さて、英仕山荘で気持ちよい眠りについた私ですが、いきなり、芊芊に朝方、上に乗っかられて起床。

「芊芊、這麼早上從很早、什麼?」 (芊芊、こんなに朝早くから何?)

「起來喲!我們出発的」 (起きてよ!私たち、出発するから!)

時計を見るとまだ6時。しかし、芊芊は今日も気合いが入った顔をしています。早速、水力旋轉餐廳に行くとすでに早餐が食べられる時間でした。 ちょっと朝靄のような霧がかかっていますが、空は昨日の小雨混じりの曇り空が嘘のような快晴、景色も夜とは異なり、蘭陽溪の河原もよく見えます。

5534278461_01b17dca9f_b

195597783_l
 
 よくしてもらった英仕山荘の方々にお礼を言って、再び芊芊の開車する機車の後部座席に乗って再び、蘭陽溪の道路標識をいくつか見ながら、大同郷の方へ向かって快適にとばしていきます。早朝で道路が空いていることもあって、あっという間に土場車站という場所に到着しました。

「土場是太平山的門戶、也是昔日太平山林場的木材轉運點。土場、是林業用語、指木材聚集地或卸材場地」

(土場は太平山の入口でね、昔は太平山林業場の木材を運ぶ駅だったんだ。土場というのは林業の用語で、木材の集積地や木材を卸す所のことを言うんだよ)

芊芊はそう言って機車を派出所の近くに停めました。そして派出所の横にある木造の車站へと歩み出しました。

「土場派出所旁有一棟木造建築物、是依據昔日土場火車站的舊貌重建的車站、斜對面的馬路旁則有重建的車站月台、 陳設舊列車車廂及蒸汽火車頭、讓遊客可以重新回味已消失的羅東森林鐵路」

 (土場派出所の脇に一棟の木造建築があるでしょ、あれは昔の土場駅の古い当時のものが再建されたものなの。斜め向こう側の道路の脇には、やはり再建された当時のプラットホームがあって、当時の古い車両と蒸気機関車が飾られてるんだ。旅行に来た観光客が昔のもうなくなった羅東森林鐵路を回想できるようにね)

土場1

1341509489-1996693796

YL005

「1924年左右、森林鐵路完工、才改用鐵路運輸木材。當年為運輸林場木材下山、所興建的輕便鐵道系統、以土場為分界、分為「山地線」及「平地線」 。平地線起站為土場、終點為羅東、所以稱為「羅東森林鐵路」、簡稱「羅東林鐵」。民國七十一年、太平山伐林結束、山地線及平地線停駛、鐵道及車站陸續拆除或荒廢。 山地線的太平山森林鐵路僅保留茂興線的部份路段、轉型為太平山國家森林遊樂區的蹦蹦車、供遊客乘坐。 平地線則全數荒廢、直到近年來才陸續整修了幾座舊車站、以保存羅東森林鐵路的歷史記憶」

(1924年頃に、この森林鉄道は完成して、木材を運搬する鉄道として使われていたの。木材を山から下ろす時にちょっと便宜上、鉄道の系統を分けていて、この土場がその系統の分岐点だったわけ。系統は「山地線」と「平地線」に分けられていてね、平地線はこの土場を出発点として終点は羅東だったんだよ。だから俗に「羅東森林鐵路」と言われていて、「羅東林鐵」っていう簡単なニックネームもあるよ。民國71年に太平山の伐採が終焉を迎え、山地線も平地線もすべて使用が終わったの。鉄道と駅はどんどん取り壊されたり、荒廃していったりしたんだ。山地線は太平山森林鐵路としてわずか茂興線の部分だけが特別に残されて、往復する太平山國家森林遊樂區のトロッコ列車として、観光客を運んでいるわ。平地線は全部廃止されたんだけど、このところ、どんどん古い駅が修復されているの。羅東森林鐵路の記憶を後世に残していくためにね)

fbdefe8b92fac406658d4fb8a3640cc1

 土場←→羅東を走っていた当時の羅東森林鐵路・平地線
bf2ef5be5d18216bbeec833a6d2dd7b4

rato08

rato06

 こちらは当時の写真そのままの画質のもの
20120908_02d

20120908_02c

続けて芊芊は話し始めました。

「台灣人對日本人感謝著喲。因為開闢這樣的深山裡的山林、由於林業讓羅東讓我昌盛。舖鐵路,使之發展」

(台湾人は日本人に感謝してるよ。なぜならば、こんな山奥の山林を切り開き、羅東の街を林業で豊かにしてくれたからね。鉄道を敷いて、発展させてくれたんだよ)

芊芊が私を案内してくれるところは、日本人のかつての統治時代の足跡が残る場所が多いのですが、ここもそうでした。かつて光復したすぐの時代は、排日・抗日的な考えで多くの日本統治時代の資産は壊されたり、荒廃したりしていました。しかし、今は日本統治時代の日本の台湾における役割やその施策が見直されていることもあって、多くの歴史的資産が再建されたり、再度、観光資源として活用され始めています。

少し前にヒットした「海角七號」の中に戦後、台湾人の若き恋人を置いて、日本に帰った日本人男性の恋文が7通ナレーションされますが、その中に次のような言葉があります。

「僕は君を捨てたんじゃない。泣く泣く別れたんだ・・・・・・」

私には日本という国の台湾に対する気持ちを代弁しているように思えてなりません。台湾を本当に発展させ、そしてこの台湾島を日本と同様にしていくことを願って、台湾のインフラ整備や教育、社会制度をつくっていった立派な日本人が数多くいました。彼らはこの台湾を植民地のように扱うのではなく、真に台湾人の幸せを願って努力そ重ねていたからこそ、戦後何十年も経った今でも、台湾人の心の中に感謝の気持ちが残っているのだと感じます。ここに朝鮮半島や満州などとの台湾の決定的な違いがあるように思えてなりません。もちろん、複雑な歴史的経緯はありますが、単純に考えると上に立つ人たちによって、こんなにも状況が変わり、かつて台湾を統治した日本人リーダーたちは、その気質が優れていたように思います。

私たちは早朝の誰もいない土場を下を向きながら、小声で話す芊芊と少しばかり散策しました。
芊芊は紛れもなく台湾人なのですが、彼女の心と私の心は民族の壁などなく、「人々が幸せになる 」ということの尊さ、異民族が互いに協力しながら国や街を発展させることの大切さを確認させてくれました。

20090201163958612
 
今回の記事はいかがでしたか?
よろしければ、最後に下のバナー2pushのご協力をお願いいたします。
にほんブログ村 海外生活ブログ 海外ナイトライフ情報(ノンアダルト)へ 

 ポイントをためて現金に換えよう!お得なサイト・ハピタス&げん玉の登録はここから
日々の生活にhappyをプラスする|ハピタス