March 2012 : 我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

私は台北で駐在生活を4年間送りました。昼間は世界の平和と日本の経済発展を目指して全力でお仕事。夜になると地表にちょこんと顔出して、五木の街あたりを彷徨っています。そこで私は数多くの天使達と悪魔に出逢いました。そんな私の夜の彷徨いを台湾社会の複雑な仕組みなども紹介しながら書き綴っていきます。ほとんどの日本人が深くかかわることが難しいと思われる台北の夜世界の様子とエピソードの紹介が中心です。これは心優しい台妹たちを愛し、そこで出逢った人達とのかかわりや心のつながりをとても大切にしながら、これからも彷徨い続けていく私の軌跡です。

March 2012

栄枯盛衰

台北の酒店には長い歴史があって、 民國75年頃(現在が民國101年ですから約25年ほど前)に,坐檯開放合法化 (小姐が横に座って酒の接待をすることの合法化)があってから、発展を遂げてきました。

酒店の創業者は有名な「李友明 」という伝説の人物で、彼が「一代」という酒店のチェーンを創始したのが、現在の酒店の始まりと言われています。彼が民國82年に南京東路開いた「一代佳人酒店」が制服店の第一号と言われています。その後、この 「一代」に加え、「聯展」と「美女」 という三大グループが酒店界を発展させていくことになります。

この台北における酒店の発展の歴史はよく知られていて、夜世界のビジネスをしている者は皆、よく知っている歴史です。私は經紀人のVickyや幹部の震洲から、よく酒店の形成の歴史や発展の経緯、そして、現在のグループの成立などの話をよく聞いていました。それは台北の社会的風俗娯楽業の歴史形成の極めて興味深い話であり、酒店がなぜ、大発展をとげて、そして台湾の社会に根付いてしまったのかを知ることは台湾の夜社会を理解する上でも知っておくと良いことです。

人の社会には様々な環境形成の要因がありますが、ある意味、社会の影の部分に「本音と建て前」という考え方の中で根付いていった酒店は現在は台湾の一大産業となっています。この中天電視のドキュメンタリーの動画を見てもらうとその形成の経緯と現状が端的によくわかります。
http://www.ctitv.com.tw/newchina_video_c130v26480.html 

さらに酒店の形成の歴史は多くの社会学者の研究者もいて、多くの文献があります。中国語ですが、読んでみてください。

                                  

國內酒店業走過廿年起起落落的日子,鼎盛時期,曾造就了業界奉為龍頭的「一代」、「聯展」和「美女」三大連鎖酒店系列。但是,三大系列都躲不過政府的掃黃政策,一夕之間全軍覆沒。

「一代系列」創始人李友明, 酒店這一行的傳奇人物。從中醫師起家的他,八十二年國內酒店業正值興盛之際,投資跨足酒店這一行,並首開風氣之先帶頭搞起「制服酒店」,成為國內制服店的開山鼻祖,第一家店就是北市中山區南京東路上的「一代佳人」酒店。

中醫李友明 首創一代王朝 打著讓客人「看得到、摸得到」為號召,店裡公關小姐身穿幾近透明裸露的薄紗內衣,加上消費遠比當時酒店主流的便服酒店低廉,令酒客趨之若鶩,入夜後上門的酒客川流不息,創下國內酒店業的經營奇蹟,奠定「一代系列」酒店王國的基礎。

也因為他衝得太快,早期曾吃上妨害風化官司入獄,身陷囹圄期間,將酒店交由親信黃位政等人掌理,直到出獄後重新接掌大權,同時找了不少金主借錢,大肆擴張事業版圖,而後親信黃位政也自立門戶,逐步開店,成為「聯展」系列的開山祖師。

每日營業三千萬 難逃瓦解 「一代系列」連鎖酒店,從北市向外延伸至台中、新竹、桃園、北縣都擁有地盤,八十五年最盛時期,旗下擁有的連鎖店多達百餘家。每天在一代系列酒店上班的坐檯小姐就有二、三千人,每日的營業額都有二、三千萬元。

不斷增加的連鎖店,也讓李友明分身乏術,人謀不臧的流弊跟著出現,連身邊親友也加入A錢的行列。

最糟的是,明知阿扁市長掃黃在即,李友明偏偏不信邪,總認為「人在做事、錢在做人」,大張旗鼓猛開新店,連住宅區也不放過。結果先遭檢察官以查稅為名搜索、後又淪為阿扁掃黃大刀下的祭品,導致資金周轉不靈,酒店王國終走向瓦解命運。

李友明倒台後,也因涉及僱用未成年少女坐檯,被重判五年四月徒刑後,潛逃出境。有人說他在海南島賣中藥,也有人見過他在海南島替人掌理酒店,甚至傳出他曾在大陸被綁三次逼債,不論景況如何,已難有東山再起的機會。

黃位政系出一代 力跨濁水溪 「聯展」酒店系列的起步雖然比一代較晚,最盛時期也有廿、卅家店,掌門人是人稱「黃董」的黃位政,業界對他的形容是「眼高於頂」。系出一代的他,惟獨對老東家李友明尊敬有加,不與老東家打對台,博得李友明許下「一代不過濁水溪」的默契,讓聯展酒店系列全力往中南部發展,除了北市幾家主力店外,旗下酒店重心都在中、南部,為了感謝李友明的盛情相挺,聯展部分南部酒店也讓李插股。

「聯展」與「一代」系列的遭遇同出一轍,都是樹大招風惹來殺身之禍,被阿扁市長鎖定為掃黃對象。在連番的抄查和斷水電下,聯展王國的酒店大半覆亡,「黃董」同樣出現周轉不靈的致命傷,最後也吃上官司,下場與老東家李友明一樣的。

美女系列留得青山 浴火重生 「美女」系列酒店被掃黃大刀砍中,則是是受到一代與聯展兩大系列的池魚之殃。老闆「林董」是個不到四十歲的年輕人,平日愛以名貴跑車代步,北市掃黃之際只擁有「台北美女」等三、五家連鎖酒店,在業界並不特別起眼。但城門失火,殃及池魚,連帶成為阿扁掃黃的目標,慘遭封殺。

不過,年輕又有頭腦的「林董」,相當懂得保留實力,採取「留著青山在,不怕沒柴燒」因應策略,在掃黃過後的短短數年間,又重出江湖,事業版圖更跨足中山、大安、松山等地,旗下已擁有六家店,近年又與北市某大型教學醫院的名醫合作,將觸角又伸向醫界發展,是阿扁針對三大系列掃黃行動中,惟一浴火重生的倖存者。


                                    

現在、これらの元祖のグループはすべて政府や警察の摘発によって表向きはなくなってしまいましたが、この系列に従事していた主要人物がちらばって、現在の台北の基礎的な體系(酒店グループのこと)を形成しました。一見、それぞれバラバラに営業しているように見える酒店も同じ體系の公司が経営していたりしています。このあたりの事情は酒店のスタッフと懇意でないとなかなかわからないのですが、よく酒店の特徴を比べてみると似通っていたり、相互に小姐を移動させたりしていることがわかります。グループ内の各店がビジネスの状況改善のために店の様相や店名を換えたり、合併したりすることは極めてよくあって、いつも猫の目のようにクルクル状況が変わりますから、よく事情を知っているといろいろな点で良いことがあります。これらの酒店公司は基本的にはHPなどはなく、店の広告を打つこともありません。いずれも幹部を通して酒店に来るという大原則があり、包廂の中ではいろいろな展開がありえますから、その内容を公にすることはありません。

私が懇意にしていた攻撃を受けた店長の酒店グループはこの世界では新参者で、制服店と禮服店を各1店ずつもっています。しかし、老舗の酒店グループよりも人気があり、そのビジネスは極めて良好でしたから、足を引っ張られることになったのです。

この制服店に対抗するために錦州路の麥當勞のある大樓にこの10月、老舗の酒店グループが海角40號というかつて長春路にあった制服店と農安街にあった大都會という制服店を合併させて200~250人の公關を要する最大の制服店を開店しました。そして、農安街にあった美麗殿→大都會という老舗の制服店を心悦と星城を合併して大富豪という名前の現在、最大の小姐を要する禮服店に換えています。また、有名な禮服店のCEOと同グループのため、小姐のトレードなどの相互支援もしています。

海角40

さらに最近、經紀人から来た簡訊によるとこの4月初旬に別の大グループがこの大富豪をしのぐ、最大の禮服店を開店させるようです。Vickyから来た簡訊では以下の通りの内容で、台北に駐在されている方はマークしておかれると良いと思います。

台北最大的禮服店要開幕。包廂 「 60 間 」最多。六千萬的裝潢。最漂亮六米挑高最氣派。
開幕地點:錦州路  店名:鑫漾  開幕時間:四月初隆重開幕

台北の酒店もしのぎをけずる競争が最近は激しく始まっていて、どこも特色を出し、女の子の数をそろえ、豪華なつくりの包廂や大廳にして、客の来店意欲をあおっています。幹部の競争も激烈で、最近は一番、安い幹部が1小時1440元(1節240元)でやる幹部が現れました。大框などにすると1小時1380元(1節230元)で8小時11000元で大框をするようです。ただ、新参の幹部であまり、客がついていないようなので、薄利多売にして客を獲得したいという狙いがあって、噂によると「安かろう悪かろう」のようなので、ちょっと様子を見ないといけないと思っています。

ポンのような幹部も最近は多くなってきていて、日本人が街角で声をかけられることが以前に比べると格段に多くなっています。2007~2010年頃に比べると、様相が少し変わってきているように感じています。とにかくアメーバーの分裂のように多くの店が群雄割拠状態で争っていますから、どこの酒店公司も客の獲得に必死のようです。豪華な装演にしないと客が来ず、公關の数が多くないと選ぶ楽しみがなく、すぐに缼妹になって客の不満が発生しますから、とにかく、今の酒店は元手が必要になっています。従って、客が数こないと厳しいという状態がかなりあるようです。

従って、長春路の交差点付近の酒店は今、ポンのような幹部を多数使っていて、これらの幹部は南の日式地区から流れてくる日本人客にも林森公園や百貨店の前でさかんに客引きをしているようになりました。今、私はあのあたりの酒店には、まったく足を運ばないのですが、日本人客も多く、このところ急に一見客が増えてきていますから、小姐もそのような客と思っての対応が多くて、なかなか良い子がいない状態になっており、ボディサービス系の風俗色が強くなっているように感じています。

