December 2012 : 我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

私は台北で駐在生活を4年間送りました。昼間は世界の平和と日本の経済発展を目指して全力でお仕事。夜になると地表にちょこんと顔出して、五木の街あたりを彷徨っています。そこで私は数多くの天使達と悪魔に出逢いました。そんな私の夜の彷徨いを台湾社会の複雑な仕組みなども紹介しながら書き綴っていきます。ほとんどの日本人が深くかかわることが難しいと思われる台北の夜世界の様子とエピソードの紹介が中心です。これは心優しい台妹たちを愛し、そこで出逢った人達とのかかわりや心のつながりをとても大切にしながら、これからも彷徨い続けていく私の軌跡です。

December 2012

301話 我彷徨台北的夜世界、但我不孤單(休息一些)

12月30日までに何とか300話をアップすることができました。最後はちょっと駆け足でしたが。290話は戀戀か麻衣のことを書き、300話は芊芊との台湾中西部旅遊を終えるという予定でアップしていました。100話から私が最も交流をもち、その幻影を追ってより台北の夜世界を彷徨うきっかけになった芊芊の故事が中心になっていますが、この後、まだ、いろいろなエピソードがあり、台北や台中の街の様子と併せて書いていこうと思っています。

1月1日から始めたこのブログも何とか1年間続けることができました。これも拍手をいただいたり、温かいコメントをお寄せいただいた皆様のご声援があってのことです。皆さんに台湾、そして台北のことをもっともっと知ってもらいたくて、もっともっと台湾を好きになってもらいたくて、その気持ちだけで忙しい中、続けることができ、私が実際に体験したいろいろなエピソードを綴ってきました。本当にありがとうございました。

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さて第301話は私が最も信頼している紅牌の子の状況を書いていこうと思います。お気づきの方もいたかもしれませんが、一連の「聖誕節」のブログに彼女のことがまったく書かれていませんでした。最も誠実な彼女が細かく連絡をしないということはまったくなく、この31日に第301話、今年最後のブログに書こうと考えていました。

彼女がいろいろな社会的な活動に積極的なのは以前のブログでも紹介しましたが、ボランティアや寄付をよくします。社会的な貢献や福祉活動に非常に前向きで、献血や骨髄バンクの登録、捨てられた犬や猫の救済などに取り組んでいます。開心という子も現在、孤児院を毎日、訪ねて子供たちの面倒をよく見ています。

 彼女のfacebookに上傳された寄付。動物の愛護運動に彼女は非常に熱心で金額は決して多くはありませんが、コツコツと支援をしており、いつも多くの意見を書いています。
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小姐には多分、私が思うに2種類あって、遊ぶお金が欲しかったり、仕事を他に選ぶことができない、勉強も好きではないといった理由から就業する子と家庭的に恵まれず、その中で学費を稼ぎながら学歴を獲得したり、公司に勤めながら病気や失業中の家族の生活費や就学している妹や弟の学費の仕送りのために就業したりする子がいます。日本ではウォータービジネスをしている子は前者のタイプが多いように思うのですが、日本以上の超学歴社会、打工の時給も90元程度の人件費が低い台湾では後者のタイプがかなりいます。私は台北にいた頃、あまり正職の子を包廂に呼んだ記憶は少なく、ほとんどがPTと呼ばれる女生や他に職業をもっている子たちばかりでした。それは私が經紀人や幹部から紹介されたPTの子がほとんど後者のタイプの子たちで、彼女たちは概して気持ちがやさしく、思いやりや誠実さのある子が多かったからです。

紅牌の彼女は今、完全に休檔していて、電脳公司に上班族として勤める一方、本格的な模特として活躍を始めています。年明けにはある著名な写真家の模特として写真展のメインを飾ることになっています。実はその写真の数々を先行して送ってもらっており、ぼかしはかけていますが、美しい仕上がりの写真のいくつかを公開させていただきます。プライベート版にはぼかしなしのものを掲載しておきます。大変、芸術的に優れた写真なので、ぜひ、ご覧いただけたらと思います。写真展は1月中旬から2月上旬にかけて台北のあるスタジオで行われます。彼女の横顔がメインになっているポスターをどこかで皆さんも見かけるかもしれませんね。

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いろいろなことがあった2012年もいよいよ終ろうとしています。結局、この1年間、日本での仕事が本格化してアジア市場全体を統括していたこともあり、台湾に行くことができませんでした。しかし、不思議なことに夜の住人の經紀人たちや幹部、そして懇意にしていた小姐たちとのやりとりは距離を隔てながらも継続しています。

台北の夜を彷徨う。騙し騙されが当たり前の虚飾の城で真実を見つけることは決して容易ではありません。
しかし、ていねいに真摯につながりをもっていけば、その答えは意外と簡単に見つかるのかもしれません。 

今年最後は彼女の言葉でしめくくります。

一個人逛街、看日落。但我不孤單。 一人で街をぶらつく。陽が落ちていく。でも私は孤独じゃない。

一個人的輕旅行。讓我、微漾。    一人でちょっと旅にでてみよう。私の気持ちをちょっとさわやかにさせてくれるから。

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  なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に転載は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は本人やその友人や私が撮影している私下(プライベート)での特別なものばかりです。従って、私との人間関係のつながりで判断してアップしているものです。画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。    
 
 このブログは元々、台妹と良い心の交流をもちたいと思っている、あるBBSでご賛同いただいた方々に情報提供する目的で始めましたので、画像等も一定期間をすぎたらほとんどをプライベートモードにしております。プライベートモードは私が友達認証した方が入れますが、コメントなどをお書きいただいたり、メールなどを通じて交流などを深め、ご信頼した方を対象にさせていただいております。酒店と同じような形で一見の方はすぐに認証はできませんので、何度かやりとりをさせていただいてからになります。ご理解のほど、お願いいたします。 

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300話 HOPE 

芊芊が私の家に突然のようにやってきて、思わぬ展開になった台湾中西部の旅もついに終わりが近づきました。
清境農場でちょっとゆっくりしていたら、もう夕刻近く。今日は日曜日。明日から仕事が始まりますから、夜には台北に戻らないといけません。

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「芊芊、我們的旅遊結束了」 (チェンチェン、僕らの旅も終ったね)

「恩、恩」 (うん)

「最後有我想過去地方」 (最後に私、ちょっと行きたいところがあるんだ)

「在那裡?」 (どこ?)

