「你喜歡台湾味小吃嗎?」

芊芊が民生西路との交差点にある表彰化銀行の前を歩きながら訊いてきました。 もちろん、嫌いなわけはありません。「我喜歡」と答えると、芊芊はニッコリと笑いながら、私の手をひいて民生西路をトコトコ歩き出しました。手術後なので本当にたくさん歩くのが心配でしたが、本当に元気で、絶好調でまったく疲れていません。多分、芊芊は聡明なことが自分のアイデンティティでしたから、古い台湾の歴史や伝統を私に見せ、説明するのがとても楽しかったのでしょう。私も芊芊につきあうという気持ちではなく、この懐古的な街並みや台湾本来の文化に触れる街巡りはとても楽しく、時間があっという間に過ぎるような感覚でした。時間はもうすでに気がついたら夜の7時過ぎになっていました。

芊芊が私を連れていこうとしたのは「寧夏夜市」。この夜市は台北で最も古く歴史のある夜市で、他の夜市とはちょっと異なった特色をもっています。芊芊が歩きながら、説明をいつものようにしてくれました。

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「 寧夏夜市是臺北夜市之中最具有歷史傳承意義。 寧夏夜市是一個充滿大稻埕文化的聚集地、台北的夜市撥源地。從日據時代開始。你知道建成圓環嗎? 建成圓環位於台北市重慶北路與南京西路的交叉路口。有很多小吃店「臺北的胃」美稱,然而因建成圓環歇業之後,就只留寧夏夜市的這些老字號攤販,依然傳承夜市的美食精神的」

(寧夏夜市は台北の夜市の中でも最も歴史を伝承しているんだよ。ここは大稻埕の文化が集まっているところ。台北の夜市のルーツでもあるんだよ。日本の統治時代からもうすでにあったんだ。ねえ、圓環を知ってる?重慶北路與南京西路的交叉路口にある圓環ののことだよ。あそこは台北の胃と言われたぐらい小吃のお店が集まっていたの。圓環が終っちゃったから、そこに会ったお店がここに移ってきて寧夏夜市に留まったんだ。だから、当時のおいしい食べ物を味わうという文化はこの夜市に引き継がれているの)

圓環は私も何度か、前をタクシーなどで通っていて、その存在は知っていました。しかし、よく、その歴史と経緯は知らなかったのですが、そのルーツは日本統治時代の1930年代に日本人がロータリーを建設して、屋台街が自然と形成されていったことに始まります。太平洋戦争時代は一端貯水池になっていましたが、戦争が終ると屋台がすぐに戻ってきました。さらに大稻埕の映画館やダンスホールなど庶民の娯楽施設ががまわりに形成されたこともあって、この圓環に台湾味小吃の屋台が並び、特に魯肉飯と蚵仔煎が有名で多くの人を集めていました。この圓環はお年寄りの台湾人にとってはとても思い出深い場所なのです。 

 画像は創生期の圓環の様子。行政院文化建設委員會国家文化資料庫に残る貴重な写真。周辺に娯楽施設が集まりだし、大稻埕の中心として人が集まりだしていました。 
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 1990年代に2度の火災に遭う前の圓環。とてもごちゃごちゃしていて、いかにも台湾です。 
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 ガジュマルの樹が象徴だった「台北の胃」時代の圓環といかにもバラック継ぎ足しという感じの圓環内部。
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 取り壊されていく圓環。新たな圓環の建設をするために以前あった小吃店は寧夏夜市に少しずつ移動し始めていました。しかし、新たに建造される圓環に残る店も多かったと聞いています。
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 1999年に2度目の火災に遭い、老朽化した圓環を取り壊して2003年に台北市が主導して2億元をかけて再建築した現在の圓環。しかし、すでにこの地区の商圏はすでにさびれており、設計が悪く、風通しが良くないなどの理由でビジネスは低調、再生計画に失敗しました。2006年には一端、すべての店舗が退去し、閉鎖となり、100年近くにわたる歴史がついに一度は終焉しました。
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 圓環はその後、美食推進センターとなったり、広告塔がわりになったりして紆余曲折を繰り返していきますが、いずれも起死回生とはならず、約10年の間、低迷をしていきます。私が台北に在住している間もこのあたりを通っても活気はなく、かつての繁華街の再生に失敗し、巨額の税金を投入したものの、箱物だけが虚しく残っているという感じでした。
台北建成圓環 小吃競賽等不到人潮
轉動吧! 圓環



