February 2012 : 我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

我徬徨台北的夜世界 ~My Twinkle Story with Taiwanese girls~

私は台北で駐在生活を4年間送りました。昼間は世界の平和と日本の経済発展を目指して全力でお仕事。夜になると地表にちょこんと顔出して、五木の街あたりを彷徨っています。そこで私は数多くの天使達と悪魔に出逢いました。そんな私の夜の彷徨いを台湾社会の複雑な仕組みなども紹介しながら書き綴っていきます。ほとんどの日本人が深くかかわることが難しいと思われる台北の夜世界の様子とエピソードの紹介が中心です。これは心優しい台妹たちを愛し、そこで出逢った人達とのかかわりや心のつながりをとても大切にしながら、これからも彷徨い続けていく私の軌跡です。

February 2012

IceDollの微笑み

考試の当日の夜、試験が終わったであろう時間に滴滴にどうだったか訊ねる簡訊を送りました。
彼女からすぐに返信が来ました。

「XX先生謝謝你的關心  應該是還可以啦、不過還是等結果出來才能確定!」

(XXさん、気に掛けてくれてありがとうね。多分、まあまあできたよ。でもまだ結果を待たなきゃいけないんだ。結果が出たら確定するよ)

私は「まあまあできた」という彼女の言葉を聞いて少しホッとしました。しかし、細かいことを把握して分析することが苦手な彼女の感覚をそのまま信じることもできません。やはり、合格の結果が出るまではわからないなと正直思っていました。

しかし、その後、しばらくたっても彼女から結果を知らせる簡訊は来ません。気にはなっていたのですが、もし、落ちていたら返す言葉がないなという気持ちも少しあって、私から簡訊を送るようなことはありませんでした。小小やYOYOに簡訊を打ったのですが、元々彼女たちが滴滴と会う可能性があるのは土曜日だけなので、まったく、滴滴の結果の連絡は入っていませんでした。

試験が終わってから10日ほど経った金曜日に幹部のKittyから連絡が入りました。滴滴が上班に久々に来たから仕事が終わったらおいでという内容でした。滴滴が私に連絡もなく、上班しているということは試験の結果が出て、やっぱりダメだったのかと思いました。私もちょっとちょっとがっかりしてしまいました。

夜の7時頃、私は酒店に行きました。滴滴は上枱中で、預枱(予約指名)をしました。滴滴は1對1はしないことを思い出して、Kittyに「今日は小小もYOYOも上班していないから、滴滴は行政が一人ではよこさないよ」と言ったのですが、Kittyは「XX先生は特別だから滴滴も来てくれるので大丈夫」と言っていました。しかし、私は、やはり經紀人Vickyとの信頼関係もあって、Vickyが私だけ特別に1對1を許してくれることはやはり、契約上申し訳ない気がして、Kittyに誰か午場でいい子がいたら連れてきてとお願いしました。するとKittyは今7時から上班し始めるとっておきの子がいるから紹介すると言います。ただ、今、着替えとお化粧して準備しているから、ちょっと待ってと言いました。

7時20分頃、Kittyが一人の美少女を包廂に連れてきました。名前は小可。

マスコミ関係の研究や就職に強いある有名な私立大学の3年生でした。ニコリともせず、無表情でしたが、金髪に透き通るような肌、ブルーのカラーコンタクトをしていてまるでフランス人形のようでした。あまりにも無表情で笑顔がないので、私は今までの子たちとタイプが著しく異なることもあり、楽しくすごせるかどうか、ちょっと心配になりました。彼女は白天(昼間のこと)の大学生で下課してから、酒店に上班に来ていました。しかし、せっかくのKittyの紹介ですし、いわゆる「絶世の美女」なので、滴滴が来たらおちゃらけて明るくしてくれるだろうという気持ちもあって小可を座らせることにしました。しかし、滴滴が試験に失敗している可能性もあって、そうなるとちょっと辛いかなと思ったのですが、まあ、何とかなるだろうという気持ちでした。

横に座ってもニコリとするわけでもなく、「你好。你是日本人嗎?」と言ったきり、事務的に自分のグラスにビールを注ぎ、乾杯もこちらが促さないとしませんでした。氷のような雰囲気があり、会話も続きません。10分が経過し、久しぶりにシステム通りの跳舞が始まりました。しかし、相変わらず、ニコリとするわけでもなく、黙々と踊っているだけです。私も久々に緊張していました。

跳舞が終わり、彼女に少し訊きました。

「為什麼你没有笑容?」(どうして笑顔がないの?)

彼女の答えは明確でした。

「我不是討厭你。我都討厭酒店的客人。因為他們是色狼、只要模模。我要學費。不過我没有時間賺錢。制服店的工作的薪資很貴的。我没辦法、所以我做這様的工作」

(私はあなたが嫌いではない。私は酒店に来る客人がすべて嫌い。なぜなら彼らはスケベで、ただ体をさわりたいだけだから。私は学費が必要なの。でも私にはお金を稼ぐ十分な時間がない。制服店の給料はとてもいいし、他に学費を稼ぐ方法がないから、このような仕事をしているの)

彼女と話し始めた瞬間、包廂のドアが開き、Kittyが滴滴を連れて来ました。滴滴は入った途端、あっという間に私の胸に飛び込んできました。そしてニッコリと笑い、「謝謝你。我確定入學大學!結果很好!」(ありがとうね!大学の入学が決まったよ。結果、とても良かったからね)と大声で私の顔を見て言いました。小可は何が起ったのかわからないようなあっけにとられたような表情をしていたと思います。私は滴滴になぜ、連絡してくれなかったかを訊きました。そして、とても心配していたこと、うまくいっていなかったらどうしようかとても不安だったことも話しました。

「我想讓你驚喜。而且我要直接見到你!」
(私はあなたをすごく驚かせたかったんだ!それに直接会いたかったからね)

私は無邪気な滴滴の心から喜んでくれている顔を見たとたん、ちょっと涙が出てしまいました。
全然、日本語の勉強ができていなくて、本当は勉強が苦手な彼女が何とかがんばってくれた。
そのことを思うと胸が詰まってしまいました。そこにはいつものワイルドガール”滴滴”の素敵な笑顔がありました。

小可は事情がよくわからなかったのでしょう。
いきなり入ってきた滴滴に何が私との間に会ったのかを聞きだしました。滴滴と小可が一緒に同じ包廂に入るのは初めてのことで、お互いをあまり知らなかったようですが全く人見知りしない滴滴は堰を切ったように、私と毎日、日本語の勉強をしたこと、仕事が終わった後に家の近くの麥當勞に来てくれて細かく面倒をみてくれたことを話し出しました。

そして、今までニコリともしなかった小可が私に対して、初めて微笑みました。

「你是好人的.......」

滴滴の明るさは氷の心をもった彼女の心も溶かしだしたのでした。
そして、これが私とアイスドール”小可”の物語のプロローグだったのです。


 画像は今、台北で一番公關の数が多いと言われる大樓の上の方にある八Xという制服店の開店当初の制服です。KARAの着ていたタイプと同じでした。この店は長春路にあった海角40號と農安街にあった大都會という2つの制服店の小姐を合流させてこのグループが新たに開店したため、実は以前からいた小姐が場替えをしているだけという状況です。私がブログを書くきっかけとなったあるBBSに一見で入った日本人の方の投稿があって、その場所などの情報を求める方もいましたね。ボディサービス系の小姐が多くて、一見の方もそれなりに楽しめるかもしれません。ただ、幹部なしでは入れないし、きっとよく仕組みもわからないので、場所を知っても苦労があるかもしれません。このブログを読んでいただいている方は、多分、うまく幹部を見つければ、システムもおわかりなのでそれなりに楽しくすごせると思います。

 このブログは元々、台妹と良い心の交流をもちたいと思っている、あるBBSでご賛同いただいた方々に情報提供する目的で始めましたので、画像等も一定期間をすぎたらほとんどをプライベートモードにしております。プライベートモードは私が友達認証した方が入れますが、コメントなどをお書きいただいたり、メールなどを通じて交流などを深め、ご信頼した方を対象にさせていただいております。酒店と同じような形で一見の方はすぐに認証はできませんので、何度かやりとりをさせていただいてからになります。ご理解のほど、お願いいたします。   

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。   

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面試的練習

午場で小小とYOYOと一緒に出逢った子に滴滴という18才の子がいます。とにかく、私が今まで逢ったPT妹の中でも独特のキャラで忘れられない子の一人です。スタイルは抜群。いわゆるポン、キュッ、ポンという体系で顔も美人。でも大声でギャハハという感じで笑い、いつもソファで足を投げ出して大股開きでリラックスしまくりという子です。歌も踊りながらシャウトするような歌が大好きで、いつも楽天的な小小とよく絡んでいました。ちょっと茶髪でいかにも可愛いギャルといった感じの雰囲気の子で、黒髪のYOYOや小小とはちょっと感じはちがっていました。

幹部のKittyも滴滴にはまったく遠慮もせずに言いたいことを言っていて、滴滴もそれに負けていませんから、いわゆるじゃじゃ馬というか、おてんばというか、そんな感じがぴったりの子です。人見知りはまったくと言っていいほどなく、ある時はとても酒に酔って包廂に入ってきて、いきなりソファに横たわっていびきをかいて眠ったこともありました。そのため、午場のしっとりとした「談戀愛」を求めてきている客人によく追い出されていて、幹部のKittyに「滴滴呼んで、一緒に小小やYOYOと遊んであげて」みたいなことを言われて、よく呼んでいました。3人の娘がキャーキャー騒ぎまくるような雰囲気で、彼女たちも1對1は絶対しない子たちでしたので、女子校の学園祭のようなノリで楽しんでいました。

私は包み隠し事をまったくといってしない粗野な滴滴が大好きで、私も気持ちが楽でしたし、三枚目的なキャラと彼女のスタイルのギャップがいつも面白かったです。恥ずかしがらないのも滴滴の特徴で、いつも包廂に入るなり、跳舞後の恰好にパッパッとすぐなってしまい、スタイルに自信もあったのか、「看看我的胸部!」とよく言っていました。若いこともあってエッチにも興味津々でちょっとウブなYOYOといつも下ネタ話で盛り上がっていました。小小は経験が豊富だったので、いつも二人に面白おかしく話をしていて、時には実技?もみんなでいろいろと積極的にしてくれたので、正直言うといいこともたくさんありました。簡訊もよくくれたのですが、日本のコギャルのように絵文字や彼女の独特の表現?が多くてなかなか難解でした。きっと普通のおじさんだったら、天真爛漫過ぎて持て余してしまうと思います。

4月中旬、高中に通っていた午場のワイルドガール”滴滴”は大学入学のための試験の準備を始めました。

台湾は2月頃に日本のセンター試験にあたる「大学学科能力測験」という試験が台湾にもあって、この試験結果によって75点満点75等級に分けられて、100カ所まで希望を出すことができます。日本のセンター試験利用入試と似ていて、点数に応じて合格が決まり、ここで決まると9月まで受験勉強から解放されて自由にすごせるのですが、これで結果が芳しくないと7月頃に行われる各大学の試験に臨むことになります。

滴滴もこの「大学学科能力測験」を受けていましたが、結果があまり良くなく、自分の希望する大学には届かない状況でした。彼女の希望は日本語学科でした。国立の台湾大学や政治大学、名門の私立東呉大学や淡江大学にはとてもとてもとどかない状況でした。陽明山にある中國文化大学には最も歴史のある日本語学科があるのですが、ここもギリギリ届かないという状況でした。細かいことを考えるのが苦手な滴滴はとにかく大雑把なので、一刻も早く受験勉強を終えて、入学する大学を確定したいようでした。とにかく入れればいいというような感じのことをよく言っていました。

台湾は私が思うに日本以上の学歴社会で勤め人になるにはどこの学校を出ているかが採用にも大きな影響があり、キャリアもある程度決まってくるようなところがあります。そのため、雨後のタケノコのような状況で次々と新興大学ができていて、特に電脳(PC)や半導体技術関連産業がさかんな台湾では○○科技大學とか○○技術学院といった私立校が本当に数え切れないぐらいあります。

私は學生妹と本当にたくさん出逢いましたが、多くはこの系統のいわゆる入りやすいと思われる科技大學や技術学院の子がとても多かったです。多くはやや台北から離れた郊外(林口や桃園、基降、淡水の北部、木柵、新店などに多くあります)にあって、私も大學や技術学院の名前がとても詳しくなってしまいました。多分、のべ30~40ぐらいの大学や技術学院の子とあっていますが、国立大學はさすがに少なくて、幹部の震洲とあと公關の子は3人しかいませんでした。私立はいずれも學費が高いため、學費を稼ぐ目的の子が多かったこともありました。

滴滴はこれらの比較的入りやすい科技大学や技術学院なら合格できたのですが、理科系の勉強が嫌いで、日本の流行が大好きだった彼女の唯一の希望が「日本語学科」でした。そのため、彼女が考えたのが「推薦」という方法です。台湾の大学への推薦入試は若干名をとるために4~6月頃にかけて行われます。彼女が目指したのは台中にあるキリスト教系の元々は女子大だった大學でした。ここには日本語文学科があって、ここの推薦入学にターゲットを定めていました。 滴滴は高中の第二外国語で日本語を選択していました。今、日本語は第二外国語として一番人気があると言う統計があります。
 台湾の高校生の人気第二外国語は日本語 