酒店の状況は極めて速いペースで変わっていきますから、アンテナを高くしていないと同じ料金を支払っても雲泥の差が生じてしまう(一見客は雲泥の差がわからないのですが)ため、やはり、酒店はハイリスクハイリターンなのかもしれません。

しかし、それが台湾、台北の酒店の世界。

25年以上かけて創られてきたこの夜の虚構の世界は、からくりだらけで、うまく彷徨うためには、やはり夜の世界の住人たちとの人間関係が基本というのが、私の結論です。

 画像はある酒店の懇意にしている子です。店名と名前は秘密。五木近辺だけでも3000人はいると言われる酒店小姐から捜すのは、簡単ではないです。ただ、ちょっと見えている最後の写真の名札の形とこの和服型の制服でわかる人はわかるかもしれません。痩身で気持ちのやさしい紅牌です。彼女はAppでよく画像をアップしてくれるのですが、写真好きで、ちょっとナルシストでしょうか。まあ、実際、若くて可愛いので、いつも「我是很可愛嗎?」とか書いてきますが、「嗯」「嗯」と返信しちゃいますね。プライベートにはぼかしなしの画像をアップしてあります。
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苦悩(2011年11月発表文章)/微笑との回憶 Last

禮物のことで開心からしばらくするとお礼の電話がいきなりあって、しばらくしたら、微笑から簡訊が突然きました。いつもすぐに反応して気遣いをする開心に対して、微笑は生い立ちもあるのか、すぐに人に頼ったりせず、やせ我慢してしまうことが多い子です。返事が来ることも多くはないです。

ですから、開心はまだ、出勤は少ないながらも気遣いを必要とする仕事である酒店に残り続け、微笑はすでに去って新たな仕事を独立して進めているところにも2人の性格がよく出ていると思っています。微笑からの簡訊は次のような内容でした。

「XX先生的心意微笑早収到了拉(^・^)我真的真的很開心。
我很感動從没想過會偶見像XX先生這様的人物並且這様疼我和在乎我!
我一時間還無法適應哦!」

(XXさんの気持ちは早々と受け取ったよ。私は本当に本当にとてもハッピーだよ。私はXXさんのような人と出会うことができるなんて想ったことがないから、とても感動しているんだ。そして、このように私を可愛がって、私を気に掛けてくれるなんて!私はまだしばらく適応できないよ!)

微笑は酒店の時代にいろいろな客や同僚の小姐に騙されたり、辛くあたられたりすることが多かったし、家族にも恵まれていません。だから、基本的に自分は孤独で、誰も本当には可愛がってくれないと思っているところがあります。それに加え、微笑は若くて可愛いので、いいことを言って言い寄ってくる男も体目当てだったり、飽きたら冷たくされたりの経験を通して酒店小姐のつらさも知りすぎてしまったため、私は、彼女はあまり人を信じることができないと感じていました。

ですから、長い年月を通して気に掛けてもらい、可愛がってもらうことの喜び、人を信頼することの尊さをそんな彼女に少しずつでもわかってもらえたらと思っていました。私が台湾にいたならば、彼女も心のどこかに猜疑心があって、「やさしくされても、結局、男は信用できない」という気持ちが捨てきれなかったかもしれません。しかし、微笑が酒店を去り、私が日本を基点とした仕事に変り、会うことがなかなかできす、距離があっても、縁があった者として少しばかりの気配りは忘れないようにしていました。

夜の世界で出会った女性とのことは所詮、虚飾の世界で、遊びは遊びという割り切った考えもまちがっていません。しかし、台湾で私が得た彼女たち何名かとのかかわりは、それだけでは決してないことも学ばせてくれました。開心と微笑は、私に人としての大切なことを思い返させてくれます。そのことは、他の多くの夜の世界の女の子たちと接する時の原点になっています。

彼女たちはビジネスとして接客していますから、心の中では別の顔を持っていたりします。だから、心を開いてくれるのは簡単ではありません。しかし、いろいろな子たちと良い出逢いが次々とあるのも、きっと最も大切な「気持ち」という原点に立ち返ることができたからだと今は思っています。

さて、禮物を住所を知っている開心に贈った後、着いたかどうか気になって、微笑と開心に電話をしました。微笑はまったく電話に出ず、開心はいつもすぐに出ます。

彼女は夜学に通っているので、いつも夜学が終わる10時過ぎにかけると必ずといっていいほど出ます。10月の中旬頃、開心に「微笑に禮物の感想を聞きたいのだけどまったく電話に出ないんだ。簡訊を送っても返信もないんだよ。仕事が忙しいのもあるだろうから、まあ仕方がないけどね。」といった話をしたことがありました。

開心は「微笑は洋服を売るブティックの仕事がとても忙しいって。プレゼントはとても喜んでいたよ。」といかにも心配しなくてもいいよ、元気だから大丈夫だよといった感じでした。そして「今日は学校で日本語の試験だったんだ。日本語を専攻して勉強がんばっているんだよ。」とはしゃぎながら中国語で話し、「少し、日本語でおしゃべりしようよ」ともちかけられたので、私も簡単な日本語でやりとりをしたりしたのを覚えています。顔は見えないけど、そこにはいつもの天真爛漫な開心がいて、楽しそうに屈託なく会話をする様子が目に浮かぶようでした。

「酒店には行っているの?」と訊くと、開心は「今は学校の考試(テストのこと)期間だったから、このところ2週間ほど行っていない」と言っていました。微笑にもプレゼントを渡してから会っていないとのことでした。開心と微笑とは酒店に彼女たちがいた頃、いつか夏休みに日本に招待するという約束をしていて、「京都にいきたい」とか「ディズニーで遊びまくる」といつも言っていました。彼女たちは家庭に恵まれていなくて飛行機に乗ったこともなく、当然ながら外国に行ったこともありません。

11月のある日の早朝5時頃、眠っていたところに突然、携帯電話のバイブが響きました。目が覚めて携帯の画面を見ると約1ヶ月ぶりの微笑からの簡訊でした。何度か電話したり、簡訊を打ったりしてもまったく返信がなかったこともあり、とても気になってすぐに簡訊の内容を確認しました。

しかし、そこには、とても悲しく残酷な事実がありました。

「XX先生、我現在很不好的。被朋友利用騙的好惨、
莫名奇妙欠了一大筆錢、身上錢没了、租屋也没了、什麼都没了。
微笑好傷心好絶望..真的、我不憧為什麼總真心換絶情。
對不起我真的不是不回你而是我痛苦時就會躱起來自閉療傷」

(XX先生、私は今とっても良くないよ。友達に利用されてとても酷く騙されてしまった。言い表せないぐらい大きなお金の借りができ、今の私はお金もなく、借りる家もない。何もかもすべてない。微笑はとても傷つき、とても絶望している..本当だよ。私はすべての真心がどうして絶望に換わってしまったのかわからない。ごめんね。私は本当にあなたに返事をしなっかったのではなくて、その時は私がとても心痛くて、自分が立ち直るために自らの心を閉ざして心を療養していたんだ。)

あまりの驚きと悲しみで夜明けであるのもかかわらず、目が覚めてしまいました。微笑は身よりもなく、頼るところもありません。彼女はあまりにもまっすぐ過ぎて、人を信じすぎて・・・・。酒店に勤めていた頃もそうでしたが、ある意味世間知らずで素直なそんな彼女を平気で地獄に突き落とすような輩がいます。彼女はそれに翻弄され、傷つき、今度こそ本当に何を信じていいのか、わからなくなっているにちがいありません。

でも、今の私に何ができるのだろうか?今は台湾での仕事も少なくなり、大陸と日本の往復が多くなっている私には台湾が今は少しずつ遠くなりつつあります。しかし、毎日は流れていて、その中に彼女たちの人生にも大きな変化があって、その痛みや苦しみを受け止めることだけしかできない自分が情けなくなってきます。とにかく、「できることをしよう」と思い立ち、まずは微笑にすぐに返信しました。

とにかく絶望だけはしないように。自暴自棄にならないように。そして、信じるものを失わないようにと。もうすぐ、クリスマスと年末。私も再び、台北を訪れ彼女たちと約2ヶ月から3ヶ月ぶりの再会をするでしょう。それまでは彼女たちに誠実に向き合い、少なくともたかが酒店を訪れた客であっても、一生懸命、彼女たちの他人を信じる心をもう一度芽生えさせたいと思っています。

今、微笑には、これからできる限り、こまめに簡訊出していこうと思っています。それを見て少しでも元気になってくれたら、生きる希望を再びもってくれたらと思う一心です。

開心を含め、台湾の娘たちはいつも心を開いてくれました。時としてそれが自由奔放だったり、気まぐれだったりしますが、彼女たちとの交流はこちらが誠実に向き合っていけば時が経っても継続していきます。日本ではありえないようないろいろなことに遭遇し、そして、新たな展開が次々と起きていきます。でも、私も彼女たちの支えに少しでもなれば、元気の素になれれば、台湾に在住していた時に幸福な時間をくれた彼女たちへの恩返しになると思っています。そして、私も彼女たちに少しは希望を与えられるようにしていきたいと考えています。

台湾での仕事に疲れ、うまくいかなかった時も彼女たちはいつも励ましてくれました。「加油!加油!」と笑って夜の街で一緒にご飯を食べたり、バイクで遠出したり・・・。当時、私は何度も仕事で折れそうな心を救ってもらいました。彼女たちが子犬のようにまとわりついてきて笑顔を見せてくれた時のことを今よく思い出します。

皆さんもいろいろな出逢いがあると思いますが、酒店で知り合った子たちとこんなにも気持ちがつながるとは当時は思いもよりませんでした。しかしながら、きっと誰にでもそのようなきっかけはあるにちがいありません。それが単なるきっかけで終わってしまうか、それとも心がつながるかは、たまたま巡り会った娘たちとの向き合い方なのかもしれません。

私の場合は、当時深く考えたことなどなかったのですが、気がつけば、単なる客と酒店の子という間柄ではなくなっていました。支え合うというか、信頼しあうというか、言葉ではうまく表現ができません。

きっと微笑も多くの困難があるのでしょうが、彼女たちは頑として私には頼ろうとしません。必ず、「自分でがんばるから」と言います。とても不思議な感覚です。

これから彼女たちの人生がどうなっていくかはわかりません。所詮、私にできることなんて多くはないし、彼女たちもそれはわかっているのでしょう。ただ、かかわった一人の日本人として、裏切ったり、見捨てたりは絶対にせず、私のできる範囲の中で彼女たちの人生が幸福に少しでもなるようにしたいと思っています。