「草屯鎮敦和宮」 (草屯にある敦和宮なんだ)

「為什麼?」 (どうして?)

「草屯”敦和宮”是全國最大、位階最高的財神廟。敦和宮廟史已有347年、歷經4次重建、有號稱是全世界最大的財神爺」

(草屯にある敦和宮は全国最大で最も位が高い財神爺の廟なんだ。敦和宮の歴史は347年あって、4階建てのすごく立派な建物でね、さらに世界で最も大きい財神爺がいるの)

思えば、芊芊が私の家にやって来た時も財神爺のQ版像をもってきたし、北港では五路財神の総本山である武德宮に拜拜しました。彼女の旅には「拜拜」をするという目的がありましたから、財神爺の最高廟に寄りたい気持ちは十分にわかりました。時間もまだあるといえばあり、夜に台北に着けばいいわけなので、水沙建高速公路をちょっと降りて寄り道してもそれほど大きな影響はありません。帰り道の途中にあるのも好都合でした。

敦和里に入るとすごく大きな廟でしたからすぐにわかりました。今まで多くの宮と廟に芊芊とともに行ってきましたが、この敦和宮は確かに高さの荘厳さでは群を抜いていて、最も位が高い廟という通り、迫力ある廟でした。特に屋上部分には巨大な財神爺の銅像が建立されていて、街のどこからでも目に入るような巨大さです。虎に乗り、下界を見据える財神爺は多くの人々の願いかなえてくれようとしているのかもしれません。
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 巨大な南投・草屯にある「敦和宮」。多くの参拝客がひっきりなしに訪問しています。

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 高さ162尺ある、銅で作られた巨大な財神爺。62トンもの銅材が使用されています。
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この敦和宮は紫南宮と同じで發財金をすることでも有名です。北港の五路財神は發財金はありませんでした。紫南宮の神様である土地公もお金の神様ですが、財神爺の方が本家本元なのかもしれません。

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しかし、芊芊はここでは發財金の申込みをしませんでした。

「為什麼你不借以發財金嗎?」 (芊芊、どうしてここでは神様にお金を借りなかったの?)

「我已經借發財金従紫南宮土地公。所以不行」 

(もう私は紫南宮の土地公様にお金を借りているからね。だからここではしないよ)

芊芊は2人の神様に二股をかけるようにお金を借りるのはその御利益が薄れるように感じていたみたいでした。私と共にここではていねいな拜拜だけを行ない、意外にあっさりと敦和宮を去っていきました。いつもと異なり、とてもあっさりしていたので、私はちょっとあっけにとられてしまいました。あんなに財神爺を信仰しているのだから、もっと最後にお願いするのかなと思っていた私にとっては意外な展開でした。いつもやる擲杯もせず、本当に香柱を立てて、拜拜を順序に従って行うことしかしませんでした。夕方になっていたこともあって時間がないと感じていたようには思えず、それは芊芊の表情を見ていると以前の拜拜と時とはちょっと雰囲気がちがっていたからです。

「芊芊、OK嗎?」 (芊芊、OKかな?)

「恩、OK的。一起去吧!」 (うん、大丈夫だよ、行こうか!)

なぜ、芊芊がこの時、意外にあっさりしていたのか、その理由を車の中でちょっと訊いてみました。

「芊芊、當剛你在敦和宮的時候、你不行擲杯、只拜拜。你常常做擲杯。請告訴我理由」

(チェンチェン、さっき敦和宮にいた時、擲杯もせずにただ、お祈りしただけだったよね。いつも芊芊は必ず、擲杯をするのにしなかったしね、どうしてか、その理由を教えてくれないか)

芊芊は最初、無表情で何も答えませんでした。清境農場を出た頃にはあれほど寄りたがっていたのに。しばらくして芊芊は話し始めました。

「相信神明是很重要。希望有神明的加持。但最後才我必須努力自己的。再度我自己發現了」

(神様を信じることはとても大切なこと。それに神様のご加護があって欲しいとも思っている。但し最後は私自身も絶対に努力しないとだめなんだ。そのことに私はもう一度気がついたんだ)

芊芊は今回の旅でとてもたくさんの神様にお願いごとをしてきました。しかし、この旅の最後に自分自身の力を蓄えていくこと、そして絶えず努力していく必要性を再確認していました。台北という彼女にとってはビジネスの場に戻る前に、それは彼女自身の心を前向きにするためにも必要な心の準備だったのでしょう。

車は再び台湾の大動脈である中山高速公路に入りました。あとは一本道。ただひたすら走れば台北の士林站へ到着します。芊芊にとって今回の旅行は「自分探しの旅」でもあったように私が何度も感じていたことは以前のブログでも書いてきました。旅の最後に彼女は「自分を信じる気持ち」「自分の強い意志」を多くの過程を通して、再び確認していました。しかし、それが実は芊芊が台北に戻ってから次の展開や希望への伏線になっていくとは、この時、まったく、私は思ってもいませんでした。

実際にあとから気がつくのですが、この時、芊芊は自分探しの旅を終え、最初に台中で開けたパンドラの箱の中から、最後に「希望」を見いだしていました。ギリシア神話の逸話と同じように。

「芊芊、我們到達士林的!旅遊、真的結束了!」 

(チェンチェン、士林に到着したよ!、旅が本当に終ったね、これで)

芊芊は何もなかったかのように、いつものエヘヘといった感じの悪戯っ子のような笑みを浮かべました。


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好想擁有魔法

清境農場の行動は早起きがコツ。私と芊芊はこの日も目覚めよく、すぐに早餐を食べて、行動に移りました。

 青青高原を中心とした清境農場の導覧圖。結構広いのですが、そんなにはバリエーションはなく、ゆっくりゆったりとすごすのがここは一番ですね。クリックすると拡大します。
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まずはメインの青青草原へ。とにかく、気持ちの良い高原でたくさんの羊たちと逢いたいという芊芊の希望がありました。青青草原のエリアに入るのは有料。200元かかりますが、その価値は十分にあると思います。小瑞士花園というエリアもありますが、ここも有料になります。

 青青草原エリアのゲート。ここからチケットを購入してエリア内に入ります。
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 青青草原では綿羊秀や馬術秀といった表演もあって、なかなか楽しめます。ただ、人がすごく多いですね。
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「我有種漫步雲端的感覺、還有一大片綠油油的草地可以躺在上面、以及可愛的羊咩咩玩耍。羊羊來接的!」

(雲の上をゆっくりと歩いているような感覚だよね。それに凄く青々とした草原があって、さらにとっても可愛い羊たちが遊んでくれる。羊がやって来るよ!)