そんな滴滴に4月中旬、突然、頼み事をされました。何と、推薦試験に面試(面接試験のこと)があるので、直前にじっくりと教えて欲しいというのです。彼女は日本語を第二外国語でとっているし、日本語文学科を希望していることもあって、簡単な「志望の理由:大学で何を学びたいか」みたいな志願書の論文を日本語で書いて出し、それに基づいて面接され、日本語で応答しなければいけないということでした。滴滴は本当に大雑把で緻密に試験の準備をするようなタイプではありません。高中では、日本に興味があって将来は日本に留学したいみたいなことを書きなさいと指導されたようですが、あんまり、真面目に直前まで考えておらず、さすがに心配になったようでした。

滴滴の上班は不一定で、彼女の通っていた高中は市内の龍山寺の近くにありましたから、いつも学校が終わるとその足で制服で来店していました。小小やYOYOは台北からやや離れたところに住んでいましたから、いつも土曜日と日曜日のみの上班で2時から8時が基本でしたが、滴滴は学校が終わった5時か6時頃から12時頃まで働くというパターンでした。そして土曜日だけ学校がないこともあって午後2時から来ていましたが、日曜日は来ていませんでした。

私は滴滴の推薦入試が1週間後に迫っていることを聞いて、私の方が心配になってしまい、上班のない明日の日曜日の昼に彼女の家がある士林近くの中正路と中山北路の交差点にある麥當勞で待ち合わせることにしました。受験に必要な書類や辞書、教科書や授業で使っているノートなどを持って来るように言いました。滴滴はまだ、合格もしていないのにそれだけで受かったような気分になっていて「謝謝!謝謝!」と跳び上がらんばかりの喜びようでした。

日曜日の午後1時。約束通り、滴滴はやってきました。化粧もしておらず、メガネをかけていて、最初は滴滴とまったくわかりませんでした。どこから見ても真面目そうな普通の高中生です。横に並んで席につくと、肩掛けカバンのような学校の名前の入ったカバンをそのまま持ってきていて、そこから、雑然と入れてある受験グッズを出しました。カバンの中は滴滴らしくグチャグチャで化粧品やおもちゃのようグッズ、お菓子なども入っていて、笑いながら、いろいろなものを捜していました。いろいろな物が出てきて、いちいち説明してくれたり、すぐそれらのグッズで「可愛的!」とか言って遊びだしたりするので、受験グッズをそろえるのだけでも20分ぐらいはかかったように思います。

私は滴滴が学校で使っている教科書と授業中とっているノートを一通り見ましたが、「これは落ちる」と思いました。授業中も集中していない形跡がノートにはありありで、落書きや漫画、走り書きが書いてあるし、教科書も使いこまれている感じがありません。私も引き受けた責任もあるし、一応、かなり難しいと言われている大学を卒業している日本人としては、がんばらねばと思いだしていました。「このわがまま娘を受からせてやろう」と何か、自分の娘を教えるような気分になってきて、志願書に書く日本語も何度も推敲させて、書き直しをさせたのを覚えています。飽きっぽい滴滴は途中で何度か泣きが入りましたが、「不可以!」と言って何度も教えました。

時間はあっという間に夕方になっていて、そこから、さらに日本語での受け答えの練習をはじめました。

「私は○○です。日本の文化が好きで日本語の勉強をもっとしたいと思いました」
「がんばって日本の大学へ留学できるようにしたいです」
「大学に入ったら、台湾にいる日本人と言語交換の機会を多くもって、交流したいです」

こんなような受け答えが片言の日本語でいいからできるように、何度も練習し、ピンイン(発音のローマ字)を振って、それなりの日本語に聞えるようにがんばらせました。しかし、まったくダメです。

時刻はもう夜の7時。さすがにいつも遊んでばかりいる滴滴は疲れ果て、麥當勞のテーブルに突っ伏してしまいました。最後はだだっ子のように私に八つ当たり。とても合格できるというレベルまでいきませんでした。私はとてもこれでは受からないという話を滴滴にして、明日から5日後にある試験前まで、毎日、ここで学校が終わったら勉強を一緒にするからと言いいました。滴滴は目を丸くして、次の瞬間、がっくりと肩を落としていました。頼まれたのは私の方なのですが.....?! まあ、滴滴らしいです。

次の日の夜7時半。私は会社の仕事を一気に終え、接待も断り、この一週間は滴滴の教育と受験対策に全力を注ぐことにしました。問題は彼女がやってくるかどうかです。しかし、滴滴はとっても素直な子で、実は毎日、遅刻もせずに必ずやってきました。毎日1~2時間近く、当日出す志願書の日本語文の添削と内容の把握、そして、そこから出題される日本語の想定質問を滴滴に行いました。彼女はよくがんばりました。

そして木曜日。明日の金曜日の朝、滴滴は台中に向かい、午後、試験を受ける前日になりました。何とか、それなりに日本語で簡単な受け答えができるレベルにまでなりました。

滴滴の本名は台湾人には珍しい二文字です。名字は台湾人にとても多い「林」ですが、名前は一文字で林Xと言います。私はいつのまにか、滴滴(ディーディーと発音します)という名前ではなく、彼女の下の名前で呼ぶようになっていました。彼女も全面的に私を信頼してくれて、勉強嫌いな彼女がたった5日間だけですが、真剣に取り組みました。

「X(本名)、這個星期你毎天努力努力學習日文。現在你應該有自信。我也保證你的能力。明天盡力考試、加油!」

(X、この一週間よく毎日、日本語の勉強がんばったね、今は自信ができたはず。僕も力は保証する。明日は試験、全力でがんばるんだよ!)

制服姿の滴滴はコクリとうなずき、最後に手を握って、士林の麥當勞を足早に去っていきました。
いつもオチャラケが多くて、真剣な表情を見せない滴滴がこの1週間、だんだんと顔つきも変わり、最後にはとてもしっかりした受験生のキリッとした顔になっていました。その顔には酒店の公關の雰囲気は微塵もありませんでした。

付け焼き刃とは言え、とてもがんばった滴滴。
中山北路の横断歩道を渡る彼女の後ろ姿はとても凛々しく、「きっとうまくいく」という気持ちに私をさせるものでした。

 画像はYOYOと滴滴です。寮に帰ることが必須だった小小はいつも当時、早い時間に帰っていましたが、YOYOと滴滴はちょっと下班した後に出かけたりしていました。結果、原住民の小小だけが酒店に残り、YOYOと滴滴は酒店から去っていきました。これは私と彼女たちがやめる直前にどうしても行きたいという2人と一緒にWE GOに行ったときのものです。エッチはほとんどしておらず、一緒にバスに入ったりして2時間ほどすごしました。黒髪のおっとり顔がYOYO、茶髪のギャルっぽいのが滴滴です。今は2人とも大学生でYOYOが4年、滴滴が3年だと思います。滴滴は日本のギャル系のファッション雑誌が大好きでしたから、メイクや髪型など日本のおしゃれなギャルという感じでした。しかし、おしとやかな感じはありませんよ。

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滴的 YOYO3モザ

滴的 YOYO2モザ

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臺北戲棚~Taipei EYE~

原住民の小小は、台北に来る前は花蓮の玉里に住んでいたため、映画や演劇などに触れる機会はほとんどありませんでした。通っていた國中は原住民の子が多く在籍するため、行政の手厚い補助もあり、いろいろな教育活動があったようでしたが、高中に進学すると一般の台湾人も多く在籍していたため、ほとんど、そのような活動はなかったようでした。

小小は典型的な午場のPTで上班は週末の土曜日と日曜日の2天のみ、時間も午後2時から8時頃までが基本でついた客人が時間を延ばしても夜の10時ぐらいまでが限度でした。暮らしていた林口にある技術学院の寮には門限があり、夜の12時でした。台北から林口までは夜のすいている時間でもタクシーで30分はかかるため、余裕を見ると11時には酒店を出ないと門限に間に合わず、全額奨学金で学校に通っていた小小にとっては門限に間に合わないことは死活問題でした。

中山北路と錦州路の交差点に台泥大樓のビルがあって、ここのホールで毎週末の金曜日と土曜日に「臺北戲棚~Taipei EYE~」という中国伝統舞台芸術の表演が行われています。私はよくここから招待券をいただいていたのですが、基本的には京劇+雑伎か原住民の表演といったプログラムが多く、よく日本から来た方の接待にも使っていました。たまたま、4月の週末の土曜日にそのチケットを4枚ほどもっていて酒店に行ったときに小小とYOYOに「行ったことがある?」と聞いたところ、二人とも行ったことがありませんでした。

元々「臺北戲棚~Taipei EYE~」は観光客向けのような要素も強く、日本人や欧米人が台北の観光のひとつとしてよく足を運ぶところであり、若い台湾人の子が積極的に足を運ぶところではありません。しかし、たまたま、プログラムにアミ族の跳舞をやっていたこともあり、特に小小が「行きたい!行きたい!」と言ってききません。事情を聞いたところ、今まで、そのような劇場などで表演を見たことがないと言います。また、正規に入場すると一人当時800元ほどの入場料で、彼女たちにとっては高価なチケットでした。

「臺北戲棚~Taipei EYE~」 は確かになかなか興味深く、夜の8時頃から入場できるのですが、表演が始まる8時30分頃までロビーで京劇に出演する俳優たちが化粧する様子や踊る様子を身近に見ることができます。小小とYOYOの上班は基本的に夜の8時までですし、終了は10時頃なので、門限にも間に合う時間帯でした。それと酒店にはちょっと面白い規則があって、契約している終了時刻まで1時間を切る場合は、終了した時間に下班できるのです。客には最低1時間を保証しなければならないため、例えば7時30分に下枱したとすると残り30分3節のみの上枱はしなくても良いことになっています。ただし、その分、稼ぎはなくなってしまいます。

すなわち、小小とYOYOは8時までの契約でしたから7時10分頃に私が帰れば、そのあと50分は上班しなくてもよく、あとは女の子の意思にまかされています。契約が8時まででも50分間稼ぎがなくなることが厭ならば、8時10分までちょっとオーバーして1時間だけ勤めたり、9時、10時と本人がいられることができる時間まで延ばして働くこともできます。従って、自分が気に入った客ならば、女の子はずるずる契約している時間以後も残っていますし、厭な客ならば時間通りに行政に連絡して下枱してしまいます。

従ってこの日、私は5時半頃に小小とYOYOを呼んでいて(滴滴は大学入試のため、不上班)、7時半に帰るという計画を小小とYOYOと立案しました。7時半に終われば、それから彼女たちが打卡(タイムカードを打つこと)をし、更衣室で着替えても遅くとも8時には外に出られるという彼女たちの目算でした。私下で酒店の子たちと逢うことは当然、規定違反で、彼女たちはばれたら扣錢になりますが、そんなことはまったく気にしていません。普通は出場する場合は大框か小框して、その分の時間の料金を払う必要があるのですが、Kittyにも秘密にして外で友人として会うという形にしました。私は下班した直後に今まで小姐と逢ったことはなく、ちょっと好奇心もあって彼女たちがどんな感じで現れるのかも楽しみでした。

さて予定通り、7時半にKittyを呼んで会計し、台泥大樓に行く途中にある錦州路沿いのセブンイレブンで彼女たちと待ち合わせることにしました。7時50分頃、2人がラフな恰好でやってきました。ただし、ちょっとおかしかったのは急いできたこともあって、化粧が酒店仕様の濃いままで服装がジーンズみたいな感じで、ちょっとアンバランスなことでしたが、まあ、気にせず出発しました。

知り合いに会ったら困るなあと思っていましたが、彼女たちは小柄で化粧が少し濃いことを除いては普通の学生にしか見えず、絶対と言っていいほど酒店小姐には見えません。服装が服装ですし、よく日式の妙齢の小姐を連れている日本人の方を見ますが、あんな感じにはどう転んだって見えやしないので、知り合いに会ったら会社関係の大学のインターシップ関係(實習生)で来ている子ということにしようと彼女たちと打ち合わせました。

台泥大樓に入っていくだけで小小はとても喜んでいて、おとなしいYOYOもニコニコしてとてもうれしそうでした。劇場はいつもあまり混んでいなくて座席の半分いくかどうかという入り具合なので、正面の良い席を確保し、さっそくロビーで京劇の俳優たちの化粧をする様子や少し俳優が披露してくれる踊りなどをとても興味深く見ていました。台湾人である2人ですが、本当にこのような観光的なショーは見たことがなく、彼女たちは当然、よく廟や宮でやっている京劇のような台湾歌劇は見ているのですが、きらびやかな感じの日本人や欧米人が比較的フォーマルな恰好で見に来ている場に自分たちがいるということだけで興奮していました。

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8時半頃になり、最初に原住民の跳舞が始まりました。確か、アミ族の方々だったと思いますが、布農族の小小は部族がちがってもよく感じがわかるようで、小声で一緒に歌を唱うなどして、大喜びしていました。YOYOもあまり原住民のことは見たことがないらしく、知ってはいますが、とても楽しんでいました。私は花蓮に行った時に見たり、今までにもタイペイアイを見たりしているので、あんまり目新しさはなかったのですが、小小が言うには同じように見える原住民の跳舞も少しずつ異なっているとのことでした。小小の解説を今ひとつわからない彼女の専門の中国語で受けながら見ていたこともあり、結構、新鮮な感じでした。

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さて、表演が最後の京劇になり、確か「孫悟空」だったように記憶していますが、俳優たちが跳んだり跳ねたりでいつもながらなかなか面白く、彼女たちも大満足のようでした。

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最後に劇場を出るとき、俳優の皆さんや出演した原住民の皆さんがお見送りしてくれるのですが、小小はすごく原住民の子たちと話をしていて、楽しそうにしていたのが印象的でした。

劇場を出て台泥大樓の1階にある大廳に来たら、時間が10時30分近くになっていて、小小が「快快的!」と言って食事を一緒に食べる時間も惜しんで、タクシーに乗り込んで行きました。その笑顔は酒店の時とは本当に違っていて、どこにでもいるようなそんな子でしたし、彼女自身は帰宅後すぐに簡訊を私にくれたのですが、弾むような彼女の気持ちが伝わってくるような内容でした。

「哈囉XX先生、今天小小很開心喔!對阿已經在家裡了!後天就要上課。可是下一個星期也我有上班。XX先生給我很幸福的時間。我感激對你!應該YOYO也開心的。保重身體別太累了!」

(ハローXXさん。今日は小小はとってもハッピーだったよ。もう家にいるよ。またこれから授業があるけど次の週末も酒店に出るからね。XXさんはとっても幸せな時間を私にくれた、とっても感謝してる。多分、YOYOもとっても楽しかったと思うよ。体を大切にして、疲れすぎないようにね!)