林森北路 024モザ

禮物(2011年10月発表文章)/微笑との回憶 Second

去年の10月、出張に行く前に開心と微笑に禮物(プレゼント)を成田国際空港の郵便局からEMSで送りました。開心と微笑は何もかもが対照的です。おおらかでいつも心を開く開心と苦しくても我慢して強情を張ってがんばろうとする微笑。同じ夜學に通う2人ですが、その生き方に対する考え方はまったく異なります。ですから実は、開心の本名や住所を私は知っているのですが、微笑は小機(携帯電話)の番号と通っている学校しか、知りません。

8月に台湾に滞在した時、開心が包廂である物を「面白いでしょ」と言って見せてくれました。私がそれに「へえ、こんなものが台湾はあるんだ」と興味を持ったら、次に逢った時にプレゼントしてあげるからと言われていました。9月に開心に逢った時に彼女はそれを約束通り包廂に持ってきてくれました。結構高くて1000元はするので、その代金を渡そうとしたのですが、今までとても良くしてくれたし、友達の微笑のことも助けてくれたりしたので、いらないと言って、頑としてお金を受け取らなかったのです。

それで、開心の家に日本から禮物を微笑の開心の2人分送りました。同じもので色違いのものです。開心に微笑に連絡をとって、逢って渡して欲しいと簡訊でお願いすると彼女は気持ちよく了承してくれました。そして、開心から「何度も連絡しても連絡がとれないけど、やっと彼女から電話がかかってきたよ。会えることになったから、安心して。ちゃんと禮物渡すからね」と返信がきました。仲の良い開心もなかなか電話がつながらなかったようです。

そして、簡訊を送っても返信がなかった微笑から、今朝、突然、簡訊が届きました。それは驚くような内容でした。

「哇~好感動! ○○先生謝謝你(^^)對不起最近準備開店真的好忙好忙所以都没注意到小機、自己創業真的很辛苦、要整理店面、網拍也要上架設計名片、找廠商看版拿貨、好多東西要整理毎天都好累!」

(すごく感動したよ! ありがとう○○先生。ごめんね、最近お店を開く準備がすごくすごく忙しくて、携帯電話に注意することもできなかったんだ。自分でお店を開くのって大変。お店を整理しなきゃいけないし、インターネットのHPを用意して、店の名刺をつくらなきゃいけないし、メーカーが持ってくる商品を見なければいけないし。毎日、すごく整理しなきゃいけないことがたくさんあって、すごく疲れているんだ!)

微笑の簡訊を見て、開心に微笑の状況を簡訊で訊ねました。微笑はブティックで勤めていたのですが、どうやら一生懸命がんばって認められて、オーナーが新しく出店する店舗を小さいながらまかされたようなのです。微笑らしいなと思いました。やさしい顔をしているけど、何でも強気にがんばる微笑ですから、彼女が言っていた「創造的我奇蹟」は嘘ではないかもしれません。心配なのは、あの子のことだから頑張りすぎて体をまた、壊さないかということだけです。

私が送った禮物は台湾では入手しにくいとてもおしゃれな置物です。きっと微笑は健気な彼女のことですから店の片隅にでも飾ってくれると思います。微笑と開心が一緒に包廂にいることは、もう永遠にありません。彼女たちは酒を飲むことがあまりできず、バラード系の歌を歌うのが大好きでした。「乾杯」の連続と「玩遊戯」の罰ゲームで酒を飲ませまくる台湾人客よりも、「安静」を好む彼女たちは、とてもやすらかにすごすことができましたから、いつも気持ちよく歌っていました。きれいな声とやさしい笑顔がそこにはありました。日本人の私も、とてもたくさんの歌を彼女たちから教えてもらいました。そして、そんな愛おしい彼女たちを、体と一緒に気持ちや折れそうな心も抱きしめるようにしていました。だから、今のような彼女たちとのつきあいがあるのでしょう。

彼女たちとよく一緒に歌った曲がたくさんあります。その中で特に思いで深いのが「禮物」という曲です。今、思えば歌詞が彼女たちのことを語っているように感じます。愛おしいあの子たちを思い出し、当時、微笑と開心と一緒に唱ったこれらの歌を聴くと今でも鮮明にあの時の一瞬一瞬が心をよぎります。



包廂で私は、よくメモに中国語で文章を書くのですが、時々、すごく丁寧に書いて、女の子たちに手紙のように渡すことがあります。もし、今の気持ちを彼女たちに渡すとしたら、こんな感じでしょうか。

「謝謝開心和微笑。你們給我美好的回憶。而己我會記得、懐念在我的心裡永遠」

鴨長明が書いた「方丈記」の冒頭には有名なこのような文節があります。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」

(川の水は絶えないけれど、といって、同じ水があるわけじゃない。のんびり漂う泡ぶくだって、割れたり他とくっついたりして延々と現状維持を続けたりしない。人間といい、その人間の住み処といい、世の中だいたいそんな感じだろう)

すぐに微笑に何度も電話して連絡をとってくれ、日本語の勉強を将来のためにがんばっている開心。そしてブティックの支店を経営するという新しい人生に挑んでいる微笑。

20歳の開心と19歳になった微笑。

ちょっとお姉さんとして再び夜學に通う高中生たち。若い2人ですが、多少なりとも縁をもった2人の娘たちの未来を私も見守り続けていこうと思います。

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再会(2011年9月発表文章)/微笑との回憶 First

昨年の9月、台北を訪れた木曜・金曜・土曜と酒店をやめた子たちと夕食を食べていました。金曜日には「微笑(ウェイシャオ)」という子と会ったのですが、微笑と私とのことを少し書かせていただきます。

台湾にはいろいろな出逢いがあって、心が動くような出来事もあります。皆さんにもそんな出逢いがありますように・・・・。

微笑とは2月の寒假(冬休み)にとある制服店で出逢いました。微笑は18歳になったばかりの高中(日本の高校にあたる)の1年級でした(台湾は18歳以上ならば夜の仕事ができ、学校は関係ありません。たくさんの高中の子がいます)。微笑は家庭的に恵まれておらず、高中も学費を払うことができず、一度退学した後に前年の9月から再び夜学(イエシャウ)の高中に入りました。

18歳になるまではセブンイレブンや夜市でアルバイトをして学費を貯めて入学し、18歳になればお酒も法的に飲めてクラブの仕事ができるので、それで稼げば学校を続けられると思っていたようです。微笑はちょっと派手な顔つきのきれいな子でしたが、少女の面影も残していました。酒を飲むことができず、仕事にも慣れていなかったので、2月にクラブで働きだした時は、台湾人の客から換枱(女の子を客が気に入らず、他の子と交換すること)が多い娘でした。お姉さんたちの小姐にも「酒が飲めないから客が怒る」とか「オドオドするから客が楽しめない」とか言われていました。私の幹部が「この子、お酒飲めないから助けてあげて」と言われて紹介されました。

開心という仲の良い子がいて、開心も高中やり直し組でしたから、気があったのでしょう。いつも私は微笑と開心を一緒に呼んでいました。微笑は名前の通り、いつもニコニコ笑容(笑顔のこと)がある娘で、心優しく、私は酒を飲むことを強要しないので、私の包廂にいる時間は安心していたようでした。しかし、3月に私の仕事が台湾からアジア全体になり、台湾にいないことが多くなり、微笑を呼べなくなった頃から彼女の悲劇が始まりました。

微笑はがんばらなければいけないと思ったのでしょう。

高中も2度目の退学は避けたかったという心理も働いていたと思います。常々、微笑は「家族いないから学校ぐらい出てかないと仕事ないからね」と言っていましたから。台湾人の客にあわせて、飲めない酒を無理に飲む日が続いたようです。台湾人の一気飲みや乾杯はすさまじく、微笑はベテランの小姐のようにうまくかわすこともできなかったようで、氷を入れるアイスケースに10缶ぐらいのビールを注がれてそれを一気飲みしたり、洋酒をストレートで玩遊戯で負けた罰として瓶ごと飲まされたりしたようです。吐いては飲み、涙を流しては飲みという日々が続いたと後から聞きました。

5月、酒店を訪れると微笑は姿を消していました。仲の良い開心に聞いても行方がわからず、姿を見ていないというのです。私は心配になって簡訊を数多く打ったのですが、返信もありませんでした。5月下旬、微笑から写真付きの簡訊が突然届きました。それは変わり果てた微笑の写真で、ガイコツのようにやせほそり、目はうつろになって病院のベットで横たわっている写真でした。コメントには「ごめん、胃腸をひどく壊し、食事がまったくできなくなった。今は病院にいる、本当にごめんなさい」と書かれていました。とても心配になり、どこに入院しているのか、酒店の子たちに聞いてもわかりません。医療費はあるのだろうか、体は本当に大丈夫なのか、厭な予感もありましたが、どうすることもできず、月日が流れていくだけでした。

8月初旬、突然、簡訊が来ました。「大丈夫、直ったから」とコメントがありました。「心配だから会おう」と返信すると「まだ全快していないので、もう少し待って、顔も変わってしまったし、昔の私じゃないからがっかりする」といった内容でした。9月16日の夜8:00に林森北路のあるセブンイレブンの前で彼女と6ヶ月ぶりに再会することになりました。遠目で私はすぐわかったのですが、キョロキョロ私を捜して見つけると走り寄ってきて子犬のようにいきなり抱きついてきました。

「微笑だよ、元気になったからね、心配してくれて本当にありがとう!」と以前の笑顔を見せてくれました。彼女と近くの店で食事をしたとき、IPHONEの写真をいっぱい見せてくれて、病気の時の写真や最近の様子の写真を見せながら話が止まらないぐらい話し続けてました。18歳の可愛い少女の顔がそこにはあって、元気になった微笑の顔を見ていると、無理して苦しんでいた酒店時代のことが思い出され、胸が詰まってしまいました。

「病院代はどうしたの?」と聞くと彼女は「経紀人から借りた」と言いました。とっさに私はいくらかのお金を少しばかり渡そうと思ったのですが、彼女がまったく受け取りません。「今はブティックで洋服を売る仕事をしていて少しずつ返しているから大丈夫、学校も休学してまた1年生からやり直しだけどちゃんと行くから」と言います。私が「いつから学校始まるの?」と聞くと無邪気に「来週からだよー」と答えていました。