芊芊は羊たちがいっぱいいて、近寄ってくるだけで本当にうれしそうでした。

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「真的不敢相信這是台灣!」

(ねえ、本当にここは台湾なのかなあ、信じられないよ!)

続いて、綿羊秀の開始。大量の人でいっぱい。夏は避暑地の清境農場はピークシーズンになりますから、午前中から大量の観光客が青青草原にやってきます。しかし、私たちもとにかく、面白そうなので見ることにしました。

 綿羊秀の開場。犬が羊を集めて羊たちが入場、そして羊の綿毛をバリカンで剃る様子を見せます。
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 続いてこちらは馬術秀。かなり曲芸に近い馬乗りを披露してくれます。羊と遊ぶだけではなく、時間になるといろいろなアトラクションもあって、結構見てしまいますね。
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 続いて私たちは小瑞士花園へ。こちらもやはり入場券を買って入る仕組みです。料金は120元。セブンイレブンがスポンサーのようです。
入場券

 小瑞士花園の入口ゲート。中はスイス風の小庭園。きれいにミニチュアの雰囲気で整備されていて、散策するのはいいかな?
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「芊芊、我覺得很好的旅遊。我跟芊芊在一起時間、我感覺真的很短、謝謝你」

(チェンチェン、とってもいい旅行だったよ。僕は芊芊と一緒にいる時間がとても短く感じた。ありがとう」

芊芊は小瑞士を一緒に歩きながら、いつものエヘヘというような表情をしたと思うと、腕にからみついてきました。

「私こそ本当にありがとうだよ。とても楽しいから」

芊芊は時々、簡単な日本語を話すのですが、この時、彼女は急に日本語で答えました。以前、雲林で台湾珈琲を飲んでいる時、英語で答えたことがありましたが、彼女は照れくさい時や、うまく気持ちが表現できないときに中国語ではなく、簡単な英語や日本語で端的に表現することがあります。

私たちは小瑞士花園を出て、最後に清境農場旅遊服務中心へ。この周辺が清境農場の中心となっていて、私たちはその中にある「牧羊人の家」で午餐。

 清境農場旅遊服務中心。
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 音楽餐廳の別名がある「牧羊人の家」。
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 この服務中心は民間経営になっていて服務中心だけではなく、餐廳やお土産物屋などもあり、ちょっとした複合施設になっています。従って、ご飯を食べて、ちょっとブラブラお土産品を見たり、いろいろなスポットの地図やクーポンを手に入れることができたり、とても便利です。清境農場は民宿やリゾートホテルがすごく多くて、交渉すればかなり値引きして泊れるなんてこともあるようです。
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 この清境農場旅遊服務中心で私たちが最後に買ったのがこれ。いかにも高原の名物という感じなので、思わず芊芊と暑かったこともあって買っちゃいました。普通のミルクバーなのですが、やはり、この清境農場で食べるとちょっとコクがあるように感じるのは気のせいでしょうか?牛奶と羊奶があって、芊芊と私がそれぞれ1本ずつ買って、途中で交換という、いつもながらのシェアでおいしくいただきました。
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私たちの長かった台湾中西部の旅もいよいよ終わり、私と芊芊は再び車に乗り、一路台北へ。

ちょっとした安堵感もありましたが、この旅が永遠に終らないで欲しいような気持ちにとてもなったのを憶えています。きっと、芊芊という台湾人とともに文化的な差異を少しずつ埋めてきたこの時間が私にとってはとてもかけがえのない時間だったのでしょう。

もう戻ることはできない時間。もし魔法が使えるなら、もう一度、時計の針を戻したいと感じていたのかもしれません。

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台湾的小瑞士

さて、私と芊芊は霧社を離れ、本当の最終目的地である清境農場へ向いました。霧社からは本当にすぐ近くであっという間に到着、しかし、すっかりあたりは暗くなっていました。

 私たちが泊まった羅倫斯新館君士坦丁堡。清境農場の中心部に近く、SPAがあるということでここに。この最終日に泊まる民宿だけは、前日に芊芊と網路を見ながら、選んでいました。なぜならば、芊芊も最後の目的地である清境農場に行くことは私に秘密にすることはなかったし、清境農場は選択肢が豊富なので、良い所を多少値段がはっても選ぼうということにしていました。私たちが泊まった歐洲庭園SPA雙人房は網路預訂で5000元ぐらいだったと思います。今まで泊まった所に比べたらやはり、観光地だけあって高かったです。
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 何よりも嬉しかったのはSPAがあったこと。水着は私も埔里ですでに購入していましたから、晩餐後、芊芊とともにゆっくりとくつろげました。
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 房間はすべて欧州のロココ調のイメージで統一されていて、大人っぽいシックな雰囲気でした。
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空には満天の星。ここ南投に入ってから、何度も美しい星空を見ましたが、清境農場の星空が一番美しく感じたように思います。それは、きっと霧社を訪れた後の、アイデンティティにかかわるわだかまりが、芊芊とともに少しとれて同じ方向を向いていることが確認できたこともあったのかもしれません。 

清境農場は「台湾のスイス」と呼ばれていて、お洒落なリゾートホテルが林立しており、ちょっと台湾とは思えないような雰囲気があります。高度も2000m近くて、朝方は天気が良くても午後には深い霧に包まれることが多く、午前中に行動することがコツです。日本で言うならば軽井沢や清里のイメージですが、もっと高級感が街全体にはあって、私は清境農場の方がゆっくりできると思います。建物もすべて欧州の古城のイメージやリゾートのイメージで統一されていますね。

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私たちは房間で久しぶりにゆっくり。でも思えば、台北を出てから一週間。あっという間だったような気がしました。いろいろな所でなかなか日本人ではできないような経験や体験をいっぱいさせてくれた芊芊に感謝、感謝の気持ちでいっぱいでした。最後はこの清境農場の導覧圖を見て、明日の計画を立てて、「お休みなさい」でバタンキュー。明日も天気は良さそう。最後の一日は芊芊と高原でゆっくりとすごそう。青青草原でたくさんの羊たちに逢うのも楽しみですし、彼女のまた、子供っぽい表情が溢れる瞬間がたくさんあるにちがいありません。