YOYOは少しもじもじしているようなところもある子ですが、新竹まで台北駅から列車で帰るというので、簡単に2人で錦州路の店で麺を食べて別れました。彼女は新竹にある科技大学に通っていて、理科系なのですが、とてもおっとりしていて、また、小小とはちがう素直さがある子でした。いつも元気な小小と滴滴の影に隠れているようなところもありましたが、気持ちがやさしく、一緒にいると落ち着くというか、やすらぐというか、そんな雰囲気がありました。

4月の台北は少しずつ 暖かくなってきていて、夜風がとても気持ち良かったのを覚えています。
一人、夜の街に立っていた私ですが、取り残された孤独感はなく、不思議と満たされた気持ちになっていました。

それは彼女たちの偽りの笑顔ではない、本当に喜ぶ顔を見ることができた充実感があったからにちがいありません。

 ここで使わせていただいたTaipei EYEの画像は紹介のために使わせていただいただけで、本文に登場する子たちやその勤めていた酒店とは一切、関係がありません。

 画像は午場で当時行っていた酒店の包廂です。これは新しい包廂で2008~2009年に全盛を迎えたこの酒店は新しく包廂を地下に増設しました。小小やYOYOと出逢った包廂は当時は3階で古かったのですが、2008年夏頃から經紀人が良い子たちをこの酒店に集中させ、さらには副店長(後ほどブログで詳しく書いていきます)の力もあって超人気店になり、一時は包廂待ちが金曜日の12時頃には2時間待ちぐらいでした。写真には当時の小爺のユニホームも写っています。女の子はNYヤンキースのロゴの入った定番のビキニの制服を長い間使っていて、制服の交換が少ない酒店でした。台湾人には「棒球場」のニックネームで知られていました。

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。  

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情人節快樂(休息一些)

週末にかけて出張と視察があり、超多忙になっていました。しかし、2月14日はバレンタインデー。台湾では西洋情人節とか甜蜜情人節などと言いますが、日本とはやや異なり、男性が女性にバラを送ったり、恋人同士がプレゼントを交換したりするのが一般的なようです。旧暦の7月7日に七夕情人節という中国の伝統文化による本来の情人節がありますが、台湾では、この七夕情人節の方が主流かもしれません。それとホワイトデーにあたる白色情人節も最近は少しずつ定着してきているので、1年に3つの情人節があるという状況です。ただ、最近は2月14日の情人節は台湾でも女性が男性にチョコレートを送るという習慣も少しずつ定着してきており、日本の流行の影響が強い台湾なので、少し日本的になってきているかもしれません。

台湾ではいろいろな機会に家族や恋人、友達同士が集まって食事をしたり、禮物(プレゼント)交換をすることが日本よりもさかんなような気がします。「情人」というのは日本語で「恋人」をさし、「愛人」とはちょっと意味合いが異なります。 情人節の日は恋人同士がディナーに言ったり、ナイトスポットですごしたりすることが多く、私が知っている定番は内湖の美麗華と淡水の「情人橋」がある淡水漁人碼頭でしょうか。

台北にいる時は仲の良い子たちには、よくバラを送っていましたが、この時期は高くて入手もしずらく、結構苦労していました。酒店も上班が情人節の日は少なく、実はあまり行くのに良い日ではありません。皆、女の子たちも放假(休暇をもらうこと)の希望が多く、酒店は情人節活動などのイベントをうって盛り上げていますが、なかなか女の子たちは上班してくれないようです。

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昨日の夜から今日にかけて、Facebookがとてもにぎやかで、今日だけで私が受け取ったFbからの親しい友達のアップ連絡メールは今現在で128通。皆、恋人たちとの様子を写真でアップしたり、「一個人情人節」とよく言っていますが、恋人がいなくて一人で情人節を送っている報告や「女人的情人節」と言っていわゆる「女子会」の様子が楽しそうにアップされていたりします。連絡も多くて、昨日から返信しっぱなしです。それとチャットも多くてさすがに中国語チャットなので、結構、気合いが必要で彼女たちの気持ちはとてもうれしいのですが、疲れ果てる......といったところもあります。今、ブログを書いている間もひっきりなしにFbがアップされていて返信しながら書いているのでなかなか進みません。

これは先ほど届いた大学生の子からの画像。日本では女の子が男性に渡すのですが、台湾では逆も多くて、これは彼氏からもらった情人節の禮物。いかにも箱の感じも台湾らしくておしゃれですね。「祝你要永遠幸福!」と今さっきコメントしました。

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それとFbの子から教えてもらったHPがなかなか。台湾人の情人節での目立ちぶり、個人情報をどんどんアップする大胆さには脱帽です。こんな感じの写真が昨日からたくさんフィードされていますね。
 http://www.yume.com.tw/facebook/active10101/vote.php 

続いて、これはさきほどアップされて連絡が来たある禮服店の親しくしている紅牌の子の今日の画像です。さすがに紅牌だけあって、バラの花束のプレゼントが半端じゃないですね。プライベートにはモザなしの写真をアップしておきます。

情人節1

そして実は私が一番うれしかったのは、私が一番信頼している紅牌の子がこの情人節にあわせてあることをしてくれたことです。以前、新年の禮物にUNIQLOのフリースを送ったことを「素顔のままで」という章で書きましたが、彼女がその日にFbに服を着た写真を載せると言っていたものの、まったくアップされていませんでした。

しかし、今日、「情人節快樂」の簡訊とともに「請看看我的Fb一點」というコメントが着ました。そして見てみると......。

彼女がとてもきれいにメイクして髪もおしゃれな巻髪にセットして部屋で送ったUNIQLOの服を着て微笑む写真が大きくアップされていました。また、驚いたことに服の部分には私のFbのタグがつけてあり、「我在XX先生一起」とタイトルにありました。私の送ったそんなに高くもない服を着て「XXさんと一緒にいる」とタイトルをうった彼女の心意がよく伝わる、彼女ならではの演出でした。

今宵、それぞれの情人節があります。

今日、OLの子たちからたくさん義理チョコをいただきました。それはそれでうれしいことなのですが、プレゼントはなくても台妹の子たちの「心意」をたくさん受け取ったこともありがたいことです。

サンテグジェペリは「かんじんなことは目に見えない」と大人の寓話、「星の王子様」の中で書きました。

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「再見!」狐狸說
「這就是我的祕密。它很簡單:只有用心靈,一個人才能看得很清楚。真正的東西不是用眼睛可以看得到的。」
「真正的東西不是用眼睛可以看得到的。」
小王子重複的說,以便牢牢記在心裡。 
「你為你的玫瑰花所花費的時間使你的玫瑰花變得那麼重要。」 
「我為我的玫瑰花所花費的時間﹒﹒﹒」
小王子重覆的說,以便牢牢記在心裡。 
狐狸說:
「一般人忘記了這個真理。但是你不應該把它忘掉。你永遠對你所馴養的負責,你對你的玫瑰花有責任﹒﹒﹒」  
「我對我的玫瑰花有責任﹒﹒﹒」
小王子重複地說,以便牢牢記在心裡。


「さよなら」と、キツネがいいました。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目にはみえないんだよ」
「かんじんなことは、目に見えない」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。
「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」
「ぼくが、ぼくのバラの花を、とてもたいせつに思ってるのは・・・・・」と、王子さまは、忘れないようにいいました。
「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れてるんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね・・・・・」と、キツネはいいました。
「ぼくは、あのバラの花との約束をまもらなけりゃいけない・・・・・」と、王子さまは、忘れないようにくりかえしました。 

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私にとってのバラの花は、きっと彼女なのでしょう。
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原住民の憧れ~阿妹

小小との出逢いは私にとっては原住民の子との初めてのかかわりでした。台湾に来た頃、花蓮でアミ族などの観光用のダンスを見たりはしていましたが、本当の原住民の暮らしや状況は小小によって教えてもらいました。彼女の本名はもちろん知っていて、三文字の中国名です。しかし、本当の本名は原住民名です。ここでは当然、その名前を明らかにすることはできませんが、原住民の名前というのはこんな感じなんだという新鮮な驚きがありました。

小小はとにかく正直な娘で、ごまかしたり、嘘を言うことをしなかったというよりは、できませんでした。最初に行った時もすぐに電話番号を包廂の中で私の小機(携帯電話)をとって自分の番号を入れ、自分の電話にかけてしまいました。私の電話番号はあっという間に小小の更衣室にあるであろう小機に着信として残っているわけで、私もあっけにとられるというか、あまりの率直さにびっくりしてしまいました。

小小は原住民の村からたった一人、台北に出てきて寮に入っていたのですが、寮には異なる部族の原住民の子たちが様々いて、同じ布農族の子はあまりおらず、どうしても同じ部族同士で固まってしまうため、あまり心を許せる友達がいなかったようです。それと大部分を占める原住民でない台湾人の一般学生とはやはり壁があったようで、小小たち原住民の子たちは無試験に近い形で、全額無償で学んでいるのに対し、一般の学生はちゃんと試験を受けて入学し、学費も払っていましたから、やはり、学校では特別な存在として扱われることが多かったようです。

しかし、酒店に入った時にやはり、孤独だったYOYOとは互いに助け合うというところもあって、気持ちが楽だったようです。また、その後に上檔した滴滴もたった一人の高中3年生で、彼女もすぐに小小やYOYOと仲良くなっていました。きっと酒店ではそれぞれが最初、孤独だったこともあり、気持ちがすぐに寄り添っていったにちがいありません。

滴滴は小小やYOYOと違って背が高く、体つきも最年少なのに一番、スタイルが良く、大人っぽい体つきでした。
しかし、感覚は独特の子でいわゆる幼稚というか、細かいことは気にしないというか、おおらかな子で、3人の中では一番、考え方や態度がだんとつで子供っぽい子でした。幹部のKittyは彼女のことを「ワイルドガール」といつも言って笑っていましたが、あんなに体つきが色っぽくて完成されているのに、礼儀や作法というか、基本的な生活習慣があまりなくて、包廂でもすぐに疲れるといってヒールの靴を脱ぎ、座っている時もリラックスしすぎだろという感じの座り方で大股びらきは当りまえ、よく、テーブルの上の餅乾(ビスケットのような御菓子)をバリバリムシャムシャという感じで食べていました。色気はまったくと言っていいほどなく、大声ではしゃぐのが大好き、小小やYOYOとは大の仲良しで、いつも私のことよりもみんなで楽しく過ごしている方が楽しかったと思います。

午場の酒店は実は行政の数が1~2名しかおらず、例の小窓から除かれることはほとんどありません。ドラッグのKやしこたま酒を飲む客がおらず、また、ボディサービスを積極的に行う小姐も少ないことから、午場に来る客は基本的に「談戀愛型」で、女の子も晩場に比べると客人に対する安心感があり、悪い言い方をすれば、接客も素人に毛がはえたようなものです。ですから、行政もあまり包廂の中を監視しないため、ちょっとした規定違反をしても見つからないことがほとんどで、扣錢も極めて少ないと思われます。そんな事情もあって、包廂の中で電話番号を客人に教えてはいけないことになっていますが、小小は、そんなことなどお構いなしで気楽なものでした。それと接客の態度が適当でも客人がクレームしない限り、行政の叱責や指導がほとんどないため、のびのび気楽にやれることもあったのでしょう。

一緒に包廂に呼んでいたYOYOはいつもあっけらかんとしている小小と同じような行動をとるので、YOYOも私の小機に同じように電話番号をすぐに入れて、やはり自分の携帯にかけて鳴らしていました。もう一人の高中3年の滴滴も同じようにすぐ追随しましたから、私の小機は小小からYOYOへ、YOYOから滴滴へリレーのバトンのように渡されていき、小小に取り上げられた私の小機が手元に返って来たときにはあっという間に彼女たち3人の電話番号が発信履歴として残っていました。

小小は歌と踊りが大好きで、出逢った頃の一番想い出に残っていることは、小小が私とYOYO、滴滴に原住民のダンスを教えてくれたことです。中学生ぐらいの頃、フォークダンスを教えられるような感じで、手を交互に組み、そして足を前後に出す感じで踊るのですが、小小が自分で原住民の歌を唱い、私とYOYOと滴滴が小小を見ながら踊るという感じでした。滴滴は不器用な子でなかなかダンスがうまくできず、間違える度に皆が冗談ぽく、滴滴を責めるので、すごく面白かったです。YOYOは逆にとても起用ですぐにできるようになり、小小が、ほめていました。

