時刻はもう夕刻近く。今日のこれからの予定はいったいどうなっているのか、また、ちょっと心配になってきました。しかし、おおらかな台湾人の気質を併せ持った芊芊は一向に客にせず、相変わらず暢気な顔をしています。

「不要擔心。今天也我已經預訂住宿了!」 (心配しないで。今日も私はちゃんと宿を予約してるから)

しかし、芊芊は自分の計画をいつもギリギリにしか言わないことが多く、私を驚かせよう、喜ばせようとする彼女なりの気遣いなのですが、一応、計画性の高い日本人ですから、不安になることもなきにしもあらずでした。しかし、ここは台湾。さらには自分自身も来たことがない台湾中部ですから芊芊に命運を託すしかありません。

さて、紫南宮に小一時間ほどいた私たちは再び、車に乗り、南投の田舎道を走り出しました。30分も走ったでしょうか、芊芊がちょっと街になっているあたりの所に来たところで、細かく行き先を指示しだしました。

到着したところは、やはり、日本統治時代ゆかりの地でした。田舎の鉄道の駅なのですが、駅の名前は「集集車站」。果たしてこんなところまで来る日本人が何人いるのか、と思うような小さな駅でした。日月潭に行く途中ではあるので、ちょっと途中で寄り道したりすることはあるにせよ、私たちが行った時には少なくとも日本人があまり来ている様子はありませんでした。

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「集集站因位於集集線鐵路之中心點、日治時代屬於台中州新高郡、為當時地方行政中心。它是一座以檜木建造的古老車站。雖曾遭921大地震損毀。現已重建完成。集集線小火車、是集集現今最珍貴的活古蹟,初期以載運工程材料為主 ,不過隨後亦負擔起運輸沿線鄉鎮的旅客、香蕉、稻米、水果和木材的功能。在日治時代、正是臺灣香蕉外銷日本。當時的台中州新高郡一帶所產的香蕉、都在集集集散,再藉由集集支線運往外地以外銷日本」

(集集駅はね、集集線という鉄道の中心だったの。日本統治時代にここは台中州新高郡に属していて、行政の中心でもあったんだ。檜で作られたとても古い駅舎なんだよ。だけど1999年9月の921大地震で倒壊してしまったから、今の駅舎は再建のもの。集集線の小さな列車は今ではとても珍しい古い史跡としての意味もあるんだ。もともと初期の時代はいろいろな工事のための材料を運ぶ線だったんだけど、沿線に住む旅客やこのあたりで生産されるバナナやお米、果物や木材なんかも運ぶ役割も担いだしたんだ。日本統治時代は台湾バナナを日本に輸出をすごくしていて、この台中郡一帯でとれたバナナをすべてこの集集に集めて、ここから集集支線からどんどん日本に輸出されていったんだよ)

名前が「集集」というのは、このあたりでとれたバナナなどの農産物をここに集めていたことから来ていたことが、芊芊の説明によってよくわかりました。日本統治時代はとてもこの集集線は重要な役割を果たしていて西にある二水駅で縦貫鉄路と合流しており、台北や高雄へ当時はバナナなどの農産物が運搬されていた歴史がある、やはり日本人の手によるところが大きい鉄道でした。駅舎も昭和初期の日本的な建築要素を取り入れたつくりになっていますが、感動したのは、一度1999年9月の大地震で倒壊した後に台湾人の企業家である葉氏の寄贈により当時の日治時代と同じ形式の駅舎が再建され、さらにそれが現在は台湾鐵路管理局に返還されて、現在は鉄道観光の拠点として活気を再び取り戻していることでした。

 1999年9月21日に発生した大地震によってほぼ倒壊した昭和初期に作られた集集車站。
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ここにもかつての日本人の台湾での足跡があり、そして、それを台湾発展の基礎としてとらえ、当時の日本様式の駅舎を再建してくれた台湾人たちがいました。歴史的に見れば、台湾のバナナを当時の日本に運ぶことが主力だった鉄道を負の歴史ととらえず、台湾の古跡として扱って観光化してくれた台湾人に私たちは感謝すべきであろうと私は感じました。

私と芊芊は車站の前のロータリーに車を停め、ちょっと黄昏時の「集集車站」に入ってみました。

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本当に昭和時代の日本にタイムスリップしたような駅で、再建されたとは思えない当時の雰囲気そのままの感じでした。芊芊も初めてここには来たようで月台(プラットホーム)を改札の所から覗いたりしていました。すると駅員の人がやってきて、芊芊と何か話し出しました。

「我們可以進去月台的」 (私たち、プラットホームに入っていいって!)