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血艷天牛

皆さんはカミキリムシを知っていると思います。触角が長く、日本でもゴマダラカミキリや大型のシロスジカミキリなどは有名なのできっと見たことがあると思います。中国語でカミキリのことを天牛といいます。また、クワガタは鍬形蟲、カブトムシは獨角仙と言います。私は実は昆虫採集(特に甲虫)が趣味のひとつで、亜熱帯である台湾ではよく採集にちょこちょこ出かけていました。台湾の場合、環境保護がかなり徹底しているため、国立公園や自然保護區での採集は禁止されています。特に指定されている保護種がいくつかあって、これはどこであっても採集や飼育が禁止されています。

今回、霧社のことを書くまで、ブログには書かないようにしていましたが、南投の森の中で私は実に美しい天牛と出逢いました。芊芊も基本的に昆虫などが大好きで、以前、一緒に台北の陽明山に登ったときも道路脇の側溝に落ちている紅圓翅鍬形蟲を拾ってましたし、頂上付近にいた糞金龜(フンコロガシ)を面白がって見ていました。だから目を輝かせて観察するようなところがあります。とにかく好奇心が強いですからね。

台湾には色彩が鮮やかな昆虫がたくさんいますが、一番、驚いたのは本当に鮮やかな赤色をしているこの霧社深山天牛(ムシャミヤマカミキリ)です。 実際に見ると驚くほどの色でまたの名前を霧社血斑天牛とか血艷天牛とも言います。死ぬと色が少し黒ずんでしまいますが、生きているときは実に鮮やかで、さらに個体も大きい(だいたい体長が5cmから7cmぐらい)ので昆虫好きの方だったら、必ず魅せられます。だいたい山櫻の樹にいて目立ちますから、いれば、すぐに見つけることができます。もちろん、色鮮やかで商品価値が出て乱獲されるために、現在は台湾の特定保育種に指定されていて、採集は禁止です。

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霧社深山天牛(美しい大画像がアップされています)

相傳第一隻霧社深山天牛是由一個日據時代駐守在霧社部落的日本警察所發現。這個日本警察無意間在警察局門口的山櫻花樹上發現一隻大型且全身背面長滿紅色絨毛的天牛,於是他就很高興的拿去給一個昆蟲學家看。那個昆蟲學家也從未看過這種美麗又漂漂的大天牛,於是就二話不說的用高價把他從警察手中買過來。這個警察也是食隨知味,於是開始在霧社附近尋找這種天牛。警察陸陸續續的又找到了許多隻天牛,而且他發現一件事就是為什麼在有種山櫻花的地方才比較容易找到這個天牛呢?

日本統治時代、霧社に駐在していた日本人の一人の警察官がこの美しいカミキリムシを山櫻の木で偶然に発見し、昆虫学者に見せたのが始まり。警察は昆虫学者がかつて見たことがないこのカミキリムシを高価な値段で買い取ってくれたことから、警察官たちはどんどんこのカミキリムシを霧社附近の森林で探し始めたという逸話が残っています。

台湾は実は昆虫ビジネスがなかなかさかんで、日本ほどではありませんが、専門の店もたくさんあります。外国産のカブトムシやクワガタも輸入していて、飼育セットなども簡単に揃えることができます。桃園の巴陵や烏來では専門の捕り手がいて、柄の長い先がまがったような竿で夜に電灯近くの樹木を揺らして落とし、採集しています。私は自分が採集に行くとだいたい出逢うので、よく話をしますが、行動は機動力のあるバイク。だいたいは原住民の人です。樹木のカンが鋭くて、よく、小型のクワガタなどや数とれたものをもらっていました。
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しかし、この霧社深山天牛は夜行性というよりは昼に見つけやすく、夜に灯火に飛行してくることは、まず、ありません。大型の飛行してくる保育種は台灣長臂金龜(タイワンタナガコガネ)。これも採集は禁止ですが、数は結構いて、保護されているせいか、獨角仙よりも多く見ます。獨角仙は台北の動物園にたくさんいる堆肥近くの樹木があって、そこには驚くほどたくさんいますが、意外に南投あたりでは見かけません。

 台灣長臂金龜。オスは立派な長い手をもっていますが、メスは短め。飛行してくるのはメスがほとんど。 
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台湾で野生動物保育法で指定されている動物はセキツイ動物を入れると相当な数になり、林務局が中心となって環境保護にはかなり力を本腰で入れています。違反するとかなりの罰があるようで、以前、日本の昆虫ハンターが複数のタイワンオオクワガタやシェンクリングクワガタを持ちだそうとして桃園国際空港で逮捕されるといった事件もありました。台湾政府は少なくともこの件に関しては本気なので、採集や飼育は手続きをふまないといけません。保育法で指定されている動物の扱いは十分に注意が必要です。

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台湾で保護されている昆虫は私が思うに、極めて美しかったり、商品価値がある昆虫が多く、私も採集はできませんが、出逢ってみたいと思い、いろいろと捜してみましたが、上の2種類を除いては簡単に見つけることはやはりできません。きっと見たら、最初に霧社深山天牛を芊芊と発見したときのようにすごく感動するだろうなと思います。何種類かの美しい色彩の保育昆虫の画像をアップしておきます。興味が有る方はリンクから細かくどんどん入って検索してみてください。
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台灣保育類昆蟲/ The insects protected by law in Taiwan

 珠光鳳蝶
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 大圓斑球背象鼻蟲
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 渡邊氏東方蠟蟬
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 台灣爺蟬
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台湾の街歩きもなかなか楽しいのですが、せっかくの亜熱帯・台湾。日本では出逢うことができないような美しい昆虫を捜してみるのもなかなか楽しいものです。もちろん、保育種に逢える確率は低いのですが、ちょっとした甲虫や鍬形蟲なら、日本とちがってすぐに見つけることができます。

私がいつも利用している最強の台湾昆虫図鑑がこれです。
台灣昆蟲譜(抜群の出来映え。マイナーな昆虫まで掲載されています)