小小が言うには原住民の歌や踊りを包廂で客人にかつて一度も教えたことがなく、とても喜んでくれました。私は小小という子を通してとても原住民の気質やその習俗に触れることが新鮮で、また、もっともっと原住民の実際の様子を知りたいと思っていました。だから、花蓮で見た観光用の原住民のダンスの話をしたところ、小小がうれしそうな顔をして生き生きと教えてくれたのです。YOYOも滴滴もすごく、素直な子たちで、そんな小小をバカにすることもなく、一生懸命楽しんでやっていました。また、いずれも跳舞後の恰好でやっているわけですから、ちょっとエロチックでもあって、あっけらかんとして恥ずかしがる様子など微塵もない彼女たちは若さがキラキラと輝いていて、まぶしいほどでした。3人とも肌がすごくきれいで、ちょっとポチャとした色黒で小柄の小小、痩身で色が抜けるように白く、ちょっとだけ胸がふくらんでいる小柄なYOYO、背がスラッっと高く、痩せているのに胸がDカップぐらいはある童顔のアンバランスな滴滴の3人がちょっと変な原住民のダンスを踊る姿はとても記憶に残っています。

その小小が大好きなのが、張恵妹、通称は「阿妹」で知られる原住民出身の大スターでした。原住民から誕生した最初のスターと言っても過言ではなく、台語や客家語(原住民の言葉)の歌もたくさん出しています。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%81%B5%E5%A6%B9 

私自身、台語や客家語に触れたのは小小にいろいろと教えてもらったことがその第一歩でしたが、12月に寶貝に中国語の歌を教えてもらってから、次のステップに入るような感じでした。小小が特に大好きだったのは阿妹が歌うこの2曲です。いずれもサビがとても覚えやすく、特に「三天三夜」はYOYOと滴滴と一緒に叫びまくりという感じでした。小小にとって阿妹は原住民でも台湾の表舞台で活躍できるという象徴だったのでしょう。

「薇多莉亞的秘密 」


「三天三夜」 


小小の影響もあって私は阿妹のCDなども買うようになったのですが、彼女とともによく阿妹の歌を唱いました。
小小は都合6度、酒店を換えていて、2012年の1月現在、在籍している酒店が6店目になります。その都度、彼女から電話がかかってきて、店を変わったからという連絡があるとちょっと時間がある時に彼女の新しい店での様子を見に行ってあげてました。彼女はいつも行くと大喜びしてくれて、それは跳び上がるような喜び方と言っても過言ではなく、気持ちを抑えない彼女らしい歓迎の仕方でした。

原住民の部落の故郷を離れ、苦手な勉強を紆余曲折を伴いながらも何とか続けてきた彼女は、やはり、どこかで孤独だったのでしょう。最初の酒店で中が良かったYOYOや滴滴は2ヶ月ほどで酒店を去ってしまいましたから、その後、小小は酒店でたった一人にまたなっていました。今は私が最も信頼する紅牌の子が一緒にいて、私が彼女の面倒をお願いしていますから、幸せに上班しているようです。最初の頃に出逢った私は日本人で彼女と同じ台湾では外様的なところがありますから、小小はそのこともあって、よく私になついてくれていました。

2009年頃、彼女が同棲した男に捨てられた後に上班していた「龍昇」という酒店でよく彼女と唱った阿妹の歌があります。この曲は私にとっては台語の柔らかい発音が心地よく、初めて台語で歌うことができるようになった歌です。小小が根気よく教えてくれて、私も一緒に彼女と歌いたくて、何度も練習しました。「夢中作憨人」という意味は日本語で、「夢の中にいる無邪気な人」という意味です。歌詞も幻想的で、小小のことを表しているような歌詞でした。のどかでゆったりしたそんな原住民の思念(思いの中国語)を唱ったような歌で、今も私はしょっちゅう聞きます。ぜひ、この歌は私も皆さんに聞いていただきたいです。なぜならば、台湾の原住民である阿妹が台語で歌う叙情詩のようなメロディは私が台湾を台湾らしく思い出す時の象徴の曲だからです。

「夢中作憨人」


滿天的田蠳 飛過夢中田埂墘 夢彼段 初戀滋味
牛郎甲織女每一年 相逢也有時 你甲我注定分離
青色海岸 白色的沙 兩雙腳印無聲惦惦走相偎
風底唱歌 雲來作伴 你我哪會無牽手的勇氣

想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊
孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

滿天的田蠳 飛過夢中田埂墘 夢彼段 初戀滋味
牛郎甲織女每一年 相逢也有時 你甲我注定分離
青色海岸 白色的沙 兩雙腳印無聲惦惦走相偎
風底唱歌 雲來作伴 你我哪會無牽手的勇氣

想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊

孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

想你那一晚 夢來成空目眶已經紅 阮還是無法度抹記啦
剩我一個人 彼條情歌阮還唱抹煞 天頂星也笑阮是憨人

少年家青春來討債 嘴鬚麻已經白 無注意緣份就錯過
甘講你不知 一世人無兩回 重來的機會
想你那一晚 相思茫茫寂寞氣味重 故鄉月照抹著希望啊
孤單一個人 雨水冷冷花蕊失清香 想要來挽回~已經慢

想你那一晚 夢來成空目眶已經紅 阮還是無法度抹記啦
剩我一個人 彼條情歌阮還唱抹煞 天頂星也笑阮是憨人
月娘啊陪伴阮 ~ 做眠夢 ~

それともう一曲、小小とよく唱った台語の曲があります。リズミカルなロック調の曲でやはり、小小とよく練習しました。今は台語も少しわかるようになりましたが、それは小小のおかげかなと思っています。小小は本当は原住民独特のブヌン語を話し、私も教えてもらったのですが、これは台語以上に難しくて、さすがに意味や発音がわかりませんでした。

「好膽你就來」

 

台湾を知ること。

それは島国でありながら、複雑な民族構成とその歴史的経緯を知ることがきっと大きな近道です。
私は小小と出逢ったことにより、ビジネスに関係なく気楽に聞ける機会を得ることができ、そのことは私をますます台湾の魅力に傾倒させていくことになりました。 
http://smail.au.edu.tw/~bt953806/index.htm

 布農族の画像です。この画像に出てくる方々は本文の登場人物とは一切関係がありません。原住民には固有の民族衣装があり、布農族は代表的な山岳民族です。小小も台北という大都市で生きていましたが、その心はいつまでも原住民の故郷にあって、自分たちの言葉や歌、踊りに誇りをもっていました。

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楽天的な原住民の娘

午場で出逢った子に小小という原住民の子がいます。その名前の通り、とても背が小さくて145cmぐらいで、ちょっと肌が黒くて、目がクリクリとしたとても可愛いい子でした。酒店では原住民の子が時折いて、気質が少し、台湾の主流である移民(戦前から台湾に住んでいる移民を本省人、戦後の移民を外省人と言います)の子孫の子たちとは感じがちがいます。容姿も顔の壕が深く、私の印象では小柄な子が多いような気がします。

台湾の原住民は大きく平埔族と高山族に分けられます。平埔族は西部や北部に多く、古くから大陸の移民である漢民族との混血が進み、今は固有の言語や文化を失いつつあります。平埔族のうち、本来の言語や習俗を継承して「原住民」として認められているのはサオ族とクバラン族だけで、他の多くの民族は史実に名を残すような状態になっています。

今、台湾で狭義の「原住民」は高山族をほぼ指すと行っても過言ではなく、おもに東部の海岸沿いや山地に住んでいます。台東や花蓮は原住民の割合がそのために高い都市として知られており、現在は原住民の豊年祭などもやや観光化している傾向もあります。しかし、現在でも固有の言語や文化、習俗を維持しており、台湾の人口の約2~3%程度を占めています。14の部族があり、セディック族、サキザヤ族、サイシャット族、タイヤル族、タロコ族、アミ族、ルカイ族、パイワン族、タオ族、クバラン族、ツォウ族、サオ族、ブヌン族、プユマ族があります。

小小は花蓮近くの玉里鎮の布農族でした。台北近くの林口という所に医療系の技術学院があり、ここでは多数の原住民の子が看護学科で学んでいます。原住民に対して全額奨学金の制度を初めて台湾で実施した素晴らしい施策をもつ技術学院で、経済的に豊かでなく、また、そのために十分な高等教育をあきらめざるを得ない原住民の子たちに対して看護師を育成する看護学科にたくさんの定員を用意して社会への道を開いています。 

小小はここの学校の寮に住み、そして学んでいました。門限があるため、週末の午場しか働かず、いつも午後2時から8時頃までしか働かないというパターンでした。仕送りはまったくなく、また、確かに彼女の家はそんな余裕はありませんでした。小小はとても素直な少女のような子で、いつもニコニコと話をしてくれたのですが、その内容は決してニコニコ話すような内容ではありませんでした。兄弟姉妹が多く、小小は一番上のお姉さんでした。家族の収入は月に5000元~10000元程度しかなく、農作物を家の畑でつくる自給自足のような生活をしていて、お父さんが時々、街の土方の仕事が入ると道路工事や設備工事に日雇いで行くのが、唯一の現金収入でした。そのため、勉強が決して得意ではなかった小小は家の食い扶持を少しでも減らし、弟や妹に少しでも両親がお金をかけられるように一人、台北の近くの街に来たのです。

しかし、仕送りのない彼女は打工(アルバイト)したくても、原住民の子を簡単に雇ってくれる老闆はなかなかおらず、インターネットで酒店の存在を知り、Vickyの經紀公司に頼ったのです。たまたま、同じ時期に新竹にある科技大学に入学したばかりのYOYOという子がいて、この子は原住民ではないのですが、背がやはり145cmぐらいで小さく、Vickyが2人をセットにして酒店の午場に紹介したという経緯でした。

小小は9月に技術学院に入学し、1月頃まで何とかセブンなどのレジをやるなどしてしのいでいたのですが、時給が安いために長時間働かなくてはならず、看護師の勉強が本格的に始まりだしたため、そんなに打工に時間をかけられなくなったということもありました。従って、寒假の時に酒店で働くことを決意し、土・日に集中して出勤していました。普段の月~金は学校の授業が厳しく、さらに全額奨学生であるため、ある程度の成績を収めていかねばならないというしばりもあって、上班することは物理的に無理でした。

ただ、小小にとってラッキーだったのは気が合うYOYOという子が同じパターンで上班していたことです。このYOYOは色が白くて、胸もAカップぐらいの本当に少女みたいな子で、やはり父親が離婚でいなかったために学費を稼ぎに来ていました。ただ、YOYOは住んでいるのが新竹であり、地元では酒店のようなところで働いて知り合いにもし逢ったら大変という恐怖心もあって、少し離れた台北まで働きにきていました。ですから、やはり地理的な関係上、土・日しか上班できなかったのです。

YOYOもとても良い子で、素直を絵に描いたような子でした。小小は素直というよりは嘘がつけない性格で、いわゆる狡猾さがまったくありませんでした。そのため、2人はとても気があっていつもだいたい2人セットで酒店の行政が客に紹介するようにVickyがしていたようです。従って、1對1は彼女たちは拒否していて、客の性的なサービス要求がエスカレートしないようにいつも2人で互いを守りながら上枱していたというのが実際のところでした。

小小はすごくおおらかで実に楽天的でした。すぐに騙されてしまうようなところがあり、YOYOよりも警戒心がないというか、原住民独特の感覚みたいなものがすごくあって、騙されても騙すようなことはまったくない子でした。いつも簡訊を打つと寮ではすごく寂しかったようで、長文の簡訊が返ってきました。何気ない毎日の学校の生活の様子がそこには書かれていたのですが、すごく、人なつっこくて私もいつもていねいに返信していました。1時間ぐらいやりとりをするような時もあって、台北を離れた今もよく簡訊が来るような子です。また、いきなり電話がかかってくるのも小小の特徴でした。

小小はしかし、早熟な子で特に何もやることがない原住民暮らし時代はセックスが楽しみだったようです。とても可愛くて確かに目を引く存在だった小小は、原住民の男の子たちにすごくもてたようで、いっぱい告白されたというのが自慢でした。そして、小小らしいのですが、すぐに告白された子とエッチをしてあげるみたいなところがあって、当時19才だったにもかかわらず、とても経験が豊富でした。面白おかしくその話をよくしていて、外でエッチしたとか夜這いされたとか、学校でエッチをよくしたとか、屈託無く話していました。初めてエッチしたのは國中の13~14才ぐらいだったようでした。それを聞くYOYOはどちらかというととてもウブだったので、興味津々に小小の話を聞いていて、いつも小小にいろいろなテクニックを教わっていました。

実は私は約1年後に錦州路の交差点のベンチで様子が変わった小小とばったり再開するのですが、2008年の8月の暑假に最後に逢ってから行方がわからず、電話しても応答しない状態があり、心配していました。ばったり再会したときに「何をしていたの?」と聞くと、あっさり、「半年間、酒店で逢った若い男と同棲していて、もて遊ばれて捨てられちゃった」とあっさり言うではありませんか。しかし、私と2009年の夏頃に再開したときにはそんなことがあっても、最初はやつれた表情ながら微笑みをうかべ、人なつっこい笑顔を見せていたのが忘れられません。

