芊芊が私の家に猫のAYUとともにやってきたのですが、機車で家に帰り、すごく大切そうに最初にもってきたものがあります。「家の居間に置いていい?」と言うので、何かと思っていました。

それは「五路財神」という金運が良くなるという言われのある神様のキャクター人形でした。 

五路財神

台湾人とつきあっていくとわかるのですが、本当に信仰心が強く、各ジャンルごとに神様がいます。私は風水も今は詳しいのですが、風水によって家の引っ越しや公司の移転をすぐにしてしまう人も少なくないため、台湾人とつきあっていくためには必要不可欠な知識のひとつで、自然と詳しくなってしまいました。街を歩くとよくわかるのですが、日本も街角に小さな祠やお地蔵様があります。しかし、私が思うには多分、台湾の宮や廟の数の多さは日本の比ではなく、その数は相当なものです。

また、日本人は神様とは尊いものという感覚があって、あんまりキャラクター化したり、ちょっと茶化したりはしないのですが、台湾はちがって「Q版」(キャラクター版という意味)という表現をよく使いますが、神様のキャラクター人形やカード、アクセサリーがたくさんあり、特に若い女の子たちに人気です。おしゃれなバックなどにつけていたり、錢包(サイフ)の中にカードや小さな人形を入れている子も多いです。

4b219cad6a1df

1319357102-1855198194

お祭りの多さと派手さもすごくて、模特がだいたいの祭礼には登場して跳舞をすることは極めて一般的、爆竹や花火の量は消防法はないのかというぐらい派手です。さらに七爺八爺、金山爺・銀山爺や三太子の人形が登場することが多く、特に三太子は「電音三太子」として登場、軽快な跳舞やアクロバチックなパフォーマンスをすることが多く、楽しませてくれます。女の子たちにこの「電音三太子」は超大人気で「SORRY SORRY」や「NO BODY」を軽快に踊りますから、いつも大盛り上がりになります。京劇風の八家将も忘れてはいけませんね。

P1190051

 電音三太子のパフォーマンス。三太子は神様の中でも一番若い年輕の少年神。親しまれています。




 こちらは女子八家将と車の数が多い吉普車辣妹隊。必見です。
 

さて、芊芊も神様は大好きで、廟に行くことを自然に生活の中でやっていましたし、各節の慣習などもすごく大切にしていました。芊芊が酒店で働き始めたのは、家出同然で台中の家を飛び出して台北の私立大学に入学したため、生活費すら困窮していたのを何とかするための苦肉の策でしたから、「芊芊」という名前も「錢錢」というお金が儲りますようにという願いも込めていました。ですから金運を招く、五路財神はとてもあがめていました。しかし、そこは年輕の女の子。可愛いらしいキャラクター的な「Q的五路財神」を好んでいて、彼女はSEVENのicashカードもこの五路財神系列の中路財神のカードも使っていましたね。

005

6666538019_a1e74a733b_b

 五路財神というのは次の五人の神様を言います。
1046-5-1a_11092954993

中路財神 五財神:趙公明
東路財神 招寶天:尊蕭升
西路財神 納珍天:尊曹寶
南路財神 招財使者:陳九公
北路財神 利巿仙官:姚少司

この中で最も中心となって祀られているのは武財神とも言われる「趙公明」であり、黒い顔、金色の鞭をもって黒虎に跨る姿で知られています。また明の時代の仙人や妖怪が戦いを繰り広げるエピソード「封神演義」の中心人物としても知られ、台湾でも日本で少年ジャンプに連載された漫畫(漫画のこと)やその関連商品、アニメやゲームで人気になっています。

0017

武財神

台湾では 趙公明は通称「寒單爺」として知られており、寒がりだったという言い伝えから、 台湾の元宵節に台東では、熱い爆竹を寒單爺に見立てた選ばれた若者に雨あられと投げつけるという有名な「炮炸寒單爺」が実施されます。以前のブログで同じように奇祭として有名な台南鹽水の烽炮をブログで紹介しましたが、台湾ではこの時期「北天燈、南烽炮、東寒單」と呼ばれる三大祭礼があり、この 「炮炸寒單爺」は、日本で台湾の奇祭のひとつ「爆竹祭り」という名称でよく案内されています。

私自身は行ったことがないのですが、見る限りでは極めて危険。完全防備していかないと、あの大量の爆竹ではヤケドは必死ですね。でも一度、見てみたかったです。ロケット花火を山ほど打ち込む
台南鹽水の烽炮もすごいですが、こちらも負けていません。下のリンクの写真を見るとそのすさまじさがよくわかります。目にでも入ったら本当に失明しますね。
台東・炮炸寒單爺







さて、居間にさっそく、今に芊芊が持ってきた「Q版五路財神」を飾って、お祈りをしました。

この時はまだ、予想もしていなかったのですが、この休みにまさか、このことが発端で雲林や南投まで芊芊と出かけることになるとは思ってもいませんでした。