さらには蜘蛛圖鑑もあって、これで調べれば多くの台湾の小動物や昆虫に興味が出てくると思います。
南投や嘉義、雲林などはまだまだ山深く、ちょっとしたところをクワガタが歩いたりしています。台北でもちょっと街をはずれて天母や故宮の方に行けば、簡単にタイワンヒラタクワガタやタイワンミヤマクワガタがすぐに採集できますよ。もちろん、地図をよく見て陽明山国立公園のエリアからはずれたところしか不可。よく事前に研究して興味が有る方は夜の蝶を五木で追いかけるだけではなく、本物の台湾の自然を味わってみてください。

霧社

霧社の街を少し、芊芊とともに歩くことにしました。幸い車をとばして埔霧公路を短時間で上がってきたこともあってまだ、夕刻とは言え明るく、かつて日本人と原住民がともに歴史を刻んだこの街を芊芊とともにゆっくりと歩きたくなりました。しかし、意外だったのは、ここ霧社でも日本人に対する感情は著しく悪くはないように感じました。毎年10月27日に行われる「祈念抗日霧社事件」から「抗日」の文字もここ数年はずれており、「祈念霧社事件」になっているようです。かつての国民党による抗日教育時代とは明らかに霧社事件の評価やとらえ方が変わってきているのかもしれません。

 網路で拾った霧社の航空写真。位置関係がわかり、霧社が山の尾根の上にできた細長い街であることがよくわかります。クリックすると拡大します。
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 日本統治時代の霧社の街。当時はガスや電気も初期はなく、日本人によってだんだん整備されました。
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 現在の霧社の街。小さな街で山間の尾根の上にあるという感じです。清境農場の通過点にもなっているため、ちょっとした観光地にもなっていますが、史実を学びに来る人以外は多くの人は訪ねない所です。
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「霧社事件殉難殉職者之墓」の跡は埔里から霧社に入った所、清潔隊の建物のある丘陵にあります。私たちは寄りませんでしたが、現在は抗日教育時代に壊され、その跡だけしか残っていません。

 かつての霧社事件殉難殉職者之墓。霧社公学校での亡くなった日本人や霧社事件の戦闘の中で命を落とした日本人や味方蕃の原住民の方々の名前が刻まれていたとのことです。この場所は最初に多くの日本人が殺害された霧社公学校(現在は電力公司の建物になっています)を見下ろす丘の上に立てたと言われています。
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 現在は清潔隊の建物の横に僅かに殉難殉職者之墓の台座に上がる階段が残っているようです。しかし、国民党による抗日教育時代が終わり、1990年代から始まった民主化の中で霧社事件の見直しも進み、現在は歴史的な事件の遺跡としての案内板も設置されている模様です。
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 街の中心にある仁愛郷公所(日本の旧駐在所霧社分室の跡地)。この近くから国民党の抗日時代に防空壕を作っていたところ、多数の手足を針金で縛られた約30人の遺骨が発見されました。投降した蜂起賽德克族の遺体と推測されており、このことがきっかけで、霧社山胞抗日起義紀念碑が建てられました。
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莫那魯道抗日紀念公園を出て私たちは最も清境農場に近い側の街外れにある、かつて日本人が建立した霧ヶ丘神社跡に向かいました。この入口には鳥居の痕跡があり石段が続いていますが、現在は徳龍宮という孔子廟になっています。わずかに当時の面影を残している石灯籠も黄色に所々塗装されています。さらに鳥居も修正が加えてあって、日本の鳥居とは形を変えています。抗日の足跡をやはりとても強く感じることができる場所でした。かつてこの神社の階段に日本人や味方蕃が殺害した抗日賽德克族の首をたくさん並べたと言われています。

 日本統治時代の霧ヶ丘神社。鳥居も2つあり、鳥居の正面には看板もありました。
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 徳龍宮の入口に建つ霧ヶ丘神社の名残りの鳥居。当時とは形が変えられており、看板もはずれています。 
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 鳥居をくぐり、石段を登った所にある当時の霧ヶ丘神社本殿。石灯籠だけが今も現存しています。
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  徳龍宮に残るかつての神社の名残り・石灯籠
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 現在の徳龍宮。神社の面影はもうまったくと言っていいほどありません。
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ここは高台になっていて、霧社の街が山間の尾根上にあることがよくわかります。徳龍宮からは碧湖をよく見ることができます。私と芊芊はここから、すでに夕闇が迫った霧社の街を見下ろしました。

夕照に輝く碧湖は長い間、この霧社の街の様々な歴史を見続けてきたのでしょう。長かった私たちの旅もいよいよ終末を迎えました。日本人のアイデンティティ、台湾人のアイデンティティ、そして客家人や原住民のアイデンティティを考えさせられる旅でした。複雑なこの台湾という国はまだまだ簡単に理解することはできません。

日本人である私たちは台湾とどう対話していくのか、芊芊がその答えのヒントを少しくれたように思います。

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民族的認同

「我不是原住民、但我是台湾人的」 (私は原住民ではないよ。但し、台湾人)

夕刻の霧社で芊芊はポツリとつぶやきました。

私たちは「碧血英風」と書かれた霧社山胞抗日起義紀念碑の前に立ち、そして、紀念公園の奥の方へゆっくりと歩み出しました。階段を上った所に抗日英雄とされる莫那魯道の像があり、そしてその先には霧社事件で命を落とした賽德克族の方々を慰霊する山胞抗日起義紀念碑があります。

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「這個事件是特別悲哀的事件。台湾人説莫那魯道是抗日英雄。可是真的不真的、誰也不明白。因為他也殺死了沒有罪的日本人很多。我覺得做殺人的人不是英雄」

(この事件はとっても特別な悲しい事件。台湾人は莫那魯道を抗日運動の英雄だと言う。でも、それが本当かどうか、誰もわからない。 なぜならば、彼自身も罪のない多くの日本人を殺しているから。私が思うには殺人をする人間が英雄であるわけがないよ)

「日治時代日本人認為台灣既歸屬日本、土地及森林資源當然亦屬於日本、所以限制原住民的生活空間及授獵空間。在霧社一帶大興土木準備充份開發山林資源,並且利用原住民從事各種勞役工作、勞役工作非常辛苦。日本又刻意付給原住民偏低的工資。馬赫坡社後山「西仔希克」去採伐建築用材、「西仔希克」是馬赫坡社的狩獵地、也是霧社放群祖先發源的聖地。這件事對馬赫坡社的打擊很大」