その時、小小が座っていた歩道のベンチに私も座り、話すとしばらく何も食べていない、食べるお金もないと話し出し、通っていた技術学院も休学中であることが判明しました。化粧もほとんどしておらず、髪もボサボサで、寮にも今更帰れないと言います。すぐに向いにある麥當勞に行き、「好きなものを食べなよ」と言ったら「謝謝、謝謝」と何度も言ってエーンという感じで声を出してしゃくりあげるように大泣きしだしてしまいました。

小小とのつきあいは今も続いています。

いよいよ励まし続けた護理士(看護師)の資格試験がこの2月末に近づいてきました。彼女を機会が有る度に励まし続け、紅牌の子が今は同じ店で面倒を見ながら彼女の人生の大きな総決算が近づいてきています。

2008年の4月に午場で知り合った3人の娘、小小、YOYO、そして滴滴。
彼女たちとの様々な物語をしばらく、皆さんにご紹介していきます。

 画像はこの新年に制服が換ったある制服店の公關です。夜店(DJクラブ)風の装飾で有名なこの店は秀舞の時だけ、制服の意味がなくなる店で回穿店と呼ばれる制服店です。服務がやや穏やかな制服店のため、可愛い子が多いという評判があり、昔は「学校で一番できる人を指す言葉」と同じ2文字の名前でしたが、今は3文字の店名に変わっています。店内の写真を見ると行ったことがある方はおわかりですね。店のディスプレイの華麗さ、おしゃれ度は多くの制服店でも群を抜いています。

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。 

 このブログは元々、台妹と良い心の交流をもちたいと思っている、あるBBSでご賛同いただいた方々に情報提供する目的で始めましたので、画像等も一定期間をすぎたらほとんどをプライベートモードにしております。プライベートモードは私が友達認証した方が入れますが、コメントなどをお書きいただいたり、メールなどを通じて交流などを深め、ご信頼した方を対象にさせていただいております。酒店と同じような形で一見の方はすぐに認証はできませんので、何度かやりとりをさせていただいてからになります。ご理解のほど、お願いいたします。 
  

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首席公關3

首席公關2

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 この制服店の1月からの新制服です。跳舞の後は再び、この姿に戻る「回穿店」です。そのため、可愛い子が多いという評判がありますが、ここも路線変更の多い店で、状況がよく変わります。

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金湯池公關換制服3

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素顔のままで(休息一些)

今日の夕方頃、新年の禮物が届いたという簡訊が紅牌の子から届きました。彼女はとても気がきくこともあって、いつも彼女の家にEMSで一気に禮物を送っています。彼女はいろいろな小姐の子たちの面倒をみるといったところがあります。ベテランの正職の小姐と若いPT妹などが一緒に包廂にいる時、普通はベテランの小姐は何もせず、アイスボックスの交換や灰皿の片付け、KTVの曲の點(曲を入れること)、お酒を客人にタイミングよくつぐといったことは若い小姐にさせていて、若い子が動かないといじめたりするということが普通です。 

しかし、彼女はいつも必ず、他の子よりも率先して動くところがあって、若い子たちがしようとしてもそれを制止して自分がするからと言って、必ずさっさとしてしまいます。長い間、いろいろな小姐を見てきましたが、進んでやる子は彼女ぐらいしかおらず、若い子は歌や踊り、客人とのおしゃべりにすぐ夢中になってしまいますが、いつもしっかりと全体の流れを見ているというか、良い雰囲気をつくるというか、そんな感じがあります。

実は彼女に送った物は高い物ではありません。ユニクロの服です。

ユニクロは昨年、台湾に進出して出店したのですが、台湾人にはとても人気があります。台湾人は基本的に日本のものが好きで、商品に日本語を入れたり、「的」の部分を「の」にしたりしていることも多いです。彼女は紅牌なので日本の銀座のナンバーたちのような生活をしているかというと、実はまったくです。いつも普段はジーンズにシャツといった恰好を好み、食べるものも屋台や近くの自助餐、安い食堂が多く、私も一緒に食事をしても2人で300元程度で終わってしまいます。

そんな彼女が好んでいるのが、実はユニクロの服です。夜市で売っている服は安いけど質が悪くてすぐに破れたり、伸びたりすると言っていて、ユニクロの服はよく作られていると言って好んでいます。ユニクロの服は実は中国製が多いため、台湾では関税が高くて、日本よりも価格が高く、結構、高級品です。ユニクロはカンボジアやベトナムで作られた商品を台湾販売の主力にして価格を下げるような方策をとりはじめていますが、日本で作られたものではないにもかかわらず、日本人が指揮をして、素材を細かく選び、デザインのアイデアを出して大陸の人たちに指示して作らせているから、まちがいないというのが彼女のユニクロ評です。
<台湾ユニクロ : http://www.uniqlo.com/tw/ >

それと紅牌には珍しく、ブランドものを好みません。LVやGUCCIといったブランドの品々は高いだけでお金のムダといつも言っていて、安くて質の良いものを好みます。彼女が一番大切にしているのは、CANONのEOSデジタル一眼レフカメラで、これには投資しています。日本のカメラはすごくいいといつも言っていて、自分で写真を撮ることも好きですし、撮られることも好きな彼女は、大量の写真をFacebookにアップしています。ですから、彼女は毎日のようにFacebook のウォールに写真をアップしてコメントを載せています。

昨日は休みだったようで、お母さんのつくった夕食の写真をアップしていました。彼女自身も高中は餐飲科という日本でいうと家政科のような学科を卒業していて調理が趣味です。だから、高級レストランで食事をするようなことはあまり好きではなく、家庭聚餐が大好きで、家族や友達と気楽に食材を自分たちで味付けして食べることが多いようです。

当時、最初に酒店で出逢った頃はそんな彼女の姿をまったく知りませんでした。とにかく美人でスタイルが良く、礼節正しく接客するというイメージでした。しかし、その素顔は自然体で屈託がなく、気さくな子でした。気持ちがやさしくて、まわりに気をつかうことができる中に凜とした強さや信念があるというのが彼女の本質であり、それを知るのはやはり時間が必要でした。

今回は奈奈(今の店では別の花名です)という子がいて、その子にも禮物を送りました。彼女は暑假の時に酒店で働いていました。暑假の終わりとともに休檔(休職すること)していて、新年明けから寒假の間、再び上檔しました。ただ、以前とは店を変えていて、鏡を多用する幻想的な包廂の雰囲気で有名な制服店に行ってみたいと言っていて、經紀人に頼んで、その店に最初は勤めだしていました。来週、また、知り合いの子が多い、以前の制服店に戻るようです。以前の店で彼女はこの紅牌の子と一緒に上班していて、私も何回か一緒に呼んでいるため、奈奈も彼女のことを知っており、奈奈も彼女が大好きでした。

奈奈は現在、お母さんが癌に冒されていて、現在、その医療費を稼ぐという目的があります。奈奈も本名でFacebookをもっていますが、そこにはお母さんの病状やその具合も書かれています。今は安定しているようですが、12月~1月はお母さんの世話のために寒假にもかかわらず、上檔できなかったようでした。その奈奈にも禮物を送ったのですが、奈奈とチャットでやりとりしていたところ、奈奈自身が紅牌の子に一緒に送ることを望みました。店を離れてしばらく逢っていないので、これを機会に少し彼女と逢いたいというのです。

普通、酒店の女の子たちはお互いを警戒していて、あまり私下(プライベート)は共にしないし、明らかにしません。なぜならば、やはり夜の世界ですから、いろいろな事情があって働きにきているわけで、その理由を明らかには基本的にしないし、騙し騙されが当たり前の世界であり、彼女たち自身が一番、そのことをよく知っていますから、他の小姐の面倒に万が一、巻き込まれたくないと思っているからです。

しかし、若い無邪気な奈奈も紅牌の彼女は信頼しており大好きでした。紅牌の子にはいつも私が世話になっている幹部、そして12月にお金を盗られたときにすぐに力になってくれ、励ましてくれた3人のPTの子たちにも禮物を渡して欲しいとお願いしましたが、彼女は、いつもすぐに面倒くさがらず行動してくれます。それと「仲の良い3人組」の章で紹介した原住民の小小(今の店では別の花名です)という子が、今、彼女と同じ店にいて、2月下旬に護理士(看護婦のこと)資格試験が迫っているのですが、その彼女の面倒も今、よくみてくれています。

なぜなのだろう?

いつも彼女の性格の良さを知る度に不思議に思います。五木の街を代表する有名な老鳥の紅牌なのですが、女王という感じはまったくありません。気が強いとか、男を手玉にとるという感じもまったくありません。彼女が多くの客人や小姐から慕われ、幹部もやや遠慮するのは、その「謙虚さ」や「誠実さ」にあると私は思っています。派閥をつくるわけでもなく、若い子に恐れられるわけでもありません。しかし、彼女を見ていると人として最も求心力があるもの、それが何かということを教えられるような気がしてなりません。

彼女は、今日、包裏(荷物のこと)が着いた瞬間、すぐに簡訊をくれました。そして服がピッタリのサイスだったこと、奈奈とすぐに連絡をとって約束をもうしたことを伝えてきました。

「我已經和奈奈聯絡上了、我今天就可以把禮物給付她了」

(私はもうすでに奈奈と連絡をとったよ。私は今日、彼女にプレゼントを渡すことができるでしょうね)

私は奈奈や小小に逢ったら励ましの言葉を伝えて欲しいと頼みました。

「目前我跟你們有距離和國境。但我常常支持你們。我真的很高興認識你們。當你見面奈奈和小小的時候、你説跟奈奈、『加油!加油!』。因為她媽媽生病、那個病有困難的。但奈奈會照顧媽媽 。而且二月底小小也有護理士的考試。我希望小小變成好的護理士未来。我在台北的時候、我遇到了可惡的小姐一點。她們喜歡説謊、偸錢、吸引K。不過大部分的小姐有誠心、溫柔的心態。你們常常相信我。所以我也相信你們喔。 XX(彼女の本名)、為什麼你會照顧及體諒其他的小姐?」

(今は僕とあなたたちの間には距離もあり、国境もある。でも僕はいつもあなたたちを応援しているよ。僕は本当にあなたたちに逢えて心からうれしいんだ。奈奈や小小と逢った時、奈奈には「がんばれ、がんばれ」と伝えて欲しい。なぜならば、彼女のお母さんは病気で難病なんだ。だけど奈奈はお母さんの面倒をみることができるからね。それと小小は月末にいよいよ看護師の試験だ。僕が小小は将来、立派な看護師になることを望んでいるからね。僕が台北に居たとき、性悪な子たちにもちょっと出逢ったよね。彼女たちは嘘が好きで、お金を盗み、ドラックを吸っていたね。だけど、大部分の子たちはとても誠実でやさしい心をもっていたよ。あなたたちはいつも僕を信じてくれた。だから僕もあなたたちを信じるんだ。でもXXはどうしてそんなに他の子たちの世話をして、思いやることができるの?)

彼女からすぐに返信が来ました。

「這是我的氣質。我討厭不誠實。
好心作好人、所以我人生著於自己心裡的那樣。XX先生、放心、我和奈奈通過電話了。XX先生你是好人、我們大家都知道」

(それはきっと私の性格。私は不誠実なことは嫌い。良い心は良い人をつくる。だから、私は自分の心のおもむくままに人生を送っているだけだよ。XXさん、安心して。私はもう奈奈に電話したよ。XX先生は良い人だよ。私たちはみんなすべてわかっているから)

彼女のこの言葉にまた、自分の彼女たちとのかかわり方は間違っていなかったというありがたい気持ちをもらいました。そして、すぐ続けて簡訊が来ました。

「我看過了、超合身的、我好喜歡它的兩面穿。真的我很喜歡。今天我下班後、我的穿UNIQLO照片、FB上傅!」

(プレゼント見たよ、超ぴったりだよ。私、リバーシブルの服とっても好きだよ、本当に大好き。今日、私仕事終わったら、私がユニクロの服着て撮った写真、Facebookにアップするからね!)