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しかし、「台北の胃」としての復活の使命がある圓環は台湾の広告業界の母と呼ばれる人物が中心となって2003年、2009年の2度の再生失敗を乗り越え、3度目の再生を図っていました。現在は2012年4月「水緑圓環」をテーマに著名な料理人を迎えた美食+イベントスペースの複合施設として再スタートしています。ビジネスは好調であるとマスコミは伝えており、日式経営を取り入れたという、その手腕によって本格的に圓環が復活できるかどうか、注目を集めています。

 リンクしてあるYouTubeの動画は中国語の聞き取りの練習にも最適。女性アナウンサーと解説する若い男性の中国語はとても聞き取りやすくてゆっくり話し、下に文章が出ますから、極めてわかりやすいので、ぜひ、見られてみて下さい。

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廣告教母接手 「新」建成圓環今開幕
 
新經營團隊接手打造綠活圓環
台灣呷透透:台北圓環重新出發-水綠樂活主軸
台北建成圓環。再生的都會森林
台北圓環 Facebook

圓環の歴史は「台北の胃」の歴史でもあり、1990年代の2度の火災などを含め、再建後も2度の失敗を繰り返し、台北市長の失政として常に槍玉に挙がってきました。しかし、圓環は台北人の心の故郷であり、懐念がある場所です。市の経済の中心部が艋舺や大稻埕から東部へ移り、人波が大きく戻ることはもうないでしょう。しかし、日本統治時代から生きる人々にとっては、その想いは特別です。台北の市会議員の一人も「戀戀圓環」というブログをある時期もっていました。なかなか再生を果たせない圓環を支援していた人たちは少なくはありません。

下のリンクは昔の圓環の姿から現在までの変遷をまとめたサイトで、特に「林小昇之福爾摩沙研究社」のサイトは圓環のみでなく、昔の台北の貴重な写真や解説が多く、台北の歴史を知る上では極めて有意義と思います。日本統治時代に建設された建造物の画像も多く、お勧めです。
林小昇之福爾摩沙研究社 圓環
台北円環屋台街 90年代半ばの姿
消失的大稻埕市集:建成圓環、長環(重慶露店)、四角環

芊芊は台中人ですから、圓環のことについては詳しくは知っていない様子でしたが、寧夏夜市の中にかつて圓環にあった小吃店がたくさんあることは知っていました。彼女は高中時代に 艋舺や大稻埕の歴史を詳しく調べ、学校の代表として発表したほどでしたから、日據時代のことはとても詳しかったこともあり、その周辺の知識として知っていたように感じました。それと芊芊の愛読誌が台北WALKERだったので、いつも台北の衣・食・レジャースポットなどはチェックしていて、よく雑誌や本を読む子でしたからそのあたりからの情報ももっていたのかもしれません。

さて、芊芊と話をしながら、民生西路を歩いていると、10分ほどで寧夏夜市の入口のところにやってきました。芊芊の顔を見ると腕にぶら下がるようにしながらニコニコしています。きっと、またいろいろと私に教えたくて仕方がないのでしょう。私も芊芊と初めてきた台北で最も歴史があるというこの夜市を楽しんで見るかなという気持ちが湧いてきました。

私自身、行ったことがある夜市は士林夜市と石牌にある夜市が最も多くて、あとの夜市はほとんど行ったことがありませんでした。華西街歡光夜市や廣州路夜市は興味本位もあって探索したことがありましたが、ゆっくりと食事をしたりするようなことはありませんでした。

いつもとちょっとちがった雰囲気で、このわがまま台中娘がどんなものを選ぶのか?
心地よい夜風を感じながら、これからまだまだ続く、芊芊との夜。

あたりはすっかり暗くなっていて、夜市の灯りが燦々と煌めく中へ私たちは歩み出しました。

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