結局、最後に無理矢理にお金を少しばかりわたしたのですが、別れ際、急にポロポロ泣き出し、「いつ日本帰るの?もう台湾に住まないの?」と聞いてきました。そして、「私、知っての通り家族いないも同然だから、心配してくれる人いないんだ」と言います。私が「仕事が今は台湾だけじゃないから、もう日曜日には日本に戻るんだ」と話すとポロポロまた泣き出し、「うん、わかった。○○さんは日本人だもんね」と言って、急に「バイバイ」と言って、林森北路を足早に歩き出しました。後ろから「微笑!你、加油!我常常支持你、我不忘記微笑永遠!」と言うようなことを言うのが、胸が詰まって精一杯でした。追いかけることすらできませんでした。

その後、酒店に行き、微笑の友人の開心と逢いました。彼女は今、学校に熱心に行っているので、一週間に3日しか勤めず、その日も12時から出勤するという簡訊が来ていました。しかし、彼女が姿を現したのは1時30分、大きく遅れて出勤したとのことでした。彼女はやはり、とても気持ちのやさしい娘で、20歳になるのですが、まだ、高中1年生、微笑と同じようにがんばっています。彼女は今回、私にプレゼントを用意してくれてました。だから、微笑のこともあったし、今回、絶対に逢わなければいけない子でした。

2月に一緒に何度も呼んでいた開心と微笑、人生はそれぞれ大きく別れてしまいました。

その日は一人で酒店に遅い時間に行ったのですが、とても感慨深くて私にとっては忘れることができない一夜となりました。酒店を出ると台北の風が本当に心地よくて、いろいろな思いが私の心の中をよぎりました。元気になって今は酒店を去った微笑とがんばり続けている開心。これから彼女たちの未来はどうなっていくのだろう・・・。少しばかり縁があった者として、もし、連絡がこれからもとれるなら、彼女たちの歩んでいく人生を見守っていこうと思っています。

9月18日の早朝、桃園飛行場で出国手続きをしていると微笑からいきなり簡訊が4通連続で届きました。

「真的好遺憾。我還有好多話好多故事都還没跟XX先生聊到」
(とても残念。私はまだとてもたくさんの話、とてもたくさんの出来事をすべてXXさんとおしゃべりしつくしていない)

「其實我一直都再硬撐逞強、也許看起來我很年軽、但我的人生路走的很曲折。我不是個好女孩、謝謝你在你在茫茫人群中發現了渺小的微笑」
(実は私はずっと無理してがんばって強情をはってきた。多分、私はとても若く見えるけど、私の人生はとても曲がりくねっていて、それを歩んできた。私はだからいい子なんかじゃないよ。でもありがとう、あんなにたくさんいる酒店の女の子たちの中からとてもちっぽけな微笑を見つけてくれて)

「一路順風!有機會的話換微笑去日本找○○先生」
(道中ご無事でいてね!機会があったら換わった微笑は日本に○○さんを見つけにいくからね)

「XX先生謝謝你對微笑的關心情疼愛和鼓力。微笑會更努力創造的我的奇蹟」
(XXさん微笑を可愛がってくれて、いっぱい励ましてくれる気持ちをくれてありがとう。微笑はもっと努力して奇蹟がつくれるようにするから)

大人げもなく、微笑の酒店を見て、空港で涙が出てしまいました。

返事を返すのも言葉を選び、これからの彼女の人生に幸あれと祈らずにはいられませんでした。ですから飛行機の窓から台湾の景色を見ると彼女とのいろいろなことが思い出されて、心の中の整理がつきませんでした。
18歳の少女が大人びた顔を無理してつくり、そこであった私のような、ただの客から何をもらったのだろう、何を私は与えることができたのだろう・・・。

微笑とまた、会えるかどうかはわかりません。

でも夜の闇とネオンの輝きの中にも女の子たちのいろいろな人生があって、彼女たちから私も元気をもらい、そして少しばかり彼女たちにも何か力を与えることができたのかもしれません。

台湾の夜の世界にはいろいろな小さな物語があって、私自身もとても純粋な気持ちになり、心が動かされることが数多くありました。皆さんにもこんな話があるかもしれませんね。今日は台北であった彼女たちとのいろいろな気持ちが交錯して眠ることがなかなかできません。皆さんも記憶に残る素晴らしい出逢いがあることを願ってやみません。

酒店には、こんな話が星のかけらのように落ちていて、そのかけらが時に光り輝く瞬間があります。ていねいに誠実に見つめていれば、きっと見つかるはずです。

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微笑回來了(休息一些)

今日は日帰り出張があって、早朝から静岡に出かけて、午後に戻るという予定でした。午前中の仕事が終わり、昼食でもと思って歩いていた時、スマートホンのバイブが2度振動しました。時間はぴったり12:00。Appの着信でした。誰かな?と見てみると.....。約3ヶ月近く連絡がとだえていた微笑という子でした。

このブログを書きはじめるきっかけとなったあるBBSがあるのですが、そこで、この9月に台北に行った時に懇意にしている微笑という19歳の子との再会の話を書いたことがあり、多くのBBSを見られている方からとても温かい声をいただいたのが、この微笑という子です。

彼女の人生は本当に苦しいことの連続でした。

私は彼女が11月に新たな困難に直面したことを彼女の簡訊から知ったのですが、それ以来、簡訊を時折送ってもまったく返信がなく、12月に台北に行った時に彼女と仲が良かった開心という子や彼女を紹介してくれた今の 幹部とともにその消息を追ったのですが、手がかりがなく、まったくの行方不明、状況を誰もわからなくなっていました。

彼女はかなり早い時期からi-phoneをもっていてAppもインストールしていましたが、最終接続の表示は秋頃になっていて、まったく他の友人たちに反応している様子も見受けられませんでした。時々、私も思い出したように今まで20通ぐらいの簡訊を送っていたのですが、まったく反応がなく、自殺などしていなければいいが....と心から彼女と縁があった誰もが心配していました。

その微笑からの簡訊が突然、届きました。私は昼食を食べるのも忘れ、およそ1時間近く、彼女と聊天(チャット)を続けました。途中、彼女は2枚の今の彼女の写真もAppで添付して送ってきました。ちょっとやせていましたが、笑顔があって、あいかわらずのちょっとギャルっぽい顔がそこにはありました。

「XX先生、真的好對不起一直讓你擔心我,
之前發生好多事不得以離開了一段日子。
一下子不知該怎麼說明才好。
但重要的是我心裡真的好感動好感動。
XX先生真的好關心我、對不起讓您擔心了...我回來」

(XXさん、ずっとあなたを心配させてしまって本当にとてもごめんなさい。
以前からずっと多くの事があって1日も手を離すことができなかったの。
急にどのように説明したらよいかわからない。
ただし、重要なのは私の心はとても感動、感動だったよ。
XXさん、本当に私をいつも気にしてくれていたのに、心配させてごめんね....私は戻って来たよ)

その後、彼女と1時間近くにわたって聊天(チャット)をする展開になりました。彼女が自殺しているのではないかと友人の開心という子も彼女にかかわっていた幹部も心配していましたことも伝えました。しかし、彼女はやはり強い女性でした。わずか19歳でいろいろな困難を経験していきた彼女は簡単にはへこたれていませんでした。

「去年確時發生了很多令我痛心的傷害
但XX先生您放心、微笑有雜草搬的生命力!
不會輕易做出自殺的行為」

(確かに去年はとてもたくさんの心を痛めたつらいことが起きたよ。
但し、XXさん、安心して、微笑は雑草のような生命力があるから!
軽く自殺なんてしようと思わないから)

聊天をする中で彼女が姿を台北から消していた理由が少しずつわかりました。信頼している友人の会社の保証人となったところ、その会社が大きな損害を出し、彼女は共同出資者として責任を問われ、約30万元の賠償を背負うことになったというのです。彼女は、しばらくの間、債権者から逃れるために台北を離れ、南部に潜んでいたということでした。ただ、30万元のうちの10万元を用立てて、一部、賠償責任を果たしたことから、再び、台北に戻ってきたのでした。

しかし、残りの20万元の賠償の問題をまだ解決しなければならず、彼女はその交渉にこれから臨むことになるということでした。微笑が言うには借金ではないので、交渉しながら、その負債責任がないことを手続きしていくとのこと。そして、家もなく、家族もいない彼女は、昨日、台北に戻ってきてすぐに酒店での上班を始めていました。彼女が言うのはそれしか方法がないと話しました。酒店の經紀人がすぐに家を用意してくれたようで、当面の生活費を立て替えてもらったらしく、さっそく昨日から上班していました。今日は、休日で家の整理をし、台北での生活の再スタートの準備をしていました。以前とは店を換えていて、名前も換えています。だから、正確に言うとすでに微笑ではないのですが、彼女はこの「微笑」という名前が私との関係では慣れていますから、私には微笑と呼んでほしいと言うため、これからも微笑という名前で彼女のことを紹介していこうと思っています。

彼女はかなり前からi-phoneを持っていて、以前昨年の8月に体を壊して入院した時にも写真をAppを使って、送ってきたのですが、今回も2枚写真をすぐに送ってきました。少し、痩せていましたが、微笑んでいる彼女の顔が私も妙に懐かしく感じました。

 可愛い微笑。ガウスぼかしかけています。
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昨日はいろいろな簡訊がとても送られてきていて、一種の特異日でした。

ブログの中で時系列に順を追って書いていこうと思っていたのですが、少し、詳しく説明しておかないとこのブログの内容がわからないことがもうひとつあります。昨日までのブログに当時、私が時折行っていた制服店に天才的な副店長が現れて活況を呈していったことは紹介をしました。2008年の暑假に私はある子と出逢うのですが、この子とのかかわりの中でこの副店長とかかわりをもち、親しくなっていきました。彼は結局、2010年の3月に独立して、新しい制服店のオーナーとなるのですが、その店がこの2週間ほど、厳しい状況に立たされていました。この店は以前に微笑が勤めていた制服店であり、私が本拠地にしていた店です。

彼の制服店はここ2年間でダントツの人気で、多くの酒店からうとまれている存在でした。彼のアイデアは卓越していて、次々と新しい機軸を打ち出し、多くの既存の概念を打ち破っていたため、いわゆる老舗の酒店公司のオーナーたちは彼に良い思いをもっていませんでした。女の子たちは当然、流行っている店に移るため、彼の店に自分たちの女の子は經紀人ともども移籍することも多く、台北の他店は系列の中で合併や再編成を繰り返して何とかビジネスを上向きにしようとしていました。そんな中、旧東京サウナの土地と大樓を買い取り、新たな禮服店を開店させるなど、どんどん勢いを増していた彼は目の上のタンコブ状態でした。そのため、彼は陥れられてしまったのです。

