手な滴滴はとにかく大雑把なので、一刻も早く受験勉強を終えて、入学する大学を確定したいようでした。とにかく入れればいいというような感じのことをよく言っていました。

台湾は私が思うに日本以上の学歴社会で勤め人になるにはどこの学校を出ているかが採用にも大きな影響があり、キャリアもある程度決まってくるようなところがあります。そのため、雨後のタケノコのような状況で次々と新興大学ができていて、特に電脳(PC)や半導体技術関連産業がさかんな台湾では○○科技大學とか○○技術学院といった私立校が本当に数え切れないぐらいあります。

私は學生妹と本当にたくさん出逢いましたが、多くはこの系統のいわゆる入りやすいと思われる科技大學や技術学院の子がとても多かったです。多くはやや台北から離れた郊外(林口や桃園、基降、淡水の北部、木柵、新店などに多くあります)にあって、私も大學や技術学院の名前がとても詳しくなってしまいました。多分、のべ30~40ぐらいの大学や技術学院の子とあっていますが、国立大學はさすがに少なくて、幹部の震洲とあと公關の子は3人しかいませんでした。私立はいずれも學費が高いため、學費を稼ぐ目的の子が多かったこともありました。

滴滴はこれらの比較的入りやすい科技大学や技術学院なら合格できたのですが、理科系の勉強が嫌いで、日本の流行が大好きだった彼女の唯一の希望が「日本語学科」でした。そのため、彼女が考えたのが「推薦」という方法です。台湾の大学への推薦入試は若干名をとるために4~6月頃にかけて行われます。彼女が目指したのは台中にあるキリスト教系の元々は女子大だった大學でした。ここには日本語文学科があって、ここの推薦入学にターゲットを定めていました。 滴滴は高中の第二外国語で日本語を選択していました。今、日本語は第二外国語として一番人気があると言う統計があります。
 台湾の高校生の人気第二外国語は日本語 

そんな滴滴に4月中旬、突然、頼み事をされました。何と、推薦試験に面試(面接試験のこと)があるので、直前にじっくりと教えて欲しいというのです。彼女は日本語を第二外国語でとっているし、日本語文学科を希望していることもあって、簡単な「志望の理由:大学で何を学びたいか」みたいな志願書の論文を日本語で書いて出し、それに基づいて面接され、日本語で応答しなければいけないということでした。滴滴は本当に大雑把で緻密に試験の準備をするようなタイプではありません。高中では、日本に興味があって将来は日本に留学したいみたいなことを書きなさいと指導されたようですが、あんまり、真面目に直前まで考えておらず、さすがに心配になったようでした。

滴滴の上班は不一定で、彼女の通っていた高中は市内の龍山寺の近くにありましたから、いつも学校が終わるとその足で制服で来店していました。小小やYOYOは台北からやや離れたところに住んでいましたから、いつも土曜日と日曜日のみの上班で2時から8時が基本でしたが、滴滴は学校が終わった5時か6時頃から12時頃まで働くというパターンでした。そして土曜日だけ学校がないこともあって午後2時から来ていましたが、日曜日は来ていませんでした。

私は滴滴の推薦入試が1週間後に迫っていることを聞いて、私の方が心配になってしまい、上班のない明日の日曜日の昼に彼女の家がある士林近くの中正路と中山北路の交差点にある麥當勞で待ち合わせることにしました。受験に必要な書類や辞書、教科書や授業で使っているノートなどを持って来るように言いました。滴滴はまだ、合格もしていないのにそれだけで受かったような気分になっていて「謝謝!謝謝!」と跳び上がらんばかりの喜びようでした。

日曜日の午後1時。約束通り、滴滴はやってきました。化粧もしておらず、メガネをかけていて、最初は滴滴とまったくわかりませんでした。どこから見ても真面目そうな普通の高中生です。横に並んで席につくと、肩掛けカバンのような学校の名前の入ったカバンをそのまま持ってきていて、そこから、雑然と入れてある受験グッズを出しました。カバンの中は滴滴らしくグチャグチャで化粧品やおもちゃのようグッズ、お菓子なども入っていて、笑いながら、いろいろなものを捜していました。いろいろな物が出てきて、いちいち説明してくれたり、すぐそれらのグッズで「可愛的!」とか言って遊びだしたりするので、受験グッズをそろえるのだけでも20分ぐらいはかかったように思います。

私は滴滴が学校で使っている教科書と授業中とっているノートを一通り見ましたが、「これは落ちる」と思いました。授業中も集中していない形跡がノートにはありありで、落書きや漫画、走り書きが書いてあるし、教科書も使いこまれている感じがありません。私も引き受けた責任もあるし、一応、かなり難しいと言われている大学を卒業している日本人としては、がんばらねばと思いだしていました。「このわがまま娘を受からせてやろう」と何か、自分の娘を教えるような気分になってきて、志願書に書く日本語も何度も推敲させて、書き直しをさせたのを覚えています。飽きっぽい滴滴は途中で何度か泣きが入りましたが、「不可以!」と言って何度も教えました。