(日本統治時代に、日本人は台湾は日本に隷属したと認識していて、台湾の土地や森林資源も当然、日本のものだと思っていたから、そこに住んでいた原住民の生活や狩猟の場を制限していったの。特に霧社一帯は大規模な土木工事のために森林が伐採されて、さらにその仕事を原住民がやらされたんだ。その労働はすごく大変で、さらに日本人は原住民の給料をとっても低くしたの。馬赫坡村の後ろには「西仔希克」という場所があって、日本人はここでも建築用資材をえるために伐採を行ったんだ。でもね、「西仔希克」は馬赫坡村の狩猟地で、霧社にいる原住民たちの大切な聖地だったから、このことの後、馬赫坡村はとても大きな打撃や損失をうけたの)

「日本政府卻鼓勵駐在山地的日本警察和原住民領袖的女兒結婚、一般通稱的通婚。這樣、可以讓日本警察安心住在山地。同時、和原住民領袖結成姻親、可以加強對原住民的控制。但是日本警察對原住民婦女常常有始亂終棄的情形。所以造成原住民的不滿。有一位巡查曾玩弄多位原住民婦女、還冒犯了馬赫坡的婦女、更加深莫那魯道的仇恨」

(それに日本政府は山奥に駐在する日本の警察官と原住民の領袖の娘を積極的に結婚させる「通婚」という政策を行ったの。このような方法は日本の警察官が安心して山間部に住めるようにさせることと同時に原住民の領袖も娘と結婚しているのだから、原住民の心理的な抑制にもつながったの。だけど、日本の警察官は原住民の娘たちをいつももて遊び、最後には捨てていったんだ。だから、原住民の不満も強くなっていった。それに一人のある警察官はたくさんの原住民の女を弄び、さらには馬赫坡村の女の子たちを姦淫していたんだ。だから、事件の首謀者だった馬赫坡村の領袖・魯道の恨みは積もりに積もっていたんだよ)

「這樣、其實霧社事件產生的背景和發生的原因」

(このようなことが実は霧社事件が生まれた背景と発生した原因なの)

「日本人於霧社事件中、採「以夷制夷」的手段。鼓勵親日的原住民部落出草、殺害抗日的原住民部落。所以製造部落之間的對立」

(日本人は霧社事件の間、「以夷制夷」制度(自分たちは敵と戦わず、当事者同士や外人同士を戦わせる方法)を採用したの。親日的な原住民を鼓舞して、蜂起した抗日原住民を殺させたんだ。これがさらに原住民間の対立を引き起こしていったんだ)

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「我覺得、日治時代、日本人有原住民差異意識。日本人叫蕃人。可是外省的台湾人也一様的、有原住民差異意識」

(私が思うには、日本統治時代に日本人は原住民に対して差別意識をもっていた。日本人は原住民を野蛮人と呼んでいたわ。でもね、わたしたち漢民族をルーツにする台湾人も同じように差別意識をもっていたんじゃないかな)

「我覺得、重要事是即使是怎樣的民族、認同尊重固有的文化和習慣」

(重要なことはどんな民族でも、固有の文化や習慣を尊重して、アイデンティティを大切にしていくことだと思う)

「當時的日本太子來台灣巡視、為了表示內台一體,就不再稱台灣住民為「蕃」、而改稱「高砂族」。戰後、中華民國政府接收台灣以後、又把「高砂族」改為「高山族」、現在全部要改為「原住民」這個稱呼」

(当時日本の昭和天皇が台湾に来たとき、台湾一帯のいろいろな表示を見て、台湾の原住民の呼称を蕃人から高砂族に変えるように指示したの。さらに戦後、中華民国が台湾を治めるようになってから、高砂族を高山族に変え、今ではすべて原住民という呼称にしているの)

「其實霧社事件之後、日本政府很強地處罰警察的負責人、理蕃政策也革新了。都日本人不是不好的、人權意識沒有的人不好。日本以文官擔任台灣總督、對台灣人採取同化制度、這様也能適用了原住民。實際事件之後、原住民的生活一般認為經濟上地出自豐、文化水準也提高了。有人權意識的日本人為此後的原住民的發展貢獻了」

(実は霧社事件の後、日本政府は強く警察の責任者を罰して責任を追及したし、原住民に対する開化政策も刷新したんだ。すべての日本人が良くないわけではない。人権意識のない人間がダメなんだよ。日本政府の高官たちは台湾では台湾人に対して日本人と同等であるという同化政策をとっていった。これは原住民にも適用されたの。実際、事件の後、原住民の生活は経済的に豊かになり、文化水準も上がったと言われている。人権意識の高かった日本人は、だから台湾の発展に貢献しているんだ)

「所以我覺得霧社事件不是只抗日運動、為了民族的認同和守護人權的戰爭。過日在台湾、榨取的人不限都日本人。漢人也有、味方蕃也有。那是没有諒體、没有溫柔的人。尊重多元文化共生是才最重要的」

(だから私は霧社事件は単なる抗日運動ではないと思っているの。これは民族のアイデンティティと人権を守るための戦いだったんだよ。かつて台湾で搾取していた人間はすべて日本人とは限らない。漢人だっているし、日本人に見方した原住民だってそう。搾取する人間とは思いやりがなく、やさしさがない人間のことだよ。それぞれの文化を大切にして、共生していくことこそ最も重要なことなんだ)

夕刻の霧社。芊芊の眼にはかすかな涙がありました。

不幸な歴史は確かに霧社に未だ、その痕跡が数多く残されています。
しかし、それぞれの民族のアイデンティティを尊重し、守っていくこと。その意味や意義を深く感じさせる地です。

民族間には時として、その文化的な差異や互いの民族間の利害関係から不幸な歴史が発生してしまうことがあります。そして、それを解決していくことは決して容易なことではありません。また、その解決の方法も誰の立場から見るかということで大きくその道筋も変わってしまいます。

日本人であろうとも台湾人であろうとも、人が人を大切にしていくことの意味を彼女は伝えたかったにちがいありません。
だからこそ、彼女の最後の目的地はここ、霧社にありました。