それは、彼の制服店でエイズに罹患している子がいて、積極的に性的服務を包廂でしていると噂を立ててたのです。そして、さらにマスコミにもさかんにリークしたようで、どの店でも包廂の中の事は客人と小姐で決める過ごし方なのですが、違法なSを組織的かつ積極的にしていると噂を立てられました。そのため、スキャンダル好きの台北のマスコミはこの噂を見過ごすわけがなく、新聞にこの噂を報道されたのです。さらにスキャンダル好きの週刊誌も便乗し、どんどん経営のルールや古くからの酒店のルールを守らないだの、かなりおおげさに書いたのが、先週ぐらいのことです。

そのため、警察も重い腰を上げざるを得ず、臨検に煩雑にくるようになりました。そのため、この制服店は大きな打撃を受け、客足も遠のきはじめました。臨検があっても実際には逮捕などされることは、現行犯や証拠がない限り、事件化しないので、実際には大丈夫なのですが、やはり、客人にとって臨検に遭遇するのは避けたい心理が働くのは当然のことです。さらにエイズの子がいるという噂も蔓延しだして、かなり、厳しい状態になっていました。

そして、彼は表面的にこの制服店の経営責任をとって、経営陣を一新し、店名も変えるという手段に出たのです。従って、新しい店として出発をするという形で決着をつけました。この騒ぎで女の子たちも換店した子も多く、大きな打撃を受けたようです。実際には、この制服店ができたときに、彼が以前、副店長だった店から彼を慕ってついてきた子が多いので、しばらくすればまた戻ると有力な經紀人や幹部は予想していますが、完全復帰には1~2ヶ月はかかりそうです。

その店長からもAppで簡訊が夜に来て、これまでの経緯や表面的には経営者として名前を連ねないため、今までのように店であいさつや話ができないという連絡でした。ただし、実質的には名義貸しのような形になっていて、彼の公司が他の公司をトンネルのようにして経営する形になるので、酒店の内容や形態は実質的には変わらないから安心して欲しいということでした。彼の怒りは旧態依然としている陥れられた古い体質の他の酒店公司に向けられていました。確かに出る釘は打たれるの格言どおり、風雲児の彼はたたかれてしまったのですが、次の手を着々と考えていました。私は今は台北にいないので、彼と直接、話す機会がないため、どのようなアイデアがあるのか、詳しくはわかりませんが、しばらく、その成り行きを見守っていこうと思っています。

今日は微笑からの簡訊がいきなりあったため、このようなブログの内容になってしまいました。以前、私が書き込んでいたBBSを見られていなかった方は、微笑と私との関係がまったくわからないと思います。ちょっとブログの時系列に書いていく方針とは少しずれますが、次からしばらくの間、2011年の寒假に出逢った微笑のことを再度、書いていくことにします。

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八大行業

7月初旬の夕方、私はいつもの中山北路にある國賓大飯店の前のMr.BrownにVickyといました。彼女はカフェと煙草が大好きで、コーヒーを1日に何杯も飲むのが、南米に駐在していた頃から習慣になった私ともそんなところで波長があいました。

いつもながらにジーンスにタンクトップ。痩身でおしゃれな彼女はいつも淡妝(薄化粧のこと)ですが、聡明な美人という感じで、彼女と一緒にいる時間は私にとって悪くはありませんでした。午場の女性幹部Kittyも元制服店の公關だっただけに可愛らしい女性で、一緒にバイクに乗って行動するのが楽しかったのですが、行動的な彼女とはちがい、Vickyには落ち着いた大人の女性の魅力がありました。

この日、Vickyとは6月末に酒店をあっという間に必要最低額だけを稼いで、酒店を去った蔓蔓のこと、そして4月15日、5月15日、6月15日と3度のすっぽかしをし続けている加菲のことが話題でした。加菲はVickyが予定通り、外事警察に相談したのですが、事件ではない、相談事の指導ですから、その動きは遅く、6月初旬になって加菲に連絡したようです。加菲は約束の日が近づくと私とVickyに必ず、行くからと返信の簡訊をいつもよこすのですが、実際に姿を現すことはなく、いつも直前か、直後に急用で行けなくなったというのが常套手段でした。こちらが連絡をとっても電話に出ることはなく、簡訊を送っても都合の良いことしか返信がきませんでした。

「XX先生我真的很抱歉。
因為我離開了酒店的工作、所以我放棄大學入學的機會。
現在都在找工作、可是我有我的困難。再次聲明我會努力的」

(XXさん本当にごめんなさい。私は酒店の仕事をやめたから、大学に入学することもやめたんだ。今、私は仕事を探しているんだけど、私にとっては困難なこと。次こそは、しっかりと返事できるようにがんばることができるから)

といった簡訊が多く、彼女が姿を現して、実際に私たちは話して欲しかったのですが、彼女は逃げてばかりでした。住所も知っているのですが、Vickyもあわれな加菲をそこまで追い込むつもりは毛頭無く、それよりも加菲の不誠実な態度の方が気に入らない様子でした。しかし、結論はとにかく、加菲を待ち続けようというものでした。Vickyの考えはいつもながらに立派でした。

「捉住她的簡單。可是,她沒相信人。因為自己即使不被信也不在乎。所以必須,告訴我們相信她是重要。因為讓她明白想貫徹始終,相信她的」

(加菲をつかまえることは簡単だよ。だけど、彼女は人を信じていない。なぜならば自分が信用されなくても平気だからね。だから、私たちが彼女に信用することの大切さを教えなければならない。徹底して私たちが彼女を信じていることをわからせたいんだ)

Vickyはいつも自分がかかわった子たちの人生の成功を導くように指導しているというのが信条でした。なぜならば酒店小姐のような仕事は若くて可愛い時だけの4~5年ぐらいが華で、あとは老いていくだけの自分と向き合っていかないといけないし、人生は圧倒的にそちらの方が長いことをよく理解していたからです。酒店小姐は所詮、若いうちだけできる仕事であり、その間に彼女は長い将来の人生設計を考えるクセをつけさせたいといつも言っていました。酒店小姐の仕事に応募してくるような子はこのあたりの考えが非常に弱く、手っ取り早く、お金を手に入れたいという短絡的な考えをもっている子が多いこともよく知っていました。そして、酒店での仕事が厭になってやめた後、その教訓を自分の人生に生かすようにしたいというのがVickyの願いでした。そのこともあって、面倒見がいいという評判のVickyのところには女の子たちがたくさん集まり、それが、Vickyの酒店での立場も強くしていました。

酒店の行政たちも立場の強い經紀人から預かった女の子たちに金になると思っても無理な接客をさせることは絶対にしないので、それがまた、女の子たちが集まる原因になっていました。力のない經紀人はトラブルになっても行政や幹部たちはすぐに関係を絶っても大きなリスクがないため、預かった女の子たちに客があこぎな要求をしたり、K桌に入れたりしても知らぬふりをしていて、金を瞬間瞬間でいかに稼ぐかという考えに立っています。

従ってあわれなのは女の子たちで、強姦されたり、毒品を吸わされて輪姦されたりすることがあり、經紀人が抗議をしても気づかなかった、知らなかったで押し通してしまいます。怒った經紀人がその酒店から女の子をひきあげても、そんなに人気のない子をひとりふたり引き上げられたところで、200人近い公關がいる酒店のビジネスの大勢には影響がないのが実際のところなので、かまいもしません。信用をなくした經紀人は契約していた女の子たちにも力がない經紀人と見切りを付けられるため、さんざんな末路となっていきます。従って、酒店の中で力をもつことは經紀人にとっては極めて大切なことです。Vickyはそんな海千山千の世界の中で彼女の聡明な戦術を駆使しながら、有力な幹部たちとの関係を強め、酒店でのポジションを高めることに成功していました。

彼女は機会があるたびにこのような酒店の裏側にあるさまざまな仕掛けやからくりを教えてくれました。一番、私が驚いたのは、私が2010年に当時、使っていた幹部と会計の際に節数が合わなくて抗議したところ、彼女が酒店の控台をするいろいろなスタッフルームに連れて行ってくれて、モニターを見せてくれたことです。

酒店には多くのカメラがあって、警察の臨検を防ぐための入口はもちろんのこと、大廳や包廂に続く各ブロックの廊下にもカメラがついていることに私は驚きを隠せませんでした。モニターが30画面はあって、すべてHDで録画しています。従って、小姐が包廂に入る時間と出る時間が映像を見ればわかるようになっていて、その時も一緒に確認をしてくれました。実際には2分、公司の行政と幹部の時間測定が異なっていて、私の方が正しかったのですが、そのことよりもその仕組みの方が印象に残っています。

Vickyはこの時に、コーヒーを飲みながら台湾の風俗営業法にあたる八大行業法について詳しく教えてくれました。法律的な問題は極めて重要であるというのがVickyの持論で、彼女は夜の世界でも、法的根拠に基づいて問題を対処するように心がけていました。女の子たちがFacebookなどで「我做八大」などと自分の仕事を紹介することがよくありますが、「八大」は台湾の夜の世界では極めて重要なキーワードと言えます。


.一般俗稱之「八大行業」,
指依「臺北市舞廳舞場酒家酒吧及特種咖啡茶室管理自治條例」
管理之舞廳業、舞場業、酒家業、酒吧業、特種咖啡茶室業、視聽歌唱業、理容業及三溫暖業

(1)舞廳業:指提供場所,備有舞伴供不特定人跳舞之商業。
(2)舞場業:指提供場所,不備舞伴供不特定人跳舞之商業。
(3)酒家業:指提供場所,供應酒、菜、或其他飲食物,並備有陪侍服務之商業。
(4)酒吧業:指提供場所,備有服務生陪侍,供應酒類、飲料之商業。
(5)特種咖啡茶室業:指提供場所,備有服務生陪侍,供應飲料之商業。
(6)視聽歌唱業:指設置包廂或提供投幣、刷卡等伴唱視聽設備,供人歌唱之商業。
(7)理容業:指將營業場所加以區隔或包廂式經營為人理容之觀光理髮或視聽理容之商業。
(8)三溫暖業:指提供冷、熱水池、蒸烤設備,供人沐浴之商業。

