小小との出逢いは私にとっては原住民の子との初めてのかかわりでした。台湾に来た頃、花蓮でアミ族などの観光用のダンスを見たりはしていましたが、本当の原住民の暮らしや状況は小小によって教えてもらいました。彼女の本名はもちろん知っていて、三文字の中国名です。しかし、本当の本名は原住民名です。ここでは当然、その名前を明らかにすることはできませんが、原住民の名前というのはこんな感じなんだという新鮮な驚きがありました。

小小はとにかく正直な娘で、ごまかしたり、嘘を言うことをしなかったというよりは、できませんでした。最初に行った時もすぐに電話番号を包廂の中で私の小機(携帯電話)をとって自分の番号を入れ、自分の電話にかけてしまいました。私の電話番号はあっという間に小小の更衣室にあるであろう小機に着信として残っているわけで、私もあっけにとられるというか、あまりの率直さにびっくりしてしまいました。

小小は原住民の村からたった一人、台北に出てきて寮に入っていたのですが、寮には異なる部族の原住民の子たちが様々いて、同じ布農族の子はあまりおらず、どうしても同じ部族同士で固まってしまうため、あまり心を許せる友達がいなかったようです。それと大部分を占める原住民でない台湾人の一般学生とはやはり壁があったようで、小小たち原住民の子たちは無試験に近い形で、全額無償で学んでいるのに対し、一般の学生はちゃんと試験を受けて入学し、学費も払っていましたから、やはり、学校では特別な存在として扱われることが多かったようです。

しかし、酒店に入った時にやはり、孤独だったYOYOとは互いに助け合うというところもあって、気持ちが楽だったようです。また、その後に上檔した滴滴もたった一人の高中3年生で、彼女もすぐに小小やYOYOと仲良くなっていました。きっと酒店ではそれぞれが最初、孤独だったこともあり、気持ちがすぐに寄り添っていったにちがいありません。

滴滴は小小やYOYOと違って背が高く、体つきも最年少なのに一番、スタイルが良く、大人っぽい体つきでした。
しかし、感覚は独特の子でいわゆる幼稚というか、細かいことは気にしないというか、おおらかな子で、3人の中では一番、考え方や態度がだんとつで子供っぽい子でした。幹部のKittyは彼女のことを「ワイルドガール」といつも言って笑っていましたが、あんなに体つきが色っぽくて完成されているのに、礼儀や作法というか、基本的な生活習慣があまりなくて、包廂でもすぐに疲れるといってヒールの靴を脱ぎ、座っている時もリラックスしすぎだろという感じの座り方で大股びらきは当りまえ、よく、テーブルの上の餅乾(ビスケットのような御菓子)をバリバリムシャムシャという感じで食べていました。色気はまったくと言っていいほどなく、大声ではしゃぐのが大好き、小小やYOYOとは大の仲良しで、いつも私のことよりもみんなで楽しく過ごしている方が楽しかったと思います。

午場の酒店は実は行政の数が1~2名しかおらず、例の小窓から除かれることはほとんどありません。ドラッグのKやしこたま酒を飲む客がおらず、また、ボディサービスを積極的に行う小姐も少ないことから、午場に来る客は基本的に「談戀愛型」で、女の子も晩場に比べると客人に対する安心感があり、悪い言い方をすれば、接客も素人に毛がはえたようなものです。ですから、行政もあまり包廂の中を監視しないため、ちょっとした規定違反をしても見つからないことがほとんどで、扣錢も極めて少ないと思われます。そんな事情もあって、包廂の中で電話番号を客人に教えてはいけないことになっていますが、小小は、そんなことなどお構いなしで気楽なものでした。それと接客の態度が適当でも客人がクレームしない限り、行政の叱責や指導がほとんどないため、のびのび気楽にやれることもあったのでしょう。

一緒に包廂に呼んでいたYOYOはいつもあっけらかんとしている小小と同じような行動をとるので、YOYOも私の小機に同じように電話番号をすぐに入れて、やはり自分の携帯にかけて鳴らしていました。もう一人の高中3年の滴滴も同じようにすぐ追随しましたから、私の小機は小小からYOYOへ、YOYOから滴滴へリレーのバトンのように渡されていき、小小に取り上げられた私の小機が手元に返って来たときにはあっという間に彼女たち3人の電話番号が発信履歴として残っていました。

小小は歌と踊りが大好きで、出逢った頃の一番想い出に残っていることは、小小が私とYOYO、滴滴に原住民のダンスを教えてくれたことです。中学生ぐらいの頃、フォークダンスを教えられるような感じで、手を交互に組み、そして足を前後に出す感じで踊るのですが、小小が自分で原住民の歌を唱い、私とYOYOと滴滴が小小を見ながら踊るという感じでした。滴滴は不器用な子でなかなかダンスがうまくできず、間違える度に皆が冗談ぽく、滴滴を責めるので、すごく面白かったです。YOYOは逆にとても起用ですぐにできるようになり、小小が、ほめていました。

小小が言うには原住民の歌や踊りを包廂で客人にかつて一度も教えたことがなく、とても喜んでくれました。私は小小という子を通してとても原住民の気質やその習俗に触れることが新鮮で、また、もっともっと原住民の実際の様子を知りたいと思っていました。だから、花蓮で見た観光用の原住民のダンスの話をしたところ、小小がうれしそうな顔をして生き生きと教えてくれたのです。YOYOも滴滴もすごく、素直な子たちで、そんな小小をバカにすることもなく、一生懸命楽しんでやっていました。また、いずれも跳舞後の恰好でやっているわけですから、ちょっとエロチックでもあって、あっけらかんとして恥ずかしがる様子など微塵もない彼女たちは若さがキラキラと輝いていて、まぶしいほどでした。3人とも肌がすごくきれいで、ちょっとポチャとした色黒で小柄の小小、痩身で色が抜けるように白く、ちょっとだけ胸がふくらんでいる小柄なYOYO、背がスラッっと高く、痩せているのに胸がDカップぐらいはある童顔のアンバランスな滴滴の3人がちょっと変な原住民のダンスを踊る姿はとても記憶に残っています。