彼女は今日、下班したらFacebookに私が送ったそんなに高くないユニクロの服を着た写真をすぐに載せるというのです。彼女はいつも「心意是最重要」(気持ちが一番大切だよ)とよく言うのですが、高いものよりも気持ちがこもっていることを大切にしてくれます。彼女は夜市などではなかなかFLEECEの服は売っていないこともあって、 前からFLEECEの上着を欲しがっていました。
http://shoptw.uniqlo.com/tw/goods/069786#colorSelect 

高価なものでなくても気持ちを伝えることができる。そんな当たり前のことを私たちは見失うことがあります。
紅牌は酒店での華麗なその容姿だけでなく、その素顔こそ紅牌であり、多くの人を魅了するのでしょう。

 画像は私が小姐に以前、よくあげていたマッサージ猫人形です。女の子たちは「很可愛的!!」と言ってみんな欲しがっていました。1個100元ぐらいだったと思いますが、日本製で台湾で時々売られていました。錦州路の中山北路の交差点付近の露天商でよく売っていたのですが、最近はまったく見かけません。いろいろな色があり、それぞれの子たちが皆、けっこう愛着をもってくれています。最初は外出して露天商を冷やかして見ていたらある子がすごく欲しがってペアで買ったのですが、手にちょうど握れるサイズぐらいで握っていると気持ちがいいので、よく、皆バックに入れていて、包廂に来る度に「いつも持ってるよー」といった感じで使ってくれていました。ある子が見せると、それを見た持ってない子が欲しがるという展開で、「他の子とはちがう色が欲しい」と言われてよく行きがけに持っていってあげていました。その替わりに彼女たちがブレスレットをよく私にくれて、私は欲しいと言ったことはないのですが、「私のこと、このブレスレットを見て思い出して」とよく言われていました。家に10個ぐらいは今、あるかな?だいたい5連ぐらいをジャラジャラつけているので、そのうちの1個をくれるみたいなのが、彼女たちの間で私にお返しするものとして噂で流行っていたようです。最初は雪碧(ピンクの猫、持っています)という子が私にくれたのですが、それを見た一緒に包廂にいた戀戀(三毛の猫、持ってます)もすぐにくれて、どうも彼女たちが広めたようですね。

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 紅牌の子も当然、持っていて、彼女は4色そろえたいと言っていましたが、同じ包廂にいた他の2人(EVAと撤嬌)がすごく欲しがって、結局ピンクと青を手放してあげてました。彼女は家で猫を飼っていて、その猫の写真が多数Facebookにアップされていますが、この猫人形もお気に入りのようで、写真を何枚かアップしています。指輪やアクセサリーなどは他の客人の定番のプレゼントで好みもあり、すぐに飽きてしまうようです。私は彼女たちがいつも気軽にもらえるような廉価なちょっと粋なものをプレゼントするようにしていました。

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 すみません。プライベート文字化けしていたので再アップしました。今回は盛りだくさんです。
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三重の豆干厝仔

午場の幹部、Kittyはいつもバイクに乗っていて、機動力があったこともあり、よくいろいろな所に案内してくれました。酒店の幹部が本業なのですが、元々が制服店の公關であり、約4年ほどいくつかの店を転々としていましたから、それらの酒店で出逢った他の公關小姐や幹部、夜世界に関連する人々との交流が多くあって、実に事情通でした。また、彼女は日本人である私をとても珍しがってくれて、ひいきにもしてくれました。

多分、私によくしてくれた理由は2つあって、ひとつは中国語でコミュニケーションをとることに私が熱心で、知らない単語や表現、スラングなどが出てくるとその内容を詳しく聞いていましたし、また、積極的に話したり、筆談したりしていました。彼女はとても感心してくれて、「日本人は台湾では日本語がよく通じるのであまり中国語を話そうとしないという風評があるのによく中国語で話そうとするね」といつも言ってくれていました。

それともうひとつはついた女の子たちに嫌われたり、もう来ないで欲しいと思われる客ではなかったことです。Kittyとはよく包廂で一緒にすごしましたが、彼女は公關だったので、私の包廂での様子をよく知っていて、日本人はスケベ一辺倒の奴が多くて女の子に嫌われていることが多いのに、普通の酒店の遊びをしてくれるとよく言ってくれていたことでした。 

長く公關をやっていたKittyは制服店に来る日本人に対して固定観念みたいなのが最初はあって、包廂の中で日本人はとにかくスケベなことをずっとし続けているだけだという印象をもっていました。日本人は小姐と会話をすることはあってもそれはほとんどなく、とにかくさわりまくり、パンツに逢った瞬間から手を入れてこようとする、口のサービスを必ず求めてくるといったイメージをすごくもっていて、さらに一番私に繰り返し言っていたのが、台湾の小姐は日本と異なり、口交には抵抗をもっている子が多いにもかかわらず、制服店に来る日本人のほとんどが要求してくると言っていました。

それと制服店の公關は胸をなめられたりすることを凄く嫌がる子が多いのですが、日本人はすごく胸をなめてくる奴が多いとも言っていて、みんな我慢してるけど多くの小姐に不評であると強調していました。だから日本人客が来ると、皆、いい子たちは、包廂に入りたがらないと言っていて、見ることができる空枱も少ない(つまり、おとなしい子や可愛い子などは行政たちが見せていない)ということも強調していましたね。

しかし、酒店にあまり来たことがない日本人はそれでも5~10人程度、女の子を見せれば満足するし、ボディサービスがいい、やや年増の子をあてているので、それで喜んでいるから台湾人客より単純で簡単だよとも言っていました。大框などする日本人客は、仕組みがわからないこともあってまずいないし、継続的に来る客にはならないから公關の子たちも、1回きりの仕事だからしょうがなく、喜んでいるフリをしているとか、そういう服務に抵抗がない公關を日本人にはうまく行政が紹介してつくようにしているということもよく言っていて、Kittyの話す日本人客の評判は、はっきり言って散々なものでした。

ただ、Kittyは私のことを夜の幹部、震洲から聞いていたので、私に対してはそのような一般的な日本人客のイメージではなかったので、最初から良い子たちを紹介してくれたし、また、時間が空いた時は私とよく食事したり、お茶してくれて、とても信用してくれていました。

そのような日本人客の話の中で、台湾で酒店と摸摸茶などは似ているようだけど、実は根本的にちがうと言っていて、日本人は基本的にスケベを求めているから摸摸茶や外送小姐、豆干がいいとも言っていました。なぜならば、これらの遊びは性的なサービスに特化しているからです。サウナやマッサージは年増の女が多く、あんまり選べないし、大陸からの出稼ぎが多いからそれなりだよともKittyは言っていましたが、私も確かにそのような印象はありました。

そこで、Kittyにせっかく台湾に来たのだからいろいろな日本人があんまりよくわからないような世界を一応は好奇心もあるので、教えてもらいたいということを話したところ、機会を見て、いろいろな所にバイクに乗せてくれて連れて行ってくれました。また、ちょっと台北から離れた桃園や中壢、新竹の事情や台中、台南、高雄のことなどもよく知っていて、彼女と知り合ったことによって私はいろいろなことが霧が晴れるように理解していったのです。

Kitty自身がスタイルもよくて、可愛いので、私もKittyとバイクに乗って行動するのはなかなか楽しく、彼女も私の先生役というか、いろいろと教えることが楽しかったようです。私は彼女に案内料のようなお金など払ったことは一度もなく、いつも「你是我的朋友、所以不要」と言ってくれていました。本当は私と行動している間、幹部として仕事をすれば、その分の儲けがあったはずなのに、あまり金に執着しない彼女は、非常におおらかでした。私が素直に「フーン」という感じでいろいろな台湾の遊びの仕組みを知って理解することを見ては、喜んでくれました。すごく、説明も詳しくて、実際に利用しないことが多かったのですが、「看一些」(ちょっと見に行く)という口グセがあって、「等一些」(ちょっと待って)とともによく言っていましたね。

そのいくつかの中で、私が印象に残ったもののひとつに台北から淡水河を渡ったところの三重にある“豆干厝仔”(私娼寮のこと)があります。淡水河の沿岸の道路である環河南路から正義南路、同安東街のあたりに小さなちょっと小汚いいかにもといった感じの家屋があって、それぞれの家屋に 女の子が5~6人ぐらいおり、いわゆる「完全な娼館」です。

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豆干の前にはやり手婆のようなオバサンがいたり、直接、商売しているやや年増の子が客引きをしていました。若い子(20才台)だと1時間1500元~2000元、年増の子だと1時間1300元ぐらいでした。私は中には入っておらず、若い女性のKittyと一緒に夜、ちょっと見に行きました。そして、入口にいるこれらのオバサンに仕組みを聞いて、女の子も見せてもらったりしましたが、正直言うといかにも・・・という感じの擦れた子が多く、家屋もすごく古くて、昔の台湾の公娼制度があった頃の名残りというか、そんな歴史的遺物を見る感じでした。

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しかし、2007年頃から三重市は台北のベットタウンとして休息に発展しだしました。元は車やバイクの修理や販売、小さな工場が多い、ブルーカラー的な色彩の強い街でした。しかし、近年どんどん台北の地価が上がったこともあってマンションが林立しだして、変貌していったため、警察や市当局によって民家の間に点在する豆干厝は摘発、撤去が急速に進み、私が見に行った頃はもう、最後の時期でした。もう、今は多分、完全になくなっているように思います。 この報道を見ると2010年にはかつて200戸あり、50年から60年の歴史があった豆干厝が完全に撤去された模様です。

強拆豆干厝 四月最終回
「跑給警察追」 豆干厝私娼難根除
毒瘤「豆干厝」 警方拆除「逐區肅清」 

近代的で華麗な制服店との落差はとても大きく、私は台湾のいろいろな社会的な断面を知り、当時はとても驚きました。日本でもかつて横浜の黄金町や町田のたんぼといわれる地区があり、関西にも飛田新地(まだあるのでしょうか?)などと同じような歴史のある古い旧赤線地区や青線地区のなごりのような所もありますが、時代ととともに変わってきており、ここ台湾も同じなのでしょう。

ただ、基隆の龍安街や鐵路街には若干、このような地区が残っていますが、もう風前の灯火です。



取り壊しは進んでいないものの、摘発が相次ぎ、もう閉めているところが現在は多くなっています。
また、台中近く彰化にも有名な「飾り窓の女」のような「彰化櫥窗女郎」がありました。 







 



しかし、三重の豆干と同じようにもう、警察により摘発、行政による排除取り壊しが行われ、やはり、もうなくなってしまったと思われます。



 



私自身は見ただけで、まったく使ったことはないのですが、ここ台湾も人権意識や性的モラルの考え方も著しく進みました。台湾の公娼制度には長い歴史があり、公娼制度が廃止されてからは、各地方に残ってきた私娼寮がひっそりと非合法ながら必要悪として性犯罪を抑えるためという世論の中、2010年頃まで存在していました。しかし、この私娼寮も取り壊されて、2011年頃から再び「紅燈區」の論議はさかんで性工作除罪とし、設専區を作るという意見も論議されていますが、まだ紆余曲折は多くあって、状況は見えないところです。

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私は、外国人ですから「君子危うきに近寄らず」というポリシーがあって、Kittyとよく見に行ったりしましたが、実は利用はしたことはほとんどありません。酒店の場合は風俗的な利用をする客もいれば、コミュニケーション中心の客もいて、きちんと公司の組織の中でやっていますから、本音と建て前があり、包廂でトラブルになるようなことがなければという安心感が今のところはあります。何度か警察の臨検にも遭遇しましたが、警察官には丁寧に接してもらい、こちらが恐縮するような感じでした。

しかし、日本から来た観光客などの方々や一部の駐在員の方が外国は法規制がルーズだろうという感覚で遊ばれることがありますが、それはその国に対して失礼ではないでしょうか。酒店でも結局はそのような一部の方々が好き放題にされているために、他の日本人の良客も良い子を紹介されていなかったりして、アバズレ系の子を充てられることにつながっているのが実情です。日本人客はやりたい放題できる、そういう子を求めてきているという風評があるとしたら、私としてはとても残念です。まあ、そういうことをたきつけるポンのような幹部にも問題はあるのですが。

台湾社会の意識やつくりが変わってきているのは、世界の趨勢だと思っています。
従って、少なくとも日本人として恥ずかしいような行為はしないようにしていくのは、国際社会で生きる我々の基本だと私は思っています。

What is”MMT”?

午場は晩場にいないタイプの小姐が多く、私にとってはとても新鮮でした。学校を下課してからそのままやってくるPT妹や週末のみ出てくるPT妹も多く、「なぜ、ここにいるのだろうか?」というような子たちとたくさん出逢いました。ただ、なかなか上班しなかったり、すぐに酒店から去っていたりしていて、晩場の正職の子たちのようにすぐに逢えるというわけではありません。また、午場の客人は「談戀愛」型が多くて、なかなか點枱しても先客に加點されることが多く、4時間ぐらいついていることは普通で、いわゆるオープンラストみたいな客人が多いことも特徴でした。ポンのような幹部はあまり午場には来ないこともあって、午場の客人は即物的なサービスや享楽的な時間を求めて来る感じは少なく、客層もちがう感じがありますし、酒店自体、日本人は少ないのですが、さらに日本人はいないという状況になっています。

小姐にはいろいろな区分がありますが、藍牌と紅牌という区分があります。午場にはこの藍牌と呼ばれるグループの子の割合が高く、ちょっとした理解が必要です。数多くの小姐が存在する制服店では実にいろいろなカテゴリーの小姐がいて、客人のニーズに応えられるようになっています。まずは、少しいくつかその区分を紹介しましょう。

1 時間帯による区分。
午場(夜8時前から勤め始めるグループ)と晩場(夜8時以降の正式な開店から勤め始める子のグループ) 

2 一週間の勤務日数による区分
正職(週5日、一日8時間以上の勤務)とPT(2~4日、短時間の勤務も可)

3 学生かどうかの区分
学生班(夜学に通っている子たちのグループで、基本的に出勤が遅く11時頃から上班に来る子たちのグループ)とそれ以外のPTや打工のグループ(学生ではないが、PTや打工の勤務でやや早めに上班できる子のグループ)

4 服務のちがいによる区分
(1)領枱(ロングドレスを来ていて、跳舞をせず、包廂ではそのままの恰好の子)と公關(制服を着ていて、跳舞をし、その後は来た時とは異なる恰好になっている子。店によっては制服姿に戻る店もあります)
(2)二光(跳舞後に丁字褲をつけている子)と三光(跳舞後に丁字褲をつけていない子)  
(3)明配(Sの服務があり、どの客人とも可能な子)と暗配(Sはあるが、普段は隠していて、客を気に入った時だけS出する子。客を選ぶ権利が小姐にあります)と没有S(まったくSやFなどの服務はしない子)
(4)K桌の可以と不可以(ドラッグをする客にいる包廂に入れる子とまったく拒否して入らない子)
(5)一對一の可以と不可以(単独で来る客人に一人でつける子とまったく拒否して入らない子)