法令規定

1 未滿18歲者無家長陪同不得涉足八大行業場所
2 未滿18歲更不得從事八大行業、若滿18歲未滿20歲者需家長同意、才可從事相關工作


従って、これらの業種をまとめて「八大」と言っています。日式の店がこの八大行業法に基づいて届けをきちんと出してやっているかというと、そうではないとこころも結構多いはずです。手続きは簡単ではなく、また、審査や税金の取り扱いなども異なりますから、一般の飲食業で開店しているところも多いとママさんたちから風の噂で聞いています。

大酒店は、公司組織ですから、きちんとこの届けを出して営業許可をとり、店を出しています。従って、一定の社会的法的立場はきちんとしているというのが、実際のところです。ただし、店自体は許可をされていても包廂の中で違法なことをしていないかどうかというポイントがもうひとつあって、基本的に性的な服務は法律上禁止されていますから、そこに警察が臨検や摘発をする要素が潜んでいます。また、Kなどの毒品の使用や18歳未満の少女の雇用や客の出入りも厳しく処罰されますから、酒店にかかわる人の年齢確認も重要で、時折、18歳未満の少女の打工や就業が見つかって事件になることがあります。ただし、日本とちがって、高中生であっても年齢が18歳以上ならば問題はないし、高中は落第もあり、休学や退学してからの再入学などもありますから、19歳で高中2年級などという子も結構いたりしますので、驚きます。

Vickyは最後に私に言いました。

「目前已經開始暑假。我有很多年輕的小姐。大学和高中的女生很多。你期待的。我介紹你好的新鮮人」

(現在、夏休みがもう始まってるね。私はたくさんの若い子を担当しているよ。大学生や高中生がたくさんいる。期待してね、いい新鮮な子を紹介するから)

彼女の言葉の通り、私は7月下旬に私の大きな決心が必要となる運命の子とついに出逢うことになるのです。

 このブログは元々、台妹と良い心の交流をもちたいと思っている、あるBBSでご賛同いただいた方々に情報提供する目的で始めましたので、画像等も一定期間をすぎたらほとんどをプライベートモードにしております。プライベートモードは私が友達認証した方が入れますが、コメントなどをお書きいただいたり、メールなどを通じて交流などを深め、ご信頼した方を対象にさせていただいております。酒店と同じような形で一見の方はすぐに認証はできませんので、何度かやりとりをさせていただいてからになります。ご理解のほど、お願いいたします。

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最熟悉的陌生人

大直のWeGoは美麗華から通りをはさんですぐのところにありました。入るとPCのモニターが並んだようなフロントがあり、空き部屋を確認しながら、私たちのリクエストをスタッフがていねいに訊きます。蔓蔓にすべて私はまかせていたので、彼女が好みの部屋を選んでいました。ただし、蔓蔓もここの支払いは私に頼んできたので、快く私は支払いをしました。この土曜日から日曜日にかけて私が支払いをしたのは、この時だけでした。蔓蔓は學費が必要だから、何度も支払いをしようとしましたが、WeGoの支払い以外は頑として受け取りませんでした。

まず、最初に驚いたのがエレべーターを開けた時でした。中にはソファがあって、座れるようになっています。たった、上まで上がるだけにおおげさなと思いましたが、いちゃいちゃしてムードを盛り上げるのは悪くないかもしれません。心なしかエレーベーターの速度もゆっくりなような気がしました。

Wego1

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さて、部屋のあるフロアに到着すると非常にセンスの良い大廳があって、さらに廊下が間接照明になっているのですが、宇宙基地に入るようなイルミネーション(東京ディズニーランドのスペースマウンテンの並んで待つ所のような雰囲気)になっていて、さらに驚きました。この大直館はWeGoグループの旗艦店になっていて、他のWeGoよりも豪華で実験的なつくりが多くされています。12億元を投入したと案内には出ています。
 http://www.qk.to/inquiry.asp?n=1779 

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台湾の汽車旅館(モーテル)は非常に豪華なつくりが多くて桃園や板橋、中和、永和など少し郊外に行くとアッと驚くようなつくりのモーテルがあります。また、ラブホテルという利用だけではなく、学生が誕生日パーティーを開いたり、みんなで泊って楽しくすごしたりする使い方も一般的です。家族で利用する人もけっこういて、WeGo大直館は木馬がある遊園地風の部屋や大人数ですごせる豪華な部屋もあります。

WeGo大直館の様子はこのYouTubeの映像を見てもらうと様子がよくわかると思います。


あの時、蔓蔓と入った部屋はとてもよく憶えていて「Glass house」という部屋です。できたばかりで、まだ、部屋が結構空いていて、蔓蔓が選んでいたこともあって憶えています。部屋全体が鏡張りになっているような異空間のような部屋で部屋にはろうそくが灯っている水槽のようなガラスケースがあってとても印象に残っています。今まで、あのようなタイプの部屋に出逢ったことはなくて、バスもとても広くてゆったりしていました。
 http://www.we-go.com.tw/dazhi/index.aspx 

この後、私は時折、交流のあった女の子たちと内湖に来るようになりますが、その理由のひとつにこのWeGoがあります。彼女たちが一度泊ってみたいことでも知られていますし、確かに、台北市内に近いところで車を持っていなかった私にとってはちょうど良い距離にあることも都合が良かったのです。美麗華でウィンドウショッピングや映画、食事、ティータイムを楽しむことができ、変わったところでは、近くに「大魯閣棒壘球打撃練習場」というバッティングセンターがあって、ここもなかなか楽しめてよく寄りました。極めて近い距離にいろいろな楽しめるものがギュツとコンパクトにつまっている感じが気に入っています。

蔓蔓は部屋に入って大喜びしていました。ベットやソファの上をピョンピョン跳びはねるような感じで、いろいろなノベリティグッズやアメニティ、部屋の備品を調べるのに余念がなく、しばらく、興奮状態が続いていました。部屋全体がほとんど鏡張りになっていて、普通、そんな部屋はありませんから、異次元に迷い込んだ子犬のようになっていたという感じでしょうか。KTVや映画も充実していて、大画面、大音響ですから歌好きの彼女は、さっそく歌いだしました。すごく、いろいろな歌を教えてくれたのですが、彼女がその時に私に重点的に教えてくれたのは蕭亜軒(シャオ・ヤーシャン)、通称ELVAで親しまれている歌手の歌です。蔡依林(JOLIN)と並び称される有名なボーカリストで曲調もよく似ているのですが、スローバラードからアップテンポのダンスミュージックまであって親しみやすいメロディが多く、KTVの定番になっている歌手の一人です。

私もこの時をきっかけにELVAの歌を女の子たちとよく一緒に唱うようになりました。この時、蔓蔓は多くの歌を聴かせてくれたのですが、一番心に残ったのは「最熟悉的陌生人」というELVAの歌です。「最熟悉的陌生人」というのは日本語で「最もよく知っているけど、よく知らない人」という意味です。それが私のことをさして彼女が歌っているような気がしてなりませんでした。なぜならば、この日の夜が彼女と会った最後となったからです。



心碎離開 轉身回到最初荒涼裡等待   胸張り裂ける思いで別れ踵を返して初めの荒涼の中で待っている 
為了寂寞 是否找個人填心中空白    寂しさのために誰かを探して心の隙間を埋めるの? 
我們變成了世上 最熟悉的陌生人    私たちは世間で一番よく知ってるけど、知らない人になる 

そして、もう一曲。彼女がこの日、歌った多くのELVAの歌で「下一次戀愛」という曲があります。 



下一次戀愛 何時會再來            次の恋はいつやって来るのかな?
經過漫漫長夜 總會溫柔曙光在等待    ゆっくりと果てしなく長い夜をすごして、いつもやさしい光を待っているの
寂寞的心太久空白 我想念擁抱的實在  さびしい心はとっても空白だけど、私は誠実な抱擁を懐かしく想っているから

この日、蔓蔓は以前、加菲が私に言った「一起睡覺嗎?」という言葉と同じ言葉を言いました。しかし、ちがったことがひとつあります。それは加菲の時とは異なり、蔓蔓とはこの夜、たった一度だけの忘れられない抱擁があったことです。ほんの少ししか、誠意を示すことができなかった私に対して、蔓蔓は酒店を去る区切りとして酒店で知り合った私に彼女自身の持てるだけの誠意を返してくれました。

次の日の朝、蔓蔓と一緒に美麗華の前に停まっていたタクシーの前に来ました。

「我回去台中。謝謝你。你常常照顧及體諒我。我....」
(私は台中に戻るよ。ありがとう。あなたたはとっても世話をしてくれて、思いやりをもって接してくれた。私...)

蔓蔓と2月に別れた時とはちがい、明るい笑顔はありませんでした。
彼女の目には涙が浮かび、とめどもなく流れ出しました。

きっと酒店の勤めは本当に彼女にとって苦しかったんでしょう。
でも短期間でお金を稼ぐにはきっと今の彼女には他の選択肢がなかったのかもしれません。
少しばかり、素直な彼女を支え、励ました經紀人のVickyや幹部の震洲。そして、彼女、彼らとかかわっていた私。
私も胸がしめつけられるような想いになりました。

「我是只酒店的客人。我不明白我會給你溫柔、是不是。我們分手比較好。你有未来、我希望你變成明星的歌手将來。我決定不聯絡你、所以你也絶對不回酒店的工作。拜拜、蔓蔓」

(僕はただの酒店の客。僕は本当に蔓蔓にやさしさをあげることができたかどうか、わからないよ。僕らはここで別れた方がいい。蔓蔓には未来があるから、そして僕は蔓蔓が歌手としてスターになることを願っているよ。僕はもう蔓蔓に連絡しないことを決めている。だから、蔓蔓も絶対に酒店の仕事に戻っちゃ行けない。バイバイ、蔓蔓)

蔓蔓は「恩」「恩」(うんうん)と何度も涙を拭きながら、頷きました。

「 拜拜、XX先生」

彼女は最後にあいさつがわりのキスを軽く私にして、タクシーに乗り込み、日曜日の静かな朝、去っていきました。

私が私下(プライベート)で強く印象に残り、心の交流があった子の中で、唯一、蔓蔓だけ、本名も通っていた学校も知りません。逢った回数も多くはありません。また、不思議と彼女にはくわしくいろいろなことは訊きませんでした。触れてはいけないような気がしていたのと、子犬が迷子になって、ちょっと危険な世界に迷い込んでしまったような、そんな感じをもっていたからです。