人權

悲しい史実

霧社事件については多くの文献があり、記録も残っています。その一連の事件が起きた当時の台湾総統府(台湾を統治していた日本人政府)の対応についての歴史的評価は様々です。光復後の国民党による抗日教育時代、そして1990年頃からの台湾民主化時代では、事件の見方やとらえ方も変わってきているように思います。しかし、この霧社の地で多くの人が殺戮を行ない、さらには顔見知り同士の原住民が互いに殺し合うという悲しい史実があったことに違いはありません。

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初期の台湾総統府は原住民を「蕃人(野蛮人の意味)」と呼び、強く理蕃政策を実施していました。山間部に入り、木材や鉱物資源を求めて台湾の中央山脈附近に入った日本軍はたびたび、山間部に住む原住民と交戦を起こしており、その中で原住民に対する理蕃政策や懐柔政策を推進することにより、大きな蜂起を未然に防ぎ、鎮圧してきたと言われています。特に台湾の中央山脈は原住民の各部族の分水嶺になっており、東西南北のほぼ中心に位置する霧社はその先進地区として知られていました。

 台湾原住民分布圖を見ると台湾の中央山脈が山岳民族の分水嶺になっていることがわかります。霧社はちょうど台湾のヘソにあたる埔里の近くで、図では泰雅族と布農族、賽德克族、郡族の4部族が交差する地点になっていることがわかります。従って、台湾総統府の理蕃政策推進の中心地区に必然的になっていきました。かつて賽德克族は泰雅族の支族としての認識でしたが、2008年に政府から14番目の原住民として承認されています。
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また、当時、原住民の教育や行政は台湾総督府の役人ではなく、軍部と警察が直接行っていました。そして、その政策は出草(首狩り)の禁止や日本語教育、日本人との結婚(通婚)や優秀な原住民の警察官への登用などが代表的なものですが、原住民の近代化にかなりの効果もあったと言われています。
理蕃政策

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霧社事件のきっかけは現地の日本人警察官が原住民である賽德克族(セデック族)馬赫坡社(マヘボ村)の領主・莫那魯道(モーナ・ルダオ)の息子の婚礼の酒席で手をとった彼の長男を不潔を嫌うあまりにステッキで袋叩きにしたことから始まりました。すなわち、日本人の原住民に対する侮蔑や差別が根底にあったと考えられています。その仕返しに長男が日本人警察官を殴打し、事件の発端が始まりました。
賽德克‧巴萊︰霧社事件

そこから警察の処罰を恐れた莫那魯道(モーナ・ルダオ)が中心となり一部の賽德克族(馬赫坡社(Mhebu)、塔羅灣社(Truwan)、波阿崙社(Boarung)、斯庫社(Suku)、荷戈社(Gungu)及羅多夫社(Drodux):霧社群の6村)が蜂起して、警察を襲って銃器などの武器を略奪した後、霧社公学校の運動会を襲撃しました。彼らは日本人ばかりを狙い、約140人が命を落とし、彼らの風習であった出草(首狩り)を行ったとされます。

 襲撃された霧社公学校の運動会
256-霧社事件

すぐに日本軍と警察は霧社の鎮圧に入り、大砲などの近代的兵器をも使用して、警察から奪った銃器を使用しながら山間部で抵抗する抗日賽德克族を鎮圧し始めました。さらには親日派の賽德克族には敵の首と引き替えに賞金を与え、禁止していた出草(首狩り)も許可しました。そのため、原住民間における顔見知り同士の殺戮が助長され、最終的には700名ほどの抗日賽德克族が自殺を含め、命を落としたとされます。最終的には日本軍が鎮圧に成功して、霧社事件は終結を迎えます。
霧社事件関係写真集
霧社事件(维基百科,自由的百科)
台湾日日新報(新聞) 1931.5.24-1931.5.27(昭和6)
霧社事件照片(多数の貴重な写真が学術的に整理してあります)

しかし、霧社事件終結の4ヶ月後、日本軍に味方した賽德克族道澤群(基茲卡、布凱本、魯茲紹、屯巴拉の四社の原住民が、投降した蜂起抗日賽德克族約500名のうち、約200名あまりを突然、殺害し(第二霧社事件)ました。その殺害には日本の警察がかかわり、教唆したとされています。なぜならば、殺害に加わった道澤群の原住民たちは処罰もされず、さらには蜂起した抗日賽德克族の土地を譲り受けたからです。

生き残った抗日賽德克族は川中島(現在の北港渓中流域清流)に移居政策により移住させられて、警察の指導の下、定住化や米作、計画的な農耕などの新たに策定された理蕃政策が施されていきました。親日的な原住民をより増やしていくために日本人と同等として扱う同化政策や皇民化教育が行われ、蕃人から高砂族に呼称が変わり、太平洋戦争時には「高砂義勇軍」として戦地に「日本人」として出撃しています。
高砂義勇軍

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戦後になり、年月も流れる中、台湾での霧社事件の解決への過程の評価や事件背景についての考え方はいろいろな価値が交錯し、時代とともに移り変わっています。いろいろな民族間での文化背景の違いや意識の差など、確かに事件の根底にあるものは簡単ではありません。しかし、史実は史実。その中から私たちは台湾での日本人の姿を見い出していくしかありません。

霧社では莫那魯道はかつての抗日運動の英雄として紀念公園に祀られています。現在の台湾人にとって彼はどのような存在であり、実際には日本人や日本との関係性の中でどう思われているのでしょうか。

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 毎年10月27日に開催される紀念抗日義行。霧社事件にかかわったとされる賽德克族の方々
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霧社事件82周年祭 紀念抗日義行(2012年のニュース記事)

2011年にはこの霧社事件の抗日英雄とされる莫那魯道を題材に電影も製作されています。
電影「賽德克.巴萊」
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「海角7號」では日治時代の日本人と台湾人で交わう愛情を描き、そしてこの「賽德克.巴萊」では日本人と台湾原住民の対立・抗争の過程を描いています。どちらもきっと台湾と日本の関係を一面的な見方かもしれませんが映し出しているのでしょう。そして、その価値の答えを見つけていくのは、アジアや台湾おける日本の在り方をどうとらていくかという、一人一人の価値判断によると私は考えています。