5 人気のちがいによる区分
藍牌(上枱のほとんどが指名で基本的に空枱に加わらない小姐。しかし、制服店の基本である手工をまったくせず、客人へのボディサービスをせず、二光で受け身しかしない子)と紅牌(上枱のほとんどが指名で基本的に空枱に加わらない小姐。ただし、手工のような一般的な服務はすべて行う子)

細かい服務にはさらにちがいがあって、出場をまったくしない子、現場(包廂)でSやFなどもオールOKの子、出場したときに限ってSやFの服務をする子など様々で、酒店の行政は細かいところまで把握しています。これは女の子を酒店に紹介する經紀人と女の子の契約を遵守しなければいけない規則があって、女の子が契約以外の服務を要求された場合は經紀人にいいつけますから、そうなると酒店はその經紀人に女の子を引き上げられてしまうため、かなり、厳密にやっています。

しかし、このような区分は100~200人の上班がある晩場では多種多様の子がそろっていて、客人のニーズに応えられるのですが、20人前後しか上班していない午場では物理的に無理です。午場はPT妹が多いため、特にボディサービスのSやFは基本的にしない子がほとんどです。また、藍牌の子が多いのも特徴です。なぜならば、午場の客人はその多くが女の子にやや恋愛感情を抱いていることが多いですから、ハードなボディサービスを求めておらず、また、預點は当たり前で5~6時間ぐらい、目的の子を独り占めしているため、結果的には空枱には姿を現さないことになります。

そのため、午場は一見の日本人客などは行ってもあまり面白くないと思います。もちろん女の子にもよりますが、基本的に積極的なボディサービスはあまりせず、素人のようなPTが多いため、接客というレベルのサービスはまず期待できません。そのような目的の場合は「摸摸茶(MMT)」という遊びがあって、午場をやっている酒店では同時並行で行われていることが多いです。

こちらは酒店とは別経営の公司がやっていて、酒店を経営している公司が空いている包廂を貸している形になっており、基本的に酒店と異なり、元から非合法です。酒店の場合は包廂の中で客と小姐が盛り上がっていろいろな服務が小姐の自由意思で進むという建前があります。だから有Sや有Fのような一定のそろった服務レベルはなく、各小姐ごとにバラバラとしていますが、摸摸茶の場合は、すべてボディサービスが基本ですから、店舗を定めて営業という形は法律の厳しい台北では難しく、板橋や三重、中壢、桃園といった周辺に行かないと店舗型はないと思われます。あるかもしれませんが、少なくとも私は台北市内では知らないです。

酒店は入ると、豪華なソファなどある大廳があって、夜はここで包廂が満室だと待ったり、幹部や行政がいるので、話をしたりしますが、だいたい2時~8時までは酒店の午場と摸摸茶が並列して行われています。酒店の客は夜と同じ仕組みで、包廂に直行しますが、摸摸茶はちがいます。勤務している女の子もまったく、先ほど述べたように経営している公司が異なるため、所属組織もちがい、酒店の午場の子たちとは面識もないです。

酒店の子は制服を着ていて並んで部屋を回っていますが、摸摸茶の子は空いている大部屋の包廂の1室にまとまって座っていて、時間になると出てきます。夕方頃、酒店に行くとわかりますが、大廳に台湾人の男たちが10~20人ぐらい座っています。そうすると、10分に1回ぐらい女の子が大廳に10~20人ぐらい現れ、ズラーッと並んで顔見せします。そこから選びます。早い者勝ちですから、順番に包廂をまわっていく方式の酒店とはちがって、皆、余裕がなく、争って女の子を選んでいます。

だいたい客人の横に手配している幹部が座っていて、女の子の情報を客に与えてヒソヒソ話をしています。あの子はSありだとか、キスしないけどとびきりの美人の学生だとか、入ったばかりだとか・・・。当然、幹部と人間関係がないと嘘八百もあります(早く処理して次の客に行きたいと思っています)。特に旅行者はリピート客にはならないので、幹部も適当ですから、もし、行かれたら自分の目でしっかりと好みの子を選んだ方がいいです。例え、サービス悪くても、自分で選んだのだからとなりますが、幹部の話とちがうとなると、幹部とトラブルになり、面倒くさくなりますからね。

それと客との仕事を終えた女の子が次々と加わりますし、出勤も自由出勤的でアルバイトが多く、バラバラしていますから、運とタイミングが重要です。よく見ていると2時間ぐらい、女の子を選べずにいる優柔不断の台湾人もいます。服装は私服がコンセプトでだいたい、女の子たちは、肌の露出の多いロングドレスを来ています。女の子たちは若い子が多く20歳~25歳前後ばかりで、酒店のように幹部と行政が、つかせたくないお客にうまく女の子を隠せませんから、とても公平で、単純な競争原理に支えられています。

女の子はかなりの美女が多く、スタイルもよくわかり、酒店よりも即物的な容姿のみ(酒店は懇意にしている子や性格のよい楽しい子を選ぶので視点がちがう)で選ばれますから、平均レベルはかなり高いです。

さて、女の子を選び終わると包廂に案内されます。酒店は基本3~4人ぐらいでワイワイ女の子と盛り上がるのが一般的ですが、こちらは「一對一」と言って、1人の小姐となります。酒店のように1人でたくさんの女の子を呼ぶことはできません。酒店の場合は 「一對一」 をしない子も結構いますが、こちらは性的な服務が基本ですから 「一對一」 で摸摸が遊びの本質です。酒店のように女の子の出方を伺いながらということは、まずなくて単純明快です。
しばらくすると選んだ女の子が部屋に来ますので、そこから時間スタートです。ルールがいくつかあって、よく知っておくことが必要です。

★女の子が気にいらなくても交換は酒店のようにできません。なぜならば、包廂に空枱の小姐を連れて来る酒店方式ではないので、公明正大に空いている女の子すべてを来ている全員の客の前で見せて選ばせているからです。

★時間は1時間単位と決まっていて、これは、まちがいなく台北では、ほぼ日本人でも1時間1800元です。延長は30分単位で900元ずつです。明瞭会計でぼられることはありません。

★摸摸茶の名前の通り、酒は飲めません。茶とピーナッツみたいな菓子しか(女の子のスラングと韻を踏んでいます)出てきません。小爺が世話をしないので、酒店のように500~1000元の小費がいらないです。

★部屋の中では、女の子と客の駆け引きの世界になるのは酒店とやや似ていますが、決定的に違うのは、摸摸(中国語でおさわりのこと)をしながら、茶を飲むというサービススタイルです。基本ドレスを脱がず手を客が入れるという摸摸です。酒店の包廂とはちがい外からは監視されていません。行政は酒店のスタッフですから摸摸茶のことには関与していません。

★いろいろなサービスの価格は、ほぼ統一されており、システムができています。価格は日式のショートなどより、私はお得な値段設定だと思います。サウナやマッサージとは女の子のレベルが異なります。

★手工は標準サービスで免費です。ただ、K、F、Sのどこまでサービスが可能かは女の子によって異なりますから、選んだ子がFなし、SのみということやFのみ、Sなしということがあり、ここは日本と違ってサービスが明らかにされていません(台湾では基本、性的なサービスは違法なので、明示できず、あくまでも部屋の中で女の子との機会を設定し、自由恋愛となったということが建前になっています)。すべて現場処理(トイレ利用も多い)で、外出は原則としてできません。保健衛生面は用具使用ですので、大丈夫です。また、Kはしない子も結構います。ただし、地方の摸摸茶では外出もできるところが多いです。

★女の子は酒店の子とタイプが異なり、圧倒的にボディサービス主義で、時間も短く、カラオケや玩遊戯もしませんから、中国語があまりできなくてもずっと摸摸抱抱でOKですが、次のステップのサービスを求める時には中国語で内容確認と価格確認が必要です。

★女の子とフレンドリーな関係はあまりできません。酒店と決定的にちがうのは即物的なサービスに特化していて、だらだらとすごす遊びはないことです。パッと出してスキッとして終わりみたいな感じです。つまらない人にはつまらないですが、きれいな娘とムフフをリーズナブルに短時間という方は向いています。

実は私もKittyに紹介されて同じ酒店でやっている摸摸茶に行ったことがあります。この酒店は3階が大廳なのですが、そこではやっておらず、地下1階の大廳と包廂でやっていました。当時は一度、歩道に出て外からエレベータがある通路の横にあるドアの鍵がKittyが電話すると中から開いて下に降りるといった仕掛けでした。酒店と異なり、さらに警戒している感じでした。

一度だけ話の種に利用した時は、手工1800元で終えましたが、あまり、面白くなかったですね。話よりも女の子がこちらの腕をとって胸にすぐもっていくみたいな感じで、話はほとんどしないです。ただし、女の子は土曜日だったこともあり、18歳の大学1年生でとびきりの可愛い子でスタイルも抜群でした。予算は基本の1800元+包廂内の服務費です。私は1800元の基本料金のみでしたが、女の子からはさかんにいろいろな服務を誘われました。Fが+15とSが+40ぐらいが基準です。

サウナやマッサージとはレベルがちがうので、価値判断は人によりますが、台湾人にはとても人気があります。私は台湾の子とのつながりを重点にしていますから、ちょっとという感じで女の子だけ、どんなレベルか見ましたが、確かに可愛いスタイル良い子が多いです。客もきっと選ばないのではなくて、迷って選べない人が多いと推定しています。

こんな感じですが、台北の近くに板橋という街があって「休閒珈琲」というタイプの店があり、茶のかわりにコーヒーなだけで同じ仕組みです。摘発されて今は数が少なく、私は2店ほどしか知らないです。この手の店は白天(昼間のこと)に営業しているので公序良俗に反しているという世論がきつく、すぐに摘発されています。

夜の酒店は警察が臨検には来ますが、よほど悪質で組織ぐるみでないと店の営業そのものは 絶対に取り消さない(いわゆるドラッグと未成年の摘発中心で来ている客と女の子の捜査が対象)のとちがって、店そのものが摘発、標的ですから、利用は危険を伴うことがあります。

さらに現在の台湾の法律では、利用客の処罰規定もできて刑事罰も受ける可能性があり、ゴシップ大好きなマスコミに摘発は報道されてしまうので、摘発された時にたまたま日本人がいたら当然、珍しいこともあり露出になると思われ、大きく社会的な信用は失うかもしれません。

「摸摸茶」は台湾風俗の代表的なもので、ほうぼうにあいた事務所や一般のKTVを使用した「茶荘」があり、台北から離れると1時間1200~1500元です。また「小吃店」というのも台中の方に多く、ほぼ同じ仕組みですが、地方に行けばいくほど女の子の数が少なく、レベルも一気に落ちます。

地方に行くともっとルーズな感じで、幹部を帯同しなくても入れたりします。高雄にはいくつかの国道沿いに「小吃店」がバンガローみたいな建物でたくさん並んでいて、越南小姐(ベトナムから出稼ぎにきた女の子たち)がたくさんいて、国道を走るトラック運転手などを客として廉価でビジネスしています。いつ摘発されるかという感じなので、近づかない方がいいと思います。

☆ 中壢、平鎮には店舗型の「喇叭店」という摸摸茶があります。だいたい、2小時で600元の包廂小費を支払い、Fが標準服務で、小姐の小費を+10~+15支払います。さらにトイレでSもほぼ可能です。+35ぐらいの小費であることが多く、小姐のレベルは下がりますが、安く遊べるため、台湾人には人気があります。Kittyのバイクに乗って行ったことがありますが、小規模で包廂も古く、小姐も数がも20人ぐらいでこれはという感じの子はいませんでした。

☆台中には「300店」と呼ばれる酒店と摸摸茶の中間のようなタイプの店があって多くが24時間でやっています。価格は人頭費(酒店の包廂小費のようなもの)が300元であることから「300店」と呼ばれています。小姐の上檯費は一節50分で1200元が一般的で内容は台北の摸摸茶とほぼ同じですが、女の子の数は10~20人ぐらいの小規模なところが多いです。この手の店が台中はいっぱいあって、一店舗あたりの小姐の数は少ないのですが、店が多いため、捜していけばまあまあのレベルの子がそろっている300店もあります。台中は風都という別名があって、風俗的な店の数は台北よりも多いという印象があります。

☆高雄の大寮区にある光明路という工業団地が近くにある幹線道路の脇には掘っ立て小屋のような多くの摸摸茶と同じような服務をする店が道路沿いにあって小吃店の看板を出しています。これらの店は「越南店」と呼ばれていてベトナムから来た小姐が主力で働いていて格安らしいのですが、このところ警察の摘発が活発に行われているようです。高雄に出張の際に見に行きましたが、雰囲気が極めて危なそうで入りませんでした。台北を出るとこのような店舗型の摸摸茶や小吃店は台湾には多いです。 
http://www.libertytimes.com.tw/2011/new/jan/20/today-south25.htm 

高雄や台中、中壢、桃園などはやや擦れた子や越南小姐もいますが、台北の酒店でやっている摸摸茶は昼間が主なビジネスタイムなので、門限がある(台湾は親が厳しく、けっこうみんな親の言うことを良く聞く良い子が多い)女の子などが主力です。ただ、サービスがハードなので、客人に心を許さないという感じはします。

