2月の下旬、学生妹たちの寒假(冬休み)が終わりに近づきました。慣れ親しんでいた寶貝や可人も台中の大学が開學するため、打工(アルバイト)も終わりとなりました。幹部の震洲から「明天才寶貝和可人、最後的一天。所以你過來公司比較好」(明日が寶貝と可人の最後の日だ。だから来た方がいいよ) と簡訊が来ていました。人気のあるPT妹たちは、最後の上班の日は多くのなじみ客が訪れ、だいたい框出されるのが一般的です。

酒店には実は多くの良客もいます。なじみの女の子が疲れていると大框して一緒に出た瞬間、別れてしまい、女の子を休ませたり、辛い思いをしている他の包廂から助け出すことだけを目的として大框したりする場合もあって、私も度量のある台湾人客に驚かされたことが何回かありました。多くの日本人は街角の立つポンのような幹部にセクシャルサービスをアピールされてよく事情がわからないまま、酒店に来ることがほとんどです。従って、だいたいは即物的なサービスを目的として日本の風俗的な利用の仕方を念頭において来ていることが多いです。

しかし、きっと粋な遊び方というのは、自分だけの思いだけで遊んだり、金で割り切って遊ぶだけではなく、出逢った子たちと気持ちを共有しながら、共に夢幻の世界でうたかたの時間をすごすことではないかなと私は思っています。そのためには気持ちに余裕もなければいけないし、自分からコミュニケーションをとっていかないといけないので、外国人である私たち日本人にはなかなかその域に達するのは簡単なことではありません。人それぞれの価値観はいろいろとあって、それを否定するような傲慢さはありませんが、いつも私は「あなたに逢えて良かった」という記憶が女の子たちに残ってくれればいいと思っています。決して本気になることはなく、自分の生活や仕事に影響しないよう、自分のできる範囲の中で、さらっとした出逢いや別れをする、そんなスタイルを心がけていたいし、それが私の夜の歩き方だと考えています。

さて、寶貝と可人の最後の上班の日、私は仕事もテキパキこなし、點枱が重なることを想定して、とにかく早く包廂に入らねばという気持ちで7時00分頃、酒店に到着しました。彼女たちはその日、8時からの上班でした。1時間前なら大丈夫であろうという余裕の気持ちでした。

しかし、実際には彼女たちは、もうすでに2人とも先客の大框のオファーが入っていました。

その日は私もいつも8時頃から仕事を始める震洲にも早く来てもらい、1時間ばかり一人で包廂で彼女たちを待つつもりでした。しかし、先客の出足は極めて早く、可人を大框した客はなんと夕方の4時から来ていました。酒店は午場といって午後2時頃からやっているところが結構あって、外に黒服の門番もおらず、カウンターも出ていないのですが、午場班の公關が20人ぐらいいて、遊ぶことができます。午場の子たちはだいたいは2時~10時、または4時~12時、6時~2時という出勤パターンです。この先客は4時頃から午場班の公關を呼んで、彼女たちとすごしながら可人を待っていました。それと可人は巧克力(チョコレート)が大好きなのですが、可人のために山ほどの巧克力をプレゼントとして用意していたと震洲から聞きました。

従って、この最後の日、可人は酒店に来てタイムカードを打っただけで制服に着替えることもなく、框出用の禮服(ドレス)に着替えて、すぐに外に出かけて行きました。先着して大框するというのは、酒店で最も強力な點(指名)の方法ですから、これに勝るのは酒店にも来ない全出場という方法しかありません。しかし、全出場は普通、前日ぐらいに予約しておくのが通例ですから、普通はなかなかありません。結局、私は可人に会うことができず、その後も彼女は2度と酒店には姿を現わすことはなかったのです。

私は合計3回しか彼女と逢えなかったのですが、最初に出逢ったとき、寶貝を抱きしめて泣いていた彼女が、最後には良客に大框されたこと、そして、彼女が再び大学に戻り、普通の大学生として日々をすごすであろうことは、少し最後に逢えなかった悔しさもありましたが、何やら感慨深いものもありました。

一方の寶貝はやはり、先客が6時から来ていて、彼もずっと一人で包廂ですごし、彼女を待っていました。何度も寶貝を點枱した心やさしき台湾人客という話で、彼も最後の1日、寶貝が壊人(悪い奴)につかないように早くから来て、寶貝に厭な思いをさせないようにしていました。私は考えが実に甘く、100人以上いる公關の中にわずかしかいないであろう良い子たちの最後の日を温かく送り出してやろうとする台湾人の熱意やその気持ちに負けを認めざるをえなかったのです。

私が7時に包廂に入った直後、すぐに震洲は2人を預點(予約指名)しに行ってくれたのですが、7時15分頃、震洲が「没辦法」(方法がない)と言いながら戻ってきました。そこで、彼からは先ほど書いたような2人の事情をていねいに聞いたのです。しかし、震洲はある提案をしました。実は、どんなに大框されていれていてもたった1節10分だけ、もし、彼女が最初から外に出場しないならば、寶貝と逢う方法があると話してきました。この仕組みはなかなか幹部でも知らないことが多く、また、そのために客も知らないことがほとんどの方法で、「訪枱」と言います。