我們在黃昏的霧社

最後の目的地、清境農場へ向かっている埔霧公路の山道に私たちはさしかかりました。距離はそんなにはないく、信号もまったくと言っていいので、実に快適なドライブでした。この調子ならあっという間に清境農場に到着してしまうなと私は思っていました。

「芊芊、因為開車很好調、所以我們可能到達清境農場很快快」 

(チェンチェン、車の運転の調子がとってもいいから、すぐに清境農場に到着できるよ)

しかし、実は芊芊にとって、この旅行の最後の目的地は実は別の場所にありました。私はまったく、そのことには気づきませんでした。芊芊は埔里から一目散に清境農場に向かうものばかりだと思っていました。

夕刻の5時過ぎ、快適に車をとばしていた私に芊芊が突然、車を止めるように言いました。

「我想真的訪問的地方是這裡」 (私が本当に来たかったのはここなんだよ)

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中山路から仁和路に入り、山道から霧社の街中にちょっと入ったあたりにその場所はありました。台湾で昭和5年におきた台湾最大の抗日事件と言われる霧社事件のことを後世に伝えるためにその記念碑は建っていました。

そう、「霧社山胞抗日起義紀念碑」です。
深い台湾・南投の山間にある霧社。事件が起きてからすでに80年以上の月日が流れていました。

1953年、仁愛郷警察分局(昔の霧社分室)の裏の空き地で防空壕を掘っていたところ、30体あまりの人骨が出てきました。当時、仁愛郷長だった高永清(中山清)は、日本統治時代に霧社分室で警丁をしていた葉炳然(客家人、1966年没)を探し出して、これらの人骨が霧社事件の抗日志士たちの遺骨であるという証言を得たのです。志士たちの名は残っていませんでしたが、国民政府は志士たちの志をたたえるために、これら無名の志士たちの遺骨を霧社桜台に合葬し、「無名英雄之墓」と名づけました。これが「霧社山胞抗日起義紀念碑」です。この紀念碑正門には、陳誠将軍が「碧血英風」と揮毫しています。さらにこの有名な「霧社起義戦没者紀念碑記」は、当時の台湾省民政庁長であった楊肇嘉の手になるものです。

 霧社事件のきっかけとなった人物・真ん中が賽德克族(セデック族)の莫那魯道(モーナ・ルダオ)。
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この地でかつて多く流された血のように、赤く、夕陽に染まる霧社。

この時間、莫那魯道紀念公園にはほとんど人がもういませんでした。私と芊芊はその入口に立っていました。
そして、芊芊は台湾人の思いを私にゆっくりとそして、気持ちがよく伝わるように話し出したのです。

私はその時の芊芊がかすかに涙を浮かべながら、話した多くの言葉を今でも忘れることはありません。

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台湾地理中心

茭白筍體驗園區から再び埔里の街へ中正路を下り、一路、清境農場へ向かうことになりました。道は一本道で簡単、迷うこともありませんし、そんなに距離もありません。台湾のスイスと言われる清境農場が今回の長い旅の最後の目的地でした。芊芊はここに行ってみたいと、台北にいた頃からずっと楽しみにしていて、ゆっくりと過ごしたいとも話していました。今回の旅は極めて強行軍の詰め込み旅行でしたから、最後にゆっくりという気持ちは私も芊芊も強かったと思います。

埔里の街から信義路をちょっと走り、中山路に入る境の所で、芊芊が私に車をちょっと止めてと言いました。 

「這裡是台湾地理中心的。有”臺灣地理中心碑”、看看一些」

(ここは台湾の真ん中。台湾地理中心の記念碑があるんだ。ちょっと見ていこうよ)

 道路脇の三叉路付近に立つ大石碑。この奥が公園のようになっていて虎子山の登山口になっています。
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 公園の奥に立つ臺灣地理中心碑。しかし、本当の地理中心は虎子山の頂上にあります。
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入口はちょっとした公園になっていて、ちょっとした観光地なんでしょう。露店が並んでいて、その前のロータリーのようになっている所に車をおいて私たちは台湾地理中心を見に行くことにしました。

「真正的地理中心點位於虎頭山頂的。日本統治時代、日本人曾在山頂建立神社、立了這一顆一等三角點。而一般所通稱的中心碑、都是指位於虎頭山麓的山清水秀碑。光復後、經過我國專門人才重新測定、中心點正確的移至虎頭山頂。目前山頂的三角點才是台灣地理幾何中心點之所在」

(本当の中心点は虎頭山の頂上なんだよ。日本統治時代にね、日本人がここに神社を建てて、三角点を置いたんだ。だから一般的に台湾地理中心碑はここのことを言うわ。すべて、この虎頭山麓の山清水秀と書かれている碑を指しているんだ。だけど、日本統治時代が終ってから、台湾人の専門の測量士がもう一度新たに測量し直した結果、中心点は虎頭山の山頂に移ったの。現在は山頂にある三角点こそ正しい台湾の地理上の中心点の場所ということになってるんだ)

芊芊が看板の解説と露店のオジサンから聞き込んだ解説をしてくれました。ここにもかつての日本人の足跡があり、歴史がありました。

従って、この台湾地理中心碑がある公園は虎頭山の山麓にあって、実際にはその頂上附近が本当の台湾地理中心の三角点があるようです。しかし、ここから階段を400段近く上がるか、車で中腹まで行ってそこから10分ぐらい歩くということを芊芊が公園にいた露店のオジサンから聞き込んでしました。階段をこれから400段登ってハイキングするのもなかなか大変ということもあり、時間もあまりなかったので、私たちは下の公園だけに留めて、頂上には登りませんでした。

 虎頭山の山頂にある三角點。現在はこちらが本当の台湾地理中心。原住民風のモニュメントが建っています。残念ながら、私は実際には行っていません。山頂からの埔里の見晴らしも非常に良いようです。パラセールの活動場所としても有名なようで、機会があれば、ただのモニュメントなのですが、訪れてみたいですね。
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「台湾のヘソ」に居るという実感はあまりありませんでしたが、なかなか来ることもないこの地にいることは、確かに貴重な経験でした。しかし、時刻はもう夕刻。いくら近いとは言え、清境農場にはできる限り早くついて余裕をもちたかったこともあり、私たちは早々とこの台湾地理中心を出発することにしました。

一路、清境農場へ。私と芊芊は再び、車に乗り込みました。

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