台湾の遊びは奥が深いので、皆さんが安全に遊ぶことは極めて重要であり、摸摸茶は酒店に比べて大きくリスクを伴います。酒店の場合は起っても幹部や店とのトラブルなので、だいたいが金で解決できますが、こちらは、仕組みそのものが基本風俗で、違法ですから、もし、興味があって利用される場合はいろいろなリスクを理解された上、くれぐれも自己責任でお願いします。

いろいろな掲示板などに安易な情報が出ていることもあって、興味をもたれている方もいると思いますが、やはり、しっかりとした判断と経験が必要ですから、よく事情がわかっている方を伴わない限りは避けておいた方が今の台湾の状況では無難と思っています。

私は午場の酒店に行くと大廳でやっているのを現在も見かけますが、酒店とは異なり、公司が社会的なシステムの中でやっている類ではないので、私は行くことはなく、今は見るだけですね。

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 このブログは元々、台妹と良い心の交流をもちたいと思っている、あるBBSでご賛同いただいた方々に情報提供する目的で始めましたので、画像等も一定期間をすぎたらプライベートモードにしております。プライベートモードは私が友達認証した方が入れますが、コメントなどをお書きいただいたり、メールなどを通じて交流などを深め、ご信頼した方を対象にさせていただいております。酒店と同じような形で一見の方はすぐに認証はできませんので、何度かやりとりをさせていただいてからになります。ご理解のほど、お願いいたします。

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仲の良い3人組


「你好!XX先生」 彼女はニコニコしながら私を見つけてカウンターの横に座りました。

午場専門の幹部、Kittyはどちらかというとこの世界には似つかわしくない感じの女性でした。いわゆるキビキビした感じや人を見抜くような鋭い目つきがまったくといってよいほどありませんでした。酒店の世界でかかわった人物はいずれも「きれる」といった聡明型のタイプが多く、沈着冷静かつ緻密という印象が私がかかわってきた震洲やVickyの印象でした。やさしさや穏やかさの中に厳しさがあるというか、最後のところはきっちり譲らないみたいな感じが彼らにはあるのですが、いわゆるKittyはそのような感じはありませんでした。どちらかというと一般的なこの世界のタイプでゆきあたりばったり、ちょっと適当というところも多そうなところがあって、私は特に強いインパクトは感じませんでした。

しかし、それは実は違っていました。

彼女はなかなかの事情通でした。彼女とつきあったのはおよそ2年間で、その間、いろいろなところに連れて行かれたのですが、好奇心が強くていろいろなことを知っており、女の子たちとつきあうのがうまい幹部でした。なぜならば、彼女自身が元々制服店の公關だったからです。

これは、しばらくしてから彼女自身から聞いたのですが、18才の時にある制服店に學費を稼ぐためにPTとして上檔した彼女は、そのまま正職になって進学をあきらめてしまったとのことでした。22才まで約4年間、正職としていろいろな店を転々としたらしいのですが、結局は酒を日々大量に飲むため、胃腸を壊して幹部に転じていました。ただし、最初の1~2年ぐらいは自分の公關時代のなじみ客などに連絡して仕事を獲得していたようですが、客は公關として彼女の魅力に引かれていたわけで、幹部として努力のなかった彼女はすぐに多くの客から見放されてしまったのです。情報のない幹部やうまく女の子を安排できない幹部はすぐに見捨てられていく...というのがこの世界です。どんなに若くて可愛い幹部でも、それだけでは生き抜いていけません。

Kittyはそこで、晩場では多くの力量のある幹部には到底太刀打ちできないことを悟り、層の薄い午場専門の幹部へ転じたのです。彼女とは本当によくお茶をしたり、食事をしました。夜12時頃には幹部としての業務を終えることが多くて、よく帰りに麥當勞で軽く食べたりしていました。いろいろな話をたくさんしたのですが、幹部というよりも私にとっては一緒に行動する友達のような感覚でした。震洲はとてもしっかりしていて、いつも冷静でしたから、その意見はいつも参考になることが多く、全面的に信頼して彼を使っていましたが、Kittyの場合は正直、まあ、可愛くて愛嬌があるからいいかみたいなところがあって、気楽に使うことができました。

実は幹部を包廂において一緒に過ごすようになったのもKittyの影響です。男性の幹部は、客人と幹部が一緒に包廂にいる場合はだいたい、一緒に酒を飲み、女の子を客と同じように扱うことが多いです。このような幹部はダメ幹部が多く、商品に手を出しているようなものですから、女の子の評判も当然、とても悪いです。震洲は時々、包廂にいることがあっても一緒に客と遊ぶというスタンスはまったくありませんでした。

しかし、Kittyは違いました。元々、制服店の公關でしたから、どちらかというと女の子たちと同じような雰囲気になってしまうのです。一緒に楽しむというか、女の子と友達感覚になってしまうというか、不思議な感覚のある幹部でした。女の子も幹部のことは普通警戒しているのですが、彼女に対してはまったくといっていいほど警戒心がなく、心を開いていました。午場の子たちはPT妹が多く、また、人数も20人前後しかいませんから、Kittyが公關の子たちと人間関係を結ぶのは比較的容易だったのでしょう。

だから、正直言うと私もKittyが大好きでした。ちょっとおっちょこちょいで、少しいい加減でしたが、おおらかで素直な人間でした。震洲やVickyのような「したたかさ」はまったくなく、胃腸を壊して公關ができなくなったものの、大学への進学をあきらめて正職に転じた彼女は、この世界がきっと好きだったのでしょう。だから他の仕事のあてもなく、幹部としてこの世界に留まっているのだと私は感じていました。彼女はタバコが大好きで、いつも私もタバコとられていましたが、そのゆるキャラは子どもがそのまま大人になったようなところがあって、金にあまり執着しておらず、震洲のおつりを10元単位でくれるようなきっちりさとは対照的でした。「おつりもっていないから、もらっとくね」とニコッと言われると、私も苦笑いでよくあげていましたね。

実はKittyは震洲が幹部として働きはじめた時の公關で、それで、彼女が体を壊した時に、これからの人生を生きるために幹部としてがんばって身を立てていくことを教え、いきあたりばったりで行き詰まった彼女をライバルの少ない午場の幹部に転じさせたのも震洲でした。だから、震洲は午場に行きたい客の手配を彼女にまかせていたのです。震洲は不正やごまかしが大嫌いでしたから、彼女はそういうことはまったくなく、素直を絵に描いたような性格でした。幹部としてそれはやや適正を欠くのかもしれませんが、少なくとも私は彼女が結婚してこの世界を去るまで、楽しく一緒に行動できたし、いろいろなところに身軽に連れて行ってくれたのも良い想い出です。

Kittyと初めて出逢った土曜日の夕方、私は寶貝や蔓蔓、加菲と出逢った酒店に一緒に歩いて向いました。隣が大きなお土産物屋なので、ちょっと恥ずかしいかなと思っていましたが、夕方のため、黒服の男もおらず、エレベータも普通に3階のボタンを押すこともできました。入口の厚いドアの前には、ポツンと小爺が一人いるだけで閑散としたものでした。中に入っても大廳には誰一人おらず、控櫃(業務用のカウンター)の中に行政が一人いるだけでした。公關の姿もなく、ちょっと心配になってきました。しかし、包廂に入り、ビールを頼むところまで全く、晩場と同じで、ちがいはありません。

しばらくすると行政が空枱の女の子を連れてきました。晩場に比べると人数がとても少なく、3人程度しかいませんでした。特に心引かれる子もおらず、下枱してくる子を待つことにしました。午場の酒店は静かで客人もいるのでしょうが、夜のようにひっきりなしに包廂の外を誰かが通ようなことはありません。空枱も少なく、なかなかまわってこないという感じでした。Kittyの話では午場は少人数の客が多くて1人や2人のことが多く、夜のように酒を飲んで騒いだりすることは少なく、ほとんどが女の子目当てで来ているので、一人の客が女の子につく時間が長く、5時間や6時間もザラだと言っていました。ただ、大框をして外に出るようなことは少なく、夜まで午場の子とすごしながら包廂にいて、お目当ての晩場の子が来るのを待っている場合も多い(酒店は先着順が重要なため)とのことでした。

1時間ぐらい待ったでしょうか。最初の3人からその後は女の子もまったく来なかったこともあって、包廂で幹部のKittyと話している以外は新たな展開もありません。時間も4時半をまわっていました。Kittyは夜の幹部の震洲とはちがって、女の子を捜しにいくとか、うまく他の包廂に行くはずの子を抜いてくるとか、そのようなことはまったくせず、包廂でまったりしていました。私も「こいつ、やる気あるのか?」と思ったりしていましたが、「等一些」(ちょっと待ってて)というのが口癖で、私が何か頼んでもすぐに行動を起こそうとしません。しかし、Kitty自身が可愛いので、私も彼女と話していることは、結構楽しかったこともあり、気長に待つこともできたように思います。

さて、久しぶりに包廂のドアが開いて、行政が女の子を2人つれてきました。背の小さな子が2人並んでいました。

「小小、YOYO、到了!」(小小、YOYO、到着したんだね!) Kittyが彼女たちに向かって話しました。

2人はにっこりと笑っています。とても可愛い子たちでした。一人は原住民でやや肌の色が黒く、胸が大きい小小。もう一人は色が抜けるように白く、胸が小さく痩身のYOYO。2人とも19才の大学1年生でした。

Kittyは何もしていなかったわけではなく、ちゃんと預點していました。彼女たちが何時に着くかがわからなかっただけで、上班したらすぐに私の包廂に連れてくるように行政に手配していたのです。だから、包廂でだらだら私と話していても余裕があったのです。Kittyが私の方を見て「她們很可愛、而且年輕的學生妹。你喜歡嗎?」(彼女たちはとっても可愛いでしょう。それに若くて2人とも大学生だよ。気に入った?)と言いました。性格もとても良さそうで、何よりも晩場の子たちとは雰囲気が異なりました。まったく、擦れている感じがなく、晩場のPT妹にあるような最初、警戒するような目もしていません。2人は私の両脇に座りました。そして、Kittyがいるにもかかわらず、いきなり制服の種類の意味などまったくないような姿になりました。あまりの早い展開に私もびっくりでした。とにかく屈託がないというか、明るいというか、そんな感じです。

すると、包廂の再びドアが開きました。一人の背が高い童顔の子が入ってきました。私に話しかけるのではなく、小小とYOYOに向かって、指をさして「我晩到了、應該扣錢把!」とか言っています。晩場の空枱の子たちのような無言で客の前に立っている感じとは明らかにちがいます。小小とYOYOも彼女に笑いながら大声で「你應該過睡了!」「你來不及!」などと応答しています。それにKittyも加わりますから、客の私などはどちらかというとそっちのけで、3人の公關とKittyで盛り上がっています。女子高か女子大にいるような錯覚を覚えました。

この子はもう現在は卒業していますが、進修学校ではなく、ちゃんとした台北市立XX高中の3年生に当時は在籍していた18才の滴滴。

とにかく、ワイルドでじゃじゃ馬的な性格、細かいことは気にしないという子で、私が呼ぶかどうかという返事をする前にもう自分の制服に手をかけて小小やYOYOと同じ恰好になりながら、いきなり座ってしまいました。確かにとても可愛い子で元気いっぱい、さらに胸の形はとてもきれいで大きく、スタイルは今まで逢った子たちの中でも抜群でした。私の意思など関係なく、いきなり3人の子が包廂にいる展開となり、さらにKittyもいて(Kittyは彼女たちとは同じ恰好になっていません)、一緒にはしゃいでいますから、よくわけがわからないうちに包廂が女の子だらけになっていました。

2人の大学生と1人の高中生。

土日だけ午後4時から来るとても仲の良い3人組でした。この3人とも私はそれぞれかかわりをもっていくのですが、今もつきあいがあるのは原住民の小小だけです。彼女はこの2月下旬に護理士(看護婦)の資格試験を受けることになっています。この1月まで彼女は前章で綴った紅牌の子がいる酒店と同じところにいて、 紅牌の子が若い小小(今はちがう花名です)のよく面倒を見ていました。

午場に初めてきた私は同じ酒店のPT妹でも女の子の雰囲気がこんなにちがうのかと思いました。酒やドラッグのKの心配があまりないため、きっと彼女たちも気持ちの持ち方がやや軽いのかもしれません。私も彼女たちに逢ってからは、特に忙しかった4月5月、土曜日か日曜日の午場に酒店にちょっと気軽に行くことが多くなりました。

しかし、仲の良かった3人組も同時に酒店にいたのはわずか1ヶ月半。
その後はそれぞれの運命に従い、5月の末にはそれぞれ別々の道を歩んでいくことになりました。

 画像はやはり鏡を多用する制服店の子たちのいろいろな制服です。下は聖誕節の時の天使と悪魔シリーズのコスプレの悪魔の方のタイプです。上は禮服タイプの制服ですね。この制服店の午場はとても人気があって、午場専門の幹部たちが、まず客に紹介するのがこの店です。午場の幹部を見つけるのは簡単ではなく、夜のように街角で声をかけているポンのような幹部もまず昼の2時~4時にはいないため、夜の幹部からルートを探っていくのが一番良い方法だと思います。

君悦制服

君悦制服2011/12 

 なお、ブログの記事に関係ある画像を貼っていきますが、絶対に撮影は禁止ですので、ご注意ください。これらの写真は酒店のスタッフや幹部が撮影し、私に提供してくれている特別なものばかりです。また、画像の無断使用や流用については絶対に禁止です。ご理解をよろしくお願いします。 
 
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