時間はあっという間に夕方になっていて、そこから、さらに日本語での受け答えの練習をはじめました。

「私は○○です。日本の文化が好きで日本語の勉強をもっとしたいと思いました」
「がんばって日本の大学へ留学できるようにしたいです」
「大学に入ったら、台湾にいる日本人と言語交換の機会を多くもって、交流したいです」

こんなような受け答えが片言の日本語でいいからできるように、何度も練習し、ピンイン(発音のローマ字)を振って、それなりの日本語に聞えるようにがんばらせました。しかし、まったくダメです。

時刻はもう夜の7時。さすがにいつも遊んでばかりいる滴滴は疲れ果て、麥當勞のテーブルに突っ伏してしまいました。最後はだだっ子のように私に八つ当たり。とても合格できるというレベルまでいきませんでした。私はとてもこれでは受からないという話を滴滴にして、明日から5日後にある試験前まで、毎日、ここで学校が終わったら勉強を一緒にするからと言いいました。滴滴は目を丸くして、次の瞬間、がっくりと肩を落としていました。頼まれたのは私の方なのですが.....?! まあ、滴滴らしいです。

次の日の夜7時半。私は会社の仕事を一気に終え、接待も断り、この一週間は滴滴の教育と受験対策に全力を注ぐことにしました。問題は彼女がやってくるかどうかです。しかし、滴滴はとっても素直な子で、実は毎日、遅刻もせずに必ずやってきました。毎日1~2時間近く、当日出す志願書の日本語文の添削と内容の把握、そして、そこから出題される日本語の想定質問を滴滴に行いました。彼女はよくがんばりました。

そして木曜日。明日の金曜日の朝、滴滴は台中に向かい、午後、試験を受ける前日になりました。何とか、それなりに日本語で簡単な受け答えができるレベルにまでなりました。

滴滴の本名は台湾人には珍しい二文字です。名字は台湾人にとても多い「林」ですが、名前は一文字で林Xと言います。私はいつのまにか、滴滴(ディーディーと発音します)という名前ではなく、彼女の下の名前で呼ぶようになっていました。彼女も全面的に私を信頼してくれて、勉強嫌いな彼女がたった5日間だけですが、真剣に取り組みました。

「X(本名)、這個星期你毎天努力努力學習日文。現在你應該有自信。我也保證你的能力。明天盡力考試、加油!」

(X、この一週間よく毎日、日本語の勉強がんばったね、今は自信ができたはず。僕も力は保証する。明日は試験、全力でがんばるんだよ!)

制服姿の滴滴はコクリとうなずき、最後に手を握って、士林の麥當勞を足早に去っていきました。
いつもオチャラケが多くて、真剣な表情を見せない滴滴がこの1週間、だんだんと顔つきも変わり、最後にはとてもしっかりした受験生のキリッとした顔になっていました。その顔には酒店の公關の雰囲気は微塵もありませんでした。

付け焼き刃とは言え、とてもがんばった滴滴。
中山北路の横断歩道を渡る彼女の後ろ姿はとても凛々しく、「きっとうまくいく」という気持ちに私をさせるものでした。

 画像はYOYOと滴滴です。寮に帰ることが必須だった小小はいつも当時、早い時間に帰っていましたが、YOYOと滴滴はちょっと下班した後に出かけたりしていました。結果、原住民の小小だけが酒店に残り、YOYOと滴滴は酒店から去っていきました。これは私と彼女たちがやめる直前にどうしても行きたいという2人と一緒にWE GOに行ったときのものです。エッチはほとんどしておらず、一緒にバスに入ったりして2時間ほどすごしました。黒髪のおっとり顔がYOYO、茶髪のギャルっぽいのが滴滴です。今は2人とも大学生でYOYOが4年、滴滴が3年だと思います。滴滴は日本のギャル系のファッション雑誌が大好きでしたから、メイクや髪型など日本のおしゃれなギャルという感じでした。しかし、おしとやかな感じはありませんよ。

滴的 YOYO1モザ

滴的 YOYO3モザ

滴的 YOYO2モザ

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、大切な画像ですので流用や転載、公開は皆様を信頼しておりますので、絶対にしないようにご理解をお願いいたします。彼女たちの屈託がなさや初々しさを知ってもらいたく、酒店にもこんな子たちがいるんだということをわかっていただき、心意を大切にしながら多くの台妹と交流してもらいたいという私の気持ちを汲んでいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。 

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