その小小が大好きなのが、張恵妹、通称は「阿妹」で知られる原住民出身の大スターでした。原住民から誕生した最初のスターと言っても過言ではなく、台語や客家語(原住民の言葉)の歌もたくさん出しています。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%81%B5%E5%A6%B9 

私自身、台語や客家語に触れたのは小小にいろいろと教えてもらったことがその第一歩でしたが、12月に寶貝に中国語の歌を教えてもらってから、次のステップに入るような感じでした。小小が特に大好きだったのは阿妹が歌うこの2曲です。いずれもサビがとても覚えやすく、特に「三天三夜」はYOYOと滴滴と一緒に叫びまくりという感じでした。小小にとって阿妹は原住民でも台湾の表舞台で活躍できるという象徴だったのでしょう。

「薇多莉亞的秘密 」


「三天三夜」 


小小の影響もあって私は阿妹のCDなども買うようになったのですが、彼女とともによく阿妹の歌を唱いました。
小小は都合6度、酒店を換えていて、2012年の1月現在、在籍している酒店が6店目になります。その都度、彼女から電話がかかってきて、店を変わったからという連絡があるとちょっと時間がある時に彼女の新しい店での様子を見に行ってあげてました。彼女はいつも行くと大喜びしてくれて、それは跳び上がるような喜び方と言っても過言ではなく、気持ちを抑えない彼女らしい歓迎の仕方でした。

原住民の部落の故郷を離れ、苦手な勉強を紆余曲折を伴いながらも何とか続けてきた彼女は、やはり、どこかで孤独だったのでしょう。最初の酒店で中が良かったYOYOや滴滴は2ヶ月ほどで酒店を去ってしまいましたから、その後、小小は酒店でたった一人にまたなっていました。今は私が最も信頼する紅牌の子が一緒にいて、私が彼女の面倒をお願いしていますから、幸せに上班しているようです。最初の頃に出逢った私は日本人で彼女と同じ台湾では外様的なところがありますから、小小はそのこともあって、よく私になついてくれていました。

2009年頃、彼女が同棲した男に捨てられた後に上班していた「龍昇」という酒店でよく彼女と唱った阿妹の歌があります。この曲は私にとっては台語の柔らかい発音が心地よく、初めて台語で歌うことができるようになった歌です。小小が根気よく教えてくれて、私も一緒に彼女と歌いたくて、何度も練習しました。「夢中作憨人」という意味は日本語で、「夢の中にいる無邪気な人」という意味です。歌詞も幻想的で、小小のことを表しているような歌詞でした。のどかでゆったりしたそんな原住民の思念(思いの中国語)を唱ったような歌で、今も私はしょっちゅう聞きます。ぜひ、この歌は私も皆さんに聞いていただきたいです。なぜならば、台湾の原住民である阿妹が台語で歌う叙情詩のようなメロディは私が台湾を台湾らしく思い出す時の象徴の曲だからです。

「夢中作憨人」


滿天的田蠳 飛過夢中田埂墘 夢彼段 初戀滋味
牛郎甲織女每一年 相逢也有時 你甲我注定分離
青色海岸 白色的沙 兩雙腳印無聲惦惦走相偎
風底唱歌 雲來作伴 你我哪會無牽手的勇氣

想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊
孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

滿天的田蠳 飛過夢中田埂墘 夢彼段 初戀滋味
牛郎甲織女每一年 相逢也有時 你甲我注定分離
青色海岸 白色的沙 兩雙腳印無聲惦惦走相偎
風底唱歌 雲來作伴 你我哪會無牽手的勇氣

想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊

孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

想你那一晚 夢來成空目眶已經紅 阮還是無法度抹記啦
剩我一個人 彼條情歌阮還唱抹煞 天頂星也笑阮是憨人

少年家青春來討債 嘴鬚麻已經白 無注意緣份就錯過
甘講你不知 一世人無兩回 重來的機會
想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊
孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

想你那一晚 夢來成空目眶已經紅 阮還是無法度抹記啦
剩我一個人 彼條情歌阮還唱抹煞 天頂星也笑阮是憨人
月娘啊陪伴阮 ~ 做眠夢 ~

それともう一曲、小小とよく唱った台語の曲があります。リズミカルなロック調の曲でやはり、小小とよく練習しました。今は台語も少しわかるようになりましたが、それは小小のおかげかなと思っています。小小は本当は原住民独特のブヌン語を話し、私も教えてもらったのですが、これは台語以上に難しくて、さすがに意味や発音がわかりませんでした。

「好膽你就來」

 

台湾を知ること。

それは島国でありながら、複雑な民族構成とその歴史的経緯を知ることがきっと大きな近道です。
私は小小と出逢ったことにより、ビジネスに関係なく気楽に聞ける機会を得ることができ、そのことは私をますます台湾の魅力に傾倒させていくことになりました。 
http://smail.au.edu.tw/~bt953806/index.htm

 布農族の画像です。この画像に出てくる方々は本文の登場人物とは一切関係がありません。原住民には固有の民族衣装があり、布農族は代表的な山岳民族です。小小も台北という大都市で生きていましたが、その心はいつまでも原住民の故郷にあって、自分たちの言葉や歌、踊りに誇りをもっていました。

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