最熟悉的陌生人。

それは私と蔓蔓の不思議な、だけど心温まることが多かった彼女との微妙な距離感にぴったりの言葉でした。

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美麗華的摩天輪

劍澤からはだいたい15分おきぐらいに美麗華行きの無料バスが出ています。公車站に行ったら、ちょうどバスが来ているところで、私と蔓蔓は乗り込みました。バスは以外と混んでいて、立っていましたが、蔓蔓が「美麗華に行く人は実は少なくて、結構通勤や内湖と劍澤の往復にいろいろな人が使っているから」と教えてくれました。

台北の大きなデパートやショッピングセンターに行く無料バスは結構充実していて、士林から天母の三越や高島屋に行くバスや忠孝復興から京華城に行くバスは私も時々、利用していました。あまり知られていないのですが台北站から101購物中心に行く免費バスもあったりします。しかし、基本的に台北は交通費が安くてバスは1段乗るだけならば15元ですし、タクシーも初乗りが70元程度でしたから、日本に帰ってくるとその高さに厭になってしまいますね。

私と蔓蔓は美麗華に到着しました。この時が、私は美麗華に入ったのは初めてで、夜で道路が空いていたこともあり、まだ、閉店の10時まで少しだけ時間がありました。美麗華は電影(映画)の影城もあり、買い物だけでなく、いろいろと楽しめるつくりになっています。また、すぐ近くにはスーパーの家樂福もあって、多くの人たちが行き交っていました。下からは美しく夜空を背景に光り輝く摩天輪が間近に見え、ゆっくりと回転している様子がよくわかります。

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蔓蔓がここでもやはりさっさと切符を買ってしまいました。結構高くて、料金表を見ると一人200元ぐらいだったと思います。摩天輪に乗るために列に並びましたが、透明なスケルトンタイプのゴンドラが時々あって、それならば30分待ちと係員から言われて、普通のゴンドラに乗ることにしました。蔓蔓も実は一度も乗ったことがなく、一度乗ってみたかったようです。

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私たちはゴンドラに乗り込み、隣同士に座りました。台北市内の夜景が基隆河をはさんで見えるのですが、遠くには101も見え、天気が良かったこともあり、とてもきれいでした。蔓蔓はうっとりというよりは子どものようにはしゃいでいて、指をさしてはあそこに○○が見えるなどというようなことをさかんに言っていました。普通、密室のゴンドラに2人きりに男女がなり、夜景など見たら多少はロマンティックになるのですが、どちらかというと初めて乗った摩天輪に興奮ぎみで、よくバスで車窓を後ろ向きに座って眺める子供のような感じだったように思います。

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私もいろいろな蔓蔓との想い出が胸に交錯していました。

2月の寒假に初めて出逢い、彼女の夢が歌手になることと聞いたこと。
「對的人」を唱った時の美しい彼女の歌声。
美少女の璇璇ともに踊って歌った楽しい時間。
夜中のVickyからの電話で再び向かった酒店での彼女の姿。
Vickyとともに聴いた2度目の「對的人」とスタンディングオベーション。
一緒に早朝の誰も客がいない店で涮涮鍋を一緒に食べたこと。
そして6月の再開と彼女がその時に最初に唱ってくれた「心動」。

逢った回数はあまり多くなかったのですが、そのひとつひとつの出来事はとても濃縮されていました。純粋な彼女がどうして酒店で働くことを決心したかが私は最後まで、よくわからないところもありましたが、その愛されるべき性格は、經紀人、幹部、酒店の行政をひきつけ、そして、多くの人に守られながら彼女は酒店での仕事にピリオドをうったのです。

突然、蔓蔓が無口になり、ちょっと感慨にふけっていた私に抱きついてきました。

「真的謝謝你。這段時間你對我真的很照顧。讓我很少遇到危險。你已經幫助我很多了。我不忘記你永遠」

(本当にありがとう。私が酒店にいる時間、私に対して本当に面倒をみてくれたよね。私が危険にあうのをとっても少なくしてくれた。あなたはもういっぱい私を助けてくれたよ。私は永遠にあなたのことを忘れないから)

私は彼女がゆっくり話す言葉の一言一言がとても心に染みつきました。私はただの酒店の客人。彼女に対してそんなに多くの彼女に感謝されるようなことはできていませんでした。彼女の學費を肩代わりして替りに支払うこともなかったし、彼女が6月に入ってから勤めた8日間の間、彼女を呼ぶことができたのはごくわずかの時間でした。それに大框をしたこともありませんでした。きっと私の力など、ごくわずかで、彼女を担当していたVickyの姿勢や彼女への向き合い方に感銘を受けて、それに少しばかり協力していたというのが正解だと思います。しかし、蔓蔓はそんな私にもすごく感激してくれて、酒店のような嘘偽りや騙し騙されが当たり前の世界でも、誠実な人間や気持ちのやさしい人間がたくさんいることを彼女が知ったならば、それはこれからの人生にきっとプラスになるにちがいありません。

彼女とすごした摩天輪の時間はあっという間に終わってしまいました。少しばかり天空に近づくことができた時間は瞬く間に終わり、再び私たちは地上に戻ってきました。そして、蔓蔓はさらに驚くべきことを私に言いました。

「附近有WeGo。我們一起睡覺嗎?」

以前、加菲が私に言ったことと同じ言葉を話しました。あのときは、林森館でした。今回は大直館というちがいはありましたが。

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私と蔓蔓は手をつなぎながら、WeGoへと向いました。当時のWeGo大直館は2008年4月にできたばかりで、まだよく知られていないこともあって、週末の土曜日の夜にもかかわらず、以外と空いていました。今では予約なしでは入れないほどの人気なのですが、蔓蔓もできたばかりのこの話題のホテルに一度入ってみたかったようです。

そして、そこは宇宙空間かと思うようなあっと驚くホテルでした。

士林夜市

台北の市内の北部と南部を分ける川が基降河です。この河を挟んで南側に松山機場があり、その先に南港があります。北側には、士林夜市で有名な劍澤、大直、内湖と続いて行きます。101に上がって北側を見るとわかりますが、河をはさんだ向こう側に大きな観覧車が見えます。これが内湖の美麗華というショッピングセンターにある摩天輪です。特に夜は台北市内の夜景がきれいで、アベックや家族連れでにぎわっています。乗られたことはあるでしょうか?

私は内湖の美麗華にも台北に来て1年、入ったことがありませんでした。内湖や南港は台北の新興ビジネス街として年々開発が進んできていて、ビジネスの関係で時々、訪れてはいたものの、見るだけという状況でした。今はMRTが開通して便利になりましたが、当時はタクシーかバスで行くことが多く、少し台北市内から離れていることもあって普段の生活においては無縁の地だったからです。

6月の下旬、蔓蔓から簡訊の連絡がありました。簡訊の着信を見たとき、最後の上班だから来て欲しいという内容だとばかり思っていました。しかし、それは蔓蔓からの意外なメッセージでした。

「明天星期六、應該你不上班放假。你有空嗎?我已經下檔、昨天最後的一天。 因為我不想見你在酒店、所以我没有聯絡你。明天我們可以約嗎?」

(明日は土曜日だね。多分、仕事はなくてお休みかな。明日、空いている?私はすでに酒店をやめちゃった。昨日が最後の一晩だったんだ。あなたと酒店では逢いたくなかったから、だから私は連絡しなかったんだ。明日、逢う約束できる?)  

私は土曜日の日中はすでに別の用事が入っていたため、夕方以降ならば大丈夫と連絡をしました。私は晶華酒店(リージェントホテル)のレストランでも行き、食事でもしようかと考えました。しかし、彼女は五木の近くはあまりいい想い出がないからと言って、一緒に夜市に行こうということになりました。士林や劍澤は私にとってはとても想い出深い地なのですが、蔓蔓は「一起去士林夜市吧!」という提案をしてきて、夕方の六時にMRTの劍澤站で待ち合わせることにしました。

土曜日、6時。週末とは言え、まだ台北の夏至の頃は明るく、そんなに劍澤站はまだ、人が多くありませんでした。遅刻は彼女たちとのお約束みたいなものです。だいたい10分ぐらい待ったでしょうか。蔓蔓がラフな恰好でやってきました。いつもとはやはり印象がとても違っていて淡妝(薄化粧のこと)で来ました。元々、やや幼い顔立ちなのですが、普通の学生以外にはまったく見えません。きっと、士林夜市の誰もが彼女が酒店小姐とは思わないでしょう。

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士林夜市は何度か来たことがありますが、台妹と2人でゆっくりと来たことはありませんでした。会社の台湾OLや同僚と観光みたいな形で案内されたことが、台湾に来た当初にありましたが、「いつでも来られる」という気軽さみたいなものがかえって、足を随分、気がついてみれば遠ざけていました。

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7時近くなると士林夜市は夕方の夜風が気持ちよいこともあって、大賑わいを始め出しました。彼女が「士林夜市に来たらこれを食べなきゃね」といった感じで、まず、連れていってくれたのが有名な「豪大大鶏排」です。当然ながら以前に食べたことがあるのですが、いつも通りの行列。しかし、蔓蔓と手をつないでいろいろな話をしながら待つのは悪くありませんでした。

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士林市場(食べ物屋がたくさん入っている平屋のビル)の入口のところに円柱の広告塔のようなものがあるのですが、そこで2人で座って食べると、なかなかいつもながらの旨さです。この日は実は、私がお金を払おうとしてもすべて蔓蔓が先に払ってしまいました。「今天我要求見你。是我們的紀念日」(今日は私があなたに逢おうと言ったんだから。それに今日は私たちの記念の日だからね)というのが彼女の言い分でした。

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その後に彼女が私の手を引いて連れて行ってくれたのが「青蛙下蛋」です。台湾人はタピオカミルクティー(珍珠奶茶)が概して大好きですが、確かにこれも、タロイモでつくった蛙の卵のような黒い愛玉のプチプチというかモチモチというか、微妙な触感は何ともクセになります。

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2人でいろいろな店を冷やかしながら歩くのは、実に楽しく、特に蔓蔓は気が利く子でちょっと気になるような表情ををしていろいろなものを見ていると、詳しく解説してくれこともあって、今まで何となくしかわからなかったこともとてもよく理解できました。また、小さなゲームが夜市にはいっぱいあるのですが、2人で射的やスマートボールのような類、バスケットのゴール入れなど一時代前の懐古的な遊びをするのもとても楽しく、あっという間に時間は9時頃になっていました。夜市はこの時間ともなると大混雑で、この日は天気が良かったこともあり、人、人、人の波でした。

「我累累一點」 (私、ちょっと疲れた)

蔓蔓と私はちょっと一息ついて泡泡冰を2人で食べながら話していました。ちょうど 芒果が出だした頃で、とてもおいしくてちょっと遊び疲れた私たちの喉を潤すのにぴったりでした。蔓蔓の表情はいたずらっ子のような、無邪気な18歳の子そのもので、気軽なデートといった感じで、すごく気持ちが、ゆったりしたのを憶えています。何か下心でもあれば、内心、次はどうしようかなんて考えるのでしょうが、私にとっては突然起きた蔓蔓の思いつきにつきあったような感じでしたし、完全な私下でしたから、ちょっと可愛い娘と出かけているといった思いでした。だから、まわりはすごい人で喧噪が確かにあるのですが、なぜか、蔓蔓といると気持ちが落ち着くようなそんな士林夜市の夜だったように記憶しています。

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 蔓蔓が急にいいことを思いついたように私に言いました。 

「你知道美麗華的摩天輪。夜景很美麗的。應該有免費公車從劍澤!一起去吧!」

(ねえ、美麗華の観覧車知っている?夜景がすごくきれいなんだよ。多分、劍澤から無料バスが出ているから、一緒に行こうよ!) 