外に出場している場合はできませんが、大框は長時間の拘束になり、終了後はそのまま下班するため、他の客がその子の顔を見ることもできません。また、値段も高いので、かなり人気がある子以外は実はあまりされません。 従って、酒店に入って一度も大框された経験のない子はたくさんいます。また、大框をよくされるような子はいつも決まった客にされることが多く、その存在自体が他の客にわからないことも多いです。それと、もし、いつも懇意にしていて大框してもらう客が来なくても、基本的に大框されるような子は性格がよく、可愛い子や美人な子が多いため、すぐに呼ばれてしまい、まず空枱にいることはありません。

そのため、そのような人気の子を幹部経由で噂を聞いた客は一目見てみたいということになり、酒店もちょっと顔見せすれば、次の新たな大框してくれるような得意客になってくれる公算が強いと考えています。なぜならば、「訪枱」は何も服務をせず、顔見せだけが基本なのですが、料金は點枱料金と同じ3節分かかるからです。僅か10分間にただ顔を見るだけで3節の料金を払ってくれる客は基本的に気持ちに余裕があり、また、懇意にしたい子を捜している良客がほとんどだからです。空枱から一番良さそうな子を選んで女遊びできればいいと思っている客は基本的に訪枱などはしません。 

私は多くの楽しい想い出をくれ、そして、もっともっと台湾にとけ込んでいく気持ちを私にもたせてくれた寶貝の最後の上班ですから、絶対に逢おうと思っていました。ですから、すぐ震洲に頼んで訪枱を頼みました。

そして8時30分頃、寶貝が包廂に現れました。

「你好、XX先生。今天我最後的一天。應該因為你聽過所以知道了。先客我被框到底的、所以我陪你没辦法。真的抱歉。可是先客説跟我、”喜歡的寶貝客人不是只我、所以慢慢比較好。你説跟他離開店裡、再見。應該別的客人照顧你。我没關係”」
(こんにちは、XX先生。今日は私の最後の日なんだよ。多分聞いて知ってるよね。先に来ていたお客さんがいて私は最後まで大框されたから、今日はあなたにつくことができないんだ、本当にごめんね。でもそのお客さんが私にこう言ってくれたんだよ。”きっと寶貝を好きなのは僕だけじゃない。だからゆっくりしてきな。君は彼に今日で酒店をやめることを話さなきゃならないし、さようならも言わなきゃね。たぶん、そのお客さんも寶貝のことをよくしてくれただろう?だから、僕は大丈夫だからね”」

私は寶貝のこの言葉を聞いて、可人同様、ちょっぴり悔しかったですが、彼女も最後に気持ちに余裕のある良い客に大框されたことは、やはりこの子の性格の良さが多くの人に認められた証拠であり、 きっと最後も幸せに過ごせるであろうことを確信しました。それとともに、この 最後の僅か10分の時を私も寶貝とともに凝縮させたいと思いました。

そして寶貝は「最後我給你我的歌」(最後に私の歌を送るね)と言い、彼女の最後となる歌を唱い出しました。
それは最後も彼女が大好きな蔡依林の曲でした。



歌詞がとても胸に響き、寶貝の澄み切ったやさしい声は私の心を動かすのに十分でした。
彼女と逢えて良かった。本当に彼女と逢えて良かった。そう思える素敵な最後の時間でした。

夜の世界で心優しい子たちがいたこと、 そして苦しんでいる友達を助け、いつも底抜けに明るい笑顔があった無邪気な寶貝のことを忘れることはきっとないでしょう。

10分は歌の途中でもう過ぎていました。きっと歌声が包廂の外まで聞えたのでしょう。寶貝を迎えに来た行政もちょっとした心配りを見せてくれて、唱い終わるまで何も言わず包廂の外で待っていてくれていました。

唱い終わった寶貝は最後に私に微笑みながら語りかけました。
「謝謝你。最後的這段時間你對我真的照顧、我跟你説過的話我會永遠記在心裡、我很高興遇到你・・・」
(ありがとう。  最後のこの短い時間もあなたは本当に私をよくしてくれた。私はあなたと話したこと、私はいつまでも心の中に憶えているからね。私はあなたと逢えてとてもうれしかったよ・・・)

最後に彼女と私は少し抱擁しあった後、寶貝は「拜拜XX先生、我不忘記你!」(バイバイXXさん、あなたのこと、忘れないよ!)と言って包廂を去っていきました。これが たった15分ほどの最後の私と寶貝との時間でした。

「聽説愛情回來過」

有一種想見不敢見的傷痛
有一種愛還埋藏在我心中 我只能把你 放在我的心中
這一種想見不敢見的傷痛
讓我對你的思念越來越濃 我卻只能把你 把你放在我心中

今も私の小機(携帯電話)の簡訊の着メロです。
いつまでも最初に台湾の素晴らしさを教えてくれて、明るく前向きにすごしていた寶貝を忘れないためです。

 画像は当時、寶貝や可人など多くの子たちと出逢った酒店のあたりです。今はまったくと言っていいほど行かなくなりましたが、2009年には全盛で、台北一流行っている制服店のひとつでした。

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