いつの間にか芊芊は駅員と話をつけ、そのやさしい台湾人の駅員さんの許可を得て月台に入る許可をもらったようでした。私が日本人であることを話し、日本人にとってゆかりあるこの集集車站をぜひ、見たいという希望があるとどうやら伝えたようです。こういう時の芊芊はとても人なつっこいところがあって、多くの台湾人は彼女の可愛い無邪気な笑容にやられてしまうことが多く、芊芊の交渉力は実に天才的でした。

私たちはその好意を受け、本当に日本の片田舎にあるような雰囲気の月台に入りました。とりたてて何かがあるわけでもないのですが、かつて昭和の初めにここに多くの日本人がいたことを考えるとちょっとした感慨がありました。芊芊もちょっとボーッとするような表情でこの台湾の中部と日本を結ぶ集集支線の先を見つめていました。線路は台湾国内で当然、終っているのですが、かつて、この線路が運ぶ多くの農産物の道程は海を渡り、日本まで続いていました。あれから100年近い時が経ち、今、日本人の私と台湾人の芊芊がここ集集車站の月台に立っていました。それはある意味、本当に懐念を感じさせるものだったように思います。

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駅舎を出た私たちは駅前にある蒸気機関車や戦車などをちょっと見学して、車に再び戻りました。

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ここ集集車站は台湾鐵路管理局が保有する支線の中でも最も利益が上がっており、「集集車站」は鉄道観光の拠点として街もこのところ急速に整備されつつあります。駅前には鉄道にちなんだ土産物屋も多く、今回、時間が無いことに駅舎を出たところで芊芊が気付き、結局行かなかったのですが、車站の脇には鐵路文物展示館も開館し、多くの鉄道ファンを集めているようです。

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「我們没有時間的!」 (私たち、時間がなくなってきたよ!)

夕刻になった集集車站で芊芊が急に言い出しました。
自分でここに寄ると決めていたのに、この「高気圧ガール」はしょうがありません。
ただし、頭の中は基本的にいつも「晴れ」なので、あんまり気にしている様子もありません。

 ちょっと色黒の小麦色の肌で茶髪、いつも肌を露出する服を着ていた芊芊のイメージにピッタリ。雰囲気は若くして亡くなられた夏目雅子さんのような雰囲気の元気少女でした(ただし、芊芊はショートカットの黒髪ではありませんでした)。いつもプラス思考で「何とかなる」という思考回路は台湾人のオプチミスト気質をもつ典型的なお気楽娘でした。だからこそ、特にあてもないのに、「どうにかなる」と考えて私大に入学し、家出同然で台北にやって来たのでしょう。


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「芊芊、今天下次我們過去在那裡?」 (チェンチェン、今日は次、どこへ行くの?)

「哈哈哈、其實妖怪村的」 (エヘヘ、実は妖怪村なんだよね)

距離にしてここ集集車站から鹿谷の妖怪村までは田舎道と山道をだいたい30kmぐらい入らなければいけません。今は夕方ですから到着予想はとばしにとばして夜の7時頃。ただ、道は1本道ですからわかりやすく、何とか芊芊が言うところの妖怪村の閉村時間の夜8時には間に合いそう。

「開車快快的!」 (急いで車、運転しなきゃね!)

芊芊はいつものエヘヘ笑い。悪戯っ子が遊び過ぎて門限に間に合いそうになくなった時のような顔をしていました。
まったく世話の焼ける娘なのですが、無理を言われてもどこか憎めないところがあります。

まあ、とりあえず急がなきゃ。

お気楽な高気圧ガール・芊芊と共に夕暮れの集集を出発。南投の田舎道を妖怪村を目指して再び疾走し始めました。

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