確かに蔓蔓の言うとおり劍澤站からは無料バスが出ていました。摩天輪は夜の12時までやっているということで、まだ、時間も十分あります。

そして、私は蔓蔓とともに内湖へ。夜風が本当に心地よい夜でした。

心動

6月に入った頃、經紀人のVickyから簡訊が届きました。

加菲のことがあって、Vickyとは時間があるときによく麥當勞や國賓大飯店前の中山北路にある伯朗咖啡館(Mr.Brown)でよく話をしました。この伯朗咖啡館は二階に中山北路に面したオープンスペースがあって、喫煙できるスペースがあります。5月~6月にかけての初夏の台北のなまぬるいような風が心地よく、よく待ち合わせました。彼女も經紀人を職業にしていて、そのビジネスの場である錦州路や長春路にいると次々と知り合いが現れて落ち着いて話ができないこともあってやや離れたこの場所を好んでいました。

私はVickyの聡明さやしっかりした判断、目先の利益よりも自分が契約した女の子の将来を考える姿勢に感銘を受けることが多く、彼女と話すことは自分の中国語力の向上にもつながっていました。また、様々な酒店の裏側や人間模様を教えてもらえることもあって、彼女が回遊魚のように各酒店をまわり始める夜の9時~10時ちょっと前の8時前後に逢って、簡単な食事を一緒にするようなことがとてもよくありました。Vickyも唯一の親しくしている日本人ということもあって、本当に一人の友人として心を開いてくれました。

彼女の出身は以前のブログの中で有名な私立大学と紹介しましたが、名門の東呉大学の卒業です。彼女自身は経営学や経済学に含蓄が深く、さらに心理学を学んでいました。そのため、イレギュラーな展開や時としてイリーガルな展開が多い世界でも、彼女は実に臨機応変の対応を行い、その考え方や危機管理(リスクマネージメント)の方法は、私にも大いに勉強になることがたくさんありました。また、フランクに台湾人の習慣や考え方、そして価値観などに触れることもでき、学ぶことも多かったです。

その日も彼女から「今日はいいことがある」という簡訊が来たこともあって、夜の8時半頃にMr.Brownで待ち合わせました。そして、簡単な食事をしたのですが、いったい何があるのか、彼女はもったいぶって教えてくれません。ただ、有能な副店長が来て人気を博していた酒店にこれから一緒に行こうというのです。私は食事を終えて、彼女と長春路に沿って一緒に歩き出しました。酒店の前に到着し、エレベータを彼女とともに上がっていくと大廳には幹部の震洲がソファに公關の何人かの子たちと座って話しながら待っていました。

その震洲も今日、いったい何があるか詳しく教えてくれません。とにかく包廂に入ろうということで震洲とともに包廂に入りました。

「等一些」(ちょっと待ってて)

幹部の震洲は一言、言ったきり包廂から出て行ってしまいました。一緒に来た經紀人のVickyも大廳で別れてしまいましたから、私には彼らがいったい何をたくらんでいるか、まったく見当がつきませんでした。

10分ぐらいたったでしょうか。包廂の扉が開き、震洲とVickyが一緒に一人の女の子の手をひいて入ってきました。
私はその時の光景を今でもよく覚えています。

その女の子は2月に長春路で別れた蔓蔓でした。

彼女からは星光大道を家で見ていたときに送った簡訊の返信をもらって以来、まったく連絡もなく、かかわりもありませんでした。以前、無理矢理、毒品のKを客人から吸わされそうになり、Vickyから夜中に電話をもらって、再び、酒店に行って救出した蔓蔓がそこに恥ずかしそうに立っていました。

「今天她希望見面你。目前她的學校開始暑假呀。她決心上班酒店最一次」
(今日、彼女はあなたに逢うことを望んだのよ。学校の夏休みが始まり、彼女はもう一度酒店で働くことを決心したのよ)

Vickyがゆっくりと私に話しました。そこには蔓蔓の以前と変わらない少女のような笑顔がありました。そして、彼女は私がすっかり忘れていたことを横に座って話し始めました。

「當我和璇璇陪你的時候、最後璇璇唱歌”心動”。因為我約跟你那個時候、所以我努力努力練習的。 你記得嗎?請聽我的”心動”」

(私と璇璇がついた時、璇璇が最後に”心動”を唱ったよね。私はあの時にあなたと約束したから、すごく練習したんだ。覚えてる? 私の”心動”を聞いて) ※1月13日のブログ参照 

彼女がKTVの控器をとり、曲を點しました。 そして璇璇が唱った、あの”心動”を4ヶ月ぶりに再び聞いたのです。



有多久沒見你 以為你在哪裡 
原來就住在我心底 陪伴著我的呼吸
有多遠的距離 以為聞不到你氣息 
誰知道你背影這麼長 回頭就看到你

過去誏它過去 來不及 
從頭喜歡你 白雲 纏繞著藍天
如果不能夠永遠走在一起 
也至少給我們懷念的勇氣 
擁抱的權利 好讓你明白 我心動的痕跡 

總是想再見你 還試著打探你消息 
原來你就住在我的身體 守護我的回憶 


素晴らしい歌声でした。蔓蔓の歌は私が出逢った女の子の中でも最高の歌声と言って過言ではありません。
彼女の歌にはいつも心がこもっていて、唱う歌もその歌詞がいつも彼女の心情を表していました。
私は彼女の約束を正直言うと忘れていました。あれから4ヶ月。彼女と再会できるとは思ってもいませんでした。

しかし、彼女は私との約束を憶えていてくれていました。

そして、月日がたったにもかかわらず、彼女はあのときの約束通り、「心動」を聴かせてくれたのです。
彼女が再び、酒店に戻る決心をしたのは、やはり学費が必要であったからでした。
しかし、Vickyに連絡した彼女は、再び、酒店の舞台に上がる最初に私と再会することを強く望んでくれました。

彼女の歌声を聴いて、私は胸がいっぱいになりました。
「心動」、その言葉の意味が実感としてわかるとても素敵な時間でした。

彼女は結局、約2週間で酒店を去りました。それは再び逢ったこの日にすでにわかっていた結末でした。
なぜならば、この日彼女は私と別れた後、すぐに下班してしまい、帰り道から簡訊をくれたからです。

「XX先生、你好。今天很開心見到你、我不習慣酒店的生活。我只想做純心的女生。上四天班、台湾的客人好多用K、我想在上班都有你守護。你的溫柔我不忘記。我想快賺到學費離開。酒店不好。我想你的純心與正直」

(XXさん、こんにちは。今日はあなたと逢うことができてとてもハッピーだったよ。私は酒店の生活に慣れることはない。私は純粋な女学生でただ、ありたいだけ。週に4日間勤めるんだ。だけど、台湾人の客たちはKをとてもたくさん使う。私は私が勤めているすべての間、あなたが守ってくれたらと想っている。あなたのやさしさを私は忘れることはないよ。私は学費を急いで稼いだら、すぐにやめるんだ。酒店に勤めることははとてもよくないからね。私はあなたの純心と正直な気持ちをいつも想っているよ)

彼女がくれたこの簡訊は最も大切な想い出に残る簡訊として、今でも小機に大切に保存してあります。

彼女は再び、酒店に上檔したものの、私が必ずいつも行けることは絶対に無理であり、彼女もそれはわかっていました。しかし、1回目の上檔の時に壊人に行き会い、苦しんだ彼女を經紀人のVickyは全力で守りました。慎重に客を選び、彼女の上枱には最も信頼している何人かの幹部の紹介しか絶対に受け付けませんでした。当然空枱に並べることなどは、まったくしませんでした。 彼女のことを愛し、彼女の未来を考えてくれる心やさしき夜の世界の住人たちが彼女を全力で守ったのです。それは直接の担当であった經紀人Vickyの強い気持ちが幹部たちや酒店の行政の心を動かしたからにほかなりません。

總是想再見你 還試著打探你消息      あなたにもう一度会いたい。だからあなたの消息をさぐっている。
原來你就住在我的身體 守護我的回憶  もともとあなたは私の中に住んでいるから。私の追憶を守り続けるために。 

私の小機の着メロは簡訊が届いた時は寶貝が最後に唱った「聽説愛情回來過」です。
もうひとつ着メロを設定していて、電話がかかってきたときの着メロがこの璇璇と蔓蔓が唱った「心動」です。

台湾の素晴らしさを教えてくれて、明るく前向きに過ごした寶貝といろいろな辛い思いがありながらもいつも私に心動を与えてくれた蔓蔓。2人との出逢いは数多くの台妹との出逢いの中でも忘れられない心の残像です。

蔓蔓との再会は酒店のような夜の世界でも信頼をし逢うことができる”絆”が幻ではなく、実際にあることを私に確信させてくれました。それはVickyがこんな騙し騙されることが当たり前の夜の世界でも誠実に人と向き合い、たくましく生きていた彼女の姿勢とも通じるものでした。

誠実に人と接していけば、きっとわかってくれる。

甘いかもしれませんが、少なくとも人を騙したり陥れたりする人間ではなく、人を信じ、慈しんでいけるような人間でありたいと思っています。

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